『ミステリマガジン』2023年3月号No.757【ジョルジュ・シムノンの世界】

『ミステリマガジン』2023年3月号No.757【ジョルジュ・シムノンの世界】

 なぜか『メグレと若い女の死』の新訳が刊行予定だったのは、なるほど映画化されたからでした。次いで『サン・フォリアン寺院の首吊人』、『メグレと超高級ホテルの地階』も新訳刊行予定。『超高級ホテルの地階』というタイトルは初耳でしたが、それもそのはず邦訳は雑誌掲載のみだったようです。

シムノン、大いに語る」聞き手:ジャック・ランツマン/長島良三(1967)
 1990年3月号に掲載されたものの再録。庶民に関心を持った小説家はフランスではシムノンがはじめて、文学専業で食っていけるのは十人程度、セックスのすばらしさ、『受胎調節』、等々、フランス特有のものだったり時代によるものだったり、いずれにしてもシムノンの考えがよくわかり、「大いに語る」というタイトルに偽りはありません。
 

ジョルジュ・シムノン作品の魅力」瀬名秀明
 翻訳ミステリーシンジケートで「シムノンを読む」を連載中の著者によるエッセイ。今も昔もシムノン評価が微妙であることを、「人間の持つ閉鎖性が人間を宿命的な破滅へと追い込んでゆく、これがシムノンのノンシリーズ作品の普遍的な構図」であり、「このシムノン独特のテーマ性こそ、コミュニティの絆によって支えられているジャンル読者の信念(コアビリーフ)と根本的に相容れない」というところに求めたところに、全作読破を目指している著者ならではの着眼点がありました。それにしても毎度のことながら著者はエッセイが上手い。「私はシムノンの~好きだ」で畳みかける終盤には、メグレシリーズを読み返したくなる魅力がありました。
 

「メグレと寡黙な人間観察者たち〜ジョルジュ・シムノンの映像世界〜」小山正

「車椅子の頑固者」ジョルジュ・シムノン/平岡敦訳(L'Invalide à la Tête de Bois,Georges Simemon,1952/1990)★★★★☆
 ――リリは窓の外の男に気づいて眉をひそめた。ほかのホームレスと違うのはひと目でわかった。たっぷり十分ほどして、ドアを叩く音がした。「警視さんはいらっしゃいますか?」「入れ、カミュ!」。アパルトマンに来る連中のなかには、情報屋もいるし、デュクロのおかげで更生できたと感謝する者もいる。それでもまだ父のことが心配だった。七年前、司法警察局を退職したデュクロを、一発の銃弾が襲った。以来半身不随で車椅子に乗っている。犯人は不明だった。だからリリは男のあとをつけた。橋にさしかかる辺りで、パンクするような音が響いた。男が両手で胸を押さえて倒れた。リリは目撃したことは話さず、デュクロにたずねた。「あのカミュて、まっとうな人なの?」「島流しさ。二十年」。男は二十年間、流刑地にいた。そしてデュクロはおよそ二十年前、自分が死刑台に送った罪人の娘を養女として引き取った。そのことに関係はあるだろうか? 夕食の後、リリはデュクロが新聞に書き込んだメモを見つけ、メモに書かれたバーに電話をかけた。

 アメリカのテレビシリーズ用に書かれたものの、結局ドラマ化はされずに発表もされなかったようです。作品自体もこの2作目で途絶しています。1作目は「モンマルトルの歌姫」として邦訳されていますが現時点では未読。どうやら1作目では明らかにされていなかったリリとデュクロの養子関係やデュクロの車椅子生活に関する事情が、この2作目で明らかにされているようです。動けない元警視に代わって、若い養娘が勝手に動き回るのは、テレビを意識したものでしょうか。窓の外の男に気づいて、ホームレスっぽくないと気にする導入こそメグレものを思わせますが、そこから先はかなり動きがありました。最低限の会話しか交わさないのにお互い信頼し合っている親子関係もいいですし、潜入捜査のため濃い化粧をしていたのをうげっとなるラストシーンもお茶目です。トランスやラポワントという名前が登場するのはただのファンサービスでしょうか。若いラポワントはここでも若いのが可笑しい。
 

