『ガール・イン・ザ・ダーク 少女のためのゴシック文学館』高原英理編著(講談社)★★★☆☆

『ガール・イン・ザ・ダーク 少女のためのゴシック文学館』高原英理編著(講談社

 長年にわたってゴシック関連の仕事をしてきた著者の、ゴシック文学アンソロジー
 

「獣」モーリーン・F・マクヒュー/岸本佐知子(The Beast,Maureen F. McHugh,1992)★★★★☆
 ――わたしは十三歳だった。父とわたしはミサに行くところだった。気恥ずかしくてただ普通に歩くことしかできなかったが、もういちど七歳に戻って守られたかった。わたしは教会に入って祈った。観覧席の下の空間は暗く謎めいていた。モップ、雑巾、燭台。何かがかさりと鳴った。もしかしたら暗がりの中に誰かいるのかもしれない。わたしが父に「犬かな?」と言うと、父はやっと振り返ってそちらを見た。

 2014年刊行のアンソロジー『変愛小説集』収録作ですが、編者によればこの作品が本書を編むきっかけだということで、本書にも収録されています。子どもの不安や空想が実体を持つというのは一つの表現技法であり、不安が確かに子どもに影響を与えるという意味では、実体であれ空想であれ変わりはありません。そうした不安から父親に守られながらも、その父親にも怪しさを感じてしまうのは、冒頭でも描かれた十三歳という少女の年齢ゆえなのでしょう。
 

「トゲのある花束」立原えりか(1966)★★★★☆
 ――その日はわたくし、音楽会に出かける予定でした。楽しみにしていたのです。心をゆさぶる弦楽器のひびきと、トリカブトをためしてみることができるので……。すりつぶしたトリカブトを栗のイガにぬりつけるのです。その夜のわたくしは胸をおどらせていました。花束をあげる人は決まっていましたけれど、栗のイガはだれに捧げようかと……。

 昏い愉しみに耽る少女という、ゴシックというイメージを体現したかのような内容です。今ならメンヘラとか腐女子とか噓松とか言われそうな臭い内容ながら、てらいのない上品な抑制された文章がそれらとは一線を画しています。
 

「サイゴノ空」川口晴美(2009)★★★☆☆
 ――最後に見る空はせめてきれいな青ならいいのにと/思ったけれど……//……どうしてわたしはこんなふうに死んでゆくのだろう/どうして殺されなければならなかったのだろう/まだほんの少ししかこの世界に生きていないのに/……

 死にゆくものの独白は内省的で観念的になりがちだと思うのですが、見上げる光景が鮮やかに浮かび上がるように映像的でもありました。
 

「想ひ出すなよ」皆川博子(2003)★★★★☆
 ――土建屋の姓は谷といった。谷にはわたしと同い年の女の子がいた。祥子とは毎朝誘いあって登校した。誘いあう級友はほかに二人いた。父親が士族で軍人という宮子と、父親がおらず母親が産婆で生計を立てていた冬美だ。わたしは冬美に好意を持ち、宮子を徹底的に嫌い、祥子を見下していた。あるとき祥子を遊びに誘いに行くと、十六、七の若い女がいた。祥子の従姉だというエダの離れで、わたしは本を読むのが楽しみになった。

 濃密な文章で語る語り手に鬱陶しさを感じるにも関わらず、語り手が嫌いと明言している宮子が本当にウザくて余計なことしかしないので、嫌いになるのも仕方ないかなと感情移入してしまう凄さがあります。そのせいで悲劇にすらもカタルシスを感じました。
 

「ふしぎなマリー」保富康午作詞(196x)
 ――マリーはふしぎな女の子/学校がえりのみちばたで/黒猫かかえたおばさんに/まほうの呪文をおそわった//……//どの子もホーキにとびのって/学校逃げだしスタコラサ//……//マリーはさびしく ひとりぼち//……

 昭和40年代のテレビ番組で流れていた子ども向けの歌より。解説を読んでようやくポイントがわかりましたが、解説を読んでも「マギカ」を観てないのでやっぱりわかりませんでした。
 

「魔法人形(抄)」江戸川乱歩(1957)
 ――六年生のミドリちゃんと五年生のルミちゃんが公園にいくと、ベンチにおじいさんと五つくらいのかわいい男の子がこしかけています。自己紹介がおわって握手したところ、坊やの手は木でできているように動きません。「ハハハ……やっとわかったね。この坊やは人形なんだよ」「ああ、わかった。おじいさんは腹話術師なのね」ルミちゃんはもっと人形とお話したくて、とうとうおじいさんの家へいってみることになりました。

 探偵小説的な解決が明らかにされず人形が人形のままだったら――という願望を実現させるための抄録だそうです。
 

「緑の焰」左川ちか(1931)★★★★☆
 ――私は最初に見る 賑やかに近づいて来る彼らを 緑の階段をいくつも降りて 其処を通つて……森林地帯は濃い水液が溢れてかきまぜることが出来ない 髪の毛の短い落葉松 ていねいにペンキを塗る蝸牛 蜘蛛は霧のやうに電線を張つてゐる……

 緑の終末。大海赫『ビビを見た!』やJ・G・バラード作品のような、静かで美しい世界です。
 

「不死」川端康成(1963)★★★☆☆
 ――老人と若い娘が歩いてゐた。少し行くと高い金網が立つてゐた。恋人たちは金網も目につかぬやうだ。立ちどまりもしないで、ふうつと金網を通り抜けた。「まあ? 新太郎さんもお通りになれたの?」

