『新編 怪奇幻想の文学1 怪物』紀田順一郎・荒俣宏監修/牧原勝志編(新紀元社)
むかし新人物往来社から出ていた『怪奇幻想の文学』全7巻の企画を踏襲し、新たに編み直したもの。すべて新訳・改訳。
「変化」メアリ・シェリー/和爾桃子訳(Transformation,Mary Shelly,1830)★★★★☆
――父にはトレラ侯爵という友人がいて、祖国を追われて財産没収の憂き目に遭い、一人娘のジュリエットを我が家に預けて単身落ちのびた。時は過ぎトレラも帰国して前以上の権勢家になった。わたしが十七歳の時、父の死の床でジュリエットとわたしは婚約し、以後はトレラを父と仰ぐこととなった。甘やかされたお坊ちゃんで美男で通っていたわたしは放蕩三昧で傲岸不遜で見栄っ張りだった。トレラから結婚の条件に生活を改めることを提案された時も、自尊心からそれを受け入れることができず、ジュリエットをさらおうとして果たせず、荒磯をさまよい続けた。そこで五体が不格好でぶさいくな小男の遭難者と遭遇した。その化物は天候を操れた。そうしてわたしは三日間だけ体を貸すのと引き替えに財産を手に入れた、はずだった……。
旧版収録「換魂譚」の新訳。生き血をまぜるという黒魔術的な肉体の入れ替わりは、おぞましい一方で、不可抗力的に呪いの解消の顚末と不可分であり【※体を返そうとしない相手を、自分も死ぬのを覚悟のうえで刺傷する。】、ある意味で親切な相手だったとも思えます。悔い改めたように見えながらも傲慢なのは変わっていないところに黒い笑いを感じました。
「狼ヒューグ」エルクマン゠シャトリアン/池畑奈央子訳(Hugues-le-Loup,Erkmann-Chatrian,1867)★★☆☆☆
――十六年ぶりに会う里親のギデオン・シュパーヴァーに叩き起こされた。今はニデック伯爵の猟犬係をしているギデオンは、伯爵令嬢オディールの命で医者であるフリッツを呼びに来た。伯爵は毎年、同じ時期、同じ時間に発作を起こしていた。城に近づいてくると、雪の中に老婆がいた。「疫病神だ!」老婆は毎日少しずつ城に近づき、それに呼応するように伯爵の病状は悪化するという。果たしてフリッツが滞在したところ発作は起きなかった。元気な伯爵は娘のオディール嬢に早く結婚して欲しいと訴えるがオディール嬢はそれを拒む。それがこたえたのか伯爵はオディール嬢を見ると体調を崩すようになってしまった。フリッツは血の繫がっていないはずの初代の伯爵夫人の肖像画とオディール嬢がそっくりなことに気づく。ある夜、狼の遠吠えを聞いたフリッツたちは……。
初紹介作品。古い作品らしく無駄な部分が多く、台詞廻しの大仰さをそのまま活かした翻訳も好みの分かれるところです。狼憑き(というか狼の血そのものというか)の伯爵が疫病神とともに何かを運んでいる場面こそ身震いするほどの恐怖を誘いましたが、それ以外の場面は冗長で怖がれません。フリッツが伯爵の普段の行いを理由にして、伯爵は悪いことはしていないはずだと判断するのも、憑かれたり呪われたりしている状態で普段の行いに何の意味があるのかと不審に思ってしまいました。
「怪物」アンブローズ・ビアス/宮﨑真紀訳(The Damned Thing,Ambrose Bierce,1893)★★☆☆☆
