『天使』須永朝彦(国書刊行会)
2010年刊行の須永朝彦自選集。
基本的にはスターシステムとでも言えばいいのか、吸血鬼、天使、美青年、金髪碧眼、同性愛etc.といった要素を持つ者たちが入れ替わり立ち替わり登場し、なかにはR公爵や爵《ジャック》といった同名を持つキャラクターも存在します。それはもはやほとんどコスプレやコントの如き様相を示し、出てくるだけで「ジャジャーン」という効果音が聞こえてきそうなほどです。帯で三浦しをん氏が言う「ユーモア」や解説で千野帽子氏が言う「チープさ」とはそういうことを言うのではないのだろうと思うものの、ついつい可笑しくて吹き出してしまいます。コントと呼ぶのは不適当にしても、出てくる者たちみんなが、無声映画の大げさな演技をしている感じです。つまりは言うなれば無声映画の世界に入り込めるのかどうか――が楽しめるポイントになりそうです。
「契 Der Vertag」(1970)★★☆☆☆
――また秋の月が満ちる。例年のごとく、私は新聞広告を出した。『ピアノを弾ける17~22歳の男性でチェンバロに興味のある方』。応募者の中から、頸筋の華奢な者二名を残し、最後は指の美しさで決めた。七曜はすみやかに過ぎ、満月の夜が廻って来た。若者がチェンバロを弾き出した。やがて正盛の青年たちが次々と訪れた。廿歳前後の美しい若者ばかり、全員が黒衣を纏うている。
葛原妙子「わが額に月差す 死にし弟よ……」を巻頭詩に、バッハ「最愛の兄の旅立ちに寄せるカプリッチョ」を「弟」に差し替え、血を吸われて吸血鬼化した犠牲者を子ではなく弟と称すなど、葛原妙子の歌に寄せて弟づくしに彩られています。しかし太古から生きてきた吸血鬼ならともかく、たかだか吸血鬼歴十二年の若輩者がことさらに耶蘇《イエス》を引き合いにして洒落のめすは恰好悪いと感じてしまいました。
「天使Ⅰ」(1971)☆☆☆☆☆
――お前と私と、見事に老残を曝す私の乳母と、この広い館で三人暮らしを始めてから何年になるだろう。たしか三年前の晩秋に、お前は現れたのだ。爾来、私の淫蕩はぴたりと鎮まり、今は朧ろげながらもエロスのまことの相を識りつつあるのだろう。お前は十八という年齢を教えてくれただけで、過去はもとより姓名さえ明かさず、私は勝手に爵《ジャック》と呼んでいる。
爵《ジャック》はキツイなあ。
「ぬばたまの Die Finsternis」(1970)★★★★☆
――かつてありえた世界の太初のように、あるいはこののちきたるべき世界の終末のごとく美しい夕焼であった。山は新緑の息吹に覆われ、処々に炎の色を見せた鬼躑躅や若い男の直衣の染色を思い出させる山藤などが花をつけている筈だが、既に暮色が漂いはじめ、その色彩もさだかではない。今朝、滝壺近くの淵に若い男の溺死体が二つ上がった。滝のあたりまで迷い込んで来る者はほとんどいない。館にたどり着いた二人の若者は彼女の風体に気を呑まれ、深更に女が訪うて来たのを、二人は断った。昨夜半、二人が館を逃れ出てから、彼女はずっと同じ姿勢で横坐している。百年に一人か二人、男が迷い込んで来て、彼女の美貌を明日に在らしめるための糧となって朽ちていった。
色彩鮮やかな凝った美文、古風な和の吸血鬼(とは明言されてませんが)――と盛り上げたところで、雨月物語も泉鏡花もストーカーもレ・ファニュも知らない現代の若者を「痴人《しれびと》かと疑ってみた」と笑いをしのばせるところに洒落が効いています。
「天使Ⅱ」(1971)★☆☆☆☆
――右の肩に何かがぶつかり、百合男は目を醒ました。薔薇子は昨夜のうちに確か帰った筈なのに……。寝台の端に目を遣って、百合男は仰天した。そこには、翼を持った人間がうつぶせに寝ていた。天使が目を醒まし起き上がった。天使は男だった。十七、八歳に見え、肌は皓く、その肢体は彫像を思わせる。美しい声音を発したが、人間の言語には程遠い。夕食で天使が口にしたのは生の牛肉と萵苣と和蘭芹だけ。その夜、百合男が寝返りをうった時、天使が覆いかぶさってきた。薔薇子の夜とは比較にならぬ激しい陶酔を知らされた。
