『変愛小説集 日本作家編』岸本佐知子編(講談社)★★★★☆

 変愛小説集日本編――ですが、既存作品のアンソロジーではなく、書き下ろしなんですね……。文庫版には木下古栗の作品が収録されていません。
 

「形見」川上弘美 ★★★★★
 ――夫は今までに三回結婚している。わたしは二回。今までゆうに五十人は子供を育てたろうか。二百年前にできたこの町の工場では、食料を作っている。それから子供たちも。牛由来の子供もいれば、鯨由来の子供もいる。夫は妻たちの形見をちゃんととってある。箱に入っている形見は、どれも骨だ。

 トップバッターは川上弘美。この人の書くものは、どれも変愛に相応しい作品なので、ことさらテーマに沿った書き下ろしにこだわらずに読めて、トップバッターにうってつけだったと思います。人間が管理されて作られる未来で、川を下った男女に、古い時代の恋愛ひいてはアダムとイヴを見るのは、感傷的に過ぎる見方でしょうか。形見にこめた思いが「愛」だとは知っていたのでしょうか。
 

「韋駄天どこまでも」多和田葉子 ★★★★★
 ――生け花をしていて、花が妙なものに化けることがあるが、たとえばそれは草の冠が見えなくなってしまった時である。「化け花」はこわい。生け花教室に通ってくる束田十子という美しい女性がいた。東田一子はこの人のことがなんだか気になっていた。その日は仏滅だった。出口さんが「今日は自信があるの」と宣言する。一子はぎょっとして手をとめた。

 レーモン・ルーセルかウリポのような、漢字と同音語で展開してゆく物語は、漢字をやり取りするいっときの愛が終わると、別離を迎えますが、自分はかぐや姫ではない、だからちじょうで再会できる――という美しい決意が胸を打ちます。読んでいるとすべての文字に意味があるような気がして、あらゆる文章をゆるがせにはできなくなります。
 

「藁の夫」本谷有希子 ★★★☆☆
 ――トモ子の夫は藁でできている。トモ子が気に入ったのは、彼が明るく優しい藁だったことだ。BMWで公園から帰ると、トモ子はシートベルトを外して腰を上げた。〈どうしてそんな乱暴な外し方するの? 見な、凹んでる〉。夫の口にあたる辺りが震えている。藁の奥で、夫の中身が蠢いている。「ごめんなさい。わざとじゃないの」。〈気をつけますって先週約束したところじゃない〉

 ことば遊びといえばこちらももしかしたら発想の元は「藁の女」のもじりかもしれません。けれど内容はきわめてオーソドックス。ありふれた夫婦のやり取りに「藁」という譬喩を用いているだけです。
 

「トリプル」村田紗耶香 ★★★☆☆
 ――出かけるとき母に声をかけられた。「どこに行くの?」「デートだよ」「本当に、カップルなんでしょうね? 二人でデートするのね? 『トリプル』じゃないわよね?」「違うわよ」私は待ち合わせの場所に走り出した。私たち十代の間では、今、カップルよりトリプルで付き合っている子たちの方が多い。

 「多様な恋愛」という価値観自体が常識の枠内にはまっていて、恋愛小説としては面白いかもしれないけれど、変愛小説としてはつまらなかったです。
 

「ほくろ毛」吉田知子 ★★★★☆
 ――なんだか変。どこか変。その感じは前からあった。顎の下を手でさわってみた。やっぱりだ。そこのほくろに何年かに一度、肌色の毛が生える。彩乃は吉兆だと思って大事にしている。誰かに「恋」されている。今度は逃さない。相手が誰なのか知りたい。「私、この頃、誰かに監視されてるような気がして」と主任の河野さんに相談した。

 男の正体は○○だった――というのではなく、幸せありき、男ありき、なので、正体が何であれそれが男、カレになるのです。こういう思考回路の人、実際にいそうで、ちょっと怖くもありました。
 

「逆毛のトメ」深堀骨 ★★☆☆☆
 ――天才人形師だったゼペット爺さん(日本人)が吟遊詩人の依頼で仏蘭西人形を作ったが、天才的呑んだくれの気紛れが起きた。矢鱈と精巧なヴァギナを拵えてしまったのだ。一本一本植毛した金色の陰毛は、上に反り返ってしまった。膣内には螺旋状の鋭い鉄の針を仕込んで、コルク抜きにしてしまった。

 SFマガジンでも読んだことがあるのですが、この人のギャグはあまり好きではありません。首をねじ切るコルク抜き人形というスプラッタもといスラップスティックだけはちょっと爽快。
 

