『大いなる眠り』(1~2)レイモンド・チャンドラー/村上春樹訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)
『The Big Sleep』Raymond Chandler,1939年。
2014年刊行。カバーデザイン:坂川栄治+坂川朱音(坂川事務所)。
創元推理文庫版は1959年初版。カバー撮影:板橋利男、カバーデザイン:小倉敏夫。
長篇第一作。旧訳と同じ邦題なのは旧訳が早川書房ではないので差別化の必要がないからかと思ったのですが、訳者あとがきによると「個人的にこの訳題に馴染んでしまっている」からだそうです。
まずは第1章と第2章。村上訳はわりと直訳調のイメージがあったのですが、場面によっては意訳したり説明的に訳したりと、いろいろ訳し分けていました。また、意味のわからない譬喩を無理に解釈せず、原文通りに訳す傾向がありました。アメリカ人が読んでわからない文章を訳すのなら、日本人が読んでわからない文章にするのが確かに正解なのでしょう。
フィリップ・マーロウはスターンウッド将軍の屋敷に招かれた。将軍には、離婚を繰り返しているヴィヴィアンと子どものように残酷なカーメンという二十代の二人の娘がいた。そのカーメンがギャンブルで負けて証文を取られ、金を払うよう脅迫されている――というのが将軍の依頼だった。
第1章。
記念すべき初登場。「I didn't care who knew it.」は「さあ、とくとご覧あれ」と意訳している一方で、「I was calling on four million dollars.」は「資産四百万ドルの富豪宅を訪問する」とかなり説明的に補って訳しています。さすがにここまで説明しなくても伝わると思うのですが。
「インド象の大群だってくぐり抜けられそうな入り口扉」とはまたなんとも馬鹿馬鹿しいまでの、まるでお伽噺のような富豪(というより王様)描写です。もともとチャンドラーには、「まつげを、ほとんど頬にぴたりと寄り添うところまで下ろした」というような大げさな表現傾向があるので、ここもただの大げさな表現である可能性もありますが、少し先には「エメラルド色の芝生」「真っ白なガレージ」「黒いゲートル」「黒髪」「えび茶色の」というファンタジックな色彩の洪水があることを考え合わせると、それこそお伽噺のような現実感のないほどの大富豪であることを印象づけようとする意図がありそうです。
その入り口扉の上にあるステンドグラスを見て、「もし自分がこの家の住人であれば、騎士を助けるために、いつかそこまで上っていくことになるだろう」という感想を持つのは、この時点では依頼の内容は不明ながら、ヒーローがヒロインを救いに行くといういかにも私立探偵小説らしい要素のメタファーではないかと、思わずにはいられません。
肖像画を見たマーロウが感じる、「スターンウッド将軍自身であるはずはない。たとえ将軍がこの何年かの間に、未だ危機をはらんだ二十代の娘二人を抱えるにしては、いささか老いぼれてしまったという噂を私が耳にしていたとしてもだ。」というのは、チャンドラーらしいひねくれた言い回しです。本書のなかでこうしたひねくれた言い回しが出てくるのはこの場面が最初なので、そういう意味ではそこそこ重要な場面だと思うのですが、ここはさすがに新訳によって仮定法過去完了が正しく訳されていました。「It could hardly be the General himself, even though I had heard he was pretty far gone in years to have a couple of daughters still in the dangerous twenties.」双葉訳では「将軍自身ではあるまい。彼はちかごろ、まだ悩ましき二十歳台の娘を二人もかかえているにはぼけすぎた、といううわさだ。」でした。
それに続いて、カーメン・スターンウッドが登場してマーロウが初めて読者の前で言葉を発する、これまた重要なシーンがあるのですが、「背が高いのね」「それは私の意図ではない」ではいくら何でも直訳すぎだと思います。ここは双葉訳の「背が高いのね」「僕のせいじゃない」の方がしっくり来ます。
