『岡本かの子 アムール幻想傑作集 美少年』長山靖生編(彩流社)★★★★☆

岡本かの子 アムール幻想傑作集 美少年』長山靖生編(彩流社

 『Beauty Boy』2019年。

 復刻アンソロジー・シリーズの一冊。
 

「豆腐買い」(1934)★★★★☆
 ――加奈子は潜戸を勇んで開けた。永年居慣れた西洋の街や外景と何も彼もが比較される。電柱を見上げる。どうもそうだったのだ。さっきから賑やかな町の景色、と思っていたのはこの電柱街路樹のためだったのだ。加奈子はショールから提げ菓子皿を取出した。取手は伊太利で買った。日本へ帰ったら第一にお豆腐を自分で買いに行こう。お豆腐をこの容物へ入れて気狂いのお京さんに見せてやろう。荒物屋から男の子が飛出して来た。男の子がこっちを見つづけている。

 加奈子のことを著者自身と重ねるならば、帰国したのは三十過ぎのはずなのですが、あざといほどに少女のような感性に満ち満ちていて、恐らく狙ったのではなく素でこうした文章を書けるのが著者の魅力なのでしょう。

 久々に歩く日本の道路に対し、「地面の皮膚の下に静脈の通っていそうな所を選んで鷺のように、つましく踏み立つ」という、大げさなまでに新鮮な感覚。ドブに対する「醜部露出狂のような」という的確すぎる譬喩。建物の低い日本の空への感動。当時は木製だったであろう電柱から連想を広げて、「蔓から壜がぶら下がる瓢箪、幹の中に空気の並んだ部屋のある竹」を思い浮かべる発想。

 ここまで徹底してモダーンかつ少女趣味を開陳しながら、イタリア製の取っ手をつけた提げ菓子皿を持ち、それで豆腐を買いに行くというギャップがたまりません。日本らしさの象徴であり、かつ崩れやすいものだから選ばれたのでしょうか。

 孀《やもめ》で養子に虐げられていた豆腐屋のおかみ、フランス人と結婚したものの文化の違いに押し潰されて心を壊した友人・京子。加奈子が日本を離れていたうちに変化していた二組の夫婦の在り方は、複雑な夫婦関係を持っていた著者の経歴を知ると感慨深いものがあります。
 

象牙の床」(1929)★★★☆☆
 ――六牙の象は象中の王とたてられていた。従って妻の「賢」も王妃の位にあった。六牙の象は曼珠沙華を妻の友達に与えて愛想をした。もう一本の曼珠沙華を、「賢」はてっきり自分に呉れるものと嬉しさを用意していたが、女友達はなんの気もなくまたこの花を受取ってしまった。「賢」の心は嫉妬に打ちのめされた。「賢」は神の廟に跪いて願をかけた。次の生には人間に生れ変わり、かの夫の象の六牙を抜きとり、復讐を遂げ得さし給え。

 前世が象だった王妃が心を打たれて過ちに気づき仏教に帰依するまでを描いた回心譚。
 

「病房にたわむ花」(1924)★★★☆☆
 ――春は私がともすれば神経衰弱になる季節であります。十年前、私は神経の破綻を招いたことがありました。私が連れて行かれたその狂院に咲き満ちて居た桜の花のおびただしさに、始めは茫漠として美感にうたれて居るだけでした。が、やがて精神病患者が遊歩するのを認めて一種奇嬌な美の反映をその満庭の桜から受け始めました。

 古来桜は美しく愛でるものだったからこそ、「桜の樹の下には」や「桜の森の満開の下」のような作品もあるのでしょう。華やかであるべきはずの桜が精神病院の記憶と結びついてしまっているのでは、毎年春がつらいはずです。
 

「愛よ愛」(1933)★★★☆☆
 ――この人のうえをおもうときにおもわず力が入る。和服を着せれば和服を着ている。洋服を着せれば黙って洋服を着て居る。そのくせわたしの着物にはいろいろと世話をやく。いくら忠告してもよこさないものはフランス製の西洋寝巻だ。子を思えばわたしとても寝られぬ夜々が数々ある。