 『掌の小説』より。耳が聞こえないからこそ、死者の声を聞いて会話できるのでしょう。
 

「青ネクタイ」夢野久作(1932)★★★☆☆
 ――ホホホホホ……女学校を出てからお土蔵に閉じ込められてたの。乳母がお人形さんを持って来てくれた時の嬉しかったこと……。お土蔵の鼠がお人形さんのお腹を喰い破っちゃったの。中から四角い新聞紙の切れ端が出て来て、読んだらビックリしちゃった。……彼女は遂に発狂して、叔父の家の倉庫の二階に監禁さるるに到った。ここに於て彼女を愛していた名探偵青ネクタイ氏は憤然として起ち……あのお人形さんは本当の事を教えに来てくれた天使だったのよ。

 これもまたよくある話ではありますが、「ホホホホホホ……」という擬音の使い方だけで一目で夢野だとわかります。
 

「うたう百物語(抄)」佐藤弓生(2012)★★★★☆
 ――女の子は誰でも、自分のための首を持っている。首飾りを買ったり編んだりするのはそのためだ。どんな首飾りの上にも、美しい首は載っている。

 歌人の短歌1首に著者の掌篇を加えたアンソロジー。「静かなる首飾り……」の歌も著者の掌篇も、どちらも首よりも首飾りが主であることで異様な効果が生まれています。「風吹けば薔薇園の……」に添えた掌篇はアリス物語を引用したことで図らずもより少女らしさが強まっています。
 

「夜の姉妹団」スティーヴン・ミルハウザー柴田元幸(The Sisterhood of Night,Steven Millhauser,1998)★★★☆☆
 ――少女たちはシャツを脱ぎ月光を浴びながら野蛮な踊りを踊ると言われている。胸に奇怪な象徴を描き込み、胸をなすりつけあい、殺された動物の血を飲むと聞いている。十三歳になるエミリーは高校二年生のメアリーから夜の姉妹団に誘われ、夜の森のなかで脅され、無理矢理胸を触られたが、秘密に耐えかね告発状を送ったのである。

 短篇集『ナイフ投げ師』より。決定的な証拠などなく証言と憶測からまことしやかに真実のように語られる都市伝説。コントロールが利かなくなれば、魔女狩りやアカ狩りになるのでしょう。そしてこの作品の場合、概念としての少女というか、謎めいた存在として少女でなくてはならないのでしょう。
 

「枯れ野原」深沢レナ(2017)★★★☆☆
 ――そういえばあの校舎の裏側にはなにがあるんだろう、ってみんなから少し離れて立っていたときにふとそう思った。みんなはなんだかよくわかんない話で盛り上がっているからわたしが少しずつ右に右にずれていってだんだん群れから離れていくのに気づいてない。

 詩。繰り返しの多用が、悪夢のなかで走っても走っても前に進まないようなもどかしさを生んでいます。
 

「美少女コンテスト」小川洋子(1996)★★★★☆
 ――母には二つ宝物があった。一つは父からプレゼントされたオパールの指輪で、もう一つはわたしが赤ちゃんコンクールで優勝した時の新聞の切り抜きだった。母はその裏側を一度も読もうとしない。○○さんが近くの山で採ってきた茸をすき焼きにして食べたところ、嫁の△△さん、孫の◎◎ちゃんが意識不明の重体――。わたしは自分の顔をかわいいと思ったことはない。十歳になった時、母が美少女コンテストの応募用紙を手に入れてきた。

 母親からの期待を背負っているにもかかわらず、というか、それゆえに醒めたところのある主人公にとって、それだけに我が道を行く少女の存在は衝撃だったのでしょう。怒りや悔しさではなく拗ねる幼稚な母親もリアルです。
 

「モイラの裔(抄)」松野志(2002)★★★☆☆
 ――純白のグラジオラスを待ち人に 暗号「密会・武装完了」/もしぼくが男だったらためらわず凭れた君の肩であろうか/身の丈の幸福などは 明け方の路上にチョークの人型ふたつ

 短歌。はっきりと少女のころに思いを馳せている「愛ならぬ何かを探した十代のたとえば連弾・空中ブランコ」「パイン材のテーブルを円く処女ばかり五人が囲みたる遠き午後」「少女らが歌う鎮魂歌 ソプラノはもはや我にははるかな高み」のほか、一首目の暗号などにも少女らしい稚気が感じられます。
 

「ひなちゃん」松田青子(2016)★★★☆☆
 ――私はひなちゃんの体を洗う。本当にきれいだ。これは私とひなちゃんの大切な儀式だ。私の恋人は夜にやってくる。きっかけは人生はじめての釣りだった。竿に手応えを感じてリールをまくと、糸の端には白いものがくっついていた。それがひなちゃんだった。というか、ひなちゃんの骸骨だった。

 落語「骨つり」をもとに、原典は「同性同士の恋愛(性愛)の「おかしさ」がサゲに使われていることが気になって」「幸せなレズビアンカップルの話」を書いた(著者twitter)そうです。
 

