『ドラえもん 新・のび太の海底鬼岩城』(東宝,2026)★★★☆☆

『ドラえもん 新・のび太の海底鬼岩城』(東宝,2026)

 監督:矢嶋哲生、脚本:村山功、主題歌:sumika。

 言わずと知れた『のび太の海底鬼岩城』(1983)のリメイク作品です。

 観ていて気になるところが出て来て、わたしが大人だからツッコミどころに引っかかってしまうだけなのか、脚本の新しく変えた箇所が変なのか、気になってしまい旧作をレンタルしてしまいました。

 さすがに新作の映像はきれいで驚きました。光の描写だったり奥行きだったり、現在の映像と比べるとやはり旧作はかなりのっぺりして感じられます。

 今の『ドラえもん』はおめめキラキラで違和感を覚えていたのですが、改めて旧作を見てみると目がただの点で、現在の方が表情も豊かになっていました。

 続いて、具体的に新作の変更点や気になったところです。

 

§やたらと「ともだち」を連呼して強調する。

 これは恐らくこの映画だけの特徴ではなく、一新後の『ドラえもん』自体が「ドラえもん=友だち」路線であるらしいので、その延長線上でもあるのでしょう。連呼がわざとらしいので感動の押し売りっぽくはありますが。

 

§トリラインという老婆が登場。

 50年前に鉄騎隊に捕えられアトランティスに連行されたものの、命からがら逃げ出して来た唯一の人間。ドラえもんたちが逃げるのを助けたり、アトランティス潜入に協力したりします。

 旧作ではしずかちゃんが鉄騎隊にわざと捕まるのは、「女の子の方が安心すると思う」という現在ではジェンダー的にどうかと思う理由でした。それが新作では、【「トリラインの命が取られなかったのだから女の子の方が助かる可能性があるのでは?」】という理由にされていました。そしてトリラインやしずかちゃんが生かしておかれたのは、【女性に関するデータが少ないため、人工知能であるポセイドンがデータを欲しがっていた】からという、きちんとした根拠がありました。

 恐らくここから逆算して作られたキャラクターなのではないかと感じました。

 

§その、しずかちゃんが鉄騎隊にわざと捕まるシーンです。

 新作では、鬼岩城に引き返す鉄騎隊を尾行しようとするものの、徒歩では追いつけないため、一人がわざと捕まろうという計画を立てます。そうしてわざと捕まったしずかを、なぜかタケコプターで尾行します。

 まったく辻褄が合っていません。だったらはじめからタケコプターで尾行すればいいのですから。

 しかし、入場者特典の付録冊子に収録されている漫画を読んで納得できました。鬼岩城のなかでのび太が差している傘は「人さがしがさ」という秘密道具で、どうやらしずかちゃんのいる方向を矢じるしで指し示しているようです。

 なるほど。だから誰かが捕まらないと方向がわからないから目視で尾行しなくてはならないけれど、誰かが捕まっていれば人さがしがさであとから追跡できるということなのでしょう。

 劇中では説明がなかったように思いますし、海底の時点では傘は差しておらず鬼岩城に場面が切り替わったときにははじめから傘を差していました。かなりわかりづらい描写だと思うのですが、或いは映画公開前のテレビでこの人さがしがさのエピソードが紹介されていて、毎週欠かさず観ている子どもにはピンと来るような仕掛けになっていたのかもしれません。

 旧作では、鬼岩城がなかなか見つからないうちにタケコプターの電池が切れかけ、火山噴火も迫って来ているため、一人がわざと捕まってそれを尾行して鬼岩城の場所を見つけようという計画でした。

 こちらはわかりやすいうえにしっかり合理的です。

 新作もよくよく見れば辻褄は合っているのですが、ひとこと秘密道具の説明があればもっとわかりやすかったものを、と思ってしまいます。

 

§タケコプターで尾行するのは、バギーで尾行できないからです。

 バギーが尾行できない理由が、旧作では「怖いから行きたくない」からでしたが、新作では自己防衛機能が作動して危険な場所には進みたくても進めないという、機械ならではの事情でした。

