『メルカトル悪人狩り』麻耶雄嵩(講談社ノベルスkindle)★★★★☆

『メルカトル悪人狩り麻耶雄嵩講談社ノベルスkindle

 悪人狩りというタイトルなので、てっきり「囁くもの」一作で中絶していた「メルカトル鮎 悪人狩り」以降の新作短篇集かと思っていたのですが、単行本未収録の旧作+『メフィスト』に連載されていた新作という構成でした。「名探偵の自筆調書」や「不要不急」まで収録されるとは思いませんでした。これでメルカトルシリーズはすべて単行本化されたのかと思いきや、「氷山の一角」は未収録のようです。角川だから? kindle版にはカバー袖の著者のことば未収録。
 

「愛護精神」(1997)★★★★☆
 ――「琢磨を埋めてるんです」昭紀青年がショベルの手を休めて言った。ここは私が住むアパートの隣にある大家の庭だ。大家は多美さんという妖艶な美人で、昭紀は未亡人に気があるのか、ちょくちょく用事を頼まれていた。立ち去ろうとしたとき顔を見せた多美に声をかけられた。「まあ、美袋さん。お知り合いに探偵さんいましたよね。実は琢磨は殺されたんだと思うんです」「どうして?」「よくあるでしょ。飼い犬に吠えられないように先ず殺してしまうって」「誰かあなたを殺そうとしていると?」「徹よ」。徹というのは先妻の息子だ。継母と反りがあわず、父親が死ぬとほどなく家を出た。「財産を狙っているのよ」

 近所の変人エピソードとして八百屋お七の名が出てきますが、目的のために直接関係ないことをするという意味では八百屋お七も充分ヒントになっていたようにも思います。殺人犯の永遠の悩み(?)である自身の容疑圏外と死体遺棄場所を同時に用意しようとするのは、犯人に犯罪センスはあったようです。それにつけてもメルの悪意が凄まじい。美袋を襲撃の危険にさらすのはいつものことですが、時間の前後関係によってはもしかしたら殺人を未然に防げた可能性もあったのでは? そしてメルの役得とは何だったのでしょうか、事件は解決されても謎は残ります。初読時()よりも評価が上がりました。
 

「水曜日と金曜日が嫌い」(2017)★★★★☆
 ――スマホが壊れたうえ山で迷っていると、白亜の洋館が見えた。助かった……。風呂に入って身体が温まり疲労が癒されると、私はテラスで寛いだ。主の大栗博士は高名な脳外科医で、三十五年前に四人の孤児とともに屋敷に移り住むと、四人に楽器を教え、偶の来客に披露していたため、いつしか“門外不出の四重奏団”と呼ばれた。二年前に博士が死去してからも、命日には演奏するという。ぼんやりと楽器の音色を聞いていると、黒ずくめの錬金術師のような長身長の人物が、岬にある小屋に入っていく。五分ほどで小屋を出て館へ戻ってきた。メイドに確認すると、博士がよくそんな格好をしていたという。小屋の扉を開けると血溜まりがあり、血のついた短刀と、ファウストの呪文とハ音記号の印刷された短冊が落ちていた。しかし肝心の死体がない。

 博士の名前が初出()の大鏡から大栗に変更され、それに伴い「――大鏡家殺人事件――」の副題もなくなりました。それによって今鏡家や大鏡との連想が薄れ、小栗『黒死館』オマージュの趣が強まっています。そのほか初出との違いで大きな点は、ハ音記号の意味が書き加えられていることです。なるほど、とは思うものの、説明されないと絶対にわからないと思います。『黒死館』めいた大仰な設定と、同様に作り物めいた犯人ではありますが、行きと帰りの身長の違い、消えた死体、被害者に怪しまれずに近づける人物等、手がかりは堅実なものです。犯行準備の痕跡から導き出される消去法推理も手堅いものでした。一話に続いてメルカトルはすべてを語ってはくれないので、いろいろと謎が残ります。
 

「不要不急」(2021)★★★☆☆
 ――アパートが全焼したため実家に舞い戻った。そのうちコロナ騒動で大阪に戻れなくなった。愛車は県外ナンバーなので閉鎖的な住民から散々な目に遭わされた。大阪が恋しくなり、事務所に泊めてくれないかと打診したところ冷たく拒絶された。五月にようやく緊急事態宣言が解除されて、久しぶりにメルカトルの事務所に遊びに行った。事務所のテーブルには五重塔の木像模型が置かれていた。「呑気そうだけど、殺人犯も自粛していたのか?」「逆だよ。人が少なければ目撃されにくい。不要不急の殺人すら起こっている始末だ」