名前をたずねられたマーロウが名乗った「ドッグハウス・ライリー(Doghouse Reilly)」にはどういう意図があったのでしょう? 「犬小屋(ドッグハウス)」の方は、カーメンの目つきに感じた「床に仰向けになり、四つ足を宙にばたばたさせ(ようとしている)」という表現を先取りしたものではあるのでしょう。時系列よりも、飽くまで小説的なレトリックを優先させた表現だと考えます。ライリーの方はどこから思いついたのか不明です。双葉訳だと「ダグハウス」「亀の子みたいに空中に手足をつっぱらせ」とあり、だいぶ印象が違います。
そのカーメンの目つきを、「それが意味するところはわかる。そういう目つきをされると、私は床に仰向けになり、四つ足を宙にばたばたさせなくてはならないのだろう」とマーロウに語らせることで、カーメンが自分のことを魅力的で権力があると自覚している(少なくとも語り手にそう思われている)ことがわかります。「親指を上げ、それを嚙んだ」という幼児性と併せて、小悪魔的なキャラクターであることが伝わって来ます。
マーロウが探偵だと聞いたカーメンとのやり取りは、双葉訳の方が直訳に近いです。"You're making fun of me."/"Uh-uh."/"What?"/"Get on with you," I said. "You heard me."/"You didn't say anything. You're just a big tease."。「Get on with you.」をどう解釈するかですね。双葉訳は辞書の語義通りに「あっちへ行きたまえと言ったんだ」と捉え、村上訳ではそこまで強い意味ではないと捉えて「You heard me.」を活かす形で「からかってはいない」と意訳したのでしょう。それはそれとして双葉訳の「うふう」はインパクトがあります。
執事の目の描写「He had blue eyes as remote as eyes could be.」、村上訳「瞳はブルーで、それ以上は透き通れないだろうと思えるくらい、遙か奥まで希薄だった。」とあるのは、瞳がremoteなのではなく、青さがremoteだという解釈なのでしょう。マーロウとカーメンが抱き合っているのを見ても動じない執事というキャラクターからは、どこまでも透明な存在を思わせるこうした解釈も面白いと感じました。
第2章。
温室の様子を表した文章のうちの一つである「洗われたばかりの死人の指のような茎」という表現は、その直後に出てくるスターンウッド将軍が死にかけているのを暗示しているかのようです。双葉訳では「ぼってりしたきたない葉を洗ったばかりの死骸の指みたいにひろげていた」とあるので、紅葉や楓のような葉をイメージしていたのでしょうが、原文にははっきりと「stalks(茎)」とあるので、訳し洩れでしょう。
そしてこれでもかというくらいの死にかけた将軍の様子が詳細に描写されます。「血の気のない唇、尖った鼻、くぼんだこめかみ、近づく解体を匂わせる外向きにねじれた耳たぶ。(The rest of his face was a leaden mask, with the bloodless lips and the sharp nose and the sunken temples and the outward-turning earlobes of approaching dissolution. ……)」。
しかし「尖った鼻」「近づく解体を匂わせる外向きにねじれた耳たぶ」がわかりません。「尖った鼻」とは恐らく肉がそげている謂でしょう。「approaching dissolution」は双葉訳では「聴覚を失う前徴」なので、「dissolution」を「(機能の)消滅」と解釈したようです。それにしても「the outward-turning earlobes」が死あるいは老化のしるしというのがピンと来ません。他の描写が痩せて干涸らびている表現であるだけに、例えばここだけ老化で耳たぶがたるんでいる描写だと判断するのも文脈に合いません。やはり干涸らびてしわくちゃになっているという意味合いでしょうか。枯葉がねじれているような。「もう少しで朽ち落ちてしまいそうな、外向きにめくれた耳たぶ」かなあ?
