梁塵秘抄の超訳です。「今様」とは「現代風」「当世風」という意味なのだから、「現代風」に現代語訳しようという試みは評価できます。過去に『桃尻語訳 枕草子』や『恋ノウタ』や『チョコレート語訳 みだれ髪』なんてのもありましたし。「仏」を「あなた」として恋歌風にしたというのも、一途な思いと信仰心は通ずるというのは言い訳めくものの、試みとしては面白いと思いました。
そこで「現代風」に選ばれたのが歌謡曲だというのも、致し方ないとは思います。歌謡曲なんて現代風どころか古くさいジャンルだと個人的には思いますが、ではほかにどう訳せばいいかというと、全世代に浸透している曲なんて今ではもうないでしょうし。
ただ、古くてもいいのでせめて演歌系ではなくポップス系ならまだ懐メロ番組やカバー曲によって知名度が違うでしょうに、訳者は絶望的に感性が古いんですよね。
訳者は1951年生、戦後生まれだということにびっくりです。2011年の本書刊行当時は60歳。ものすごいお爺ちゃんというわけではないのに、現代風=歌謡曲なんですね。。。
試み自体はうなずけるので、好意的な気持ちで読んでみようと思った矢先、早くも2曲目(原歌17)でその気持ちは打ち砕かれます。当時の博打打ちについて歌った歌を、なんとヤクザ映画で博打打ち役を演じた鶴田浩二・高倉健・藤純子に置き換えています。いや、だから感覚が古すぎるんですよ。現代語訳に註釈が必要って、もはや現代語訳ではないでしょうに。
註釈自体は、大日如来を本尊とする密教思想は「きわめて一神教的な発想に近いものであり、仏教は多神教であるといった通俗的理解は、ここでは成り立たない」という3曲目(原歌19)のように至ってまともなものもあるので、もう少し(いやかなり)訳者にセンスがあれば……と思わずにはいられません。
5曲目(原歌116)には、女性の五障が登場します。法華経原典には書かれていないこの五障の内容を、なぜか訳者は勝手に考えて「翻訳」します。「男をとろかす その声も/男をぬくめる その肌も/男をまよわす 愛嬌も/男を死なせる 冷たさも/男をくるわす やさしさも」だそうです。
13曲目(原歌232)の「仏」を「マリアさま」にしたのは、「マリー」って言いたいだけですね。「五番街のマリー」はタイトルだけは知っています。寺山修司『毛皮のマリー』もありますし、なぜかマリー=昭和のイメージがある名前です。
16曲目(原歌240)。「『ザンゲの値打ちもない』は、もちろん、阿久悠氏の名歌の歌詞からの拝借」だそうです。だから知らないってヽ(`Д´#)ノ 。
そうかと思えば17曲目(原歌253)では、「『常楽我浄』とか『七宝蓮華』とかの仏教経典に由来する漢語の言葉は、当時の今様歌の聴衆には、何のことやらまったく理解ができない言葉だったのではないか。ただ、有り難いだけの『ジョーラクガジョー』『シチホーレンゲ』(レンゲは分かるかもしれないが)という音のつらなりとして受け止められたのだろう」と、ときには鋭いことを書いたりするので困りものです。
29曲目(原歌320)では、「東京や大阪、宮崎県などで、『知事』の権威や権勢といったものが低落傾向にあるので、『受領』を、単純に『知事』と訳すのはためらわれる」と書いて、「受領」を「大金持ち」と訳していますが、そもそもが歌謡曲みたいに訳すという方針なのに、芸能人を下に見ることの矛盾に気づかないんでしょうか。
ひどい本でした。
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