「夢やうつつ」最果タヒ(2014)★★☆☆☆
 ――「わたしをすきなひとが、わたしに関係のないところで、わたしのことをすきなまんまで、わたし以外のだれかにしあわせにしてもらえたらいいのに。わたしのことをすきなまんまで。」/土曜日はしんだふりの練習をして、花畑を何重にもつみかさねた実験場で、ゆっくりとしずんでいきたい。……

 実験場でしずんでゆく映像こそ美しいものの、それ以外は歌謡曲みたいです。
 

「ガール・イン・ザ・ダーク」高原英理(2018)★★☆☆☆
 ――小学校一年のとき、行方知れずの子が出た。人の来ない処に埋められていると言われている。その源が工場脇の雑草の生う場所だった。そこにきっと背の高い灰色の人が待っている。ハルの夢はそこで終わる。リミの夢が続きを語る。わたしたちはそっと隠れていた。幼女の汚れていない贓器は彼方の豊かな国の皺に埋もれた金持ちの寿命を延ばすために使われる。

 編者がテーマに沿って書き下ろした作品で、スレンダーマンを彷彿とさせる何かから逃げ惑う少女の夢のイメージが連ねられています。
 

嵐が丘シルヴィア・プラス/高田宣子・小久江晴子訳(Wuthering Heights,Sylvia Plath,1961)★★☆☆☆
 ――地平線が薪束のように私を囲む/傾ぎ 揃わず 揺れるまま。/マッチ一本あれば 私を暖めるのに/そしてあの細かな線が/大気を茜色にあぶると/ピンで留めた遠景もぼやけ/鈍色の空を さらに濃く染めあげるのに。/……

 周りがすべて地平線という冒頭の風景にこそ惹かれますが、シルヴィア・プラスといえば「繊細すぎれば/ともに生きてはゆけない」という最終聯のイメージでしょう。
 

「八本脚の蝶(抄)」二階堂奥歯(2006)★★★☆☆
 ――虫のオブジェで一番好きなのは、東大寺大仏殿にある花挿しについている青銅の揚羽蝶だ。からだがむくむくしていてかわしいし、なんといっても脚が八本もあるのだ。/自分の躰は着せ替え人形だと思う。この躰は私が作った。いろいろなイメージを投影した作り物だ。女を素材にして「女」を作ってみました。

 十年以上前に親本を読んだときにはちょうど本書に抄出されている記事に感銘を受けたものですが、いま読むと痛々しさを感じてしまいました。歳は取りたくないものです。
 

「血錆」田辺青蛙(2013)★★★☆☆
 ――ある日、奇妙な少女に出会った。僕の指先に口を付けて血を飲みたいという。その感覚は悪くなかったが、僕は彼女の耳に囁きかけた。「僕の血は飲まない方がいいよ。人殺しの血だからさ」

 なぜか吸血鬼とエロティシズムには切っても切れない縁がありますが、これなどもかなり純愛寄りとはいえそれに類する作品と言えるでしょう。
 

トミノの地獄」西條八十(1919)★★★★☆
 ――姉は血を吐く、妹は火吐く、可愛いトミノは宝玉を吐く。/ひとり地獄に落ちゆくトミノ、地獄くらやみ花も無き。/鞭で叩くはトミノの姉か、鞭の朱総が気にかかる。/叩け叩きやれ叩かずとても、無間地獄はひとつみち。/暗い地獄へ案内をたのむ、金の羊に、鶯に。/……

 リズムに戴せて歌われる幻想的な言葉の数々は思わず暗誦したくなるような昏い魅力に満ちています。
 

満ちる部屋谷崎由依(2008)★★★☆☆
 ――むかし生家には曾祖母が生きていて、どうして生き物を殺してはいけないか知っているかと問うた。わからない。とわたしは答えた。すると老人は、生き物より幽霊のほうが怖いからだ、と言った。子どもはその言葉を受け取った。まっすぐに、あるいは正反対に。子どもは虫sの死骸を集めていた。幽霊がくるかと思って。

 Iという大学の知り合いが海を見聞きしたという部屋で、語り手も何かの存在を感じます。そうした体験を補強するのが、上に引用した曾祖母とのエピソードです。ラストシーンも印象的です。
 

「水妖詞館(抄)」中村苑子(1975)★★★☆☆
 ――貌が棲む芒の中の捨て鏡/桃の木や童子童女が鈴なりに/春の日やあの世この世と馬車を駆り/……

 もちろん童子童女が桃の木の枝に鈴なりになっているわけではなく、桃の木のそばで鈴なりに並んでいるのでしょうが、鈴なりにぶら下がっている恐ろしい光景を幻視することもできます。
 

「ファイナルガール」藤野可織(2014)★★★★☆
 ――リサの母親は三十歳くらいで死んだので、自分もそのあたりで死ぬだろうと思った。リサだって母親と同じく自分の娘を守って死ぬにちがいない。そのときまでは生き残る。リサには強固な意志があった。リサは連続殺人鬼に襲われたアパートのたったひとりの生き残りだった。三十歳くらいで死ぬころには母性のおかげで強くなれる。そう信じていた。十八歳の夏休み、大勢の友達とキャンプに行く。連続殺人鬼が放っておくわけがない。

 スプラッタホラーのパロディの形を借りながら、女性(に限らない誰も)が人生の要所要所で感じる不安や試練をとても極端な形で描いているようにも思えてきます。

  