 これはこれでいい改変だったと思います。

 それでも、怖いからといういかにも人間らしい理由も残しておいてもよかったのではないかと思いました。

 というのもこの場面にかぎらず、新旧ともにバギーは声やしゃべり方がナビのようで、そのせいで車型のロボットというよりも、車に搭載されたプログラムという印象を受けてしまいます。それに加えて新作では上記の場面をはじめとして人間味がさらに減ってしまったため、クライマックスのせっかくの泣かせどころが薄味に感じられてしまいました。

 ただの機械が「友情」「友だち」に目覚めるというのをやりたかったのでしょうが、それまでに描かれていたのがただの機械的やりとりだけでそこまでの交流があったとは感じさせてくれませんでした。

 

§鬼岩城に侵入し、鉄騎隊と戦い、ポセイドンと対峙する。

 新作では、【「ここは俺にまかせて先に行ってくれ」という王道パターンの末、のび太とドラえもんの二人が無傷でポセイドンの許にたどり着きます】。王道はいいですね。クサイとは思いつつやはり盛り上がりますし、子どもはやはりまずは基本を押さえてなんぼだとも思います。

 とはいえ旧作は旧作で捨てがたい。激戦の末に離れ離れになってしまい、一人また一人と撃退されてしまう仲間たち。満身創痍のドラえもんただ一人がポセイドンの許にたどり着ものの、そこで力尽きてしまう……。とんでもない絶望感です。ましてや旧作には「データ収集のために女の子を生かしておく」という設定がないため、しずかは今まさに首を斬られようとしているのです。

 ここまでは新旧どちらもよかったと思うのですが、ここから先は新作に疑問符が付いてしまいます。

 

 無傷でポセイドンの前に現れたのび太が銃を構えるものの、【ポセイドンにビームを撃たれて倒れてしまい】、駆け寄るドラえもん。しかしのび太は【服の下にひらりマントを巻いていたため直撃を避けていました】。おお、なるほど! そこからどうなるのかと期待していたら、【そのままずっと倒れていました】。。。それなら【ひらりマント】のくだりはいらないと思うのですが……。

 ここは恐らく、のび太に「友だち」という言葉を言わせたいだけですね。

 テーマに沿った構成という点では、必要な描写ではあるのでしょう。しかしもう少し違和感なくストーリーに溶け込ませてもらいたいものです。

 【倒れたのび太に代わり銃を構えるドラえもんでしたが、やはり何もできないままポセイドンに撃たれて気絶してしまいます】。せっかく二人揃って無傷でたどり着いたわりには、盛り上がる間もなく、呆気ない……。

 ドラえもん軍団VS鉄騎隊の戦闘シーン自体、新作は派手ではあるものの単調で、旧作の方が必死な様子が伝わって来ました。

 

§そして、バギー登場。

 新作では、観ていても何が起こっているのかよくわかりませんでした。どうしてのび太とドラえもんを一撃で倒した攻撃がバギーには当たらないのか? そもそもバギーはどういう攻撃をしているのか?

 旧作では、ポセイドンの攻撃を受けたバギーが、攻撃を受けて炎(?)に包まれながらも、ポセイドンの口のなかに飛び込み、爆発して内部から破壊したということがわかりやすく描かれていました。

 それを踏まえて新作を見返してみれば、もしかすると新作でも旧作同様の攻防が繰り広げられていたのかもしれませんが、そうなのかどうかもぱっと見ではわかりません。

 せっかくのクライマックスが、呆気ないのびドラ〜何が起こっているのかよくわからないバギーなので、脚本や演出に関しては旧作に軍配が上がるかなと思いました。

 

§まとめ

 新作は「友情」「友だち」というテーマで貫かれていて、もともとのストーリーは大きく変えずにテーマに沿った改変をおこなっているところに、苦労とリスペクトを感じましたが、やはりところどころで不自然な箇所が出来てしまっていた印象です。

 [amazon で見る]
旧作のび太の海底鬼岩城 


防犯カメラ