『グランド・ブルテーシュ奇譚』オノレ・ド・バルザック/宮下志朗訳(光文社古典新訳文庫)
「グランド・ブルテーシュ奇譚」(La Grande Bretèche,Honoré de Balzac,1832)★★★★★
――わたしはグランド・ブルテーシュ館の荒れ果てた庭を散歩するのが好きだった。ところがある日、ヴァンドームの公証人ルニョーがわたしの前に現れ、私有地を散策するのをやめるよう伝えられた。メレ伯爵夫人の遺言により、死後五十年は屋敷をそのままの状態にしておかなければならないという。伯爵夫人は優しい人で、伯爵はやや短気な人だった。わたしは事情を知っているらしい下宿のおかみさんルパにたずねた。以前、下宿に連れてこられたスペインの戦争捕虜がいなくなったことがあったという。逃亡したと思われたが、メレ伯爵夫人が大事にしていた遺品の十字架が、そのスペイン人の持ち物とよく似ていたという。わたしは伯爵夫人の小間使いロザリーに話を聞きに行った。
勝手に思い描いた幻想のメッキが剥がれることを「わたし自身が作り勝手に酔いしれていた未発表の詩の数々を失うことになる」と形容するその表現自体が、詩的な語り手の性質をずばり表していました。風見がきしむ音を不吉の前兆として描くのも、ベタですが効果的です。公証人の長広舌や衒いを見抜いたうえで上手く乗せて話を聞き出すなど、皮肉とユーモアと機知に満ちていて、そもそもの語り手の(つまりはバルザックの)語り口が魅力的なので、いつまでも読んでいられます。そんな軽妙な語りとは裏腹に、軽々しい誓いの言葉と、過ちを絶対に許さない暗い意思とから生まれた残酷な復讐が待ち受けていました。恐怖譚としての切れ味もさることながら、どちらの気持ちも幾分かは理解できてしまうからこそのやりきれなさみたいなものもありました。
「ことづて」(Le Message,1832)★★★★☆
――乗合馬車の屋上階で乗り合わせた青年と、四十代の恋人の魅力について花が咲いた。顚覆した馬車から落ちて下敷になって死んでしまったその青年の遺言を守って、わたしは伯爵夫人に青年のラブレターを返しに行った。モンペルサンの城館に着くと、わたしの姿を見た可愛らしい少女が「お母さま」を呼びに行った。夫は田舎風の良識と愚かさとが絶妙に混じり合っていた。ところが伯爵夫人は亭主とは好対照を成していた。わたしはまず伯爵に、伯爵夫妻の知り合いである青年の死を伝えた。それから次に、「あなたをジュリエットと呼んでいる者の代理できました」と伝えただけで伯爵夫人は察したようだった。ジュリエットは食事の席に現れなかった。
若者特有の真っ直ぐな恋愛感情と、それを受け止める中年女性の純愛とにまつわる悲恋――ではあるのですが、そこに本来であればコキュたる伯爵の病気ゆえの爆食いの描写が加わるため、何だかへんてこな印象の話になっています。コキュの哀れさを和らげようという意図だったとするともうちょっと書きようがあったと思うので、徹底的にぼんくらに書こうということなのでしょう。
「ファチーノ・カーネ」(Facino Cane,1836)★★★★☆
――当時のわたしは場末の町に住んでいて、住民の様子や性格を観察しに出かけていた。観察眼は直感の域にまで達し、相手の精神のうちに忍び込んでいた。あるとき家政婦の妹が結婚するというので、祝宴に招かれた。そこで演奏していた楽団は、盲人院の三人の盲人で構成されていた。わたしはクラリネット奏者に興味を持った。ヴェネツィアの貴族の出でファチーノ・カーネの末裔ゆえに総督と呼ばれていた。総督はなぜ財産と視力を失ったのかを聞かせてくれた。若い頃、十八歳の人妻に惚れてしまった彼は、逢瀬を亭主に見つかり……。
共感力の高い語り手が、荒唐無稽な打ち明け話に興味を持つという形を取ることで、噓くささが緩和されている――というわけでもありませんね。名家の末裔で、殺人者で、女好きで、黄金好きと盛り沢山にもほどがあります。とは言え自分の嗅覚以外の手がかりはないが何処かにあるはずの財宝というのはロマンがありました。
「マダム・フィルミアーニ」(Madame Firmiani,1832)★★★☆☆
――あなたがフィルミアーニ夫人について人にたずねてみたとしよう。人によって見解は異なり、それぞれのフィルミアーニ夫人が存在するだろう。大農場主ド・ブルボンヌ氏は夫人のことをよく思っていなかった。甥っ子のオクターヴ・ド・カンが土地を処分してしまったのだが、件の女性に金を使って破産したあげくに家庭教師にまで落ちぶれたという噂を聞いたからだ。伯父は夫人に会って噂を確かめたうえで、甥っ子にも説明を求めたところ、意外な事実を聞かされ……。
様々な人々の証言が食い違っている人物の真実の姿――というと面白そうなのですが、後半で明らかにされたその真実の姿というのが……。著者はこれを美談のつもりで書いているのか、皮肉っているのかすらよくわかりませんでした。
「書籍業の現状について」(De l'état actuel de la librairie,1830)★★★☆☆
――印刷術が誕生した時代、書籍商は尊敬すべき学識者であったのに、十九世紀の書籍商はあまり敬われない人間に堕してしまった。一八一五年になって出版元の資金繰りと書物製作の必要性とのあいだに大きな変化が生じた。ゆきすぎた信用貸しが横行したのだ。
タイトル通りの問題提起をおこなったエッセイです。出版・取次・小売という形態は、印刷術が広まって発行部数が多くなればやむを得ない部分はあると思うのですが、確かにバルザックが言うように、三つの形態を通せば、三重の「租税」が掛かっているというのもまた事実ではあります。
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