『アイネクライネナハトムジーク』伊坂幸太郎(幻冬舎文庫)★★★★☆

アイネクライネナハトムジーク伊坂幸太郎幻冬舎文庫

 恋愛を中心とした、各短篇に共通する人物の登場する連作短篇集です。
 

「アイネクライネ」(2007)★★☆☆☆
 ――僕が今どきネットではなく街頭アンケートをおこなっているのは、奥さんと娘さんに逃げられたシステム管理者の藤間さんが発作的に机を蹴飛ばし、サーバーが破壊されデータのバックアップが消えたためだ。アンケートには誰も協力してくれない。ようやく立ち止まってくれた女性は、宇宙飛行士のような人形のストラップをつけていた。街頭テレビではボクシングの試合がおこなわれていた。先ほどの彼女もぎゅっと拳を作っているのが見えた。

 斉藤和義からの「出会い」をテーマにという依頼によって書かれたことが著者あとがきに記されています。織田一真の使うルー語「ベリーベリーストロング」が曲名として採用されたようです。語り手・佐藤の学生時代の同期生・織田一真の魅力がこの短篇だけではいまいち伝わってこないし、肝心の佐藤と女性の出会いもちょっと気持ち悪いと感じてしまいました。藤間さんと奥さんの出会いは微笑ましくてよいのですが。
 

「ライトヘビー」(2007)★★★★☆
 ――二年ほど前から美容室を利用している板橋香澄から紹介された。「美奈子ちゃん、彼氏できた? いないならわたしの弟どう?」。本当に電話して来た弟さんの声は可愛いらしく、饒舌なほうではなかった。以前ライブで知り合った山田寛子や日高亮一に話すと冷やかされたが、それからも週に一、二度は電話で話すようになった。弟さんの名前が学だとしばらくしてから知った。事務職をしていて、忙しいときには一、二か月電話が来なかった。今度行われる世界戦で挑戦者が勝ったら告白するつもりらしいと板橋香澄から聞いて、わたしは複雑な気持ちになった。

 前述のCD「ベリーベリーストロング~アイネクライネ~」初回限定特典として書き下ろされたもの。伊坂氏らしい切れ味鋭いミステリでした。通行人から悩みを聞いて斉藤和義の曲のなかからぴったりの曲を再生する辻占の通称「斉藤さん」が脇役として登場します。美奈子は「アイネクライネ」に登場する織田由美の高校の同級生。「ロマンチックな告白は重い」という通説と、「アイネクライネ」にも描かれていたボクシングを絡めて、恋愛ものとミステリものを両立させていました。一般論と個別事例の錯誤が大胆に扱われています。
 

ドクメンタ(2011)★★★☆☆
 ――妻にだらしなさを何度も注意されたが、気にしなかった。社内では几帳面でミスのない社員として信用を得ていたが、妻に出て行かれたショックでデータを消してしまい、しばらく会社を休んだ。カレンダーを見る。免許証の更新期限が近づいている。彼女は今年も来るだろうか。初めて会ったのは十年前だった。更新期限が今日までだからと、藤間の眼鏡を強引に借りたその女性とは、五年後の更新日にもまた会った。二人ともだらしないのと仕事を休めないのとで、期限ぎりぎりの日曜日にならないと更新しないのだった。そのときは、だらしないせいで夫に出て行かれたと話していた。

 藤間のその後が描かれています。だらしない相手に愛想を尽かしたけれど、完全には嫌いになれず、少しでも几帳面に変わってくれていたらという一縷の可能性に賭けてみたい――そんな屈折した感情を見ると、どっちもどっちと思ってしまいます。わたし自身はだらしないのを許せない人間ですが。藤間の娘からの電話も伏線になっていますが、果たして娘の言葉が偶然なのかはわからないままこの短篇自体は終わります。これの逆パターンで、気づかれなかった作品も読んだことがあるような気がします。
 

「ルックスライク」(2013)★★★★☆
 ――笹野朱美は高齢の男の苦情をひたすら耐えていた。注文した料理と違ったという。謝るほど激昂してくる。そのとき若い男が声をかけてきた。「あの、こちらの方がどなたの娘さんかご存じの上で、怒ってらっしゃるんですか」。それが邦彦との出会いだった。/高校生の久留米和人は同級生の織田美緒から相談を受けた。自転車を停めている地下駐輪場で、他人の駐輪シールを剥がして自分のに貼った犯人さがしに付き合って欲しい。

