『サロメ』オスカー・ワイルド/平野啓一郎訳(光文社古典新訳文庫)★★★☆☆

サロメオスカー・ワイルド平野啓一郎訳(光文社古典新訳文庫

 『Salomé』Oscar Wilde,1893年

 平野啓一郎訳なので何となく不安を抱えていましたが、「私の物書きとしての『我』は、小説執筆で満たされているので、《サロメ》の翻訳では、『平野啓一郎訳』という色を強く出す気はなかった」とあるように、拍子抜けするくらいに普通の訳でした。「ワイルドのサロメは、もっと少女的で、愛らしい。強いて言えば、純真である」という訳者のサロメ観に拠ってはいますが、別に現代っ子のような言葉遣いにするほどぶっ飛んでいるわけでもなく、ある意味で読み手の解釈に委ね得るニュートラルな翻訳でした。

 書籍の半分が註釈と訳者あとがきと専門家解説と宮本亜門小文で占められています。亜門氏が『サロメ』上演に当たり、三島由紀夫つながりで平野氏に翻訳を依頼したそうです。

 註釈はほとんどが原典との相違や典拠探しという文学研究に類するものなのでただ読むには不要なものですし、たまに書かれる解説者の解釈もいったん読み終えてから再読の際に解説として読んだ方がよいです。

 解説によれば「日夏にしても三島にしても自らの理解においてはサロメを〈世紀末〉イメージで塗り固めてしまうことなく、その原作の深い読み込みを通じてはかなさの漂う〈少女〉としてサロメのイメージを摑みとっていた」「問題は、彼らの原作に対する深い認識と、その抱えていた教養としての言語の様式が、少なくとも現在の日本語の環境のなかでは釣り合っているようには見えないということなのだろう」とあるように、訳文のアップデート(とそれによる作品イメージの一新)というまさしく古典新訳に相応しいものでした。

 若いシリア人の死は後にサロメが血の上で踊ることに繫がってゆきますが、若いシリア人とヘロディアの近習の同性愛の必要性がよくわかりません。サロメのヨカナーンへの恋心や、ヘロデのサロメへの愛欲といった愛情関係の一つとして、殺した者、殺された者、自ら命を絶った者、死なれた者のバリエーションであるのでしょうか。ヨカナーンが非難した近親相姦はサロメの時代の価値観によるものですが、その非難とは別にいずれヘロデによるサロメへの近親相姦的な想いがあぶり出されるのが面白いところです。

 妖しい月光の下、継父ヘロデ王の御前で艶やかに舞ってみせた王女サロメが褒美に求めたものは、囚われの美しき預言者カナーンの首だった――少女の無垢で残酷な激情と悲劇的結末を鮮烈に描いた傑作が、芥川賞作家・平野啓一郎の新訳で甦る! 宮本亜門による舞台化原作。(カバーあらすじ)

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