「手直し」ゴードン・エクランド、「ラヴ・ストーリー」ギャリー・ウルフ、「ナリトロンの発見」トマス・M・ディッシュ&ジョン・スラデック、「ビッグ・フラッシュ」ノーマン・スピンラッド、「シティ5からの脱出」バリントン・ベイリー、「ストーン・シティ」ジョージ・R・R・マーティン、「血をわけた子供」オクテイヴィア・E・バトラー、「PRESS ENTER■」ジョン・ヴァーリイ、「アイヒマン変奏曲」ジョージ・ゼブロウスキー(S-Fマガジン)

「手直し」ゴードン・エクランド、「ラヴ・ストーリー」ギャリー・ウルフ、「ナリトロンの発見」トマス・M・ディッシュジョン・スラデック、「ビッグ・フラッシュ」ノーマン・スピンラッド、「シティ5からの脱出」バリントン・ベイリー、「ストーン・シティ」ジョージ・R・R・マーティン、「血をわけた子供」オクテイヴィア・E・バトラー、「PRESS ENTER■」ジョン・ヴァーリイ、「アイヒマン変奏曲」ジョージ・ゼブロウスキー(S-Fマガジン)

「手直し」ゴードン・エクランド/宇佐川晶子訳(Revisions,Gordon Eklund,1983)★★☆☆☆
 ――カーツマンはこれで五度めのロバート・アルトマンの二本立てを観てきた。アパートに戻った彼は一人ではない。前の三回同様、金髪の女の子が横に立っている。「いい映画だったね」「最初のはお粗末だったと思うわ」。はじめの二回は「へえ、どうして?」と答えた。三度めは聞き流した。この五度めは、「くだらん言いぐさだ」と答えた。「なんですって?」彼女は力まかせにドアを閉めて出ていった。

 『S-Fマガジン』1984年10月号No.318掲載。完璧な物語などないのと同様に、完璧な人生などなく、頽廃的になりながらも試行錯誤を繰り返し、決して満足することなどないのでしょう。
 

「ラヴ・ストーリー」ギャリー・ウルフ/鵜飼裕章訳(Love Story,Gary K. Wolf,1970)★☆☆☆☆
 ――もうまもなく終わる。二人は歩きだす。オルガンが婚礼をいわう行列聖歌を奏でる。牧師が祭壇に歩みより、スイッチを入れる。沈黙の力場が二人をつつみ、二人は過ぎ去った日のかんばしい追憶にひたる。そもそもの始まり、二人は出産センターで検査を受けた。すくすくと育つ二人のそばには養育員がいて、どんな質問にもつつみ隠さず答えた。それから二人は、死についてたずねた。声は答えた。医療技術によって死ななくてもよいのだ。

 『S-Fマガジン』1984年10月号No.318掲載。ロマンチックなつもりの掌篇。
 

「ナリトロンの発見――実験結果の共同報告書」トマス・M・ディッシュジョン・スラデック浅倉久志(The Discovery of Nullitron,Thomas M. Disch and John Sladek,1967)★★★☆☆
 ――当初、ナリトロンは、ニュートリノ(あるいは質量0、電荷0、スピン½の粒子)と考えられていた。しかし、旧式の固定されたフリミウムの標本に代えて、ジャイロスコープで平衡をたもったヌビウムの標的を使い、実験をくりかえしたところ、スピンは0と測定された。この粒子は質量こそないが、厳密には極微とはいえない。なぜなら、見たところ約一メートルの直径を持ち、完全な球形で、光沢があるからである。

 『S-Fマガジン』1983年6月号No.300掲載。スラデックのデビュー作だそうです。架空の科学報告書という名目の完全なるおふざけ。
 

「ビッグ・フラッシュ」ノーマン・スピンラッド/深町真理子(The Big Flash,Norman Spinrad,1969)★☆☆☆☆
 ――二〇〇日前……秒読みは続行ちゅう……連中はおれの好みにはちと過激すぎた。しかしそいつが肝心な点なんだ。過激ってのはロック・ビジネスの世界じゃひとつの売りものなんだから。『黙示録の四騎士《フォー・ホースメン》』の演奏を聴いた俺は彼らと契約した。一四八日前……秒読み続行ちゅう……「あなたはまだテープを見ちゃいないんでしょう、B・D?」番組編成部長のジェイクが神経質になっている。わたしは試写室でテープを確認した。スクリーン上に真っ青な空のショット、低いものうげなエレキ・ギター。シタールとドラムが狂熱的に鳴り響く。「明るい……太陽よりも……世界は暗くなる……」アウシュヴィッツの死体の山……「最後のでっかい閃光がこの空を照らし……」スクリーンが真っ黒になり、火の玉に照らしだされて、轟音――。

 『S-Fマガジン』1983年6月号No.300掲載。バンドの演奏とともに原爆がドカン!という馬鹿みたいな話。
 

「シティ5からの脱出」バリントン・ベイリー/浅倉久志(Exit from City 5,Barrington J. Bayley,1971)★★☆☆☆
 ――コルドは一年間の人口冬眠から目覚め、ファイルを開いて読みはじめた。シティ5の社会に危険な傾向があることは前々から気づいていたが、加速度的に事件が頻発していた。カイーンは天文学協会から除名され、ポーラと二人きりで過ごしていた。シティ5は何世紀も昔に地球からやってきた。協会の説得の甲斐あって遂に探検の許可が下りた結果、宇宙の収縮によりシティ5は他の世界と隔絶されていることが判明した。その際に閲覧不許可のデータを盗聴したことがばれて、カイーンをスケープゴートにするしかなかったのだ。