――検死審問で証人はヒュー・モーガンが死んだときの様子を読み始めた。「僕らは鶉狩りに行くため朝早く出発しました。おのおの散弾銃を持ち、犬は一匹でした。すると突然、野生のカラスムギの茂みから何か動物がのたうちまわっているような音が聞こえたのです。僕は鹿だと思い、ライフルを持ってこなかったのを悔やみました。ところがモーガンは銃を構えました。『何なんだ、いったい?』『怪物だ』モーガンの言葉に目をやると、カラスムギは見えない力で次々に地面にひしゃげてゆき、ゆっくりとこちらに近づいていました。モーガンは二発発砲し、逃げだしましたが、その瞬間、煙の中から現れた目に見えない何かに体当たりされて倒れ込みました……」
Thingとしか言えない存在の描写は恐ろしいのですが、その正体は襲われたときの描写からすぐにわかってしまううえ、それを最後の最後に「実はそうだったのだ」みたいに明かされても今さら感が漂います。怪物と同じくらい、やたらと挑発的な検死官が印象に残りました。
「夜の声」W・H・ホジスン/植草昌実訳(The Voice in the Night,William Hope Hodgson,1907)
『ナイトランド・クォータリー』vol.15【海の幻視】( → )で既読。
「青白い猿」M・P・シール/植草昌実訳(The Pale Ape,Matthew Phipps Shiell,1911)
『ナイトランド・クォータリー』vol.09【悪夢と幻影】( → )で既読。扉の著者表記だとMatthew Phipps Shiellですが、ペンネームはM. P. Shielらしい。
「壁の中の鼠」H・P・ラヴクラフト/夏来健次訳(The Rats in the Walls,Howard Phillips Lovecraft,1924)★★☆☆☆
――わたしは廃墟となっていた建物を再建し、居を移した。ジェームズ一世の治世に当主及びその子供のうち五人が数人の従僕もろとも死亡して以来、人が住んだことのない建物だった。そのときの唯一の生き残りがわたしの直系の祖だった。村民たちがよそよそしいため、息子の友人であるノリス大尉に調べてもらったところ、敷地にはドルイド教神殿かあるいはその遙か以前まで遡る神殿があったらしい。住み始めてしばらくしたころ、家じゅうの猫が騒いでいるので鼠でもいるのではないかと使用人が相談しに来た。
【人の家畜化】というおぞましい話ではあるのですが、すべてが大仰でやたらとスケールも大きいため、却って空々しい印象ばかりを感じてしまいます。
「〝かくてさえずる鳥はなく〟」E・F・ベンスン/渦巻栗訳("And No Bird Sings",Edward Frederic Benson,1928)★★★☆☆
――わたしはヒュー・グレンジャー夫妻の屋敷を目指し、夫妻の所有する森を通り抜けた。予想では、茂みや木々は求愛する鳥の歌声で沸きかえっているはずだったが、耳を澄ましても、何の音も聞こえなかった。注意して探してみると、鳥の姿も見つからなかった。ようやく木の葉のこすれる音がしたが、うさぎにしてはもっそりしているうえに、胸の悪くなるような匂いがした。ヒューも同じいぶかしさを感じていたらしく、わたしたちは鳥を探しに行くことにした。何かが見えた気がしたが一瞬で消えてしまった。物質と幽霊の中間の存在ではないかとヒューは言う。
今となっては数多ある「それ」としか呼びようのない怪物ものですが、怪物が目に見えない等といった存在ではなく、闇そのものに見えるというのは現在でも新鮮でした。タイトルはキーツ「La Belle Dame sans Merci(慈悲なき美女・つれなき美女)」のリフレイン「And No Birds Sing」からでしょうか?
