『無益な殺人未遂への想像上の反響 ギリシャ・ミステリ傑作選』ディミトリス・ポサンジス編/橘孝司訳(竹書房文庫)
『Ελληνικά Εγκλήματα 5』επιμέλεια Δημήτρη Ποσάντζη,2019。
珍しいギリシャ・ミステリのアンソロジーではありますが、「傑作選」という副題には偽りあり。実際には傑作選ではなく書き下ろしアンソロジーの5冊目の翻訳でした。書き下ろしアンソロジーの常として玉石混淆(石の方が多い)ですが、ギリシャ・ミステリの今を伝える作品集ではありました。個人訳だということにびっくり。
「前書き」ディミトリス・ポサンジス(Πρόλογος,Δημήτρη Ποσάντζη)
この書き下ろしアンソロジー・シリーズ『ギリシャの犯罪』のこれまでの編纂者への献辞と、この5冊目がトルコ語に翻訳された作品集を元にしているという成立事情の説明。
「外向きの視線で」ヴァシリス・ダネリス(Με το βλέμμα στραμμένο προς τα έξω,Βασίλης Δανέλλης)
本書の元となったトルコ語訳ギリシャ・ミステリ・アンソロジーの監修者による、編纂の意図。
「町を覆う恐怖と罪――セルヴェサキス事件――」アンドレアス・アポストリディス(Υπόθεση Σελβεσάκη,Ανδρέας Αποστολίδης)★★☆☆☆
――わたしが翻訳家と知り合ったのは、一九九五年のセルビア・クライナ共和国だった。わたしはまた、彼が疑わしい相手との接触を続けていないか見張るように、勤務機関から命じられていた。彼が若いころ行ったさる活動が知られていたからである。他方で、情報を吟味するのは任務上の鉄則だった。もっとも、わたしたちはクロアチアのモスタルで《偶然》すれ違っていた。『砲撃音が聞こえてくる。砲弾が村の方へ飛んで行った。そこでロリス・セルヴェサキスが待っていた。』翻訳家は夢をノートに記録する習慣があると明かした。わたしは考察のためにそのメモ帳を盗もうと考えた。
スパイに関する話が断片的な文章で構成されていてただでさえわかりづらいのに、クセのある訳文のせいでますますわかりづらいものになっています。恐らく真相なんてものはなく、(誰もが)疑念から解釈と想像の袋小路に嵌まり込んでいるだけなのでしょう。
「ギリシャ・ミステリ文学の将来」ネオクリス・ガラノプロス(Το μέλλον της ελληνικής αστυνομικής λογοτεχνίας,Νεοκλής Γαλανόπουλος)★★☆☆☆
――年若いディノス・プロトノタリオスは、ギリシャ・ミステリ文学を代表する人物ペリクリス・ディムリスを前にして震えていた。「さてと、中編二本の抜粋を送ってくれたね」「まだ完成してませんが、一番特徴のある部分を選んだんです」「私見を述べさせてもらえるなら……」《マフラーの絞殺魔》の消失、兄殺しのアリバイ……。それを読んだ大作家は言った。「これは文学じゃないね。《ミステリ文学》はだね、別の目標がある。読者の生きている社会の闇の側面に光を当てることなのだ」
謎解きミステリ作家志望者が文学的ミステリの大家にけちょんけちょんに貶されるもネタをパクられた、というだけの話です。作中作の出来がお粗末なのが、いっそう皮肉を際立たせていました。
「最後のボタン」ティティナ・ダネリ(Το τελευταίο κουμπί,Τιτίνα Δανέλλη)★★☆☆☆
――アンゲリディス警部に言われて、ゲロヴァシラトス警部補は現場に向かった。玄関を入った大理石の床の上に、ディームと妻が折り重なるように倒れていた。夫の方は生きて息をしている。「殺人です。謀殺か過失かはまだわかりませんが」「事故だよ。家に押し入ろうとしたチンピラを入らすまいとして、夫人は足を滑らせたんだ。忘れるなよ、ディーム父子は大臣に強いコネがある」。警部補はディームに聞き込みに行ったが、とりつくしまもなかった。
青臭い正義感を有する警察官と、腐敗したギリシャの政治や警察組織――を描いたにしては、素直すぎる書きぶりでした。
「バン・バン!」ヴァシリス・ダネリス(«Μπανγκ μπανγκ!»,Βασίλης Δανέλλης)★★★★☆
