『稲垣足穂全集13 タルホ拾遺』稲垣足穂(筑摩書房)
『CLASSIQUES DE INAGUAQUI TAROUPHO 13』2001年。
タイトル通りの拾遺集。全集収録作決定後に見つかった単行本未収録作、別作品と見なせるヴァリアント、他者の作品を下敷きにした作品、が収録されています。当たり前ではありますが、質的には落穂拾いであり、資料的価値の作品集です。
「聞いて貰いたい事」(1917)★☆☆☆☆
――少し前だが樋口中尉墜落の号外を手にした時、僕はこう云うのを聞いた「下手だな、もう飛行機は駄目だな」と、僕は「君は日本国民ですか?」とこう云う人に問いたい、僕は何も飛行機が危険でないと云わない、然し其危険を知りつつも其完成の為に貴い犠牲となった勇敢な愛国者に向って冷笑的の言葉を弄するとは何と云うことだろう。
足穂17歳の学園誌に発表された飛行機に関する檄文。資料としてはともかく読み物としては面白いものではありません。
「シガレット物語」(1923)★★★☆☆
――或る運転手が夜中にトンネルにさしかかって、汽笛を鳴らそうとレバーに手をかけた時、パタンと下りたシグナルの赤い灯が、常ならぬ色を出していたので、あわてて汽車を止めてしまった。機関車から飛び降りてシグナルをよく見ると、おおこれは! 二三箇月前に盗まれて一万弗の懸賞付になっていたルビーだったのである。
一部の作品は『第三半球物語』に収録。『君、一本吸って見給え!』という副題(?)、エピグラフ(?)に惹き込まれます。
「香炉の煙」(1924)★★★☆☆
――或る晩、アリババは寝ている下の方がまぶしくなったので床をはがしてみると、そこには大きな甕が一つ、金貨と銀貨が充ちていた。勿論、それは夢であった。
七話を抜粋して後に「七話集」として再録。
「如何にして星製薬は生れたか?」(1925)★★☆☆☆
――星の光にドキンとして思いあたったことは、ここは只こうして星の光をながめることによってのみ病気をなおすところではなかったろうか!という一事であった。
『第三半球物語』所収の「星の病院」の初出版。
「「文党」への手紙」(1926)★☆☆☆☆
――編輯後記にイハラが僕の先輩とありましたが、これはちょっとおかしいです。長い間の友だちだから互に影響し合っているのはほんとうですが、かかる方面の開拓者のはじめとは小生の星のお月さまが泣きます。
イハラとは同窓の猪原太郎のこと。こういう資料的な文章は読み物としてはしんどい。
「忘れられた手帖から」(1926)★★☆☆☆
――上下を青と紅にぬった単葉飛行機に乗って春の平野をまいのぼるはおろか、星のかがやくパリの夜空にケピンからもれるワルツとエンジンの騒音のシンホニイをききながら、ブリッジに葉巻の灰を落としてほほ笑む大飛行船ホワイトスターのキャプテンになりたい。
『多留保集 第8巻』に収録。ということは収録条件に合っていないと思うのですが。
「地獄車」(1926)★★★☆☆
――『磁石を応用した大円球、内部がダンスホールになっていて、吾々は鉄の靴をかりる、上下のかんじがなくなって円い部屋一ぱいが床になる、即ちダンスホールさ。このメリーゴーラウンドに三十人のって止ったとき息の通ってる奴は三人とはなかろう。止ったときには掃除人夫がよ、死骸をひっかけて片づける。あとに血がのこってらあな、その上に砂をまいてさあお次がはじまりまーす、地獄車が廻転をはじめる……。
オチこそ足穂らしさを感じさせますが、内容はまるで変格探偵小説のようです。足穂にはこういう方向のメルヘンもあるんですね。政府経営の殺人遊園地というイメージは、そのまま何人かは振り落とされる社会を諷刺していると思われます。
「ライオンと僕」(1926)★★☆☆☆
――ポプラの並木道を僕はお嬢さんをうしろにのっけてレース用自転車で走っていた。ミゾが出来ている。僕は自転車を横にストップして、ピョイとこえる。どんなものだ。そこでまた突走る。同じようなことをくり反して町へさしかかった。ここで気がつくと、どうしたわけかふたりともまっぱだかなのだ。家へかえってキモノをきてこようと坂を下り出すと、「こら、どこへ行く!」うしろにライオンがいた。
