中国史SFといっても、かなり歴史ネタが強いものから過去が舞台のファンタジーに近いものまで、さまざまです。
「孔子、泰山に登る」飛氘《フェイダオ》/上原かおり訳(一览众山小,飞氘,2009)★★☆☆☆
――夫子孔と弟子たちが広野に閉じ込められて十日目、突然現れた金の鳥に乗じて突撃した。公輸般は名高い工匠だった。木材で作ったその金の鳥に乗って降りてきたので、誰もが度肝を抜かれたのだ。夫子孔は昔の先生である老耼と再会し、少し迷ったものの胸の内の秘密を口にした。「先生、わたしは泰山に登ろうと思います」
孔子と弟子たちや老子や墨子らが入り乱れる法螺話。『時のきざはし』所収の「ものがたるロボット」もそうでしたが、民話や神話のような単調な語り口は志怪小説などの中国の伝統芸です。
「南方に嘉蘇あり」馬伯庸《マー・ボーヨン》/大恵和実訳(南方有嘉苏――咖啡在中国的假想历史,马伯庸,2013)★★☆☆☆
――嘉蘇の起源は東アフリカ高原にあるといわれている。西暦一世紀頃、東アフリカ高原南西部にカッファという村があった。ある日、カルディという羊飼いの少年が林に入ると、灌木に真っ赤な実が生っていた。実を食べた羊は、異常に興奮して飛び跳ねた。不思議に思っていくつか食べてみたカルディも、なんだか気分が高揚し、手足が勝手に踊りだした。このことからこの果実はkaffaと呼ばれるようになった。
架空の○○史というアイデアそのものが今ではありきたりなので、もっとぶっ飛んでいて欲しかったところです。
「陥落の前に」程婧波《チョン・ジンボー》/林久之訳(赶在陷落之前,程婧波,2009)★★★☆☆
――波波匿は“幽霊つかい”だった。洛陽の街はもうずっと夜のとばりに包まれたままになっている。骨だけになった巨人が引っぱって、街をまるごとひきずっているのだ。お日さまは永遠に洛陽を照らすことはない。この“夜の街”は幽霊で一杯だ。波波匿が捜しているのは“朱枝”という幽霊なのだそうだ。朱枝をつかまえると迦畢試もあきらめ、迦畢試があきらめると白骨も停まり、そうすれば洛陽の街も停まりお日さまが照らすようになるだろう。わたしは離阿奴という幽霊に協力してもらい、朱枝をつかまえようとした。
夏笳「百鬼夜行街」がこの作品の剽窃だと騒動になったそうです。確かに雰囲気は似ていますし、幽霊ばかりの街という設定も共通していますし、大髑髏に引かれる街というイメージはそのまま百鬼夜行のようです。この作品の骸骨に引かれる街というイメージこそ強烈ですが、細かいところではあちらの方が好みでした。
「移動迷宮 The Maze Runner」飛氘《フェイダオ》/上原かおり訳(移动迷宫 The Maze Runner,飞氘,2015)★★☆☆☆
――乾隆帝の寵臣によれば、もし使節団が皇帝の誕生日までにこの「万花陣」を越えることに成功したなら、接見して通商について考えてくださる、らしい。だが中は終わりの見えない迷路だった。
タイトル通りの話、です。
「広寒生のあるいは短き一生」梁清散《リァン・チンサン》/大恵和実訳(广寒生或许短暂的一生,梁清散,2016)★★★☆☆
――図書館の展覧会でたまたま清代の新聞を目にした私は、小説の脇に添えられた挿絵に吸い寄せられた。鼠のような人が月面に立ち、クレーターの傾斜を利用してパラボナアンテナのような反射板を建造している。月がクレーターだらけであることを清末の人間が知っていたのか? 私はこの広寒生の書いた小説に大いに興味をそそられ、連載の第一回から読むことにした。驚いたことに第一回は陳腐なメロドラマだった。ところが第二回はいきなり月から始まっていた。私は広寒生のほかの文章も探し始めた。科学的素養があり、論争好きだが論証下手……。
著者の梁清散については『時のきざはし』解説に「晩清パンクSF」とあります。この作品の広寒生も、月に関してアナクロニズムな科学的知識を持っていたらしき存在です。広寒生の正体とその後については、謎と余韻を残すというより、尻切れとんぼで不完全燃焼でした。
「時の祝福」宝樹《バオシュー》/大久保洋子訳(时光的祝福,宝树,2020)★★★☆☆
――友人の緯甫のところへ行く途中、祥林嫂に出会った。髪は真っ白で、とても四十ばかりの人には見えない。姑に売り飛ばされた挙句、旦那はチフスで死に、子どもは狼にさらわれて喰われてしまった。緯甫が言うにはウェルズのタイムマシンは実在し、ウェルズのところから盗んで来たという。「いつの時代に行き、どのように歴史を変えれば救国が遂げられるか、我が国の学術に精通している君が指南してくれないか」。だが僕は懐疑的だった。そんな時、祥林嫂が死んだという報せを聞いた。「救国の前に、彼女を一つの実験として運命を変えてみないか」という僕の説得により、緯甫は過去へ旅立ったが、過去は変えられても祥林嫂の不幸は変わらなかった。
人類を救うはずが、その小手調べのための人助けに成功せずにこだわり続けるというのが、ギャグのつもりなのかどうかが悩ましいところです。真面目にやっているのだとしたらアホ過ぎるし、ギャグだとしてもくどすぎます。
「一九三八年上海の記憶」韓松《ハン・ソン》/林久之訳(一九三八年上海记忆,韩松,2005)★★☆☆☆
――天平路二〇八弄十四号は、窓のない平屋で映像レコードを専門に扱っていた。ぼくは偶然そのレコード店を見つけたのだった。題名さえ書いてないレコードを、好奇心に駆られてカウンターに持って行った。「これを買う人には、ちょっとばかり説明する義務があるのよ」と女店主が言った。時間を逆流させたり進行したりできる不思議なレコードなのだという。
日本占領下の上海が舞台のファンタジー。レコードを聴いて消えてしまう人々と、時間を飛ぶ語り手が見た景色。
「永夏の夢」夏笳《シアジア》/立原透耶訳(永夏之梦,夏笳,2008)★★☆☆☆
――夏荻が屋台街に座って飲んでいると、遠くからやって来た彼がこちらを見た。見分けた。思い出した。「永生者」の記憶は曖昧模糊で散逸しているが、「旅行者」がもっとも無駄にしてはいけないのが時間だった。夏荻は逃げ出したが、黒衣の男は夏荻の足を摑んだ。夏荻は二〇〇二年から四六八年にジャンプした。そこで江小山という少年に出会った。この時代の姜烈山の名前だ。
一緒にいることは出来ない永生者と旅行者とのロマンチックSFということになるのでしょうが、報われぬ愛という形にするために無理矢理設定を作りあげたようなところがあります。
「編者解説 中国史SF迷宮案内」大恵和実
年刊傑作選に収録された作品だけを数えて、中国史SFの割合や日本史SFの割合をはじき出して論じるという、あまり意味があるとは思えないことが書かれています。しかも、翻訳するなら中国らしさのある作品を選びがち、という結論以外は投げっぱなしで、「今後、本格的な分析が求められよう」と言われても……。
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