――ナンシー・シナトラの歌声がバーに溢れ出した。バン・バン! わたしは自分の物語を思い出す。知り合ったのは九つのときだった。彼は十二。兄たちと戦争ごっこをしていた。小さい女の子だったわたしは嫌がられていた。わたしたちはおもちゃのピストルを手に駆けまわった。バン・バン! わたしには誰も注意を向けなかったから、彼を撃つこともできた。でも、そうはしなかった。わたしに気づいた彼が引き金を引いた。バン・バン! 数年後、彼は引っ越してしまった。何年も経った。わたしは大学に入った。二十四になったころ、つき合っていた男と仮面パーティーに行った。二度名前を呼ばれるまで気づかなかった。彼がいた。笑いながら話をした。三杯目の後、家まで連れて行かれた。それから寝室へ。おもちゃのピストルで狙いをつけられた。子供のことのように。バン・バン! わたしは倒れこみ、彼は上から覆いかぶさった。
格段に文章力があり、安心して読めました。幼いころから想い続けていた兄の友だちとのしがらみ。邪険にされていた戦争ごっこのころ、再会して結ばれたころ、遊び歩かれている現在。いつでも背景にはナンシー・シナトラ「バン・バン!」が流れていました。
「死せる時」サノス・ドラグミス(Νεκροί χρόνοι,Θάνος Δράγουμης)★★★☆☆
――六人目の女。急ぎはしない。狂わんばかりの激怒は退ていた。最初の血が流れたのは闇が降りてから。今は真夜中近い。剃刀の刃が柔肌に当てられる。/デモ隊と治安部隊との衝突が起こっていた。惨劇そのものだった。/虐殺の現場を目にして浮かんだ考えを利用しながら、個人的な問題を処理した。わたしは祖国に帰ってきたことを後悔していない。六年前はお金もなかったし、探偵事務所の依頼人もいなかった。わたしは周りを確かめてから、広場の穴蔵に横たわる女の死体を調べた。「警察暴力の犠牲者がまたひとり……そういうこと……」十字架に気づいて持ち去った。/新聞社に連絡して事務所に戻る。やりきれない。ソフィのことが胸に刺さったまま。七月六日だった。彼女が殺された日。今日と同じ日付。
恋人を死に追いやった者たちへの復讐者としてのシリアルキラー。詳細が徐々に明らかになってゆくなか、復讐に疲れている復讐者の雰囲気がよく出ていました。
「善良な人間」アシナ・カクリ(Ένα καλό ανθρωπάκι,Αθηνά Κακούρη)★★☆☆☆
――ディモスは怒りで目が覚めた。何をすべきか、どうやるべきかもわかっている。……最初は裕福な住民が惨たらしい焼死体で発見された。翌日、別の死体が同じように手ひどく焼かれているのが見つかった。都市計画課の役人だった。五日目になって有名な企業家の死体が出た。胸にとめられた紙片には、「森は復讐する」とあった。
クライム・ノヴェルと呼ぶにはあっさりした書きぶりであるうえに、それぞれの正義を善良と呼ぶのもありがちです。
「さよなら、スーラ。または美しき始まりは殺しで終わる」コスタス・Th・カルフォプロス(Γεια σου, Σούλα, ή Ό,τι αρχίζει ωραίο τελειώνει με φόνο,Κώστας Θ. Καλφόπουλος)★★☆☆☆
――スーラを愛していたよ。とても。とってもね。スーラと出会ったのは街角の売店だ。偶然だった。「あの娘誰だい?」と聞くと、キオスクの店主は教えてくれた。次に会ったときは向こうからやって来た。スーラが店に現れたんだ。いとこのタキスがタクシードライバーをやっていて、メーターに問題があるらしい。数日後、彼女はまた来た。だがいとこが一緒だった。馬面の男で、タフでそっちの世界の住人に見えた。
雰囲気だけなら過去への感傷に満ちていますが、その実ひとりよがりなダメ男のダメ人生が綴られるだけです。自分に酔っている一人称だからこそ成立する話ではあります。
「無益な殺人未遂への想像上の反響」イエロニモス・リカリス(Η φαντασιακή αντανάκλαση μιας αχρείαστης απόπειρας φόνου,Ιερώνυμος Λύκαρης)★☆☆☆☆
――遅まきながら知った。『ギリシャの犯罪4』が届いたとき、わたしは旅に出ていたのだ。アンデオス・フリソストミディスの序文の告白を読んだときの気持ちは、どう言えばよかろう。わたしの短編をシリーズに収めようとする出版者カスタニオティスの執念は二人の間に緊張を引き起こし、激しいことばの応酬となった。気づいたらカスタニオティスが床に倒れていた。本人は殺人場面をこんな風に書いている。
知らない人たちの身内ネタをやられても……。
「三人の騎士」ペトロス・マルカリス(Οι Τρεις Καμπαλέρος,Πέτρος Μάρκαρης)★★★☆☆