「天使たちの野合」木下古栗 ★★★★★
 ――山中は駅前広場のベンチに腰かけると、菓子パンを食べはじめた。少し離れたところに突っ立った女が、「あの、もしかして○○○○さんじゃありませんか?」。いや、違います、と首を振ってみせた。ほどなく一人の男が親しげな顔つきで山中に近づいてきた。「何階?」「四階、だったかな」「森永は?」「少し遅れるって」先に着いていた米山は、トイレにでも行ったのか、席には見えない。

 女の謎めいた行動や男たちの馬鹿話で惹きつけておきながら、そんなものすべてを無効化するようなあり得ない出来事は、なまなかな作家が書いたなら不条理ぶっていると感じかねないところです。前後の辻褄、文体、空気、すべてが一変し、はじめ読んでいて何が起こったのかわかりませんでした。
 

「カウンターイルミネーション」安藤桃子 ★★★★☆
 ――私は未知の部族に出会うまで水面をさまよい続けた。獣の頭蓋骨がいくつも埋め込まれた家の青年が、鶏の首をかっ切り、自分の額から鼻にかけて血でなぞる。再び指を濡らし、私の額にも線を引く。その娘は村の外れにぽつりと建つ小屋に住んでいた。深夜、ドラムが響きはじめると、私は娘の元を訪れ、深く果てしない夜を繰り返した。

 ある意味もっともオーソドックスな幻想小説でした。生贄の血、生理の血、処刑の血……夜の闇と灼熱の太陽……原初のパワーがみなぎっていました。
 

「椅子の上から世界は何度だって生まれ変わる」吉田篤弘 ★★★★☆
 ――「夜の箱」を売り歩く男は、その箱は「お前さんの死だ」と言った。その箱は驚くばかりに軽かった。おれの箱には「死」などはいっていなかったのかもしれない。二十五時の美術館で死に絶えた電球を交換していると、「何をしているんですか」という女の声が聞こえた。「命が尽きた電球を交換しているんだ」「お医者さんだったら、わたしの病気も治していただけますか」

 お馴染みクラフト・エヴィング商會の片割れです。「夜の箱」売りや「電球交換士」といった謎めくも魅力的な職業が登場します。「ヤブ」という名の医者がいる世界であれば、「扉」という名の男はどうしたって別世界へと開く扉なのでしょう。扉が開いた額縁だけの展覧会に、「おれ」や「彼女」の絵を見るのは出来すぎという気もしますが、それだけ誘惑に満ちた世界でした。
 

「男鹿」小池昌代 ★★★★★
 ――わたしはずっと、あわない靴を履いてきた。この世に、あう靴はない、と考えていた。結婚していたとき、ヴェネツィア靴屋で見つけた靴は、驚くほどぴったりだった。離婚してからは外国に行くこともなくなってしまった。あの日、デパートの靴売り場をうろついていた。山羊の目をした店員が、お客様の足は細いです、といきなり言う。押し付けがましくはない。

 変愛の対象は「靴」と「足」ということになるのでしょうか。足と靴を愛する男と自分の足と靴を嫌いな女が出会ったとき……理屈などまるでないのに、二人の求めるものはこれだったのか、と思わず納得してしまう結末でした。
 

「クエルボ」星野智幸 ★★★★★
 ――長身の青年に、その白い犬は引かれていた。私の手前まで来たところで、白犬は立ち止まり、身を縮こまらせた。スマートフォンを見ていた青年は犬の排便に気づくのが遅れ、「あ」とつぶやいてうっかりリードを離してしまう。手を離れるやしゅるしゅるっと巻き取られ、無防備な肛門をぴしゃっと打ちつけた。私は声を出さずに笑うのが苦しく、あさってのほうを向いた。

 散歩中に目に入ったものを順繰りに記してゆくような当たり前のような描写が、時系列でも意識の流れでもなく「興味ありき」で進んでいくようで、むしろ面白いと感じました。便秘と糞に導かれて出会ったカラスに、自由の象徴を見るのでも何でもなく、単なるカラスとして、憧れとも仲間意識とも違う共有感覚を抱いてしまう人生なんて、悲しいような、うらやましいような……?
 

「ニューヨーク、ニューヨーク」津島祐子 ★★★★☆
 ――ニューヨークのことならなんでもわたしに聞いて。それがトヨ子の口癖だった、というのだ。男は思わず、その話を伝えてくれた息子の薫に、それ、ほんとなのか?と聞き返した。トヨ子は男と別れたあと、アメリカの大手の銀行に移った。もしかしたら、トヨ子の大柄な外見がアメリカで好感を持たれたのかもしれない。

 正直なところ、これほど「ニューヨーク」という言葉も似合わない人間もいないのではないか、と思うほど、文章から伝わってくるトヨ子は日本の普通のおばさんです。逆に言えば、普通のおばさんをこれほど魅力的に描けるのはすごいことだと思います。

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