『幸せな家族 そしてその頃はやった唄』鈴木悦夫/高田美苗・挿絵(中公文庫)★☆☆☆☆

『幸せな家族 そしてその頃はやった唄』鈴木悦夫/高田美苗・挿絵(中公文庫)

 『The Blessed Family ......And the Old Dear Song』1989年。

 全国の子どもにトラウマを植えつけたという触れ込みの児童文学が復刊されました。幸せな家族がテーマのCM撮影を準備しているさなか、演出家が歌った「その頃はやった唄」をなぞるかのように、幸せな家族から一人また一人と殺人の被害者が出てゆき……。

 児童文学を大人になって読むのは一長一短で、大人になって読むからこそわかる良さもあれば、子どものころ読まないとわからない良さもあります。読む時期にかかわらず面白い本もあればつまらない本もあります。子どもの方が噓には敏感で、少なくとも子どものころのわたしは、ケストナーのまっとうな正しさも、キン肉マンの友情パワーも、嘘くさくて嫌悪していました。今ではもう、そういうものだと割り切って楽しむことも出来ますが。

 つまり噓には鈍感になった大人のわたしが読んで、作り物の子どもが描かれているなあと感じる本書は、子どものころに読んだなら今以上に嘘くささを感じて読めたものではなかっただろうということです。

 あとがきを読むと、なんと実在の詩(に曲をつけた歌)にインスピレーションを受けて書いたそうです。その詩に当てはめて家族構成や犯行方法を考えたのなら、作り物なのも当たり前ではありました。

 子ども向けなので当然とはしても、犯人は明白です。【語り手=】犯人を隠すために【言い落とし】が多用され、不自然な作り物感が強まっています。原詩には犯人が書かれている(!)ため、最後まで詩そのものは引用されません。

 原詩に「いばる奴」と書かれている兄はその通り嫌な奴に設定されているわけですが、この兄の性格が原詩をなぞっただけに留まらず、犯行方法にその性格を利用されている【※兄を挑発することで、熱湯の入った鍋をひっくり返すという事故を誘発させる。】ところなどは上手いと感じました。

 動機はまったく異なりますが、【偶然の事故を利用して連続殺人を捏造する】という発想からは『虚無への供物』を連想したりもしました。初めの【事故】をきっかけにして、【遠隔殺人→直接手を下す】というように、快楽殺人度がだんだん高まっていくことに、【語り手】が無自覚なところにぞっとします。まあ口でどう言い訳しようが現実には快楽殺人者ですよね。

 そもそもCMに抜擢されるような「幸せな家族」には初めから見えないのが非道い。父親は家父長的な父親を理想的だと演じているような人物だし、母親は言いたいことを言えないような弱い人間だし、兄はイキリオタクだし、語り手である弟は退屈と嘯く賢しらぶったクソガキだし、容貌・頭脳・性格ともに欠点のなさそうな姉だけが異質で、総じてまともではありません。

 まともでないと言えば、赤の他人である撮影隊が事件後も居座っているのが怖かった。普通に居座っている方も怖いし、受け入れている方も不気味で仕方がありませんでした。表向きは父親を亡くした家族のためであり、終盤になって【実はこっそり(CMではなくドキュメンタリーの)撮影を再開させていた】という真の理由が明らかにされるし、語り手にしてみれば【退屈が嫌で撮影隊にいて欲しい】のだから怖いどころか願ったり叶ったりだし、【姉にしてみれば恋人と一緒にいられる】という事情はあるにせよ、読者からしてみれば「何でこいつら異常だと感じてないんだろう?」とただただ不気味でした。

 というわけで、当初わたしが感じた「作り物の子ども」というのが、単なる作者の頭でっかちによるものなのか、それともアンファン・テリブルに由来する異様性なのか、読み終えてみても何とも言えませんでした。

 原詩は詩人の山本太郎『覇王紀』「その頃はやった唄」(1969)。マザーグース風の残酷童謡を狙ったと思しき内容で、「唄」というタイトルに違わず、(アハハハン)という合いの手まで入っています。全篇通して読めば、これはまぎれもなく『そして誰もいなくなった』なのですが、その最初と最後に犯人が書かれているため、原詩を知っていれば犯人も自明であり、作中の演出家がどこまで歌ったのかが気になるところです。初めて聞く歌なので当の演出家のほかは記憶のいい姉とテープレコーダーに録音していた弟しか内容を覚えていないという設定とはいえ、読者はおろか作中人物にも犯人の見当はついていたのではないでしょうか。これが現在のミステリなら、見立てと殺しは別の人間が――だったりするような、複雑な形にするのだろうと思います。

 ありものの詩に不満を言っても仕方ありませんが、放火があるのに、絞殺のところでも「黒髪焼きました」とあって、燃やすという行為が重なっているのがすっきりしません。「○○しました/××しても××してもまだ足りず」という繰り返しは、どれも○○と××に関連性があるのに、五番の歌では毒殺と関係する「××しても」が思いつかなかったのか、無関係の××が選ばれているのも納得いきません。

 保険会社のテレビCM《幸せな家族》のモデルに選ばれた中道家。しかし撮影開始直前、父親が変死。やがて不気味な唄の歌詞にあわせたかのように、次々と家族に死が――謎めいた事件を追って最後の手紙に辿りついた時、読者あなたはきっと戦慄する。刊行以来、無数の少年少女に衝撃を与えてきた伝説のジュヴナイル・ミステリ長篇。(カバーあらすじ)

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 幸せな家族 そしてその頃はやった唄『幸せな家族』 
 

【※以下、原詩。反転伏せ字】

  (語り)

  これからつぶやくひとふしは とても悲しい物語

  遊んで遊んでまだ足りず たいくつまぎれにチッチッチ

  殺しをおぼえた少年の とてもせつない物語

  

 子どもは父を憎んでた 働きもんは邪魔になる

 そこで子どもは風の晩 こっそりナイフをとぎました

 父の寝息をかぎました 刺しても刺してもまだ足りず(アハハハン)

 たいくつまぎれにチッチッチ 目玉のプリンを食べました

  

 子どもは母を憎んでた 優しいもんは邪魔になる

 そこで子どもは花園で こっそり縄をないました

 母と縄跳びしてました 締めても締めてもまだ足りず(アハハハン)

 たいくつまぎれにチッチッチ 長い黒髪焼きました

  

 子どもは兄を憎んでた いばる奴は邪魔になる

 そこで子どもは台所だいどこで ジャガイモぐつぐつ煮てました

 兄の背中を蹴りました ゆでてもゆでてもまだ足りず(アハハハン)

 たいくつまぎれにチッチッチ 骨で楽器を彫りました

  

 子どもは姉を憎んでた きれいなもんは邪魔になる

 そこで子どもは納屋の外 マッチを片手に立ちました

 姉の逢いびき見てました 燃やして燃やしてまだ足りず(アハハハン)

 たいくつまぎれにチッチッチ アヒルのバーベキューつくりました

  

 子どもは友を憎んでた 仲良しなんか邪魔になる

 そこで子どもは誕生日 青酸カリを入れました

 友はにっこりのみました ふんでもふんでもまだ足りず(アハハハン)

 たいくつまぎれにチッチッチ 窓からぽんぽんなげました

  

 子どもは自分をにくんでた なまけもんは邪魔になる

 そこで子どもはただひとり リンゴの木の下たちました

 小鳥の歌を聞きました 殺して殺してまだ足りず(アハハハン)

 たいくつまぎれにチッチッチ 死んでブランコしてました


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