『幻想と怪奇 傑作選』紀田順一郎・荒俣宏監修(新紀元社)★★☆☆☆

『幻想と怪奇 傑作選』紀田順一郎荒俣宏監修(新紀元社

 伝説の雑誌の復刊に伴う前夜祭のようなもので、休刊前の本誌から抜粋した傑作選ですが、特にエッセイに古くさいものが多いのは否めません。
 

「『幻想と怪奇』、なお余命あり」紀田順一郎

 『幻想と怪奇』創刊と終刊の経緯が簡潔にまとめられています。当事者ならではの事情がわかって興味深い。
 

「『幻想と怪奇』の頃」荒俣宏

 怪奇幻想黎明期の事情。
 

「《前説》幻の雑誌、ふたたび」牧原勝志

 収録作についての簡単なコメント。
 

「ジプシー・チーズの呪い」A・E・コッパード/鏡明(Cheese,A. E. Coppard,1946)★★★☆☆
 ――エディ・エリックはチーズの外交員だった。酒に酔わせてジプシーからチーズの処方を聞き出した。だが見返りの端金を払わなかったので呪いをかけられてしまった。あるときエディ氏は手相を占い、ブドウ酒を一杯ごちそうになり、チーズを食べた。「いらっしゃい、ネズミさん」女占師は幌馬車の外に出た。エディ氏を倉庫に押し込めると占師は消えてしまった。

 チーズからの連想による単純ながら効果的な恐怖、すっとぼけたオチ、「消えちゃった」あたりに通ずるコッパードらしさがあります。
 

「闇なる支配」H・R・ウェイクフィールド/矢沢真訳(Monstrous Regiment,H. Russel Wakefield,1961)★★★★★
 ――母が病気にならなければ、父もコニーにつけ入れられることはなかっただろう。コニーは父の金と、七歳にしてはませて男性的なわたしが欲しかったのだ。あるときわたしは教会の墓所であおむけの男の彫刻像を見ていた。するとよろいを身に着けていたその彫刻像がゆっくりと頭の向きを変え、黒い目を開けた。わたしはぎょっとして父にそのことを話した。「嘘つきはコートニーさんにお仕置きしてもらわんとな」それが子守りのコニーと出会った日だった。

 語り手を支配する悪女の魅力がたっぷりと描かれていますが、それとは別に彫刻像や死んだ飼い犬の怪異や「発作」など、謎めいた部分が残ります。精神科医の診断を「ぎこちない言葉を好む」と表現する専門家の言葉の意味するところは、科学的に解明できるということなのでしょうか、それとも本物の怪奇現象であるということなのでしょうか。
 

「運命」W・デ・ラ・メア紀田順一郎(Kismet,Walter de la Mare,1895)★★★★☆
 ――遠くに人影が見えて、馭者は馬をとめた。「バロメアまでは遠いかね?」と旅人がたずねた。「おれもいくとこよ。乗って行かねえかね?」旅人は喜びの声をあげて馬車に乗り込んだ。「そこに腰かけなよ」馬車の床にころがっている粗布包みの箱をさした。旅人はその上に腰をおろした。馭者の顔には奇妙な笑いがひろがっていた。

 奇妙な笑いの意味がわかるときの衝撃たるや、馭者の陰険な意地の悪さには慄然とします。
 

「黒弥撒の丘」R・エリス・ロバーツ/桂千穂(The Hill,R. Ellis Roberts,1923)★★☆☆☆
 ――私は夕暮れのぶらぶら歩きを楽しんでいた。「犠牲の丘」のことは忘れていた。ぞっとするほど美しい少年がいた。「誰もここへのぼってくることは許されてないんです。おりてください」「ばかばかしい」私は威厳をみせながら少年をやりすごそうとした。怖かったのだ。音楽がテンポを早めた。少年が歌いだし、何かを拾いあげた。薬をのまされている犬だ。首のまわりの紐の一端にナイフがあった。

 どうしても黒魔術というと安っぽくてキワモノめいたオカルトになってしまいます。
 

「呪われた部屋」アン・ラドクリフ安田均(The Haunted Chamber,Ann Radcliffe,1974)★★☆☆☆
 ――ルドヴィコは伯爵に招かれ、亡霊などに城の平和が脅かされないようにすると誓った。独り部屋に泊まり、本を読んで炉に薪をつぎたしたとき、椅子の背もたれの後ろから男の顔がみつめているような気がした。

 名前だけは有名なゴシック作家アン・ラドクリフの長篇『ユドルフォの秘密』からの抜粋。編者自身がコメントしている通り、冗長で古くさい作品です。
 

「降霊術士ハンス・ヴァインラント」エルクマン・シャトリアン/秋山和夫(Le Cabaliste Hans Weinland,Erckmann-Chatrian,1862)★★★☆☆
 ――ぼくたちの形而上学の教師ハンス・ヴァインラントが、或る朝ぼくの部屋に入って来た。「クリスチャン、新しい教授を探したまえ。私はパリに出かけるんでね」「パリに?」「私は今朝、クランツ副官の腹に三尺の剣を突き立ててやったんだ。きみのパスポートを貰いたい。二人とも赤毛で痩せているからね」それから十五ヶ月後、ぼくは学問の仕上げのため大学総長からパリに送られた。窓から外を眺めていると、追いはぎのような男が声をかけてきた。「やあ、クリスチャン」