シュールすぎてもやは意味がわかりません。ミゾを二十ぺん越えるという行為や、ライオンということに何か意味があるのではと勘繰ってみましたがさっぱりです。はだかとはお嬢さんへの欲望であり、ライオンとは手を出せなかった語り手の勇気、でしょうか。
「風呂」(1926)★★★☆☆
――Mさんとは釣ずきというところから、親しくなった間柄である。Mさんが庶務課長の紹介で、Fという家へおいてもらうことになったとき、そこにはすでにKという同僚が下宿していた。四十四五の後家さんと、娘がひとりだけの家族であった。Kというのは思い出してもうっとうしい気持になる男であった。だんだんわかってきたのだが、Kは娘に気があったので、そこへMさんがわりこんだのを不安にかんじたものだと思われる。Mさんは話好きだし、手伝いもしてくれるので、家のなかが明るくなったといっていた。娘が風呂でMさんのせなをながしてくれるまでになった。そのころからKはおそろしくいん気になり、それからいく日かして、風呂の方から娘が母親をよび立てました。おこしと長じゅばんが見えないというのです。
普通小説ふうの作品です。Kさんがド変態すぎてびっくりしますが、そんなKさんにさえ罪悪感を抱いてしまうのは人がよすぎるようにも思えます。目覚めが悪いのは間違いありません。娘さんとMさんとの距離が近すぎる気もするので、世間からとやかく言われるのもわからないでもありません。
「白衣の少女」(1927)★★★☆☆
――ポプラの幹をとおして、月にてらされたテニスコートがシーツのように見え、そのむこうに灯の一つ窓からもれた黒い洋館があった。僕が目をはなそうとしたときにね、一つの影がすっとテニスコートをよぎったのだ。お化けじゃない、誰か自転車を乗りまわしているのだ、白い洋装でね、ロフのついたペチコートと同じタブレットをきたオカッパのお嬢さんらしいのが。お稽古かなと思った。ところがだね、どうしてなかなかこれは舞台の上の曲芸の腕前だ。考え物だぞと思えてきたね、なぜってはげしく腰を浮かせるたびにちらちらするその白いふくよかなところにはだね、たしかに何もつけていないと決める他はないのだよ。
ロフとは「ruffle」、タブレットとは「doublet」のことでしょうか。月夜の幻想的な少女から一転、馬脚を現してきたぞ――というところで、さらに一ひねりして足穂らしく人形である可能性まで出てきて、なかなか正体を摑ませません。まさに朧に見た夢のようです。
「ポンピィとロビングッドフェロー」(1928)★★☆☆☆
――「君は一たい吾々の先祖は何だと思う」明方の坂路で出くわしたロビングッドフェローはうす紫の羽根をヒラヒラさせてポンピィに云いつづけた。「君はお伽噺の本で知っているだろうが、吾々はほんとうに月の世界へ行く途中の高い山に宮殿を持っていたんだよ。好き勝手なホーキ星になって舞い上がっていたとき、下の方にキラキラした灯が見えたので、きゅうに丘の上に降りたくなったのだ」。そこでポンピィはたずねた。「いつホーキ星にかえる?」「いつでも」。ポンピィはさらにたずねた。「君は何にでもからだを変えられるんだろう」「何にでも」。ポンピィはポケットからチョコレートを出して、このなかへ入ってくれと云った。
『婦人公論』に発表された「チョコレート」の改作であり、最終稿が『ヰタ・マキニカリス』所収の「チョコレット」になるのだそうです。ポンピィは妖精ではなく人間の少年であるようです。
「塔標奇談(影絵フィルムのために)」(1929)★★☆☆☆
――なあるほど! 緋色にもえた夕方の、湖のむこう岸にそびえている天を支えた巨人のような姿は、数年前新聞やショーウィンドでおなじみの登録商標とそっくりだ。案内役のおじいさんが語り出した。――塔じるしの染料、これは一段と光っていましたじゃ。会社はその製造法が洩れるのをおそれて、この山奥へもって行って建てたのが、あの代物という事であったのじゃ。ともかくとして注意すべきは鉄管を伝ってくるその青い水じゃ、それが下からは何の材料も供給せんし、飛行機で運ぶとも見えんのに無尽蔵に落ちてくる。
塔というのもまたレトロな都会の一パーツであり、足穂世界を具現しているような存在であると言えます。