 『S-Fマガジン』1983年6月号No.300掲載。同名短篇集にも収録。起こっていることのスケールは大きいのですが、散漫でした。
 

「ストーン・シティ」ジョージ・R・R・マーティン/安田均(The Stone City,George R. R. Martin,1977)★★☆☆☆
 ――クロスワールズはさまざまな種族によってあまたの名で呼ばれていた。ホルトが扉を開けると、ダンラ人が座っていた。「船に乗せてくれ」「人類の席はない。船はない。来週きれくれ」。次の日、ホルトがまた行くと、ダンラ人が言った。「来週、人類の船は来ない。船はない――ただ、いま人類の船がいるぞ!」「いまだって? 席をくれ、ちくしょう!」「名前は?」「マイクル・ホルト」「二つの席はやれん。ホルトだけに席がある」「この……」同じやり取りがくり返された。ホルトはダンラ人の喉につかみかかった。首が折れ、ホルトは逃げ出した。

 『S-Fマガジン』1983年6月号No.300掲載。R・R・マーティンは怪奇系の作品は傑作揃いですが、SF/ファンタジー系の作品はイマイチのようです。
 

「血をわけた子供」オクテイヴィア・E・バトラー/小野田和子訳(Bloodchild,Octavia E. Butler,1984)★★★☆☆
 ――ぼくの子供時代最後の夜は、客の到来で始まった。トゥガトゥワが卵を二つ持ってきてくれたのだ。母さんは口にしようとしない。だから生前の父さんは普通の倍以上も長生きしたのに、母さんは歳以上に老けこんでいた。トゥガトゥワは外では激しく責めたてられる身だ。なぜ特別保護地域が存在するのかわかっていない連中とぼくらの間に彼女たちは立ちはだかっている。トゥガトゥワと母さんは同じ速度で成長し、互いを一番の友だちとしていた。姉さんはトゥガトゥワを一目で気に入ったが、トゥガトゥワは生まれたばかりの赤ん坊であるぼくの方を選んだのだ。外で物音がする。ヌトゥリックだ。トゥガトゥワが意識不明の男の人を運び入れた。ぼくはトゥガトゥワを手伝いたくて、兄さんに医者を呼びに行かせた。

 『S-Fマガジン』1986年2月号No.335掲載。ヒューゴー賞ネビュラ賞のノヴェレット部門受賞作。芋虫のような宇宙人に支配され、卵の宿主として共生関係を結ばされた人類を描く、おぞましい一篇です。ヌトゥリックにならずに通常の状態であれば麻酔様の体液を注入されることで痛みではなく快さを得るという説明があるとはいえ、肉を切り裂いて蛆虫を取り出してゆくさまは衝撃でした。選ぶことすら出来なかった被迫害者たちの行き着く先は地獄です。
 

「PRESS ENTER■」ジョン・ヴァーリイ風見潤(PRESS ENTER■,John Varley,1984)★★☆☆☆
 ――隣人のチャールズ・クルージがテーブルの前に座り、側頭部を吹きとばされた状態で見つかった。コンピュータの画面には「PRESS ENTER」と表示され、末尾にはカーソルが点滅していた。部屋からは大量のクスリが発見された。見つかった遺書には、すべての不動産と建築物を私ヴィクター・アプフェルに与えると書かれていた。クルージは近所の住人を脅迫していたようにも見える。後日、リサ・フーというヴェトナム女性がクルージ家を訪れた。

 『S-Fマガジン』1986年2月号No.335掲載。ヒューゴー賞ネビュラ賞のノヴェラ部門受賞作。仕方のないことですが、SF的な設定以前に人物設定と描写が古くさすぎて読むに耐えません。意識を持ったコンピュータという発想と、それを夢見た人物はすでに死んでいるという状況下で、充満している『リング』めいた死の匂いは不気味ではあります。
 

アイヒマン変奏曲」ジョージ・ゼブロウスキー/野口幸夫(The Eichman Variations,George Zabrowski,1984)★☆☆☆☆
 ――私は事の仔細を、戦後、聞き及んだ。十名の、首吊られるべき極悪人。彼らはメートル法の尺度によって死ぬ、私の顔をしているこれらの案山子たちは。朝毎、私は十度、複製され、そして処刑を観ることを強いられる。なぜ私は彼らと共に絞首台上にいないのか? 彼ら全員に、私の記憶があるのか?……「原板を破壊して片をつけてしまうべきでしょう」という博士の言葉に、白髪まじりの男は首をふった。「そうなれば彼の罪障がこの世から逃れ去るだろうし、われわれは忘れてしまうだろう。しかし決して死なせるわけにはいかんのだ」

 『S-Fマガジン』1986年2月号No.335掲載。ネビュラ賞ショート・ストーリー部門審査員団特別推薦作。とんでもない悪文です。原文に由来するのか、手記という体裁のためなのか、訳者が下手なだけなのか。駄洒落タイトルから繰り出されるのは、語り継がれるべき人類の罪の記憶。とはいえイスラエルという国は、技術的に可能ならば嬉々としてやりそうなイメージです。

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