 昔の作品らしい理屈っぽさの果てに訪れるおぞましいテロルは、恐らく何かの譬喩か諷刺なのでしょうがわかりません。青色の神がマハーデーヴィーとカーリーの神(シヴァ?)であり、黄色の神がヤハウェであることは明示されているので、東洋による西洋への叛乱ではあるのでしょう。肉体から抜けて旅した魂が現実の災厄を連れて来るという何でもありの状態が,恐ろしさを増幅させます。
 

「夢」メアリ・W・シェリー/八十島薫訳(The Dream,Mary W. Shelley,1832)★★☆☆☆
 ――うら若い美貌のコンスタンスには高貴な家名と宏大な領地が遺されていたので、国王はコンスタンスがそれを由緒ある生まれの者に与え、その妻になることを切望した。だがコンスタンスは修道院に隠遁する覚悟でありますと答えた。そして今、かつて永遠の貞節を誓った恋人ガスパールが目の前に立っていた。かつて憎み合った互いの一族の最後のひとりだった。

 メアリ・シェリー版ロミオとジュリエット。そこに聖カトリーヌの奇跡という要素が加わります。古くさいのは否めません。
 

「子供たちの迷路」E・ランゲッサー/條崎良子訳(Das Labyrinth der Kinder,Elisabeth Langgässer,1949)★★★★☆
 ――子供は庭に寝そべり空を見た。またあの飛行機が通るだろう。爆撃機の音が地下ごうのなかにいても聞きとれる。でもここにいる限り危険はない。そのころ母親は鍋のふたをあけてじゃがいもをフォークで突いた。びくびくしながら買い出しに行ったかいがあった。今年はきっと収穫がある。小さなラウラは人形のロージーに話しかけた。「あそこにいる人があたしのママだなんていっちゃだめよ。あたしのママは魔女のガルゴックスなんだから」

 よくある空想の友だちものだと思っていると、母親とラウラと人形が渾然一体となって、果たして何が現実で何が空想なのかわからなくなってしまいます。弟にブラザーとルビが振ってあるのは、恐らく原文もそこだけドイツ語ではなく英単語なのでしょうけれど、それの意味するところが何なのかなど、解説が欲しいところです。
 

「別棟」アルジャナン・ブラックウッド/隅田たけ子訳(The Other Wing,Algernon Blackwood,1915)★★★★☆
 ――彼がよく頭をひねったのは、暗くなると誰かが寝室のドアのかげからちょっとのぞき、また引っこめてしまうことだった。しかし彼は恐ろしさを感じなかった。母親に話すと、「誰かがおまえのことを気にかけて確かめに来てくれるなんて、けっこうなことじゃないの」と言われた。ほどなく彼は独自の結論をくだした。眠りとそのお供の夢は、閉ざされた別棟に住んでいるんだ。

 ステッキが凄まじい力で挟まれて葦になってしまう場面にはぞっとしましたが、当初の子どもの空想通りそれは善きモノだったことがわかり、ほっとしました。イギリスらしい、幽霊と共存しているジェントルな幽霊屋敷ものです。ブラックウッドは苦手な作家ですが、「地獄」「まぼろしの少年」のように時々いい作品に出会えます。
 

「夜窓鬼談」石川鴻斎/琴吹夢外訳(1889)★★★☆☆
 ――天地の間に人間というものが居る。およそ呼吸している物のうちで人間より智脳のすぐれたものはない。宇宙の間に鬼神というものが居る。およそ無形のもののうちで、鬼神より霊力のすぐれたものはない。そして鬼神もまた人間のうちにすぎない。

 「鬼神を論ず」「牡丹灯籠」「冥府」を訳載。
 

「鬼火の館」桂千穂(1974)★★☆☆☆
 ――結婚して一年もたたないのに、一枚の召集令状で夫は死者の国へ追いやられてしまった。父も亡夫の弟も、わたしに疎開するよう説得に来た。だがわたしは義弟と同じ工場に勤める技術者と、夜の逢瀬を重ねていた。それでも口づけ以上の間柄へは進まなかった。かすかな足音や気配を感じたからだ。死んだ夫なのだろう。わたしは彼の自転車のライトが暗闇に浮かんでくるのをいつも待っていた。彼に召集令状が届いた夜も。口づけ以上の間柄になるつもりだった。その夜は大空襲があった。

 最後が駆け足すぎます。足音の正体についての告白も唐突で説明的すぎましたし、その後の夫の運命もそうなるまでの経緯をもうちょっと書いておいてくれないと、ドアを開けた途端に爆発して煤で真っ黒になるギャグみたいにしか感じられませんでした。
 

「誕生」山口年子(1974)★★★★☆
 ――鋭い悲鳴が続けて起こった。響子だ! またあの病気だろう。「何に愕いたのかね」「ヤ、ミ……」「闇?」「真昼にだって闇は姿を現すのです」「おとうさまにはおわかりになりませんわ。闇は私にだけ近づいてくるのですから」「そのいい方は、闇が生きているように思えるが」「ええ」「闇は何というのかね?」「こいっていうの」

 アーサー・マッケンのようなおぞましいホラーで、譬喩や実体化したものではなく闇そのものが襲い来るというラヴクラフト的な恐怖も味わえます。闇を生むという発想
 

「人でなしの世界 江戸川乱歩怪奇小説紀田順一郎(1973)