「芭蕉葉の夢」(1930)★★☆☆☆
――むかし支那で男が薪をとっていますと、横合の崖の上から鹿が落ちてきました。こんな大きな鹿を売るなら、日頃ほしいと思っているすべてのものが買えます。しかし、貧しい自分のような者がこんな鹿を運んでかえると、怪しまれるであろうと考えて、こわれた石垣の間へ鹿をおし込み、そこいらに生えていた大きな芭蕉の葉でもっておおうたのでした。ところが夕方になってかくした場所へ行こうとすると、それがどこであったか思い出せないのでした。夢だったにちがいない。そう思って、それを歌に歌いながら家路につきました。その歌をきいていた村里の男が、芭蕉の生えている場所へ出かけて鹿を見つけてしまいました。薪をとる男はそれを知ってどなり込みましたが、夢ではないかと言われてしまいます。
『列子』「蕉鹿の夢」をタルホ流ファンタジーに再話したもの。
「神戸のVARA」(1930)★☆☆☆☆
――VARAは又VARAKETSUとも云うが、後者は中学中途退学生とか給仕とかいう所謂CHINPIRAであって、女学生の尻を追うぐらいの可愛らしいところを指す、HANVARAというのがある。これは文字どおり半分のVARAである。以下レビュー式にならべるところ、多少なりともVARAをほーふつさせるならお慰みである。――何? 何やと。コラなめるな。誰が誰へ云ったものでもない、あちらこちらで毎日使われているもの、しかし騒動などは決して起りっこのない言葉。
神戸のガラの悪さをネタにした覚え書き。
「緑色の記憶」(1933)★★☆☆☆
――私が少年時代の大半を過した港の街は、海に面して山際まで一面の斜面になっていました。それでその所々には、面白い坂路や奇妙な街区が見付かったものです。学校に通いはじめた頃、毎日通る所に三角の辻があったのです。そこにちょうど又三角な小っぽけな緑色の家が立っていました。「あれはへんな家じゃないか。誰が住んでいるのだろう」と、私は友人になったオットーに言ったものです。「さあ。ひょっとすると夢かもしれないぞ」「夢?」「そうさ、あそこには屹度この都会の夢が住んでいるんだ」
初出版「私とその家」の改稿版。最終版「夢がしゃがんでいる」が全集第一巻に収録。少年期の思い出に、夢が住む家というファンタジックな発想を加えたもの。
「青い壺」(1933)★★★☆☆
――夏の晩、私は坂道をぶらぶらと下りていました。向って左側に、仕舞遅れた一軒の飾窓があり、古びた青い壺の口から、蛍籠のように涼しげな光が放たれています。「あの壺に入っているキラキラした粒は何物かね」「星だ!」店員は邪魔くさそうに答えました。「ではその星は何処から採れたのか」「エチオピアの奥地である。世界で一番天に近い所なのだ」
第二巻収録の「星を売る店」後半部の改作。ファンタジーであるようにも、閉店後の邪魔な客を煙に巻いてあしらっているようにも見えます。
「東洋更紗」(1934)★★☆☆☆
――「4 ロバチェウスキイの箱」ロバチェウスキイは四角い箱を大切にしていた。所が或る日ふと気付くと箱が少し歪になっていた。誰も箱に触れた者は居なかったため、箱は始めからゆがんでいたのだと思い込むようになった。
第一巻収録の「東洋更紗」とは後半部の違う別バージョン。歴史や古典をネタにしたシュール系ショートショート。
「夢の中の紳士」(1934)★★☆☆☆
――私は寝台で涼んでいた。すると舞子を連れた紳士が現われて、ボール紙に取付けられた円い紙片に付いている把手をくるくると廻すと、向うの西空に懸っている三日月が、右に左に廻り出したのである。……然し、こんな風な夢であっても、どこか陰気で、亡霊じみている事には他の夢と同様である。思うに、夢の世界では吾々の知性が極度に弱められている所から来るのであろう。
夢の内容自体はいつも通りの足穂ファンタジーですが、これはそれを前後から挟んだエッセイのような作品でした。
「円錐帽氏と空罎君の銷夏法」(1938)★★☆☆☆