恐らく著者にとっては血を吸う美しい化け物が吸血鬼であり、翼のある美しい化け物が天使なのでしょう。百合男と薔薇子というネーミングがキツイですが、天使にタイツを履かせる描写があるあたりを鑑みれば、どうもすべて計算ずくのギャグのようではあります。
「R公の綴織画 Die Tapisserie des Herzogs von R.」(1971)★★☆☆☆
――広間の壁間を占める綴織画《タピスリー》には、王子と騎士の友情が織り出されていた。王子の唇は騎士の頸筋に触れ、鳶色の髪の騎士は恍とした表情を見せている。ヘムルートは十八歳の時、初めてこの博物館を訪れ、以来しげしげと訪れるようになった。R公爵の城館は十七世紀の相をそのままにとどめ、博物館となっていた。ヘムルートが王子と騎士の綴織画の前で小半日を過ごすようになってから三年近く経っていた。
これだけ読むと絵画怪談のようですが、「神聖羅馬帝国」でR公自身が夜の国の住人になろうとしていたことを併せると、ただのR公の犠牲者のようでもあります。
「天使Ⅲ」(1974)★☆☆☆☆
――彼はむかし、まだ女の子よりもずっと肌目のこまかい皮膚を有っていた頃、一度だけ天使に遇ったことがある。憧憬のみが残され、彼は偏えに天使の姿形を、信仰にも似た念いで愛した。そして一方ではバットマンにいたく惹きつけられた。それは肉の慾望と親しいものであった。華水橋近くの煙草屋に、時々天使が現れるという話を彼は耳にした。
これまですべて、天使がただの変態にしか見えない。。。
「就眠儀式 Einschlaf-Zauber」(1970)★★★☆☆
――「鳥兜、闘牛、熟睡《うまい》、インヘルノ、呪い、畏怖、笛、エヴァ、ヴァムパイア……」闇の中に仰臥して胸の上で組んだ指の感覚が緩やかに喪われ、呪文は途絶えた。――藍とも縹ともつかぬ空に弓張の月が懸かり、私は何処とも知れぬ曠野に迷い込んでいた。かすかな楽の音。「ああ、チェンバロ……」と思い至った時、霧は晴れて、眼前に忽然と東欧風の屋敷が顕れ、金髪碧眼の青年が見下ろしていた。「路に迷ってしまったのです」「ここはトランシルヴァニア……」
就眠儀式のしりとりと、夢から夢への転調という構成により、珍しく耽美譚ではなく怪異譚と呼べそうな仕上がりになっていました。トランシルヴァニアというガジェットをお手軽に使ってしまうようなところが、著者の作品に乗り切れない一因です。「ぬばたまの」には和製吸血鬼を登場させていたのだから、出来合の道具立てに頼らなくともよいと思うのですが。「真紅の闇」とは実際どういう色なのかと問われると困りますが、これしかないという表現でした。
「木犀館殺人事件」(1971)★★★☆☆
――私は今朝、弟を毒殺した。弟は私の乳房を、いや乳房に咲いた血紅色の罌粟の花を視てしまったのだ。昨夜、湯あがりの身体の熱りを鎮めていた時、三面鏡の一翼に弟の貌が写ったのを見逃さなかった。誰も知らぬ秘事を知ったからには、活かしてはおけぬ。私は知らなかったのだ……、弟の腿の付け根に百合の蕾が生えていたことを。すべて、あの庭師のせいだ。両親が亡くなってから私たちは姉弟二人きりで、この広い館に棲んでいた。荒れた庭が見苦しくなって、庭師を呼んだ。やって来たのは、父の代に出入りしていた庭師の息子だった。庭は一変してしまった。
冒頭の文章は魅力的で引き込まれます。文章の美しさ端正さで言えば「ぬばたまの」と双璧です。ですが、「天使Ⅱ」の「薔薇色の果実」も譬喩としてどうかと思いましたが、おタンビーなひとはどうして乳首と股間に花を咲かせようとするのでしょうか。ギャグなのか美意識のつもりなのかすらわからないから困ります。この作品をはじめとして、ドイツ語の副題がついていない作品が何篇かありますが、副題の有無の基準は不明です。
「神聖羅馬帝国 Das heilige romische Reich deutsche Nationen」(1974)★★☆☆☆