 乱歩の怪奇小説に対する好みとスタイル、「人でなしの恋」とジェイムズ「ポインター氏の日録」の構造の比較。
 

「我が怪奇小説を語る」H・P・ラヴクラフト団精二荒俣宏)訳(1923)

 ラヴクラフトがフランク・ベルナップ・ロングに宛てた手紙。
 

「FANTASTIC GALLERY 挿絵画家アーサー=ラッカム」麻原雄解説(1973)

 アーサー・ラッカムのカラー口絵と解説。
 

「日本怪奇劇の展開―闇の秩序を求めて―」落合清彦(1974)

 歌舞伎を始めとした怪奇演劇を概観していますが、ところどころに当時の世相を絡めてくるので古くさくなっています。
 

「閉ざされた庭――または児童文学とアダルト・ファンタシィのあいだ――」荒俣宏(1974)

 人形劇『パンチとジュディ』の残酷性とナンセンスに寄せる子どもの目から書き起こし、児童ファンタシィとアダルト・ファンタシィの関係について論じているのですが、現状分析というものは当時から時代が下ってしまうとやはりわかりづらい。
 

「FANTASTIC GALLERY 囚われし人 ピラネージ」麻原雄解説(1974)
 

胡蝶の夢――中華の夢の森へ(1)」草森紳一(1974)
 

「地下なる我々の神々 1~4」秋山協介(鏡明(1973)

 コミューンとかサタン教会とか、これも時代がかってます。
 

「ホラー・スクリーン散歩 リチャード・マシスンの激突!」瀬戸川猛資(1973)

 相変わらず一歩間違えば与太に間違えられかねない瀬戸川節です。
 

「ホラー・スクリーン散歩 怪物団」石上三登志(1974)

 怪物団とは『フリークス』の公開時の邦題です。
 

幻想文学レヴュー」山下武・石村一男・瀬戸川猛資紀田順一郎
 

「編集後記 Not Exactly Editor」
 

「誰もやっていないことを(インタビュー)」桂千穂
 

「『幻想と怪奇』の時代」安田均

 ここまでが『幻想と怪奇』傑作選で、ここからは1964年に発行された前身誌『THE HORROR』全4号の復刻です。
 

『THE HORROR 第1号』

「解説 平井呈一と“THE HORROR”の思い出」紀田順一郎

「古城 怪談つれづれ草1」平井呈一

アーカムハウス1963年」紀田順一郎

「恐怖文学セミナー発足宣言」紀田順一郎・島内三秀・大伴秀司

怪奇小説のむずかしさ」L・P・ハートリー/平井呈一(L. P. Hartley,1956)

「廃墟の記憶」H・P・ラヴクラフト紀田順一郎(Memory,H. P. Lovecraft,1919)

「裏庭」ジョセフ・P・ブレナン/島内三秀・大伴秀司訳(Canavan's Back Yard,Joseph Payne Brennan,1958)
 

『THE HORROR 第2号』

「「インスマウスの影」創作メモ」H・P・ラヴクラフト

「なぞ」デ・ラ・メア紀田順一郎(The Riddle,Walter de la Mare,1903)

「恐怖小説全集の展望」紀田順一郎

「森のなかの家」オーガストダレット平井呈一(The Pool in the Wood,August Derleth,1949)

「怪談つれづれ草(2) 英米恐怖小説ベスト・テン」平井呈一

「だれかがエレベーターに」L・P・ハートリイ/島内三秀訳(Someone in the Lift,L. P. Hartley,1955)
 

『THE HORROR 第3号』

「カンタービルの幽霊」より/オスカー・ワイルド

オハイオの愛の女像」アドーブ・ジェイムズ/紀田順一郎(The Ohio Love Sculpture,Adobe James,1963)★★★★☆
 ――ぼくの趣味は好色本の蒐集なんだ。ぼくがはじめてその彫像のことを知ったのは、友人のトルコ公使館員アリからだった。アリが情報を得てオハイオの田舎の納屋に行くと、持ち主が「あれは売り物じゃねえ。けえれ、でなきあぶち殺すぞ」と銃をかまえたんだと。それを聞いたぼくはすぐさまジエツト機でオハイオに向かった。「こんなすばらしい彫像は、秘密の場所に隠して、君はそこの守衛になればいい」

 好色本の蒐集という脱力ものの冒頭から、売るのを拒否する持ち主から如何に入手するかというコンゲームめいた面白さを経て、アメリカ特有の猟奇事件で終わるという冷や水を浴びせられたような後味の悪い切れ味が魅力です。
 

「恐怖小説アンソロジイの展望」紀田順一郎

「聴いているもの」ウオルター・デ・ラ・メア平井呈一(The Listeners,Walter de la Mare,1911)

「ムーンライト・ソナタ」ウールコット/島内三秀訳(Moonlight Sonata,Alexander Woolcott,1931)★★★☆☆
 ――医者のオーバン・バラックがケントの古い友達を訪ねた。邸の主は出かけていたが、バラックは待たずに食事をした。庭師はジョン・スクリプチュアという名で、気違いの父親に時々仕事を手伝わせていた。食事を終えるとバラックは眠りにおちた。眼が覚めると部屋の中でなにかゞうごめいている気がした。