――幾十年に渡ってこの土地に巣喰っていた陰気な者共を、二人の青年がすっかり掃除して呉れた。こう再会の紳士は私に説くのであった。「――兎も角、五六匹は捕えたと云うんです。如何なる方法に依って……」「一寸お待ち下さい!」と私は口を挟んだ。どうやらこの町に巣喰っていた悪地主や坊様連を指す丈ではないらしい。「もう少し喋らせて下さい。その捕獲法は秘密にされていますが、まあ拙者はこう考えるのです。何処へでも忍び込み、梯子段の下とか、天井の隅っことかを捜し廻ると、それ居た! ブリキ帽です、そいつを被せる。シャボッ! 上方の穴から脱出しようとしますが、然し其処にはビール罎の口が差込まれてあるから、奴さんはまんまと罎の中という寸法です。ではその相手とはどんな風なものか?」
第一巻収録の「我が棲いはヘリュージョンの野の片ほとり厭わしきカルニアの運河に沿うた地下墓地だ」の前身バージョン(Ver.2)。前半のファンタジーから、後半の理屈っぽさへ。
「荒譚《こうたん》」(1949)★★☆☆☆
――日本のおばけは、いったいにじめじめしているが、たまに面白いのがある。/第一話 「稲生夜話」という記録がある。備後の稲生平太郎という少年サムライが、友人と百物語をしたあげく、名うての魔所を単身見とどけてくる。それからかの家には夜ごと日ごと怪異がひんぴんとして発生する。/第二話 これは私が経験者から直接にきいた。少年のころ住んでいた家のうしろに、「灰屋のおッさん」なる男が住っていた。ピカッっと光ってひれ伏してしもうたが、おそるおそる眼を上げると、ござらっしゃったよ、ありゃ天狗様に相違ない。
足穂がたびたび題材に用いた稲生物怪録についての文章。
「オールドゥヴル」(1972)★★★☆☆
――○星の疎らな夜、金箔の飾りが付いた異様な服装をして、遠くに海が見える山の背を歩き、眼を光らせて「ツァラトゥストラはかく言えり」と叫んでみたい。○霧の深い夜、摩訶不思議の水銀ランプを片手に、真赤な裏が付いたマントーを着て歩き、ガス灯の上に黒猫のすき透る金の目を覗き込みたい。……。
第一巻所収「僕のオードーヴル」、本書収録「忘れられた手帖から」との重複があるものの、「最終改訂作としてここに収録した」とのこと。
「大阪の島津さん」(1972)★★☆☆☆
――室町すじの若い呉服屋の主人で、フランス仕込みの飛行家荻田恒三郎が、大正四年一月三日、翦風号と共に墜落、助手を道連れに真黒焦になってしまった。昭和二十五年、電車の窓から目にとまったのが、京都の島津製作所である。初代の島津氏が明治十一年にワグネル博士の知識を借りて、日本最初の軽気球を作り上げたことを、私は知っていた。だから、荻田常三郎の飛行機のエンジンを修理したのも、てっきりこの島津工場だと早合点してしまった。だが自分の頭にあったのは大阪の島津であった。
飛行機もののエッセイ。目次だとこの作品の後ろに☆マークがついて区切られているので、ここまでが第一部で次作品から第二部という扱いのようです。
「明治飛行器ノゥト」(1962)★★☆☆☆
――『少年』誌上に活動写真の種明かしを読んだのは、明治四十四年四月号、小学四年になったばかりの時である。しかし記者が述べているようにそんなに簡単な仕事かどうか疑わしい。一度、新馬鹿大将がライオンの檻の中へはいる場面があった。この二重焼付では檻の鉄柵の不用な部分がよく消されていなかった。滑稽家は向う側の柵の縦縞を斑らに身につけたまま、幽霊のように檻の中にいたり、外へ出たりして、ライオンのご機嫌を取り結んでいるのだった。
タイトル通り、飛行機と飛行機の模型となぜか活動写真に関するエッセイ。
「花月ファンタジア」(1963)★★☆☆☆
――「おまはんの頭は何ぞい。鶏のしりを大風に向けたようなあたまをしくさって」伯父さんは「おおべしみ」の能面のような顔をわたしに向けて云うのだった。わたしはこの「おまはん」が大きらいである。いつかも近所の自転車屋で、「坊んよ、おまはんが何と云やはったところで、お父さんの承認がない限り、応じかねる。こけでもされた日は、よしんば頭がなんぼあっても足らへんワ」。この「よしんば」がまたきらいだ。佐藤春夫先生の許へ出掛けた折り、先生は、自分が「おまはん」と「よしんば」を嫌うということに同感したばかりか、「すなわち」に気懸かりや「はたまた」にうるささを覚えることにもよく了解したのであった。