「メグレと消えたミニアチュア」ジョルジュ・シムノン矢野浩三郎(Le Notaire de Châteaufeuf,Georges Simenon,1944)★★☆☆☆
 ――「お休みのところをお邪魔して相済みません。シャトーヌフの公証人をしているモットと申すものです」客は機械的な微笑を浮かべた。「三人の娘がいます。十六歳のエミリェンヌ、十九のアルマンド、二十三のクロティルド。アルマンドだけが婚約して、来月結婚する予定になっていたのですが。娘たちには最大限の自由を与えてきました。男に財産がないからといって結婚に反対するつもりはないんです。ジェラール・ドナヴァンが文なしの絵描きであっても。ところが、わたしは骨董の蒐集マニアなんですが、それが先月、週に二、三度も盗難にあったのです。料理女と亭主の庭師は長年いっしょに暮していますし、女中を観察してみたところ盗みはできないと判断しました。主任事務官と部下の事務官にも嫌疑はかけられません。そうなるとジェラール・ドナヴァンしかいません。家にお越しいただきたいのですが、犯人を警戒させないために、有名なメグレ警視として紹介するわけにはいかないのです」

 1973年3月号掲載作の再録。明らかに前後関係のおかしいセリフや文章が多々あり、原文由来なら仕方ないものの、そうでないなら再録ではなく新訳して欲しかったところです。身内を疑っていることを知られないように身分を隠して潜入したはずだったのに、誰も彼もがメグレの正体を知っているのには笑ってしまいました。どう考えても放っておけばいいところを部外者が介入することで悲劇にしかならない展開を、回避できたのも含めて、若い男たちが二人ともいい人だから救われました。
 

「猟犬」ジョルジュ・シム/瀬名秀明(Le Chien-Loup,Georges Sim,1926)★★★☆☆
 ――それは猟犬ではなかった。たんなる犬に過ぎなかった。ディアンヌという名前は可愛らしすぎるのでピックと名づけた。パリ郊外の小さな家で夫人と暮らすペリヨン氏は番犬がほしかったのだ。ピックは凶暴な番犬に見えた。だが飼い始めて二週間経ったが、吠える声さえ聞いていない。しかし近所の人たちは誰もが恐れた。これは間違いなくピックの唇が短すぎて牙が半分見えてしまうせいだ。ついにある夜、犬が唸った。ペリヨン夫人がその声を聞いた。「早く起きて。誰かが家に入ってきてるわ……」

 最初期の掌篇。見た目だけが怖いピックと、泥棒に怯え戦うペリヨン氏のコンビが哀愁を誘います。
 

「モンパルナス ポーズ六態」ジョルジュ・シム/瀬名秀明(Montparnasse en six séances de posé,Georges Sim,1926)★★☆☆☆
 ――「友だちが紹介してくれました。モデルを探しているって。それで……服を脱いだ方がいいですか?……モデルははじめてなんです……」彼女は十五分もの間、衝立の裏から出てこなかった。ついに出てくるとよちよちと歩く。ポーズをつけるために画家は彼女の身体をあちこち触っている。ポーレットは身を震わせる。一時間が過ぎた。さらに一時間。自分がヌードだと思い出すこともなく。退屈だ。画家が描き終わると、彼女はカンバスの絵をこっそりと見た。「わたしのお腹はこんなかな」「もちろん。あなたのお腹は可愛らしい!」

 画家とモデルを描いた六篇。これはホントにスケッチという感じで、どれもこれもドラマがなさ過ぎました。
 

シムノンの犯罪小説・ノワール小説について」編集部
 シムノンの《ロマン・デュール》と呼ばれる小説は「主流文学作品と捉えられている面が強く、そのためミステリファンにとっては読まなくてもいいものとして見逃されてきた」ため、「犯罪小説やノワール小説の色が強い」「ミステリファンに響くであろう」未邦訳作品が三作紹介されています。ミステリじゃないから読まないって人はそもそもシムノン自体を読まないんじゃないかと思うのですが、それはそれとして紹介されている三作『Le Train de Venise』『Feux Rouges』『La Prison』はどれも面白そうです。
 