将軍がマーロウと執事に反応せず、「生命のしるしもなく、ただこちらを見ているだけだ。」というのは、原文では「He just looked at me lifelessly.」。双葉訳では「ただ、ぼんやりと私を見ただけだった。」とあるように、「lifelessly」を「活気なく」と捉えていますが、ここまで散々将軍が死にかけていることを描写して来ただけに、村上訳のように文字通り「生命のない」ことを活かして訳したい気持ちはわかります。
次の執事の行動「執事が湿った柳細工の椅子を、私の脚の背後に押しつけるように差し出したので、そこに座った。彼は私の帽子をさっと鮮やかにさらい取った。」のは、事務的を通り越して失礼ですらありますね。マーロウを見くびっているもしくは招かれざる邪魔者と見なす態度でしょうか。
次の「How do you like your brandy, sir?」は、「いかがかな?」ではなく、村上訳の「どのように飲むかね?」が正しいでしょう。
将軍が口を開くときの、「まるで失業中のショー・ガールが最後の無疵のストッキングをはくときのように、残された力を用心深く使いながら。」という表現は、用心深さの譬喩として狙いすぎの気はあるものの、非常にわかりやすく伝わって来ます。譬喩には定評のある村上春樹らしく、「good」をただ単に「良い」のではなく「無疵の」と限定することで、譬喩が格段にわかりやすくなっていました。
マーロウに上着を脱ぐことを勧めた将軍が、「血管にまともな血が流れる人間にとっちゃ、ここは少々暑すぎるからな」と口にするのも、自分がまともではないことを間接的に告白するいい表現だと思ったのですが、原文は「It's too hot in here for a man with blood in his veins.」なので、ここは村上訳の勇み足でしょうか。
マーロウが吸った煙草の匂いを嗅いで間接的に煙草を楽しむのを、将軍が「男が悪徳に耽るのに、いちいち代理人を立てなくちゃならんとはな、まったく」とちょっと気取って表現するのも、長女の婚約者の密売業者を気に入っていたことがあとからわかるのでその影響なのでしょう。
将軍が口唇を舐めて口を閉じる動作に「葬式を思わせる忘我があった。葬儀屋が手をこすり合わせるのと同じだ。」とあるのが、どういうことなのかまったくわかりません。双葉訳では「葬儀屋が空気乾燥器で手をかわかすみたいに」で、やっぱりわかりません。原文は「The old man licked his lips watching me, over and over again, drawing one lip slowly across the other with a funereal absorption, like an undertaker dry-washing his hands.」。双葉訳は「with a funereal absorption(葬式に相応しい一心不乱さで)」が抜け落ちています。
ただ単に口唇を引き寄せるのではなく、片方の口唇がもう片方を「across」して引き寄せる、とあるので、drawing以下は直訳すれば「片方の口唇を越えるようにもう片方の口唇を引き寄せる」のようになるでしょうか。実際に同じ動きをおこなって確かめてみたところ、歯のないおじいちゃんが何も食べていないのに口をもごもごして唇を嚙んでいるような口許の動きになりました。「absorption」とは「そのことだけに注意を向けること」。
試訳「老人は何度も上下の口唇をなめた。そのあいだ私を見つめ、片方の口唇に重なるようにゆっくりともう一方の口唇を引き寄せていた。葬式のときの葬儀屋が揉み手しているのと同じように、ただひたすらにそれだけを繰り返しているように見えた。」
将軍がマーロウの自己紹介を聞いて、「そしていささか拗ねものでもある」と看破しています。読者としてはここまで散々マーロウの拗ねものぶりを目にして来ましたが、初対面の将軍があっさり見抜くのは、将軍に人を見る目がある以上に、この自己紹介がひねこびすぎているということだと思います。
ノリス執事が将軍からの指示を把握していた理由が、村上訳「ベルを鳴らして指示されたのです」、双葉訳「呼鈴の押し方でご命令がわかるようになっておりますので」ですが、原文は「By the way he rang his bell.(彼がベルを鳴らした方法によって)」なので双葉訳の方がわかりやすいとは思います。
執事が小切手を管理していると聞いて皮肉ったり、ヴィヴィアンに来訪目的を伝えたことを当てこすったりしたのは、マーロウは誰にでもこういう態度なのか、椅子と帽子のことの意趣返しなのか、この時点では何とも言えません。
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早川
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