『薫大将と匂の宮』岡田鯱彦(創元推理文庫)★☆☆☆☆

『薫大将と匂の宮』岡田鯱彦創元推理文庫

 『General Kaoru and Prince Niou』1950年。

 ずっと昔に国書刊行会版を読んでがっかりした記憶があるのですが、解説を森谷明子氏が書いているの目当てで再び読んでみることにしました。

『薫大将と匂の宮』(1950)☆☆☆☆☆
 ――以前に投身自殺を試みた浮舟がふたたび川で変死した。しかも今度は額に傷があり他殺の可能性もあった。薫大将は匂の宮と浮舟の関係に思い悩むあまり、自分が殺してしまったのではないかと苦悩していた。そこに今度は匂の宮の妻・中君が同じ状況で変死した。匂の宮は薫と中君の不貞を疑い、薫を犯人として名指しした。呼び出された中君の死霊は自分は自殺だと告げたものの、いかさまを疑おうと思えば疑えた。ついには清少納言が真相解明の挑戦状を叩きつけてきた。そして最後には、匂の宮までが同じ状況で変死してしまった。動機から言っても状況から言っても最重要容疑者は薫だった。薫はここに至って、匂の宮が自身の誤解を認めた遺書の存在を伝えるが、遺書はすでに燃やしてしまったあとだった。そこに清少納言からの薫告発の手紙が届く。

 源氏物語の続きという体裁の作品で、紫式部の一人称で書かれています。国文学者が書いた源氏物語ミステリという触れ込みではありますが、書かれたのが戦後五年の時点という古さであり、トンデモ探偵小説というおおらかな目で見るべき内容でした。

 宇治十帖が中絶した(ように見える)のは、源氏本編で伊周モデルの光君を超人的に描きすぎた反省から、宇治十帖をモデル小説として書き始めたものの、モデルたちが予想以上にどろどろし始めたためうんざりして筆を断ってしまったものだった――ところがモデルたちが殺人事件に巻き込まれたため、改めて筆を取った――と、宇治十帖未完と本書執筆の由来をうまく説明してあります。

 しかし語り手を紫式部にしたのは大失敗でしょう。これがホームズ・パスティーシュなら、語り手も作者もワトソンであり実在の人物であるという体で書けばいいだけですが、本書の著者は源氏物語がモデル小説であるとすることで、源氏物語と現実の紫式部を繫ぐという手法を採りました。いわばコナン゠ドイルを著作権代理人ではなくワトソン本人としてしまったがために、いろいろと無理が生じていました。

 薫大将の訪問を受けた紫式部の、「(前略)また私の物語を書くにつけて、こちらから三条のお邸へお話を聞きにうかがったこともあるくらいで、うちとけた間がらではあったのだが、こうして里住みのところへおたずね下されようとは思いもかけぬことであったし、たった二人きりでこんなに咫尺にお目もじするのは初めてのことだったので、あちらでは女と思っておられない御様子なのだが、こちらは、なんといっても恥ずかしく、ボーッとしてしまった。」(pp.47-48)といった息の長い文章は、確かに源氏物語っぽさがあります。

 しかしこの調子で延々とミステリを書き続けられるわけもなく。「(前略)遺書がないということが、自殺でないとする説の根拠として取りあげられた。それから、額の大きな深い傷と、水を飲んでいないことから、投身自殺による溺死ではなく他殺であろうという考えは(以下略)」(p.138)等々、平安時代源氏物語もあったものではありません。遺体の傷の照合実験までしますし(p.190)。ここらへんの設定の不徹底が読むに耐えませんでした。いくら作者が現代の読者にもわかりやすく書き改めました、と言い訳したところで、だったらそもそも紫式部の一人称自体を採用しなければよかっただけの話です。

 一連の事件の真相は、『薫大将と匂の宮』というタイトルに相応しいものでした。額縁の外の著者が前書でくどいくらいに昔の人は現代人より鼻がよかったのではないか云々と書き連ねたり、語り手の紫式部が冒頭でこれもしつこいくらいに目指していたのはリアリティを云々と書いていたのも、このためだったことがわかります。この設定の是非はともかくとして、噓の手がかりによって相手を誤解させることで【(結果的にとは言え)自殺】をコントロールするという犯行(?)方法は、現代ミステリでも充分に通用する仕掛けだと思います。この点では清少納言の推理もあながち間違ってはいなかったわけです。この一連の変死のいきさつといい誤解によって悲劇が生まれるところといいよくできているので、源氏部分がもうちょっと(かなり)ちゃんと書けていればと思わずにはいられませんでした。【※薫の情人であり匂の宮になびかなかった唯一の女性である小宰相の君が、力ずくで匂の宮に体を奪われた復讐に、中君を含めた女たちが薫と関係したと匂の宮に誤解させるため、事後の薫の香りを女たちの着物に付けて回った。匂いに敏感な匂の宮だけがその香りに気づき、中君の不貞を疑って責めた。中君はそれを悲観して自殺。大事になったことに慌てた小宰相の君から真相を聞いた匂の宮は、自分の誤解から中君を自殺させてしまったことを悔いてこれまた自殺した。】【※清少納言の推理では、薫は実際に中君と関係を持っており、中君は自殺か他殺かわからないが、薫が死霊に中君は自殺だと語らせるいかさまをすることで、匂の宮に罪の意識を着せて自殺させる計画を立てていた。
 