「おやじの細腕新訳まくり(29)」

「自販機食堂《オートマット》の殺人」コーネル・ウールリッチ田口俊樹訳(Murder at the Automat,Cornell Woolrich,1937)★★★☆☆
 ――午前零時四十分前、ネルソンは同僚刑事のサレッキーと共に回転ドアを抜けた。テーブルの前で死んだ男が椅子に座っていた。「たぶん自殺ですよ。顎に唾液の跡が残っていて、食べかけのサンドウィッチがくっついている」救急医が言った。被害者と同じテーブルで相席していた客から状況を聞いたが、誰にもサンドウィッチに毒を入れることは出来そうになかった。被害者の名はレオ・アヴラム。靴の中に千ドル隠していた。ネルソンが被害者のアパートに行くと、電球がなかった。筋金入りの守銭奴らしい。「ご主人が亡くなりました」ネルソンがミセス・アヴラムに告げると、娘が恐る恐る部屋に入ってきた。「あの人、死んだの、ママ?――だったらこれ使えるのね?」少女の手には電球があった。ネルソンは胸を衝かれた。事件から四十八時間後、現場から立ち去っていた客の一人が見つかった。アレグザンダー・ヒル。薬のセールスマンだった。それを知った警部と差列記ーが嬉しそうな声をあげた。

 旧題「簡易食堂の殺人」。サスペンスではなく謎解きもので、ウールリッチの謎解きものにしてはよくできています。自販機食堂という舞台と吝嗇の被害者という設定をきっちり活かしてありました。警察が堂々と違法取り調べをしていてそれが悪いことという感じでもないのが時代を感じさせます。それにしても刑事を殺してごまかせるわけもなく、犯人の「頭がおかしい」という評価は妥当なものなのでしょう。子どもたちが可哀相でした。
 

「Dr. 向井のアメリカ解剖室(123)翻訳について私が常日頃思っていること(下)」向井万起男
 ヘミングウェイ老人と海』のマノーリンは少年か二十二歳以上か、という話。
 

「華文ミステリ招待席(9)」

「山間の別荘」余索/阿井幸作訳(山間別墅,余索,2019)★★★☆☆
 ――「先生の書いた『山間の別荘』は実体験を基にしたそうですが、その体験をお話ししていただけないでしょうか」「じゃあ、この原稿を読んでみますか? あの出来事の直後、メモ代わりに書いたものです」……私が雨風に打たれて逃げ込んだ別荘には、先客が二人いた。だが電話は通じず、地すべりで外にも出られない。やがて同じ目に遭った四人目の客が来たが、この別荘の主人は不在らしい。散らかったリビングが気になり、ほかの部屋も確認してみることになった。巨漢、面長、私、長髪の女性の四人は、まず二階を見てみることにした。地下室に泥棒が隠れていて忍び出る可能性も考え、巨漢が踊り場で見張りに残った。二階には誰もいず、踊り場も異常はなかったため、私たちは地下室に向かった。ドアを押すと、椅子に縛られて胸をナイフで刺された死体があった。強盗殺人に見えたが、巨漢が異を唱えた。そう見せかけているだけではないのか――。

 テキストの信頼性を意識した作中作だったり、椅子の跡や破られた写真や散らばった本から事件の起きた順番を推理したり、隠蔽工作の機会や四人の到着順から犯人を割り出したりと、日本の新本格以後を踏まえたであろう作品でした。これまでの連載作では犯人の行動や探偵役の推理に不自然だったり無理筋だったりを感じたものも多かったのですが、これは割りと手堅くよく出来ていると感じました。解説によると兼業作家で作品数はあまり多くないようです。検索しても、デビュー作「午夜短信」が本名(?)の黄正安名義だったことくらいしかわかりませんでした。著者名はユーソーと読むのでしょうか。
 

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