『不思議なシマ氏』小沼丹(幻戯書房 銀河叢書)★★★☆☆

『不思議なシマ氏』小沼丹幻戯書房 銀河叢書)★★★☆☆

 小沼丹の単行本未収録作品のなかから娯楽作品を集めたもの。
 

「剽盗と横笛」(1947)★★☆☆☆
 ――五か月ぶりに町に戻ってきた。「大沢殺しでとっつかまった野郎じゃねえか」。私は酒店を追い出された。私を無罪にした弁護士の冷たい目つきに、私は弁護士を憎悪するようになった。フルウトの音色が流れてきたが、突然曲の調子が狂った。弁護士の家だった。「お前は……奴を掘り出したのか?」私の声は嗄れていた。

 弁護士を憎む理由や弁護士の家に行く理由もさしてなく、すべてが偶然に過ぎますし、実は宝石商殺しではなく強盗犯殺しだったという真相や強盗犯が宝石を飲み込んでいたという隠し場所など他愛もありませんが、フルートの調子が上手くいかないのが不吉な予感となって彩りを添えています。帯にある「チェスタトン風コント」というのはこの作品のことでしょうか。ロジックではなく雰囲気が、かな。
 

「不思議なシマ氏」(1959)★★★☆☆
 ――バアで女掏摸のトンビに掏られた財布を取り戻してくれたのがシマ氏だった。友人のケンは会社の社長に頼まれて運んでいた大事な鞄を盗まれてしまった。トンビが見かけた普段は鞄など持たない男が犯人なのでは――。ケンと恋仲のその会社のタイピストがトンビと瓜二つなのを利用して、シマ氏とトンビとケンと僕は鞄泥棒を追う。

 不思議な出来事が起こって風変わりなシマ氏に従って行動するうちにどんどん事態が転がってゆく面白さは、少年探偵団や「赤い絹のショール」冒頭のようです。目当ての宝石泥棒に近づくためにその従業員に近づこうと考え、そのために従業員の友人と偶然を装って知り合うという迂遠な計画が、従業員の友人の視点で語られているので、なんだかわからない不思議な世界に放り込まれたアリスのような浮遊感がありました。タイピストとトンビが瓜二つな理由が明かされていなかったりと、完成度はぐだぐだもいいところですが、巻き込まれたほぼ無関係の第三者の視点にすることで絶妙のユーモア作品になっていました。
 

「ドニヤ・テレサの罠」(1953)★★★☆☆
 ――ドン・グレゴリオという若者は颯爽とした勇姿にも拘らず美しい御婦人の知合がなかった。それがある日、馬車から降りて来た美しい女性を見初め、毎晩窓の下に立って手紙のやりとりを始めた。ところがドニヤ・テレサの方ではドン・グレゴリオを何とも思ってなく、召使の老婆に面白がって話して聞かせていた。ある晩いたずら心を起こしたドニヤ・テレサは老婆に耳打ちした……。

 召使いが主人の身代わりとなって夜這いをかけられるというエピソードは、作中でお姫様の話として紹介されているように、次の「カラカサ異聞」同様に原典がありそうです。ドン・ファンが脇役として登場します。
 

「カサカサ異聞」(1953)★★☆☆☆
 ――観音さまに寄進された傘の一本が風に飛ばされ、まだ世間を知らない山奥の穴里に落ちた。傘を見たことのない村人たちは、ひっくり返った傘を見て、お伊勢さまの内宮の御神体だと思い込んだ。行商人の三助はそれを知ると神様のふりをして食べ物をせしめていた。

 小田仁二郎「からかさ神」同様『西鶴諸国ばなし』をもとにした作品ですが、艶笑部分をぼかしたために何だかよくわからない話になっています。
 

「初太郎漂流譚」(1968-1969)★★★☆☆
 ――天保十二年、廻船問屋中村屋伊兵衛の持ち船が兵庫を出帆した。激しい風に遭い漂流した船はイスパニアの船に助けられ、メキシコに送られた。一番若かった初太郎は現地の言葉を覚え主人からも気に入られ、娘の婿にならないかと提案されたが、両親の待つ日本に帰りたい気持は捨てられなかった。

 実在した善助、初太郎の漂流譚。お気楽に見えてしまうのは著者の作風ゆえでしょうか。

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