 夫と子に対するあれこれ。
 

「小町の芍薬(1936)★★★★☆
 ――国史国文学の研究家、村瀬君助は妻に悩んだ男であった。妻と子が死んでからも再婚する気は無かった。生きた女もなまなましく嫌だ。さればとて歴史上の女は史実に固定され過ぎて干からびている。伝説の女こそ、唯一の資格者だ。初恋の女のように小野小町の研究に取付いた。小町の手植えと言い伝えられるこの芍薬を見ていると、向う側に一人の少女が立って居た。何という美しい娘だろう。

 観念的な理想の女を追い求める哀れな男の、屈折した思考がじっくりと書かれていて、滑稽ですらありました。とはいえ「歴史家の立場よりは軽蔑し、好事家の立場からは楽しみになる」から言い伝えの地を訪れるのを後廻しにするという気持はわかります。
 

「兄妹」(1936)★★★☆☆
 ――きみい、と兄は妹へ話す話頭の前にかならず、こう呼びかける。外国文学を読み耽る影響だ。兄の語る言葉は、思春期のなやみに哲学的な懐疑も交っていた。だが、妹はまだ稚かった。向うから、目鼻立ちの整い切った村娘が来た。――あれだろう、君のお付きになるのは。――ええ、どう? ――いい娘だろうなあ。好い娘過ぎて「お米」は村で使い手が無かった。

 著者自身がモデルであればこの兄は二歳上、「稚かった」妹とさして変わりはありません。恐らくは背伸びしているのであろう兄を、妹は妹で憧れによって背伸び以上に仰ぎ見ているように思えます。使用人となる村娘との美しさと家柄の上下関係など、人と人との関係性がさり気なく描かれていました。
 

「花は勁し」(1937)★★★★☆
 ――桂子が押しやった花活へ、水を差しながらせん子がいった。「先生、今夜でも小布施さんにお金を持ってってあげないじゃ」。小布施は遠い親戚の息子で、画家であったが、今は結核で伏せっていた。三十八の女盛りでありながら、子供一人生まなかったことが、時々自分に責められた。「君が描いた理想画を僕が罵ったら、君は欝ぎ込んで、私は絵を生きた花で描き度うございます、と云ってパレットを割って仕舞ったっけ」。恋人同志になりかけていた二人が、そんな経緯で友情の方へ逸れて仕舞った。桂子は開所五周年記念の大会のためQ芸館を借りるつもりで忙しかった。いつの間にかせん子は一人前の女になっていた。そのせん子の相手は?――「しまった」と桂子は胸に焼鏝を当てた。

 ちょっとしたズレが積み重なることで独身を通して花に打ち込むことになった女の半生です。悩んでいるようにも悔いているようにも見えましたが、タイトルにある通り最後には「花は勁《つよ》し」でした。
 

「高原の太陽」(1937)★★★★☆
 ――「素焼の壺と素焼の壺とただ並んでるようなあっさりして嫌味のない男女の交際というものはないでしょうか」と青年は云った。女学校を出たばかりのあまり内気な性質のかの女の下宿に、偏屈な妹には薬になるかも知れないと、重光青年を妹に何の気づかいも無く紹介して兄は旅に立っていった。青年は連夜かの女を訪れ、残り物で酒を飲んではばあやと遊んで帰って行った。

 内気な女性に向かって積極的だと評し、「熱情があんまり清潔すぎて醗酵しないから、病的な内気の方へ折れ込んで仕舞うのでしょう」というのは、穿っているようでもあり、月並みな口説き文句のようでもあり、持って回った素直じゃない話しぶりがいかにも芸術家めいています。
 

「過去世」(1937)★★★☆☆
 ――女学校の同級生だった雪子に誘われ、私は新居に出かけたのであった。「この家には不思議な因縁話があるの、あなたに聴いて頂こうと思って」。父親の知合いで退職官吏Yの家へ客分として預けられたのだが、何にでも極度に好き嫌いをつけるYは、自分の息子兄弟にもそれをした。弟の梅麿は父の唯一の寵児だった。父は梅麿の狡さを気に入っていた。兄の鞆之助は反対に何から何まで、父の気に入らなかった。

