『翻訳問答2 創作のヒミツ』鴻巣友季子編著(左右社)
一冊通して片岡義男との対談だった『1』とは違い、本書では作品ごとに5人の作家と対談しています。一章ごとに対談相手が違うとやはり不完全燃焼気味に感じるようなところがありました。
「I AM A CAT」奥泉光
冒頭の一文「あ、猫です。」は衝撃です。「我輩」の呪縛(というのもヘンですが)から見事に羽ばたいてます。英訳者がなぜか原文にはないことば遊びをしているせいで意味が取りづらい文章があったりして可笑しい。
「THE BAMBOO-CUTTER AND THE MOON-CHILD」円城塔
これはすでに英題からびっくりしました。完全に別物です。
「I AM A CAT」のところでも出てきましたが、英語は「『彼は傷ついたのだ』という文章があって、その後に『彼女に意地悪を言われて、足蹴にされて、バイトを休んだ』といった文章が来る。その後、さらに『彼は打ちのめされた』と来る」(p.75)という文章があるので、読んでいると時系列が混乱するんですよね。
地の文に「Princess Moonlight」とモロに「Moon」とあるので気になって英語原文を探してみると、名付けの段階で「Princess Moonlight」と名づけられていました。「because her body gave forth so much soft bright light that she might have been a daughter of the Moon God.」だからだそうです。タイトルも「MOON-CHILD」だし、英語原文はほぼネタバレしておいて、言い訳してるんですね。また、かぐや姫の「姫」は「女の子」「お嬢様」くらいの意味だと思うのですが、上記のように英訳者は「Princess」と訳しています。日本語に逆輸入するなら「月明かりの王女」でしょうか。あるいは「月光王女《つきかげのひめみこ》」とか。ネタバレせずに「かぐや姫」を英語にするなら「Lady Bright」とかなのかな?
「THE SNOW WOMAN」角田光代
前から後ろに訳す、が基本だとされていますが、「she was very beautiful, --though her eyes made him afraid.」を、角田氏は無意識に顔の美しさに重点を置いて訳していて、印象がまったく違うことに驚きました。うまく訳したつもりが自慢げなドヤ顔の文章になっているだとか、村上春樹や江國香織の影響でみんなが真似しだした表現には気をつけているだとかいうエピソードは、角田氏の小説家ならではの感覚だと感じます。よく言われる日本語の一人称の特殊さを、村上春樹訳チャンドラーの一人称が「僕」だったらどうしようという一言で表現してしまえる鴻巣氏もたいしたものです。
「WUTHERING HEIGHTS」水村美苗
「THE ARABIAN NIGHTS」星野智幸
ボルヘスが記憶違いからか意図的なものからか、ジンニが助けてくれた者に小鳥の歌を教えようと考えた――と紹介しているというエピソードは、オリジナルが明らかではない『アラビアン・ナイト』には相応しいエピソードですし、「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」の著者だと思えばわざとという気もしないでもありません。
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