――プラトンは寝床から少し離れた通りの角で物乞いをしていた。ソクラテスとペリクレスはゴミ箱あさりだった。周辺のゴミ箱には決して手をつけなかった。その区域は移民のゴミ箱あさりの縄張りだった。開拓されていない土地を探しに、遠征に出ることにした。「物乞いを始めてみろ」とプラトンは助言したが、ペリクレスが説明した。「キプセリで会った男が、ゴミのパンパがどこにあるか教えてくれたんだ」「オリンピック施設跡にでっかいゴミ置き場があるそうだ」とソクラテスが付け加えた。結果を聞こうと期待していたのだが、二人は夜になっても帰らなかった。
哲学者の名を持つ一人の物乞いと二人のゴミ箱あさりというキャラクターがユニークな、社会派ミステリです。縄張り争いも単純なものではなく移民問題が絡んで来るのが現代ギリシャのようです。そんなホームレス殺しの動機は、安っぽいサイコパスみたいなものでした。物乞いがギリシャの象徴というのは古代の哲学者か何かに由来するのかと思ったのですが、そうではなく数年前の財政破綻を差すようで、いずれにしてもピンと来ません。
「双子素数」テフクロス・ミハイリディス(Δίδυμοι πρώτοι,Τεύκρος Μιχαηλίδης)★★★☆☆
――オルガは同僚の警部補のデスクから新聞を取った。『全国民の悲嘆、メーシ非業の死』。やっぱり! アルキスとソマス! 双子の兄弟だ。子供の頃近所に住んでいた旧い友達。兄のソマスは数学の道に進み、大学を最優秀で卒業するとアメリカに渡った。一方のアルキスはサッカーの虫で、今では二十七歳にして十年間王座に君臨する《ケラヴノス》の不動のセンター・フォワードになっている。アルキス・メシメリスは、ファンからは短くメーシと呼ばれていた。今シーズン最後の試合、優勝を確実にしていた《ケラヴノス》と最下位が決定していた《シエラ》戦は予想とは違って淡々と進み、終了間際にゆるいシュートで《シエラ》が勝ち越した。それで試合が終わるかと思われた瞬間、メーシが同点ゴールを決めたのだ。検死の結果、メーシは拷問されていた。
事件の構図が見え見えなうえに、結末も安易で型通りですが、文章も読みやすいしキャラクターも魅力的な王道の警察小説です。女性蔑視や無理解な上司と戦うオルガも、主人公らしい主人公でした。
「冷蔵庫」コスタス・ムズラキス(Ψυγείο,Κώστας Μουζουράκης)★★☆☆☆
――猟師は空き地の中央の死体に目を向ける。八十を超えた老人の死体。胸には黒く乾いた血の大きなしみ。砕かれた両膝にも二つのしみ。「伯父さんかい?」という検死官の問いに、猟師はうなずく。「至近距離から撃たれている」「相手をじっとさせておいて膝を撃ち、その後別の膝にも撃ちこむなんて、どうやって?」「明日の朝には証言をしに署に寄ってほしい」という警部の言葉に、猟師は犬を連れて森外れの住まいに向かった。女が竈の前で何かを焼いている。「見つけたよ」「それで?」娘は突然振り向いて彼を見る。「いろいろと出てくるだろう。明日は葬儀だ」「出たくない。病気だって言ってよ」
父親の復讐であるというのを強調するために敢えて「娘」と表現しているのでしょうか、三十過ぎの女性のことを「娘」と書いているので、最初は猟師の妻ではなく娘なのかと思いつつ、親子にしては十五歳差は変なので妻の連れ子かな?――などと、どうでもいいことが気になって混乱しました。猟師や警部や老人や父と子など、地の文では徹底して役割で呼称されているようです。決して特別な話ではない、ということでしょうか? 現代を舞台にした小説で「拷問担当」という言葉が出るところに、1974年まで軍事政権だったギリシャを感じます。
「《ボス》の警護」ヒルダ・パパディミトリウ(Ο φύλακας του Αφεντικού,Χίλντα Παπαδημητρίου)★☆☆☆☆
――ハリス・ニコロプロスは《人命・財産に関する犯罪捜査課》の副主任だった。ミステリ小説のマニアで、ビートルズの信者だった。親しい同僚は四十代の未婚の母マリタ・セルヴダキ警部と、二人の若い警部補――アニメキャラを思わせるパラスケヴァスと、海水パンツのモデルのようなニコディモス。七月初め、オフィスで受けた命令は思いも寄らぬものだった。ブルース・スプリングスティーンを個人的に警護せよというのだ。どこかのサイコパスが《ボス》と呼ばれるこの歌手とことを構えようとしている。「代償を払う時は来た」と最初のメール数通には書かれていた。