 一人の女をめぐる――というよりは、女を媒介して、父に愛された弟と父に疎まれた兄が対話をしているようです。最後の最後に、兄弟二人とも結局は愛され疎まれるという関係によって父親に依存していたことがわかります。
 

「呼ばれし乙女」(1938)★★★☆☆
 ――師の家を出てから一か月、弟子の慶四郎は師の妹娘へ電報をよこした。『ハコネ デビョウキ キテクレ』。姉の仲子ならともかく自分を名指して何故だろう。いぶかりながらも箱根の宿に行くと、慶四郎が待っていた。『あら、病気だなんて……電報うったくせに』『嘘じゃなかったけど、もう直った』『まあ……』。音楽家達は霊感を得るために気狂い染みた所業もする。現に慶四郎の傑作「恋薺」は、七草を仲子にはやさせて作ったものだ。『姉さんは、僕にたった一つの夢しか与えなかった。あなたは僕に取って無限の夢の供給者だ』

 姉の婚約者に恋した少女と、少女を芸術のインスピレーションのミューズとして愛する青年の、悲恋の序章のような小品。
 

「娘」(1939)★★★☆☆
 ――日本橋の鼈甲屋鼈長の一人娘で、スカルの選手室子は、この頃また寮に来ていた。階段の下で、七つの蓑吉の声がする。鼈長は時代に揉まれて小規模な高級路線に舵を切った。今更婿養子でもあるまい。蓑吉に家業を継がせ、室子は嫁に出す考えである。見合いの口が二つ三つあったが、断られた。「何分にも、お立派過ぎると――」「そんな断りようがあるか」。室子は手早く漕艇用のスポーツ・シャツに着換え、艇を水のなかへ押し出した。気づくと一艘のスカールが不自然な角度で自分の艇に近付いて来た。

 少女漫画のような突然の運命的な出会い。著者の少女趣味が出ている作品です。
 

「家霊」(1939)★★★★☆
 ――坂道の途中に名物のどじょう店がある。暖簾には「いのち」と染め出している。くめ子は七八ヶ月ほど前から病気の母親に代って切り盛りしている。女学生のころから嫌で嫌で仕方がなかった。人世の老耄者、精力の消費者の食餌療法をするような家の職業には堪えられなかった。年少の出前持が寒そうに帰って来た。「お嬢さん、また徳永が註文しましたぜ、どうしましょう」「一文も払わずに、また――」そこへ徳永老人の髯の顔が覗く。「わしのやる彫金は、なまやさしい芸ではない。どじょうでも食わにゃ出来んのだ」

 ちくま文庫『名短篇、さらにあり』()で既読。ただのたかりのように見えて、持ちつ持たれつの関係が明らかになります。けれどそれでも、お爺さんの側から事情を打ち明けるのは格好悪いようにも思えますが、お爺さんからすれば、事情を伝えて恵んでもらうのではなく、道理のわからない若い娘にガツンと言ってやろうというくらいの気持なのでしょう。わたしには理解できない世界です。
 

「蝙蝠」(1938)★★★★☆
 ――それはまだ東京の町々に井戸のある時分のことだ。平太郎が捕まえた蝙蝠をお涌にあげたのを、日比野の家の女中が声をかけて、「うちの坊ちゃまが是非標本に欲しいと……」。日比野の家の土蔵は勉強部屋になっているらしく、末息子の皆三の顔がよく見えた。蝙蝠のお礼にと云って招かれるうちよく遊ぶようになり、二人の気の合った様子に、皆三の母親は自分の居場所がなくなるような心地がした。お涌が十六になった時、日比野の女主人が縁談を持って来たが、相手は皆三ではなかった。

 かの子作品の男女の例に洩れず、二人とも素直じゃなく回り道をしてから結ばれます。交流のきっかけとなった蝙蝠が家の呪いを吸い尽くしてくれたと感じるのも、現在が幸せであるからこそです。
 