――アルプレヒト・フォン・R公爵は、加爾伯《カルパチア》から遠すぎる上に帝政崩壊以来の混乱が収まらぬ維納を避けて、ブダペストのホテルに部屋をとった。五人の青年は約束よりも早く現れた。公爵からの書簡を受け取り、かつての墺太利《オーストリア》・匈牙利《ハンガリー》帝国内の旧領地からやって来たのである。アルプレヒトは第一次大戦中、答郎悉法尼《トランシルヴァニア》地方を旅行した折に、偶然クロロック公の秘密を知り、魔術師との交渉が始まったのだった。千年王国の滅亡を宥すことは出来ない。まずはアルプレヒトと五人の青年が夜の国の住人となる。彼らの肉体は間もなく永遠に衰えることをやめるのだ。
マシスン「血の末裔」あたりへのオマージュなのか、「彼」が颯爽と登場して幕が下りますが、読んでいるわたしとしてはぽかんと取り残されてしまいました。
「花刑」(1971)★☆☆☆☆
――若しも、背くようなことを仕出かした時は、どんな罰でも受けます――はじめに、お前は、そう言ったのだ。お前は、やはり傲慢な美しい若者だった。最初に流した泪など、すぐに乾涸びた。二人の間に刑罰の必要が生じ、お前の身体には鞭の痕が増えていった。だが久しく気づかなかった。お前は私の留守中に悍馬のような男を咥えこみ、男の手には鞭が握られていた。私の刑罰はお前に悦楽を与えていたのだ。本当の刑罰が必要だ。四隅に甕を据えて海芋の花を投げ入れたのは、せめてもの思い遣り。床一面に黄変して強い香りを放つ忍冬と蔓薔薇を敷きつめた寝室に、一糸纏わぬお前を閉じ込めた。
巻頭に掲げられた勃牙利《ブルガリア》古詩「殊に愛にそむきたる者を百花とともに一房に密閉せり 暁いたる頃すなはち息絶えぬ」をなぞった物語ですが、この詩が本当にブルガリアに存在するのかどうか不明です。語り手が不実な相手を「とんだ敦盛草だ!」と罵倒しますが、敦盛草の花言葉が「移り気」であることに由来するようです。これもおタンビー全開の話。
「森の彼方の地 Transylvania」(1973)★★☆☆☆
――一面の砂原、その一隅に小さな町が在って、ヴァーミリオン・サンズのミニアチュールのようだと聞かされたのだが、来てみれば貧相なつまらぬ所だ。私は大学の講師として招かれてきた。私は旧くさい洋館を借りて館と呼ぶことにして、夕食は〈schwarz wald〉というレストランで摂ることにした。ハンサムな主人とはすぐ友達になった。/目鼻だちは異風だが悪くない。こんな町には不似合の趣味の良さだ。寝室に絶対女を入れない人種に間違いない。砂に騙されて来たというが、噓でもないらしい。この大学には彼のお眼鏡に適うような学生はいやしない。お気の毒なことだ。僕が――と言いたいところだが、僕にはもう兄さんがいることだし、そういうわけにもいかない。/珍しいことに客があり、私はその美しい若者を館に連れ帰り、爵《ジャック》と呼ぶことに決めた。
副題にも本文にもあるように、森の向こうにある異界を「森の彼方の地」の名を持つトランシルヴァニアと同定することで吸血鬼譚に仕立てたもの。してみれば語り手にこの町がヴァーミリオン・サンズのようだと嘘をついた醜い助教授とはヴァン・ヘルシング役であろうか。町の住人が死霊でもいい、愛しい者さえ無事であれば――という語り手の願いは、しかしながら著者の作品中の美青年は吸血鬼であるという当然の結末を以て迎えられます。本書のなかでは長めの作品ということもあって、罠に付着した古い血と新しい血という伏線から、左足を引きずる美青年というオチに繫がる、珍しく小説らしい小説でした。
「MON HOMME」(1971)☆☆☆☆☆
――僕は昨日まで彼の王子さまだった。天使であり、風信子《ヒアシンス》であった。けれど、僕自身は喇叭水仙《ナルシス》以外の何でもなかった。昨夜、彼は、はじめて僕を擁いた。/『恋の奴隷』が百万枚とか売れたって話、馬鹿莫迦しいったらありゃしない。ミスタンゲットの《MON HOMME》の五番煎じもいいところ。
シャンソン「Mon homme」に由来する作品ですが、評価不能です。
「蝙蝠男 BATMAN」(1974)☆☆☆☆☆
――ヘムルートの頭の中は、見世物小屋で見た蝙蝠男のことで一杯だった。ママは彼を叱りつけた。「馬鹿だね。みんな偽物なんだよ。夜になると背中の羽を外して、ただの人間に戻ってしまうのさ」。ママが何と言おうと彼は蝙蝠男が気に入って、毎日小屋に通った。もう我慢できない。その晩、ヘムルートは家を抜け出した。「お兄さん、逃げ出したいだろう……」「そりゃあそうさ。逃げ出せたらカルパチアの山へ帰るのさ」。
