親本2002年刊行。
娘が誘拐された――通報を受けた発田と朝井が駆けつけたところ、娘のように可愛がっている飼い犬がいなくなったという人騒がせな出来事があった。ところが翌日、そのおばさん――坂上礼子からまた通報があった。今度は隣の家の娘が誘拐されたのだという。犯人から警察に連絡することも家の外に出ることも禁じられた隣家の梅原芳江が、浴室の窓から坂上礼子宛てに手紙を寄こしたことから事件は発覚した。盗聴器を仕掛けたとも犯人から釘を刺されているため迂闊な動きは出来ない。四歳になる一人娘のユキが誘拐され、明日の正午までに一億円用意しなければならない。一般家庭への要求にしては高額だが、離婚した元夫・家野輝一郎は元閣僚・家野大造の三男だった。折りしも大造は一億円の贈収賄疑惑の真っ直中であり、一億円という要求額には何らかの政治的メッセージも疑えた。
メカに強い国島栄二巡査部長や特殊班刑事の華野一典と篠原美晶らも加わり隣の坂上家に張り込んだ警察は、盗聴器の周波数を割り出し梅原家の様子と犯人からの接触を窺いながら、浴室からの手紙のやり取りと鈴の音を用いたイエス‐ノーで芳江と連絡を取り合っていた。
一方、経歴を詐称したことで出世コースから外れた記者の大任達夫は、亡くなった先輩である沢村の家が坂上家の向かいにあることから、カメラマンと共に沢村家に張り込み、盗聴器を傍受して様子を探っていた。
視点人物が目まぐるしく変わるため、油断していると誰の思考なのかがわからなくなります。無論そうなるのは視点のせいだけではなく、何しろ誰も彼もが隠しごとをしているようなのです。芳江、輝一郎、ユキには狂言誘拐の疑いは拭えませんし、坂上礼子も何やら電話を気にしている様子、犯人は警察側の対応者になぜか朝井を指定しますし、記者の大任も事件を追うだけではない目的がありそうです。
約束の時間までは犯人側からは一切の接触がなく、警察や被害者側だけがやきもきしながら時間が過ぎてゆきます。待つだけの長い時間というのは、疑心暗鬼を生じさせるにはもってこいと言えるでしょう。
芳江の証言と礼子の目撃情報(覗き見)に齟齬があること。ユキが女の運転する車に乗っているのを幼稚園の保護者に目撃されたこと。礼子は犯人らしき男に利用されコントロールされていたこと。一年前に発田と輝一郎が偶然遭遇していたこと。輝一郎と大任は学生運動の仲間だったらしいこと。輝一郎とユキが共犯らしいこと。次第に断片は明らかになってくるものの、全体像はなかなか摑めません。
その一方で、山羊の轢き逃げ、猫の惨殺といった、誘拐とはそぐわない血生臭い事故や事件も起こっています。
二部が終わった時点で事件の構図ががらりと変わるのですが、連城三紀彦がやはり凄いと思うのは、【誘拐されたのはユキではなく芳江であり、芳江嫌いの義父・大造に身代金を出してもらうためにユキの誘拐という狂言誘拐で上書きした】という真相が明らかになってからも、何がどうなってそうなっているのか、誰が真犯人で誰が噓を言っていたのか、細かい部分は容易に摑ませないところです。
わけがわからないのもそのはずで、なんと誘拐という概念自体がひっくり返されていたのでした。【人を連れ去るのではなく、監視下に置いた場所から動けないようにしたうえでいつでも危害を加えられると脅しを加える】ことで、誘拐という状況を作り上げるのは斬新でした。誘拐というよりは人質事件に近いような気もしますが。猫や山羊は【脅しという形で】ここで繫がるのですね。さすがに【人身事故は偶然】(を犯人が利用したの)でしたが。
ここまで明らかになりながらも、まだ真の構図が見えないところに脱帽します。犯人が芳江に話したという、【芳江が中国批判本を翻訳したことに対する中国過激派の報復】というのはとうてい真実とも思えませんし。
しかしようやく明らかになった真相は、さすがにちょっと尻すぼみでした。【誘拐事件を起こすことによって警察を現場に縛りつけ、〝奴ら〟の手先である警察をも誘拐する】という理屈は、正直なところ屁理屈だと思うのですが、思想犯にとっては〈そういう形〉を取ることが重大ではあるのでしょう。大造が不正に得た一億円を持ち主である〝小動物〟に返すという政治性に関しては、当初から警察も疑っていたところなので予想の範囲内ではあるのですが、そこから【奴らが操っている何兆円もの金に対する最後の火炎ビン】などと主語を大きくしたせいで小物臭さが際立ってしまいました。【学生運動に身を投じていた輝一郎と大任による無血革命】だと本人たちは思っているようですが、実のところは【父親へのコンプレックスから反体制になった父っちゃん坊や】の最後の悪あがきにしか思えませんでした。ここらへんは世代によって感じ方が違うのでしょう。
身代金がすり替えられたときに発田の財布から出てくる妻からの誕生日プレゼント1万円(p.245)のような、ちょっとしたエピソードに心が癒されます。あまり感情移入できないタイプの冷たい目線の文章で書かれた作品なだけに、こうした小さな描写が印象に残りました。
記録的な大雪にあらゆる都市機能が麻痺するなか、汚職疑惑の渦中にある大物政治家の孫娘が誘拐された。被害者宅の至る所に仕掛けられた盗聴器に、一歩も身動きのとれない警察。追いつめられていく母親。そして前日から流される動物たちの血……。二転、三転の誘拐劇の果てにあるものとは⁉ 連城マジック炸裂の驚愕ミステリー。「このミステリーがすごい!」2003年版・第7位。(カバーあらすじ)
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