『ひとんち 澤村伊智短篇集』澤村伊智(光文社)
白黒のアパート上でカラーに浮かび上がる窓。横向きや逆さまや裏返しになっている扉や目次の文字。細くうねうねとした気持ちの悪い本文の活字。これでもかというほどアンバランスで不安にさせる造りの本でした。ただ、この活字はさすがに読みづらすぎます。
「ひとんち」(2016)★★★★☆
――香織と恵ちゃんと知り合ったのはもう十五年も前だ。アルバイト先のスーパーで出会って意気投合した。香織はお嬢様大学に通っていて、恵は美容系の専門学生だった。就職して疎遠になっていたけれど、つい先月、恵ちゃんとばったり再会した。二十四歳で結婚して、怜ちゃんを授かり、その翌年に離婚したという。話の流れで香織に電話し、渋る香織を押し切るように家を訪れた。実業家と結婚して、五歳の息子がいるという。恵ちゃんが麦茶に砂糖を入れて飲むのを見ていると、「家の習慣って結構違うよね」と口にしていた。
怖さのピークという点ならば、香織の家がズレているのがわかった瞬間でしょう。世界に断層が出来てそこに落ち込んでしまったような、拠って立つ足許を失ってしまったような恐ろしさがありました。怖さという点に限れば、その後は蛇足に過ぎません。ヒルコの例を持ち出すまでもなく、障害児は子にあらずというのは、ある時代のある地域であればそれなりに共有できる感覚であったかもしれません。それが現代で家庭の習慣で【飼う】となると別問題ですが。
「夢の行き先」(2017)★★★★★
――始まりは小学五年の二学期、十一月十四日のことだった。夢を見た。老婆に追いかけられている。いや、「ババア」と呼んだ方がいい。廊下の赤い光にシルエットが浮かび上がる。ババアが薙刀を持っていた。僕は階段を駆け下りた。三日続けて同じ夢を見た。本に載っていた除霊を試してみると、偶然かもしれないが、夢は見なくなった。十一月二十日。前の席の後藤匡が言った。「なんか変なババアに追いかけられた夢見てん。それで寝れんかった。それも三日連続」
初出は『ナイトランド・クォータリー』vol.9(→2018年2月19日の記事)。伝染してゆく悪夢というアイデアが秀逸で、いかにも小学生のあいだで流行る都市伝説ふうの味わいが出ています。しかも前と後ろから同時にというのが盛り上がります。日を追うごとに近づいて来るというのも怪談の定番ですが、今は自分の番は通り過ぎて夢の標的はいじめっ子になっているというのが、怖いの半分、面白がるの半分といったところで、単純な恐怖譚とはまた違った面白さがありました。
「闇の花園」(2016)★★★★☆
――漆黒の淵から引きずり出され、我が真の意識と肉体は霧消す。陽光。愚昧なる神どもの業。仮初めの身体を動かす。表に出なければ。呼ぶのだ。隣の部屋で惰眠を貪る下僕を――。/飯降沙汰菜がクラスメートと喋っているのを、臨時教員の吉富は見たことがない。彼女は常に真っ黒な服を着ていた。同級生に訊いたところ、母親がちょっと変わっているという。個人面談でその「魔女」に会った。飯降瑠綺亜は喪服を着ていた。「あんまり壁を作るのも、社会に出てからどうかなと思いまして――」「出ません。我々崇高な一族には社会などという人間どもの戯れは必要ないのですよ」
比嘉姉妹シリーズのような、魔物とのコテコテの戦いが楽しい一篇です。おそらく沙汰菜とはサタン、瑠綺亜とはルキフェルに由来するのでしょう。魔物によるゴシック体のモノローグがあるため、魔物が実在する世界らしいのはわかるものの、それはそれとして大人しい少女と毒親の話としても充分に読めます。だからこそ、魔物がいよいよ復活したときのおふざけ感が際立っていました。
「ありふれた映像」(2017)★★★★★
――仕事を終えてスーパーに買い物に行くと、息子の亮太を預けていた菱川さんと慎二くんも買い物に来ていた。菱川さんと買い物をしているうち、気づくと亮太たちがいない。鮮魚コーナーの陳列棚の端に立ち、液晶TVから流れる販促映像を眺めている。何が面白いのかと目を凝らすと、画面の中におそらくは男性の死体が寝そべっていた。スーパーの制作課に勤めている夫に伝えなければならない。チェックの時には映っていなかったという。これまで気づかれなかったのは、誰も販促ビデオなどまともに見ないからだ。調べてみると今は制作会社を辞めた河島というディレクターが作った販促ビデオには、どれもおかしな映像が映り込んでいた。
