「モンキー療法」(The Monkey Treatment,Geroge R. R. Martin,1983)★★★★☆
――ケニーは太った男だった。ある日、レストランでヘンリーを見かけた。この前会ったとき、ふたりとも減量クラブの会員だった。だがとなりにいるのは痩せさらばえた男だ。
寄生怪物の話。ダイエットを目指すおでぶちゃんが主人公なので、食べられない怒りなんかが先立って、意外とぎりぎりまで本人には緊迫感がないのがもどかしい。フラグ立ちっぱなしなのに、立っていることに気づいている本人が知らんぷり。
「思い出のメロディー」(Remembering Melody,1981)★★★☆☆
――ブザーが鳴った。ドアを開ける。「やあ、メロディー」「はい、テッド」彼女には、頼る者もいないのだ。だが、トラブルに巻き込まれるのはご免だ。
なぜか石原真理子を思い出して困った。電報が二年前だとすると、なぜ今ごろ? そんなところも迷惑ものか。
「子供たちの肖像」(Portraits of His Childeren,1985)★★★★★
――リチャード・キャントリングは玄関ドアに立てかけられている包みを見つけた。絵画にまちがいない。まぎれもなくミッチェルのもの。後悔しているにちがいない。……じつにしおらしい。だが包みから出てきたのは、ミッチェルがずたずたにした肖像画を描き直したものではなく、キャントリングの作品の登場人物の顔だった。
どこまでが現実なのでしょう? メロディーと同様に、他者との関係性に決定的に何かが欠けている作家が主人公。ここまで来るとむしろこの作家の存在がホラーです。
「終業時間」(Closing Time,1982)★★★★★
――世界は不景気な火曜の夜に終わった。ドアが勢いよく開き、ミルトンがはいってきた。「やつはどこだ? あいつはおれをペテンにかけやがった」
怪しすぎる魔法のアイテムをきっかけに、思いも寄らない結末が待ち受けていました。
「洋梨形の男」(The Pear-Shaped Man,1987)★★★★☆
――ぶよぶよの肉と濡れた唇、腐ったにおい、蛆の這う肌に小さな青い目。地下に潜む悪夢のような〈洋梨形の男〉に、女は徐々に追いつめられていき……ぼくのものをぜんぶあげる。(帯惹句より)
うわあ。気持ち悪すぎて好きになれない。本人の妄想なのか現実なのかわからない――というパターンならよくあるけれど、本篇の場合だと(妄想だとしても)妄想に入るきっかけがないので、洋梨形の男は初めっからほとんど怪物として登場していて、いっそう不気味です。
「成立しないヴァリエーション」(Unsound Variation,1982)★★★★★
――ピーターたちのチェス・チームはあと一歩で史上最大の番狂わせを演じられたんだ。問題の局面で、バニッシュのやつが臆病風に吹かれた。攻撃するかわりに弱々しい受けの手を指した……。十年後、事業で成功し大金持ちになっていたバニッシュから、ピーターたちは招待を受けた。
執念深すぎる復讐者も復讐者なら、あからさまな挑戦を受けて立つ方も受けて立つ方だと、いまいち話に乗り切れなかったのですが、ピーターの奥さんが作中でも作品のうえでもツッコミ役になっていてバランスを取ってくれています。タイム・パラドックス(でいいのかな?)を扱った、しっかり時間SFでした。それにしても変な人ばっかり登場します、この人の作品は。
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