 コロナ禍の競作企画「Day to Day」2020年7月2日に公開されたもの。奥付の初出は単行本の出版年のようです。不要不急で殺人が増える理屈や、メルがこの時期に捜査しない理由など、いかにもメルらしい屁理屈が楽しめます。こうした順番で並べて収録されると、冒頭の火事などそういう時系列だったのかとわかります。メルのオチのセリフは持続化給付金であるそうです。
 

「名探偵の自筆調書」(1997)★★★☆☆
 ――「美袋くん。なぜ屋敷で殺人が起こるか教えてあげようか」メルカトルが暇そうに呟いた。「最も安全な殺害方法はわかるかい?」「暗い夜道で通り魔的にぽかりと殴ったらいいんじゃないのか」「動機がなければね。動機があればいずれ警察が辿り着く。だからこの案はボツだ。次善の策としては堅牢なアリバイを持つことだが、一つ綻ぶと疑いを自分に集中させるためリスクが高い」「じゃあどうすればいいんだ?」「次の案としては、自分よりもっと強力な容疑者を仕立てることだ。つまりスケープゴートを作るわけだな。だが仔山羊の無実が立証されてしまうリスクがある」

 講談社の宣伝雑誌『IN★POCKET』に連載されていた「名探偵の自筆調書」から、麻耶氏の担当回です()。初出ではタイトル通り末尾に「美袋三条」名義の自筆サインがありましたが、本書ではそれもないためタイトルの意味がよくわからないことになっています。これも「不要不急」同様、館ものに対する自虐的なジョークのような屁理屈が楽しめる作品です。初出の「君も私を殺したがって――」が「君も私が殺したがって――」になっていますが、どちらがどちらを殺したがっているかと言えば、美袋がメルを、でしょうから、恐らく本書の誤植でしょう。
 

「囁くもの」(2011)★★★★☆
 ――偶然というのは恐ろしい。鳥取に来てまでメルカトルに会うとは思わなかった。「依頼人を待っているところだ」。仕方なく私も席に座り、口にしたカフェのコーヒーは生温かった。てっきりクレームを入れるかと思ったが、メルは「依頼人の前で格を落とすような真似はできない」と意外と真面目だった。ところが依頼人若桜利一は暴風雨で沖縄に足止めされ、代わりに秘書の郡家が屋敷に案内した。依頼内容は郡家も聞いてないらしく、若桜の趣味だという温室の蘭を見てもらうという。メルはみっともなくガムを噛んで、ゴミ箱がないからか事務室の椅子にガムをなすりつけた。次女の典子には珍しくプレーボーイのような言動をして笑顔を作る。どうしたのかと問われると、「ちょっと囁きがあったものでね」と不可解な答えをした。食後、長女の婚約者・徳丸に失礼な口を利き、怒った徳丸はリヴィングを出ていった。十分ほどしたとき、女性の悲鳴が聞こえた。慌てて飛び出すと、玄関ホールで長女の宮子が車椅子ごと倒れていた。ほかの家族も駆けつけたが、郡家の姿だけがない。

 相変わらずの銘探偵は誤謬である、という理論に基づく極北のような作品です。『眩暈』の御手洗と同じこと(頭の上のランプ)を言っているようでいて、メルの場合はもっと無茶苦茶です。何が囁いているかと言えば、作者でしょう。囁きが犯行を防ぐのではなく、飽くまで犯行後の犯人特定に活かされているのは、ヒーローではなく銘探偵だからであって、メルの性格のせいではない、はず。長篇には向かない探偵とはよく言ったもので、誰が二階で誰が一階だとか、誰と誰が一緒だったか、など瞬く間に犯行の可能不可能とアリバイの有無を指摘して犯人を特定してしまいます。アリバイに関して言えば、アリバイがあるから犯人ではないという理屈とアリバイがないから犯人ではないという二つの理屈どちらも採用されているのが面白いと感じました。
 

「メルカトル・ナイト」(2019)★★★★☆
 ――「命を狙われているかもしれないんです」人気作家の鵠沼美崎がメルカトル鮎の事務所を訪れたのは八月も半ばのころだった。二十一歳で新人賞佳作でデビューした頃は、同じく本賞を受賞した藤沢葉月と、二大美女作家として話題になったものだ。「トランプが送られてきたんです。赤い封筒に入って。中にはダイヤのKが。翌日にはダイヤのQ。その翌日にはダイヤのJが。そして今朝はハートの4」「カウントダウンですか。赤はあなたのイメージカラーですか」封筒の宛先はどれも同じホテルの名前。「ホテルを知っているからには身近な人間である可能性があると」。最後になる可能性のあるハートのAが届く日、メルと私は美崎の部屋の隣のベッドルームで徹夜することになった。もっとも、メルはワインを飲んで寝てしまい、私だけが隣室から流れてくる就寝時の音楽を聞きながら寝ずの番を続けた。