「アムンセンのテント」ジョン・マーティン・リーイ/森沢くみ子訳(In Amundsen's Tent,John Martin Leahy,1928)☆☆☆☆☆
――ドラムゴールドの頭部と、謎と恐怖に満ちた文面が書かれた手帳を見つけたのは、わたしたちだった。以下はその記録である。『一月三日。あとわずかで極点はわが探検隊のものだ――アムンセン隊かスコット隊が先に到達していなければだが。一月四日。今日、出くわしてしまった謎と恐怖を、どう書き表せばよいのか。トラバースが見つけたものを見ようと、サザーランド隊長が双眼鏡を目に当てた。「テントだ。先を越されたぞ」隊長はテントに向かおうとしたが、犬たちは何かを恐れて落ち着かなかった。テントの一方が妙にふくらんでいた。隊長がテントに頭を突っ込んで悲鳴をあげた。「どうした?」「とても言えない。見たのが死体だった方がどんなによかったか。君たち二人が見なかったのは幸いだ」……』
南極で見つかった残虐な死体という設定こそ解題にある通り「影が行く」を思わせて期待したのですが、内容自体はさすがに古くさくて読めたものではありません。思わせぶりな「見てはいけない」「何を見たのかは言えない」「恐ろしい!」を延々と繰り返しているだけでした。
「黒いけだもの」ヘンリー・S・ホワイトヘッド/野村芳夫訳(The Black Beast,Henry S. Whitehead,1931)★★★★☆
――ガネット邸を今シーズン借りているガード夫人は、お茶のあいだ壁の上に目を向けていた。「キャナヴィンさん、視界の外に見えてきたそれは、成長しているんです、見るたびに!」夫人の話では、それは若い雄牛のようだった。わたしは事務弁護士のモーリング氏に、ガネット家の来歴をたずねた。以下は当時の当主アンガス・ガネットの手記だ。『母の死後、父は混血女と密通し、生まれた息子を嫡出子として認知した。異母弟オットー・アンドレアスは島の黒人の間でも評判が悪く、今年の秋に死ぬまで、当地のオービア魔術として知られる妖術にかかわっていた。この十月にアメリカから帰国したわたしを待っていたのは、オットーが死んだという報せと、客間に居座る真っ黒な雄牛だった……』
視野の外から姿を現し、見るたびに姿を変えてくる怪異というのは現代的です。確か『百鬼夜行抄』にも似たような話があったと記憶しています(あちらは夢だったと思いますが)。しかしこれが怪異の本質ではなく、ヴードゥーの呪術という因縁に由来するものだったというのがまた醜怪です。
「みどりの想い」ジョン・コリア/植草昌実訳(Green Thoughts,John Collier,1931)
これも『ナイトランド・クォータリー』vol.06【奇妙な味の物語】( → )で既読。従来のものとは底本が違うそうです。
「ヤンドロの小屋」マンリー・ウェイド・ウェルマン/植草昌実訳(The Desrick of Yandro,Manly Wade Wellman,1952)★★★☆☆
――アンコールに応えて、俺はあの唄を歌った。『ヤンドロの山の頂に わたしは小屋を建てた/けものが来ても近寄れぬよう/きっと帰ると言いのこし 愛しい人は旅に出た/わたしは信じて待っている』すると男が一人、そばに座った。「お若いの、今ヤンドロと歌ったな。私もヤンドロだ」「ミスター・ヤンドロとおっしゃるんですか」「祖父がどこから来たのか、手掛かりをくれたのはきみが初めてだ。ヤンドロの山とはどこにあるんだ?」俺が案内することになり、ミスター・ヤンドロは飛行機を手配し、中古車を買って山道を登った。新しい小屋にはミス・タリーがいて、俺を覚えていて歓迎してくれた。「ヤンドロの小屋ならすぐそこさ。あんた、お祖父さんそっくりだね。一族の者はあの唄を怖がって出ていったよ」「近寄るけものもいないようだが」「いろいろいるよ。カネナラシとか、バマットとか」
旧版収録作の新訳。死者の思いに精霊のようなものが同調して目指す相手を誘って来る、という点では珍しくもない話だとは思うのですが、吟遊詩人による第三者的な語りと、妖怪のようなヘンテコな精霊の描写によって、唯一無二の存在感を放っています。
「【解説】怪物、あるいは分類不可能なもの」武田悠一(書き下ろし)
――怪物とは、〈人間〉/〈人間ではないもの〉という二項対立的な区分を拒む存在なのである。怪物は、なぜ根絶されないのか。それは、怪物が恐怖の対象であると同時に、欲望の対象でもあるからだ。
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