1962「花月幻想」から1972「鼻高天狗はニセ天狗」に至る改作の第二稿。自伝的エッセイの合間に仏教や天狗について書かれたもの。タイトルは謡曲「花月」に由来します。
「松帆浦物語」(1967)★☆☆☆☆
――松帆浦物語には中世少年愛物語にめずらしく社会的関係が取扱われている。第三者の邪魔がはいって、一切が悲劇に終ってしまう話だからである。遠からぬ世の事にや侍りけむ。四条わたりに、中納言にて右衛門のかみかけたる人なむおはしましける。
最初に松帆浦と少年時代の思い出がちょっとだけ語られたあと、「松帆浦物語」のあらすじが紹介され、その後は延々と「松帆浦物語」の原文が引用されるだけでした。ここから後はそんな作品ばかりが続きます。
「稲生゠化物コンクール――A CHRISTMAS STORY――」(1972)★☆☆☆☆
――寛延二年七月一日から三十日にかけて、浅野家支藩三次五万石の城下、稲生平太郎という少年サムライの住いに夜毎に怪異が起った。この事件はフィクションではないらしく、平田篤胤、明治では井上円了博士が取上げているようだが、私はそれら文献をまだ読んでいない。ここでは動くオブジェとしてのお化けの一群を、紹介するにとどめる。
解題によれば、「山ン本五郎左衛門只今退散仕る」の「本文を平仮名にし、書き直したもの」とあります。要するにほぼ『稲生物怪録』そのままということです。
「梵天の使者――谷崎潤一郎からのコピー――」(1974)★☆☆☆☆
――ところで、山ン本五郎左衛門は何者なるか、ハッサン゠カーン、この妖術師が使役していたというDjinnのような存在だと云うより他はないと、私は「化物コンクール」の終りに書き加えた。Djinnとは元来、色界初禅天のあるじ、梵天に仕えている夜叉の名であるが、このDjinnが何故日本国までやってきたのかという問題である。三次は古墳の多い、伝説に富んだ特別地区である。お隣りの岡山県和気郡のクマ山の奥では、様々な妖怪が集合するという話が伝えられているから、五郎左衛門もそれに出席した序に平太郎少年に出食わしたのだと推察できるのである。
昔の天空観や須弥山について取り留めのない見解を述べたあと、谷崎「ハッサン・カンの妖術」を相変わらず長々と不正確に引用し、最後には梵天に仕える夜叉Djinnがなぜ日本にやって来たのかという疑問から稲生物怪録に想像を飛ばしたもので、小説とも論考とも言えないただ書き散らしたような文章が足穂らしいと言えば足穂らしかったです。本書収録作の編集方針は単行本未収録作品や別ヴァージョン作品ですが、この作品が本書『タルホ拾遺』に収録されている理由は、もう一つ「他の作者による作品を下敷きにして書かれたもの」に該当するからだそうです。
「ジッドの少年愛論」(1969)☆☆☆☆☆
――あれは道楽の果だなど人は云うが、うそだ。僕は童貞だったものね。僕は、この病院の勤めを止したら或る女性と結婚するつもりでいた。その娘はその後亡くなったけど。僕は、この未来の妻をほとんどミスティックにさえ愛していた。この時分は僕も、恋愛と慾望は相伴うものでない、ということを認めていた。他の誰かが慾望の対象になり得るということすら、僕は気づかなかった。
「『美少年的なるもの』を巡りて」(1953)→「『美少年的なるもの』を繞りて」(1958)の改題・改訂版。大半がジッド『コリドン』の引用から成ります。
「バートン男色考からの摘要」(1969)
「宮武外骨の『美少年論』」(1969)
「美少年論」(1967)の改題加筆。
「多留保判 男色大鑑」(1977)
井原西鶴『男色大鑑』。
「武石道之介航海日誌」(1966)
「武石浩玻在米日記」(1965)
いずれも実在の飛行家の日記です。もともと『ライト兄弟に始まる』元版に収録されていましたが、他者の作品(を下敷にしたもの)であるため、本全集ではこの拾遺集に収録されたようです。
「小文」
書評や自作解題はともかく、雑誌のコメント欄の小文などはそれだけ抜き出されても文脈が見えません。
「『作家』選評など」
同人誌『作家』の選評。だから俎上に載せられているのは基本的に無名の作家なので、よく言えば架空の書評集の如き様相ではあります。
「アンケート」
[amazon で見る]
『稲垣足穂全集13 タルホ拾遺』