『カラマーゾフの兄弟 全5巻』ドストエフスキー/亀山郁夫訳(光文社古典新訳文庫)★★★☆☆

カラマーゾフの兄弟 全5巻』ドストエフスキー亀山郁夫訳(光文社古典新訳文庫★★★☆☆

 『Братья Карамазовы』Ф. М. Достоевский,1880年

 『罪と罰』と並ぶドストエフスキーの代表作、ではありますが、曲がりなりにも初めからピカレスクや犯罪小説風の味のあった『罪と罰』と比べると、少なくともストーリーに吸引力はありません。

 いくつものエピソードの積み重ねも、重層的とか複眼的とかではなく雑駁なだけでした。ベタな引きで盛り上げようとしていた『罪と罰』のドストエフスキーもここにはいません。修道院で暮らす末弟のアリョーシャが主人公ということになっていて、長老との関わりに於いて必要な存在でもありますが、フョードルやミーチャと比べると影は薄いです。

 女を巡って家族で五角関係になっても、骨肉の争いという感じではなく、それぞれがそれぞれの信じるところを垂れ流しているだけという感じで。思想が先走るのがドストエフスキーの(というか昔の小説の)悪いところで、思想に共感できなかったり説得力がなかったりするとしんどいです。

 著名な「大審問官」にしても、キリスト教徒ではないうえに現代人である身にはさして衝撃でもありませんし、肝心の話の内容も、ネットで独自の解釈を言ってドヤってる人レベルにしか思えませんでした。そういう意味では現代的というか、今以てアクチュアルだと言えるのでしょう。

 そしていよいよ父殺しが(というか、ヒョードル殺害事件と長兄ミーチャへの父殺しの容疑が)発生。裁判が始まります。説明的な長台詞と弁論は相性がいいので、クライマックスということを差し引いても、この場面がいちばん面白かったです。検事イッポリートについて、「長いあいだ他人に話を聴いてもらえなかった男に、とつぜんロシア全土にむけて発言する機会がおとずれたのだ!」(4巻p.515)というのには笑っちゃいましたが。

 というか、この父殺しというのがピンと来ないんですよね。父殺しというとオイディプス王か、または神殺しを連想します。確かに「大審問官」あたりと併せてみても、神殺しというのは妥当だと思うのですが、それにしてはちょっと殺人事件とその犯人を巡る裁判の経過に寄り過ぎてピントがずれているように思うのです。恐らくモデルとなった事件に著者が興味を持っていたため、現実の事件に寄り過ぎたのでしょうか。

 この古典新訳文庫版では著者の意図(であろうと思われること)に沿って、エピローグが別立ての第五巻になっています。といってもエピローグなので60ページしかなく、残りはドストエフスキーの生涯と年譜と、後半半分はまるまる解題(と称する著者の見解)でした。

 父親フョードル・カラマーゾフは、圧倒的に粗野で精力的、好色きわまりない男だ。ミーチャ、イワン、アリョーシャの3人兄弟が家に戻り、その父親とともに妖艶な美人をめぐって繰り広げる葛藤。アリョーシャは、慈愛あふれるゾシマ長老に救いを求めるが……。(第1巻カバーあらすじ)

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