 アンソロジー『日本文学100年の名作(10)』で読んだことがあります。この短篇自体は斉藤和義の依頼とは無関係ですが、「アイネクライネ」同様、男女の出会い(と別れ)が描かれていました。この作品の場合、その別れも仕掛けには必要でした。英語の授業の例文とクレーマー撃退の父親ネタで始まり、見た目が父親そっくりだったからというやはり父親ネタで終わる構成も、言い落としと時制の錯誤によるシンプルな【ネタバレ*1】も、スマートな出来栄えの作品です。
 

「メイクアップ」(2014)★★★☆☆
 ――残業に飽きた佳織と雑談をしているうちに、わたしも十代の頃いじめられてたんだよね、と話していた。「結衣はほら、可愛いうえに真面目だから」「今より太っていたし、カーストでいえば最下層だったんだから」。新商品の広告のコンペで、営業担当者の名刺を見て息が止まりそうになった。小久保亜季。高校時代、クラスの中心に君臨していた彼女だ。復讐の時が来たね、と佳織は活き活きとしていたが、向こうはわたしに気づく様子はない。気安く飲みに誘われたのも、有利な情報を得ようとしているだけなのだろうか。

 結衣の化粧品会社の上司・山田は、「ライトヘビー」の美奈子のライブ仲間として既に登場していました。いじめっ子への復讐の機会が転がってきても、盛り上がる佳織とは裏腹に当事者の結衣は何もしません。とは言え【ネタバレ*2】になっているのを知りながら何もしないというのは、佳織の言う通り充分復讐になっていると思います。小久保のその後は明らかになっていません。伊坂氏のことだからちゃんと読めばわかるようになっているのか、どちらとも取れるリドルストーリーなのか。【※ネタバレ*3
 

「ナハトムジーク」(2014)★★★★☆
 ――現在:スタジオでは夫がインタビューを受けている。「今から十九年前、二十七歳で日本チャンピオンになりました。日本の誇りでした」「そこが罠でしたね」小野が苦しげに答えた。十九年前:織田家にヘビー級のチャンピオンがくるというので、自転車を走らせていた佐藤は、耳の悪い少年がいじめられているのを助けた。無愛想だった少年も、チャンピオンを見る目には尊敬が滲んでいた。九年前:三十六歳の元チャンピオンがまた世界戦に挑戦する。「一枚余ってるから亜美子も行かない?」と織田美緒がたずねる。「十年前、試合をお父さんと見に行ったんだよ」「負けちゃった試合?」

 これまでの五篇に出てきた登場人物のその後が描かれています。この短篇のなかだけでも、和人のクラスの口パクの少年や、チャンピオンと出会った耳の悪い少年など、何気ない登場とその後が描かれているうえ、佐藤が「アイネクライネ」の彼女(?)と付き合ったような描写があったり、「ドクメンタ」の藤間の通帳はどうなっていたかだったり、「メイクアップ」の野球部の少年が藤間母の会社の社員として言及されていたりと、いろいろな仕掛けがありました。藤間や耳の悪い少年に勇気を与えた小野の試合の結果は、落としどころとしてはこれ以外にはないのでしょう。藤間母の旧姓が気になります。敢えて旧姓云々に言及しているのは、亜美子が藤間のままであることの方便なのか、それとも旧姓を推理する何らかの手がかりがあるのか。「アイネクライネ」もそうでしたが、「ナハトムジーク」のタイトルにも意味はなく、登場人物がストーリーとは直接的に無関係な台詞のなかで口にしているだけでした。【※ネタバレ*4

 [amazon で見る]
 アイネクライネナハトムジーク 




 

 

 

*1 叙述トリック

*2 詐欺師にカモられそう

*3 藤間のその後や小野の結果がハッピーエンドと言えるものなのを鑑みると、この作品もハッピーエンドになったと考えるのが妥当でしょうか。男に騙されるのは被害で、コンペに落ちるのは実力だとするなら、結衣の性格から言っていじめっ子とは言え騙されるのは気分がよくないでしょうから、「男とは上手くいってコンペに落ちる」が正解かなあとも思いますが、本書の作風以外に何の根拠もありませんね。

*4 藤間母の旧姓が「地味」で「それほど妙ではなかった」が「『亜美子』の前に繋がるとバランスが変」。子で脚韻を踏む「金子亜美子」。一文字+三文字で頭韻を踏んでいる「東亜美子」。回文みたいな「小宮亜美子」。芸能人と一字違いの「鈴木亜美子」あたりでしょうか。(イギリスでは)地味で妙ではない「スミス」とかいう叙述トリック系ではないと思うけど。

*5 


防犯カメラ