『鹿の王 全4巻』上橋菜穂子(角川文庫)★★★★☆

『鹿の王 全4巻』上橋菜穂子(角川文庫)

 戦いに敗れ奴隷となっているヴァンが眠っていると、岩塩採掘場に狼か山犬のようなものが襲ってきました。咬まれた者たちは全滅し、なぜかひとり生き残ったヴァンは匿われていた赤子を連れて逃げ出します。

 古王国の末裔である医術師のホッサルは、領主の息子・与多瑠らとともに、全滅した岩塩鉱の調査に訪れます。それは二百年以上前に大流行して一国を滅ぼした黒狼熱《ミッツァル》の症状に似ていました。奴隷の記録表と照合したところ、逃げ延びたのは〈欠け角のヴァン〉だと判明しました。ヴァンこそが黒狼熱を治療する手がかりになると考えたホッサルは、跡追い狩人のサエにヴァンの行方を追わせます。

 怪我をした若者を助けたヴァンは、身分を偽ったままその若者の集落で暮らしていました。知識を活かして、ヴァンは扱いづらい飛鹿《ピュイカ》の飼育を助けていました。

 そうして一年が過ぎ、ふたたび黒狼が姿を現します。まるで誰かに操られているように……。

 異世界が舞台とはいえ概ね超常的な現象は起こらないものの、生還したヴァンには五感が研ぎ澄まされ超能力のような感覚が備わっていました。ここらへんが上手いなあと思うのは、最初のうちはそれこそ五感の鋭さに毛が生えた程度なんですよね。それが作品世界もしっかり浸透した中盤以降になってから、魂が乗り移るとかいうオカルトじみた能力が登場して来るので、自然に受け入れやすくなっていました。

 科学文明は発達していないけれど医学だけは一部とはいえ進歩している世界で、旧世界の医術と新支配層の呪術医の対立構造もあるなか、まがりなりにも医学が進んでいるのは、ホッサルの祖父であり師であるリムエッルに拠るところが大きい。

 そのリムエッルが、まさに漫画の師匠ポジションのようにここぞという場面で現れるところなど、型通りとはわかってはいてもわくわくしてしまいます。

 大まかな主人公は、医師ホッサルと戦士ヴァンの二人なのですが、ホッサルが医師であると同時に根っこは貴族様であり物事を大局的に観ているのに対し、戦士ヴァンは感情に素直な熱い男といういわゆる主人公らしい主人公として描かれていました。ヴァンの最後の選択もそんな主人公らしさに相応しいものでした。

 それぞれの冒険も楽しみなれど、やはりもっとも気になるのは黒狼熱です。黒狼熱がふたたび猛威を揮った経緯、支配者の東乎瑠《ツオル》人だけが発症する理由、犬を操っている黒幕の意図――。

 実行犯の正体と目的は中盤くらいであっさりと明らかになります。正直なところこれは意外でした。しかも叛乱はあっさりと終焉してしまいます。

 あれれ、と思いつつも読み進めれば、二人の主人公が出会い、発症の経緯についての仮説が立てられ、残党たちの企みが明るみに出るなど、確かに物語は進んでいきます。進んではいくのですが……中盤で一つの山場が作られてしまうと、そこからさらに盛り上がるのには、読んでいるこちらのテンションが足りませんでした。どうしても尻すぼみな印象を受けてしまいます。

 それでもホッサルはきちんと黒幕に到達します。かなり政治的な動機でしたが、黒幕が未来を危惧する伏線はあからさまに張られていました。人によって守るべきものは違うということなのでしょう。そのために人を殺すのはさておき、理屈としては理解できるものでした。【※ネタバレ*1

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*1 医術に理解のある現皇帝の退位後に医術が迫害されるのを恐れたリムエッルが、支配国に復讐しようとする原住民を利用して、反医術派の芽を早いうちに潰そうとした。

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