『Carmilla and Other Stories』Joseph Sheridan Le Fanu,1839。
「白い手の怪――「墓畔の家」より――」(Narrative of the Ghost of a Hand,1861)★★★☆☆
――プロッサー夫妻が屋敷から引き揚げて、夫人のほうがとてもあの家には住めない、幽霊が出ると言い出したのです。怪しいことが起こったのは八月末のことでした。プロッサー夫人が客間の窓ぎわに坐っておりますと、外側の石の窓ぶちのところへ、手が一本ソロリと出てきました。それが手きりで、ほかになにも見えません。色が白くてブヨブヨ太った、四十歳ぐらいの人の手に見えます。夫人が大きな声で叫ぶと、その白い手はコソコソどこかへ隠れてしまいました。
長篇『墓畔の家』の第十二章より。手の正体や目的はおろか、もはや怖いのか怖くないのかすらわからないくらいに、ただただ「手」だけが現れては消えてゆきます。信じていない夫がドアを開けてしまったがゆえに家のなかに招き入れてしまうという定石も踏まえるクラシックさから、幼子を狙う不条理な怖さまで、一言では言えないところがありました。
「墓掘りクルックの死」(The Dead Sexton,1871)★★☆☆☆
――トビー・クルックは若いころからやくざっぽいところがあり、十二年も前に姿を消していたのが、生まれ変わったような人間になってゴールデン・フライヤーズにもどってきた。そこで墓掘り人の仕事に就いた。ところがあるとき、教会の釣鐘が小舟のなかで見つかった。教会に行ってみると、トビー・クルックの死体と、数々の盗品があった。教会から鐘を盗もうとしてはしごからひっくり返り、首の骨を折ったところに落ちてきた鐘で頭を割られたらしい。そこに見知らぬ男がやってきた……。
生前に悪魔と取引した男が、死後に約束通り悪魔に攫われてゆく話のようではありますが、非キリスト教圏の人間にとっては悪魔そのものに対する恐怖がないため、ピンと来ないというのが正直なところです。
「シャルケン画伯」(Schalken the Painter,1839)★★☆☆☆
――仲間の塾生たちが帰ったあとも制作をつづけていたシャルケンは、すぐそばで「フフン」と声がするのでふり向いた。外套を着て、とんがり帽子をかぶった、年配の人が立っていた。「ゲルアルド・ドウに伝えておけ。ロッテルダムのヴァンデルハウゼン卿がだいじな話があるとな」そう言うと足音もたてずに部屋を出ていった。シャルケンから話を聞いた師匠には心当たりはなかったが、約束の時間になるとヴァンデルハウゼンが現れた。姪のローゼを見初めたため結婚をしたいと申し出て契約書に署名させた。ひそかにローゼと恋ごころをはぐくんでいたシャルケンは不安を覚えるが、果たしてヴァンデルハウゼンはローゼを攫ってゆく。
連作集『パーセル文書』より。これまた悪魔(か何か)によって理不尽に奪い去られるという点では大同小異ではあります。実在の画家ホドフリート・シャルケンとその師匠ヘラルド・ドウが登場する作品です。当然ながらドウの姪(Antonia van Tol)が失踪した事実はないようですが、暗がりのなか蠟燭の灯りに照らされる人物画を好んで描いたシャルケンの絵は、実際に悪魔を目の当たりにしたから生まれたのではないかという想像を掻き立てるものであるの事実です。
「大地主トビーの遺言」(Squire Toby's Will,1868)★☆☆☆☆
――およそ七十年ほど前、大地主トビー・マーストン老人がみまかった。ふたりのむすこはジリングデン・ホールで対決した。故人の債務はいっさいむすこ両人に肩がわりさせるという通告状があった。父親の遺言は、ふたりの兄弟を不和反目に追いこむようにしくまれていたのである。兄のスクループは物騒なたちで、大地主の寵愛を受けたことはいちどもない。といって男ぶりのいいチャーリーとておやじと悶着をおこしたことはある。ところで地主の遺言は、跡継ぎが代々継承してきたジリングデンの長男の権利をいっさい剥奪していた。
解説にある通り父親が化けた(?)犬の存在は怖く、犬が伸びたりするあたりの不気味さは怖さの極致なのですが、ストーリーがとっちらかりすぎていて怖さの焦点どころか話自体が支離滅裂の域に達しかけていました。親子三人ともいったい何がしたいのか……。
「仇魔」(The Watcher, or The Familiar,1851)★★★★☆