 さながら「赤毛連盟」――というよりは「赤い絹のショール」でしょうか、いずれにしても目的のために相手の気を引くという点は変わらないわけですが、探偵の気を引くために事件を用意する方がやり方としては確かにスマートです。メルは犯人の計画に乗っかりながらも消極的に犯行を止めようとはしているように見えます。止めようとするというよりは犯人自身に選択を委ねる蜘蛛の糸のようなものにも見えます。しかし実際にはどうも危険な手段へと犯人を誘導していたようです。相変わらず人が死のうと気にしないどころか積極的に利用する悪魔的なメルですが、そうする理由としてタイトルのもう一つの意味が明かされるオチになっていました。
 

「天女五衰」(2020)★★★★☆
 ――天女が駆けていく……。双眼鏡の向こう、湖畔の遊歩道を純白の服の裾をひらめかせた天女が軽やかに横切った。しかし濃霧が視界を遮り、同時に天女の姿も消えていた。「天女伝説で有名な湖で“天女を見た”とは相変わらずポンコツ詩人だな」メルカトル鮎が嘲笑う。「……たしかに先入観があったかもしれないけど」天に帰れず一人だけ湖に落ちた天女。湖に落ちるというのは他の伝承では見られない。しばらく歩くとお堂が現れた。雨が降ってきた。メルが躊躇いなく堂内に入っていく。天女堂の中には天女像が祀られていた。裏側は物置になっているらしく、雑多な用具も並び、天女の台座には黒いトランクが押し込まれていた。雨が上がると天女岩に向かう。私の作品が上演される縁で、劇団を主宰している俳優の辛皮康夫から別荘に招かれたのだ。脚本家の公庄、悪役の似合う牧、昭和風二枚目の宮村、イケメン俳優の荒河、アクション演技が売りの喜多が別荘に滞在している。翌朝、天女の夢を見て目が覚めると、別荘に黒いトランクが届いていた。

 被害者が湖に落ちた天女伝説のことを話していたのを犯人が誤解するのはよく出来ているとして、被害者が殺されたことから逆算して犯人のその行動を推理するのは、さすがに銘探偵でなければ解けないほどの発想の飛躍が必要ではないでしょうか。しかしその飛躍さえしてしまえばあれよあれよと消去法で犯人が特定されてしまいます。どうでもいいようなエピソードがこの消去法のための手がかりだったことがわかって愕然としました。「囁くもの」ではとんでもないことを言っておきながら、すべてを見通してコントロールしているのをメル自身は否定しています。いつも美袋を非道い目に遭わせているメルですが、心ならずも(?)美袋の命を救っているのが可笑しかったです。
 

「メルカトル式捜査法」(2020)★★★★☆
 ――あのメルカトル鮎が救急車で病院に運ばれた。過労による体調不良らしい。そこで去年関わった事件の依頼人・神岡から招かれていた別荘に、静養しに訪れた。玄関に入ると、新選組が立っていて思わず尻餅をつきそうになる。「妹の友達の優月さんが作ってくれたんです……今は形見として飾ってあります」。神岡の妹の美涼は五年前に白血病で亡くなったらしい。仕事一筋で趣味もスポーツもない神岡にとって、美涼の大学の遊び仲間は今も大切な友人たちだという。妻となった和奏を含めて六人いて、うち一人は明日到着する予定らしい。優月はメルの衣装を見るなり目を輝かせた。そんな様子を、ガタイのいい茂住と漆山が厳しい目で見ていた。もう一人の猪谷もガタイがよく、明日到着予定の彼女にプロポーズするという。夕食のあと事件が起こった。メルが回していたシルクハットが指から飛び出し神岡に向かっていったのだ。避けようとした神岡が体勢を崩し、右手首を挫いてしまったらしい。その後もメルらしくない失敗が続いた。

 「囁くもの」「天女五衰」と同様、通常の論理を越えた銘探偵ゆえのロジックにより真相が導き出されます。とは言え、銘探偵のミスには意味があるはずだとメル自身がそれを積極的に推理の根拠にしてゆくのは、名探偵パロディの色合いがかなり強まっていると感じられました。けれどそのメル中心の理屈さえ飲み込んでしまえば、あとはいつもの消去法推理を堪能できます。釣りの一件から動機を言い当て、メルのうたた寝から犯人が逃走経路を選んだ理由を推理してゆく等、怒濤のような解決編は圧巻の一言です。【表舞台には登場していない】犯人像と、その犯人の登場シーンはかなり印象深く、【ほぼ登場していない】にもかかわらず、いやそれゆえに、忘れがたい犯人となっています。亡き妹・美涼の影がレベッカのように神岡たちを覆っていましたが、それが事件とはほぼ関係ないのはさすがにちょっと拍子抜けしました(一応、「もし猪谷さんが神岡さんに迷惑をかけたとしたら、美涼は許さなかったと思います」という優月の言葉を、メルに「彼女は本質を摑んでいるよ」と言わせていますが)。

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