「艶説清少納言(1953)★★☆☆☆
 ――妹兄の仲とまで契り交わした則光が局に訪ねて来てくれたのを、清少納言がほうっておいているのは、無骨者の則光が厭になったわけではない。さだ過ぎた女の、若い情人に対する拗ねに過ぎない。形のうえで一度申し出を断ったのを鵜呑みにして手を出さぬような男だった。それでもどうにか二人で賀茂祭に行く話が決まったところに、行成がやって来た。当世の才気あふれる貴公子が歌や詩について話すので則光は苦渋の顔をした。則光は歌が何より嫌いで、別れるときは別れの言葉ではなく歌でも見せてくれというような男であった。行成から賀茂祭に誘われた清少納言は浮き立つが、高貴な相手でも気にしない則光である、清少納言には先約があると正直に言って清少納言の不興を買ってしまう。

 清少納言と則光の人となりのエピソードをもとに、二人の破局の顚末を落とし話ふうに描いたもの。清少納言を素直になれない年増、則光を何でも真に受ける脳筋の若者としたことですれ違いのおかしさが生まれています。清少納言は則光の歌嫌いを冗談だと受け取っていたのか単に忘れていたのか、何にしても則光は言葉どおりの人でした。『薫大将と匂宮』の作者だから当然なのかもしれませんし、あるいは単に昔の人だからかもしれませんが、作者は『薫大将と匂宮』でも本篇でも清少納言に冷たい態度を取っています。
 

「「六条の御息所」誕生」(1973)☆☆☆☆☆
 ――中宮から「藤式部は怪異の物語は書けないのでしょうねえ」と言われた式部は、従来の怪異ではなく新しい怪異物語を書こうと考えついた。そうして書きあげた「夕顔」の巻が中宮の御前で読み上げられたが、中宮を含めて聞き手は皆、「夕顔」の巻に登場するもののけを「六条わたりの女」だと思っているのに気づき、式部は自分の考えを改めた。自分は六条わたりの女を軽く扱い過ぎていた。夕顔のやさしさを強調するためだけに六条わたりの女を出してみただけで、もののけ物語にした時には六条わたりの女のことは忘れ去っていた。六条わたりの女だということに変更できるだろうか。源氏が夢から覚めて「荒れたる院のもののけ」と本気で思っているのはよくない。そのうちいい考えが浮かんだらあとの巻で何とかしよう……。

 「夕顔」の生霊は六条の御息所ともそうでないとも書かれていないが、本文の最後で生霊は六条の御息所ではないと光源氏が断定してしまうような記述があるのはなぜか――という矛盾=謎を、源氏物語成立時の紫式部の状況を空想して、エッセイとも紫式部の独白小説ともつかぬ形で書いたもの。生霊が六条の御息所かどうかという話題は謎と真相というほどのものではないし、「六条の御息所」ではなく「六条わたりの女」としか書かれていない「夕顔」巻の記述を結局はわからないと記すエッセイ部分もただの言い訳めいていて興醒めします。
 

「コイの味」(1973)★★★☆☆
 ――光源氏は鯉を食べなかった。食べなくなったのは妖しい事情がある。最後に食べたのは「夕顔」の巻のあとだ。あのあとしばらく、傷心のあまり病床に籠もっていた。ようやく庭を歩いてみようという頃、大好物の鯉の膾が出た。その舌ざわりに、ふと女の肌の感触を思い出した。それは四条の女であった。源氏好みの可愛い女であったが、一夜きりの逢う瀬でそれきり忘れていたのを、その後偶然に四条の辺りを通りかかってふと思い出し、従者にたずねさせたときには空き家になっていたのだった。その鯉は、京から嵯峨野に引き籠もっていた老人から届けられたものだった。その老人こそ四条の女の父親だった……。

 病床の源氏を心配した昔の女が、みずから鯉となって食べられ源氏の回復の役に立つという説話ふうの掌篇です。源氏にあまり縛られずに書いた方が、当然ながらよく出来ています。
 

「恋人探偵小説」(1950)

 『薫大将と匂の宮』の内容を予告するエッセイ。
 

清少納言と兄人の則光」(1953)

 これも「艶説清少納言」を予告するようなエッセイ。
 

「「六条の御息所」誕生――について」(1973)

 「「六条の御息所」誕生」掲載時の著者コメント。

 肝心の森谷明子氏の解説も、当たり障りのない感じでした。

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