 アドーブ・ジェイムズの「オハイオの愛の女像」もそうでしたが、1964当時というとサイコや猟奇やシリアル・キラーが新機軸だったのでしょうか。ブロック『サイコ』が1959年ですね。幽霊屋敷もののような佇まいながら、幽霊の代わりにサイコが出現するというのはいま読んでも却って新鮮です。
 

「ある夏の夜に」ビアス/島内三秀訳(One Summer Night,Ambrose Bierce,1906)

「出版 小泉八雲作品集」

「とびら」A・ブラックウッド/紀田順一郎(Entrance and Exit,Algernon Blackwood,1914)
 

『THE HORROR 第4号』

「東西怪談・恐怖小説番附

「死刑の実験」ジョージ・ウエイト/島内三秀訳(The Electric Chair,George Waight,1925)★★☆☆☆
 ――エインズワース博士が死について話すと、「死よりも異様な神秘に直面した場合、人は死を選ぶということですか。大変疑問です」と大脳生理学者が言った。すると軍人が口をはさみ、「ドイツ軍がスパイを捕まえて、二つのドアの一つは銃殺刑、一つは何があるかは教えなかった。スパイはみんな拷問や生体解剖を想像して、銃殺のほうを選んだ」という話をした。若い作家のシンクレアは納得できなかった。「そいつらは未知の恐怖に立ち向かう勇気がなかったんだ」後日、シンクレアはエインズワース博士に招かれ……。

 ストックトン「女か虎か」こそ1882年の作ですが、スタンリイ・エリン「決断の時」に先駆けること30年前の作品です。しかしながら、究極の選択にしては選択肢に隙があって破綻しており、そのせいで緊迫感もありません。症状が現れた時点で自殺すれば、苦しまずに済むのは電気椅子と一緒なら可能性に賭けるでしょう。エインズワースに信念があるわけでもなくただの悪戯のつもりなのも、却って異常さを際立てています(が著者にはそんな意図はなかったのでしょう)。
 

「試作のこと」M・R・ジェイムズ/平井呈一(Stories I Have Tried To Write,M. R. James,1931)

「新刊紹介」

「M. R. James 全著作目録及び解説」紀田順一郎

「夢にみた家」アンドレ・モーロワ/紀田順一郎(La Maison,André Maurois,1946)

  

『錬金術師の密室』紺野天龍(ハヤカワ文庫JA)★★☆☆☆

錬金術師の密室』紺野天龍(ハヤカワ文庫JA)

 異世界ミステリかと思ってたらラノベでした。

 ラノベでもいいんですけどね。密度のない薄っぺらいタイプのラノベです。

 まだ何も始まってもない段階からいきなり「アワン前哨基地へ、アスタルト王立軍情報局長のヘンリィ・ヴァーヴィル中将は冬の嵐のように突然やって来た」とか書かれても失笑してしまいます。こんな文章の羅列が平板に続くので読めたものではありません。

 キャラが立っているならまだ読めるのですが、「きみが……エミリアちゃん……? だって……きみは……男だろう……?」「男ですね。その、家庭の事情で女性名を付けられただけで(以下略)」のような、何十年前のラノベだよ、というような掛け合いばかりでうんざりします。

 魂の錬成に成功した錬金術師が、ホムンクルスとともに密室内で殺害されるという事件が起き、主人公の錬金術師と変成術師のコンビが自らの容疑を晴らすために真犯人を捜します。犯人はなぜ身許が特定されるような変成術を使ったのか、ダストシュートと反射炉のダクトしかない部屋からどのように逃げ出したのか――というのが謎で、真相自体は錬金術が存在する世界に古典的な入れ換えトリックをアレンジしたもので、意外としっかりしたものでした【※ネタバレ*1】。

 魂の錬成に成功したという見せかけの真相と、成功していなかったという真相の二段構えがあったりと、つまらない前半と比べて後半の詰め込み具合がアンバランスです。

 主人公の二人が、これからシリーズものになりそうな過去を持っていますが、錬金術が存在する世界という設定を活かしたミステリをこれから二つも三つも書く……のでしょうか。

 アスタルト王国軍務省錬金術対策室室長にして自らも錬金術師のテレサパラケルススと青年軍人エミリアは、水上蒸気都市トリスメギストスへ赴いた。大企業メルクリウス擁する錬金術師フェルディナント三世が不老不死を実現し、その神秘公開式が開かれるというのだ。だが式前夜、三世の死体が三重密室で発見され……世界最高の錬金術師はなぜ、いかにして死んだのか? 鮮やかな論理が冴え渡るファンタジー×ミステリ長篇。(カバーあらすじ)

  




 

 

 

*1 研究施設に幽閉されていた錬金術師が、事前にホムンクルスAに自らの魂を移し替え、浮浪者を影武者にして過ごしていた。やがて小型のホムンクルスBにさらに魂を移し替え、ホムンクルスAの抜け殻と影武者を殺して、自らの殺害事件を演出し、ダストシュートから脱出する。

*2 

*3 

『猟人日記』戸川昌子(講談社文庫コレクション大衆文学館)★★★★☆

猟人日記戸川昌子講談社文庫コレクション大衆文学館)

 乱歩賞受賞作『大いなる幻影』と第二作『猟人日記』の合本より、未読の『猟人日記』を読みました。

 キーパンチャーB・G尾花けい子は、バーで知り合った低音が魅力の男と一夜限りの関係を持ったあと、妊娠を知って身を投げます。けい子の姉・常子は、死んだ妹が身籠っていたことを警察に知らされ大きなショックを受けました。