当たり前の日常のひとコマが何かをきっかけに恐怖の対象になってしまうというタイプの作品のなかでも、かなり怖い部類に入る作品でした。というのも、主人公も言っているように、販促映像なんて普段は見ようともしない、存在を意識しないということがひとつ挙げられます。ところがひとたび意識してしまうと、現代社会では町中に溢れていて逃れようがないという現実に直面するのです。
「宮本くんの手」(2018)★★☆☆☆
――午前一時。夕食を済ませて会社に戻ると、編集部に残っているのは宮本くんだけだった。宮本くんはぼんやり手元を見つめている。掌はひどく荒れ、そこかしこに血が滲んでいた。「どうしたの?」「ちょいちょいなるんですよ。水虫でも黴菌でもないし、遺伝でもないっぽいんですよ。ちっちゃいバグみたいなもんは、澤田さんにもありません?」それからバグのことなんか忘れていた。宮本くんの机のまわりに、掻き毟った皮が散乱していた。
ただの気持ち悪い話なのかな、と思わせておいて、雨降りを予感する古傷の疼きを3・11と繋げる発想には感心しました。ところがそこからさらに反転して「健康的じゃない」考え方まで行くと、宮本視点ではなく澤田視点であるせいでさほど切実みが感じられず、そのまま生々しさのないまま終わってしまいました。
「シュマシラ」(2018)★★★★☆
――私はマニアでもコレクターでもないが、小学生の頃にロボットの食玩シリーズを集めていた、という話が一人歩きして、食玩コレクターの柳が我が家を訪れた。UMAをモチーフにしたロボットシリーズに、シュマシラというヒバゴンのようなロボットがあるのだが、モチーフがわからないという。由来は山海経に描かれた朱厭という猿らしいのだが、それが日本のロボットシリーズに採用された経緯がわからない。判明したきっかけは総務部長の川勝さんだった。人知れずUMAを愛好していた川勝さんの調査によると、播磨国に伝わる妖怪らしい。
民俗学的な世界に分け入ってゆくきっかけが食玩というのが何とも現代っぽい。民俗学の基本はフィールドワークということで、姫路(播磨国)まで行って調査するのも、捜査する探偵みたいでわくわくします。「ししりば」もゲスト出演。恐ろしいことが起こったあとで、なかったことにしようと必死で言い訳を作りあげているのが痛ましい。
「死神」(2018)★★☆☆☆
――知人の知人、植松恭平から聞いた話だ。同じゼミの日岡からの頼まれ事を、失業中で時間のあった植松は二つ返事で引き受けた。事情で一ヶ月帰省しなければならない。その間だけ植物とペットの面倒を見てほしい――。植物とハムスターとカブトムシと金魚を預かってから一時間後、履歴書に手を伸ばしたところで視線に気づいた。誰かに見られている。そう思った瞬間、植松は自分がベランダに立っていることに気付いた。意識が飛んでいた。ハムスターが死んだのは二週間後のことだった。
語り手自身が書いている通り、不幸の手紙であり『リング』でもある作品です。そういう意味では面白味はありませんが、「死神」の造形がグロテスクで、これに「死神」と名づけるセンスにはやはり凄いものを感じます。
「じぶんち」(2019)★★★☆☆
――三泊四日のスキー合宿から戻ると、「我が家が一番」と感じた。合宿は楽しかったが、友人とはいえ他人との生活はストレスだった。ドアを開けると同時に言う。「ただいま」。返事はなかった。リビングでテレビの音がする。ドアを引き開けたが誰もいなかった。喉が渇いて冷蔵庫から牛乳を取り出し、閉めたところでメモに気付いた。(卓也へ ごめんね 先に行きます)。早合点するな。先に外食に行っただけだ。そう思おうとした。
単行本書き下ろし。「ひとんち」で始まり「じぶんち」で終わるところに遊び心があります。思わせぶりな置手紙と、いるはずの家族がいないという、ホラーというよりはサスペンス風の恐怖が漂っていました。それだけに、【SF(?)】的な理屈をつけた真相は「え?」となってしまいました。
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