「真夏の幻覚」(1939)★★★☆☆
 ――八月の炎天の下、屋根普請に三四人の工人達が屋根を上ったり降りたりしていた。汗はしんしんと工人達の背にまろび、百合はあかく咲き極まって午後の陽光のなかに昏むばかり。私は、痴呆の無感覚にだんだん隔って行く自分をうつらうつら感じていた。新吉が普請場の屋根から落ちたのである。――新吉は幻覚という言葉は知らなかったが、それと同じ表現を私に云った。――何か、素晴しく偉大なもの、有がたいもの、懐しいもの、……

 乱歩「白昼夢」であり、カミュ『異邦人』であり、ハーヴィー「炎天」であるような、酷暑の見せた幻覚。「狂人の眼のようにあかみ走」る百合の姿が目に浮かびます。
 

「越年」(1939)★★★★☆
 ――年末のボーナスを受け取って加奈江が社から帰ろうとしたときであった。社員の堂島が駆けて来て、いきなり彼女の左の頬に平手打ちを食わした。翌日課長に話をしようとしたところ、堂島は速達一本で退社したということであった。容易く仕返し出来難い口惜しさを感じた。閉店後のカフェから出て来る堂島を掴まえようと、加奈江は同僚と銀座に繰り出した。

 安野モヨコ編『女体についての八篇』()で既読。まるで平仲のような堂島の傍迷惑な倒錯したロジックに、まんまと嵌って忘れられずにいる加奈江の姿には、やはり都会が似合います。人込みのなかだからこそ孤独が際立ちます。
 

「窓」(1939)★★★☆☆
 ――女は、窓に向いて立っていた。身じろぎさえしない。頬には涙のあと。「……思い返して呉れませんか……もう一度」。男は、荷造りの手をまた止めた。女は、けわしい眼をした。「幾度言ったって同じですわ」。男は多感なだけに多情だった。女を深く愛しながら、外の女をも退けかねた。一緒に死ぬか、別れるか。別れるのが二人の運命だった。

 どっちつかずの女々しい男女が火事場で爆ぜた爆発をきっかけに踏ん切りをつけます。火事が起きなければ、窓を開けていなければ、あるいは――なんてのはあり得ぬ夢で、二人とも実はきっかけを待っていたのだと思います。
 

「美少年」(1941)★★★★☆
 ――「とく子、縁日へ連れてってやろう。支度しな」。美少年が手を振った。下町の眼科に入院していたわたしは、その声を心待ちにしていたのではあるが、そう思われるのも口惜しいからちょっと首をかしげてみせてから、急いでお化粧に取りかかった。山の手の少女のわたしにはすべてが珍しかった。縁日まで来た。「なんだ、時公、コブ附きか」「だって頼まれちゃったんだ」。少年はまた噓の見栄をいった。「どうするんだ。切角、親切に雛っぺえを呼んどいてやったんじゃねえか」。途端に出の衣裳らしいお雛妓が現れた。

 下町の美少年なので、いいのは顔だけです。ガラは悪いし、背中は酒毒で赤くなっているし、育ちもよくありません。淡い恋でも始まるのかと思っていたのに、義兄妹という発想が出て来てしまうような少年です。眺めてなんぼの美少年です。それ以上を求めて、関係は終わります。
 

「星」(1937)★★★☆☆
 ――晴れた秋の夜は星の瞬きが、いつもより、ずっとヴィヴィットである。満天に散在する星の一群を綴り合せて、いろいろな形を想像したのが星座である。人間の詩的空想の産物だ。私はエジプトに旅をした時、埃及の星空を眺め乍ら、知っている限りの星座の名を想い出して探し求めた。だがそれよりも星と星との間に勝手な線を描いて、自分の好むままの空想図を組み立てる方が一層楽しかった。

 エッセイ風の小品です。ここに描かれているのは、外国で見た星空と日本の秋の夜の空ですが、当時は現在よりもたくさんの星が見えたのに違いなく、ということはかの子の見ていた空とわたしが見ている空は同じではないのでしょう。

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