 やがて常子と同じく鼻の横にホクロのある女がバーに現れ、低い声の男について聞き込みを始めます。

 一方、低音の男・本田一郎はナンパした女との情事を記録につけて『猟人日記』と名づけていました。妻が奇形児を産んでからというもの、妻相手にはどうしても役に立たない身体になっていたのでした。本田は新聞を読んで、かつて関係を持った尾花けい子が自殺したことを知りますが、気にせず外国人のふりをして女を漁り続けます。ところが今度は別の女が絞殺され……。

 身に覚えのない被害者が次々と殺されてゆくところや、章題が「第一の獲物」「第二の獲物」となっているところなどは、ウールリッチ『黒衣の花嫁』へのオマージュでしょう。この時点で気になる点は二つ。けい子は被害者ではなく、むしろ自分から誘っているくらいなのですから、復讐はお門違いであること。本田ではなく本田が関係した女が殺されるのも、復讐にしては不可解です。

 こうして本田は罠に嵌められていると気づきながらも理由も黒幕もわからないまま絡めとられてゆきます。これはもちろん『歯と爪』で、海外名作へのオマージュと換骨奪胎は見事です。

 ここまでで半分。後半からは弁護士による独自の捜査が始まります。

 ミステリとしては残念なことに、真犯人の見当は付いてしまいます。でもそのおかげで、本田を罠に嵌めるために無関係の人間を殺したのか――という『ABC』的な嫌悪感は薄らいでいます。人殺しには違いないとはいえ、復讐ではあったわけで。

 戸川昌子らしい、性と愛に満ちた佳作でした。

 作品解題によるとスコット・トゥロー推定無罪』が本書と同じネタを扱っているそうです。『推定無罪』は判事が勝手に裁判を終わらせた話だったようなところしか覚えていませんが、どんなトリックでしたっけ?

 似ているといえば、猟人日記というアイテムからは、フィリピン買春の校長先生を連想しました。こんな変態が現実にいるもの(どころか一枚も二枚も上手)なんですね。

 巻末エッセイは戸川安宣氏。同じ苗字というネタから入って、後半は本当にただ戸川姓の歴史を綴っているだけというトンデモない内容でした。解説じゃなくてエッセイだからいいのかな……。

 「人と作品」は関口苑生氏。大半が戸川昌子本人のエッセイからの引用だけという、こちらも無茶苦茶な内容。「人と作品」だから著者について綴ること自体はいいのですが、解説の書きづらい作家なのでしょうか。

  

『消えた犬と野原の魔法』フィリパ・ピアス作/ヘレン・クレイグ絵/さくまゆみこ訳(徳間書店)★★★☆☆

『消えた犬と野原の魔法』フィリパ・ピアス作/ヘレン・クレイグ絵/さくまゆみこ訳(徳間書店

 『A Finder's Magic』Philippa Pearce,2008年。

 フィリパ・ピアスの遺作です。挿絵は娘婿の母親が担当し、主人公の名前ティルは孫のナットとウィルから採られています。そして物語の結びでは、この物語が二人の著者を思わせる登場人物によって書かれたティルの物語(つまりフィリパとヘレンによるナットとウィルの物語)だったということが明らかになるように、家族の物語でした。

 飼い犬のベスがいなくなったティルは、突然現れた怪しげな老人の助けを借りて、動物の声を聞きながらベスの行方を捜してゆきます。魔女のようだと怖がっていたおばあさんにも、ベスを見かけなかったかと勇気を出してたずねます。

 犬といえば『まぼろしの小さい犬』、謎解きは『ハヤ号セイ川をいく』、そして老婆……のように著者の集大成といった趣がありました。

 ただしとてもあっさりとしています。老人の正体もなぜそういうことが起こったのかも、ただそういうものだと受け入れるしかありません。せっかくのベスの名前の由来も、どれだけベスのことを大事に思っているかというエピソードがないと感動も半減してしまいます。

 恐らく見つけ屋というのは、ものをなくしたと思ったらひょんなところから出てきた――という出来事を具現化した存在なのでしょう。明らかに人外のものでありながら決して万能ではなく、モノを介してしか動物と会話することが出来ないというのがいいですね。もちろんそれは動物がしゃべるというあまりに嘘くさいファンタジーを嫌ったというだけのことなのかもしれません。けれどもしかしたら、誰かがいなくなってもモノには何かが残るのだ、ということなのでは――と考えるのは、遺作だということから来る思い込みでしょうか。

 犬のベスが、ある日、どこかへ行ってしまいました。ティルはかなしい気もちで眠りにつき、次の朝早く、家の外に出てみました。すると、庭の木戸のところにきみょうなおじいさんがあらわれて、言いました。

 「わしは見つけるのが得意でな。おまえさんががんばってさがすなら、手伝ってやるぞ」いつもベスと散歩に行っていた、二人のおばあさんが住む野原まで、おじいさんといっしょに行ってみると、次々にふしぎなことがおこり……?

 物語の名手フィリパ・ピアスが遺した最後の作品に、人気絵本画家ヘレン・クレイグが絵をつけました。ピアスとクレイグが、「共通の孫」たちのために作った、美しいお話です。(カバー袖あらすじ)

  


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