『アンの夢の家』モンゴメリ/松本侑子訳(文春文庫)★★★☆☆

『アンの夢の家』モンゴメリ松本侑子訳(文春文庫)

 『Anne's House of Dreams』L. M. Montgomery,1917年。

 赤毛のアン・シリーズ第5作です(が、第4作『風柳荘のアン』が晩年の作品なので、書かれたのは4番目になります)。

 タイトルからもわかる通り、アンとギルバートが結婚して暮らす新居が舞台になっています。そのためもあってか、前半は新婚の挨拶などが中心であまり面白くありません。

 個性的なご近所さんであるジム船長やミス・コーネリア、レスリー・ムーアはそれぞれに魅力的なのですが、そのせいもあって相対的にアンの影が薄く、別にアンの物語じゃなくてもよいのではないかとさえ思いながら読んでいました。

 ミス・コーネリアは口は悪いけれど真っ直ぐで世話焼きで、アンがそのままお婆さんになったような人物です。レスリー・ムーアは悲劇を凝縮したような人生によって変わってしまったものの、彼女の本質を見抜いて友だちになれるはずだと直感するのがいかにもアンらしいところです。

 実際、後半の盛り上がりはレスリーがらみで訪れます。弟の事故死を目撃し、父の自死を発見し、母に売られ、粗暴な夫ディックに非道い目に遭わされ、その夫に捨てられ、余計な親切者が行方不明の夫をわざわざ探して障害を持った夫を連れ帰って来たために夫の世話で人生を終えることになる……不幸につるべ打ちされて来たレスリーをさらに追い込むように、ギルバートはディックの脳手術を提案するのです。

 もしもディックの記憶や知能が戻ったとしてもレスリーは不幸にしかならないと当然ながら反対するアンに対し、自分は知り合いの医師として告げないわけにはいかないし、最終的に決めるのはレスリーだという、杓子定規と自己満足と無責任の極みのような反論をギルバートは口にし、二人は険悪すれすれのところまでいってしまうのでした。

 記憶が戻って不幸になるか手術が失敗して後味の悪い結末を迎えるかのどちらかしかないと思われたこの選択でしたが、思いもかけないドラマチックな結末が待ち受けていました。推理小説ならベタベタと言ってもいいような展開ですが、推理小説ではないからこそ伏線も何もなく純粋に意外な驚きを味わえました。

 アンは二十五歳になったこともあってか、ギルバートと喧嘩する場面まではかつてのアンらしい様子をあまり見せなかったのですが、喧嘩する場面のちょうど一つ前の章で、アンらしさの予兆を感じさせる場面が描かれています。この場面を助走にして、次の章でアンらしさが全開になるのは上手い作りだと思います。「死体を『遺体(the remains)』と呼ぶ習慣もやめてもらいたいわ。お葬式で葬儀屋さんが、『ご遺体を拝まれたい方はみなさま、どうぞこちらへ』と言うのを聞くと、ぞっとします。人喰い族の宴会(の食べ残し)の場面が目に浮かぶようで恐ろしくて」というのは、いかにも『赤毛のアン』のころのアンが言いそうなセリフでした。

 本書でアンは第一子の死産と第二子の出産を経験していて、特に第一子の死産はショックを受けたりレスリーとの友情のきっかけになったりしているのですが、第二子はほぼ空気で、そういうところもアンの物語だという印象を弱くしているようでした。

 アン25歳、ギルバートと結婚、海辺の夢の家に暮らす。運命に翻弄される美女レスリー、昔の恋人を想い続けるジム船長、男嫌いのミス・コーネリアと心を通わせ、迷える人々を照らす灯台となる。そして母になるアンの喜びと哀しみ、永遠の別れ。人を愛する心の尊さを描く傑作。日本初の全文訳・訳註付アン・シリーズ第5巻。(出版社あらすじ)

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