――サー・ジェイムズ・バートンという帝国巡洋艦の司令官を務めた人がダブリンへ帰ってきました。年は四十二、三歳。それがちょうど社交界に現れたモンタグ嬢という若い婦人と婚約することになりました。話がはずんで帰りが遅くなったことがありました。真夜中をだいぶ過ぎた静けさのなか、足音だけが響きます。ふと、べつの足音が聞こえてきました。ふり返っても犬の子いっぴき見えません。翌朝、一通の手紙が届きました。「前艦長バートン氏に危険を警告する。××街は避けるが賢明なり。胸におぼえがあるはずだ 監視者」。それから一週間ほどは何もありませんでしたが、ある晩またあの足音が聞こえたのです。足音に悩まされるのはこれが最後でしたが、新たな悩みが現れました。せかせかと歩いてくる外国人らしい風采の男を見て、バートンの顔色が変わったのです。医師や牧師に相談しましたが、求めた答えは得られませんでした。
以下三作と「緑茶」「ドラゴン・ヴォランの部屋」を含む『In a Grass Darkly』なる短篇集は、ヘッセリウス博士が蒐集した二百三十の症例研究のうちから選んだものという体裁のようです。邦題「仇魔」とは「仇なす魔物」の意でしょうか。原題は初出版が「The Watcher(監視者)」、短篇集収録の改訂版が「The Familiar(使い魔)」である模様。はじめは足音だけの怪がつきまとい、次いで死んだはずの男の姿がつきまとい、じわじわと追い詰めてゆく精神的恐怖はなるほど復讐者に相応しいいやらしさです。それに加えて、生前よりも縮んでいるというどこか嫌悪感をもよおす不思議や、恐らくは「使い魔」というタイトルのもとになったフクロの奇行やベッドの重い凹みなど、説明されないままの怪異が物語をまた違った恐怖に染めていました。「ふんどし町」って何だと思ったら、ふんどしのように細長い道のことだそうです。原文は「this solitary street」で、細長いとすら書いてませんでした。
「判事ハーボットル氏」(Mr. Justice Harbottle,1872)★★★☆☆
――当時六十八歳だったハーボットル判事は、事件を舌先三寸で籠絡して、一杯食わせながらごまちゃかし、こすからく立ち回っていた、とにかく物騒な図々しい判事でした。あるときピーターズと名乗る老紳士が現れ、ルイズ・パインウェックという手形偽造犯の事件は判事を陥れるための陰謀だから、審理は避けるようにと警告してきました。判事のところで家政婦としてはたらいていたミセス・パインウェックもはじめこそ亭主を悪く言っていましたが、判事の意思を知って前言を撤回しようとします。それでもハーボットル判事は意に介さず死刑を実行します。ところがその後、判事はパインウェックそっくりの男を見かけます……。
悪徳判事がしっぺ返しを喰らうというオーソドックスな話です。
「吸血鬼カーミラ」(Carmilla,1871-1872)★★★☆☆
――わたくしは当時十九歳で、使用人を除けば父と二人で暮らしていました。生まれてはじめて心に恐ろしい印象をうけたのは、まだ歳もいかない時分のことです。ある晩のこと目がさめますと、若い女の人がベッドにはいってきてにっこり笑って抱きよせてくれました。と思ったら胸に針でも刺されたような感じがして、声をかぎりに泣き入りました。その後はそういったことはありませんでしたが、これからいよいよ不思議なお話をいたします。ある静かな夕方に散歩しておりますと、走ってきた馬車が横倒しに倒れてたいへんな騒ぎになっております。やがて馬車のなかから若い婦人がかつぎ出されてまいりました。お母さまはお年にしてはみめ美しいかたで、遅れられない旅の事情があるとかで、そのあいだお嬢様はわたくしどもでおあずかりすることにいたしました。令嬢の快復を待ってお見舞いにうかがったわたくしは、思わずアッと声をのみました。子供の時分、夜、わたくしのところへ出たあの恐ろしい顔、あの顔をそこに見たのです。先に声を出したのは令嬢でした。「不思議ですこと! わたくし、十二年前にあなたのお顔を夢のなかで拝見しましてよ」それからわたくしたちはたがいに夢の話をいたしました。正直のはなし、わたくしははじめて会ったこのかたに、もうどうもいえないほど傾いていたのでございます。
ストーカー『ドラキュラ』に先駆けた吸血鬼小説であり、永遠の若さを保つ、吸血鬼に襲われた者も吸血鬼になる、獣の姿になれる、鍵の掛かった部屋に自由に出入りできる、杭を打たれて灰になる等といった、現在でも一般的な吸血鬼の特徴が既に明示されていました。知り合いの娘の急死や、幼いころに見た悪夢など、怪異の要素はあるものの、語り手ローラはそれに脅かされるどころかカーミラに誘惑されて堕ちつつあります。そんなゴシック・ロマンスの世界に、急に昔話みたいな吸血鬼退治(実際過去の話として語られたエピソードではありますが)が出てくるので戸惑いました。この昔の吸血鬼退治も含めた男爵がらみのエピソードがうまく塡まってなく、どうにか吸血鬼との因縁を成立させたかった窮余の策に思えます。狙った獲物の許に宿泊していたぶり尽くすのがカーミラのスタイルのようですが、そのパターンに一役買っていた母親がいったい何者だったのかは最後までわからないままでした。
『吸血鬼カーミラ』