これまた「血の末裔」からの影響が窺える一篇です。しかし吸血鬼ならぬバットマンですから、いくら少年が真剣であろうとシリアスにはなり得ません。恩人を食べたくないから一緒には連れて行けないよ、というオチも含めてコメディタッチの作品でした。
「笛吹童子」(1971)
「光と影」(1971)
「エル・レリカリオ」(1971)
「LES LILAS――リラの憶い出」(1975)★★★★☆
――従妹のジャンヌの話を聞き終えたジャン・ド・フラノワは、すぐ大公の城に取って返し、ルイ・ド・モンテスキューを討たせてほしいと願い出たが、許されなかった。ルイは端麗な容姿を持ち、色好みの大公の寵愛を一身に鍾《あつ》めている。無二の親友であったが、今では親の仇敵なのだ。ルイはジャンヌとの結婚を望んでいたが、大公への遠慮から伯爵夫妻がそれを許そうとしないのを根に持って殺したのだろうか。翌日、ジャンは大公の許しを得ぬまま、マロニエの木蔭でルイを斬りつけた。臨終の際にルイは身の潔白を言い張った。ルイの容色に迷っていた伯爵夫妻、すなわちジャンの両親が、ジャンヌを交えてルイを奪い合った揚句、刺し違えたのだと。それは昔、リラの花咲く頃……。
ジャンとジャンヌとルイとルイザの登場する掌篇4篇で構成されています。これまで葛原妙子や式子内親王や前川左美雄ら実在の歌人の歌をエピグラフに掲げてありましたが、「三月のリラの旅荘《オテル》の宿帳にジャンはジャンヌとルイはルイザと」が読人不知とあるのはさすがに著者の創作であろうと思われます。
「樅の木の下で Unter der Tanne」(1974)
「ドナウ川の漣《さざなみ》」(1979)
「白鳥の湖の方へ」(1975)★★☆☆☆
――エリザベートは湖を眺めるのが好きでありました。フリッツは三つ年上の優しい青年で、エリザベートは秘かに愛しておりました。エリザベートには二つ違いの異母姉がいました。名をゾフィーと申します。新しく嫁いで来た継母は、ゾフィーにつらく当たりました。ゾフィーがエリザベートより美しい金髪を持ち、貌だちも綺麗であるのが継母の憎悪を募らせました。エリザベートはゾフィーが叱られるのを小気味よく思ったりしました。あとから反省するのでありましたが、ゾフィーは心を開こうとしません。十六歳の誕生日を迎えて間もなくエリザベートの時は止まり、ゾフィーは露台から湖を眺めるようになりました。フリッツと並んで。死後の世界とは白鳥たちが憩うあの湖水のごとき所ではあるまいか――生前の予感は当たり、エリザベートは今では白鳥と変って湖に棲んでいます。フリッツと仲睦まじいゾフィーが妬ましくて仕方ありません。
ここからの4篇は帯によれば「メルヘン」となります。飽くまで主役はゾフィーではなくエリザベートで、最初から最後までエリザベートの心境で綴られるのが通常の童話とは異なっていました。「スワン家の方へ」を連想させるタイトルですが、あまり関係はなさそうです。
「誘惑 a christmas story」(1974)
「銀毛狼皮《ぎんもうろうひ》」(1978)
「月光浴」(1974)★☆☆☆☆
――昔むかし、ババリアに王さまがおりました。お城にはたいそう珍しい動物が飼われておりました。掌に載ってしまうくらいの桃色の仔象や、仔犬ほどの緑色の馬。これらの動物は、ペルシャの商人が連れて来たものであります。ある日のこと、三ケ月ぶりでお城にやって来た商人は、緑色の小壜をとりだしました。「満月の夜、この壜を月に翳《かざ》しますと、霊液が月の光を吸収し、それを飲むと自分の希うとおりの動物の姿になれるのでございます。もちろん、元に戻る薬も用意してございます」
おおかたの予想通り、欲深い王家の者たちが珍しい動物に変じてしまって元に戻れなくなるという話でした。
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