架空のスターではなく、なぜかブルース・スプリングスティーンが起用されています。警察を絡ませていなければ、或いは村の音楽祭くらいの規模であれば可愛げのある話なのですが、大スターとシリーズキャラクターを共演させたがために子供騙しみたいな話になっていました。
「死への願い」マルレナ・ポリトプル(Θανάσιμη ελπίδα,Μαρλένα Πολιτοπούλου)★★★☆☆
――交通課の案件にペリクレス・ヤジョグルが出張ってきたのは、保険会社で働いているまたいとこが助けを求めてきたからだった。「五十五歳の女が運転する車が路地から出てきた。一時停止していたし、スピードは出していなかった。分離帯の前を過ぎてすぐ、左から来たバイクと衝突した。四十代の男が乗っていた。夕暮れで視界は悪いし、この木のせいでバイクが見えなかった。男は材木の山に突っ込んで即死だった」親友である設計士パヴロスは、またいとこのペトリュスに事情を聞きに行った。男は無職で、保険には入っていなかった。やはり職なしの妻と、幼い子供が一人いる。車を運転していた女からは薬物反応は出ていない。
ただの交通事故かと思われた出来事から、現在のギリシャの社会問題が浮き彫りになるという、社会派警察小説でした。一応はシリーズもののようですが、シリーズキャラクターよりも社会の方に焦点が当てられているように感じます。
「死ぬまで愛す――ある愛の物語の一コマ――」ヤニス・ランゴス(Σ' αγαπώ μέχρι θανάτου (Στιγμιότυπα από μια ερωτική ιστορία),Γιάννης Ράγκος)★★☆☆☆
――五十がらみの女は武器を目の前にしていた。シグ・ザウエル九ミリだ。冷たい銃口が額に当てられ、ひやりと感じる。男はアドレナリンのため凶悪な形相をしていた。二人の間には宝石類が収められたショーケースがあった。「声を出さなきゃ、大丈夫だ!」こういう場合にまっとうに思考できる可能性はほぼなく、自然の衝動が前面に出てきた。「助けて! どろぼう!」男はすぐさま反応し引き金を引いた。弾丸が女の頭をつらぬいて後頭部から飛び出した。武器を持つ男は表通りに出た。数メートル歩いたところで中年の男にぶち当たり、武器で殴られた中年の男が声をあげるのを、ピストルで狙いをつけた……。/……去年の春、貧相なバーで職をみつけた。そこであの人に出会ったのだ……。
現実の犯罪者もこのくらい頭の悪い人たちなんだろうなあ……と思うくらいに、フィクションとしては噓くさいほどに悪い方へと突っ走り続けます。女が不治の病に罹っていたのは男にとってはラッキーで、死によって愛を閉じることが出来ました。ここまで来るとほとんどギャグみたいな、ノンストップ・ノワールです。
「ゲーテ・インスティトゥートの死」フィリポス・フィリプ(Θάνατος στο Ινστιτούτο Γκαίτε,Φίλιππος Φιλίππου)★☆☆☆☆
――わたしとクリトンとフォティスは旧友だった。三人とも独り身で、無職だった。集まったのは窮状を打開するためだった。クリトンの同級生ノタラスが新聞社を設立しようとしていて、スタッフの編成を引き受けていた。ノタラスの女房クセニアが雇用方面の責任者だった。わたしたちは事務所でノタラスやクセニアと会い、熱烈な調子で別れた。うまくいったということだ。突然、若い女が現れた。「エルヴィラ! 偶然だね」「ごぶさた、クリトン!」クラクラするようないい女だった。夫とは別居中で、ギリシャの新聞社かテレビ局での職を望んでいるらしい。エルヴィラも新聞社に入ることになった。クセニアはエルヴィラに冷淡だった。役立つ人材かどうかはかりかねていたのだろう。だがクリトンは、「女の心理戦だよ」と謎めいた微笑を向けた。七時半。ひどいことになった。フォティスが死んだ。
なんだかすごくどうでもいい話と人間模様なのですが、誰かが誰かを殺したいと思うほどには登場人物に情緒はあるようです。昭和の経済小説みたいなしょーもなさしか感じませんでした。
「解説」橘孝司
各篇の作者と作品に対する紹介と、「ギリシャ・ミステリ小史」なる小文から成ります。解説者はわかりやすく紹介しているつもりなのでしょうが、勝手につけるキャッチコピーがうるさくて逆効果でした。「小史」の方も簡潔すぎて、歴史の流れや傾向もざっくりしていて、紹介されている作家たちにもまったく魅力を感じられません。
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