『孤島の来訪者』方丈貴恵(東京創元社)★★★☆☆

『孤島の来訪者』方丈貴恵(東京創元社

 帯には「『時空旅行者の砂時計』に連なるシリーズ第2弾」とあるので、あれの続編とはどういうことなのかと不思議に思ったのですが、シリーズ第2弾とは続編という意味ではなく、前作の事件当事者だった竜泉家の親戚が主人公であるということであり、帯裏には〈竜泉家の一族〉シリーズという表現もありました。

 四十五年前、島中の住人が刺し殺されるという事件が起こった幽世島。盗掘を見咎められた大学教授が口封じに住人をみなごろしにした挙句、住人の一人・三雲英子と相打ちになったと考えられていました。教授の死体は獣に咬まれてぼろぼろになっており、島で飼われていた犬が飼い主を守ろうと戦った痕跡だと考えられました……。

 2019年、J制作のAD竜泉佑樹はロケ班の一員として幽世島に向かっていました。幼なじみを殺したプロデューサー、ディレクター、芸能プロ社長に復讐するため芸能の世界に入り、遂に三人を確実に殺すチャンスを手に入れたのでした。ロケハンの名目で殺害場所の下見もおこなうことができました。父親が島出身だというシンガーソングライター三雲絵千花を案内役に迎えた特番撮影の初日、干潮時にだけ現れる道を通って離島から本島に戻って来た佑樹たちは、ディレクターの刺殺体を発見します。

 自分が殺すはずだった人間を先に殺されてしまい、後悔と戸惑いを覚える佑樹でした。さらには現場には被害者と猫の足跡しか残されておらず、大量の出血が見られるというのに返り血を浴びた人間はロケ班にはいないという不可解な状況でした。復讐の邪魔をさせないために、犯人を突き止めて拘束する――それが佑樹の出した答えでした。佑樹はロケ班のみんなを集め、状況から導き出した犯人を指摘します――。

 前作の当事者だった竜泉一族の親戚が主人公であり、前作の主人公だった加茂が書いた四十五年前の事件の検証記事が作中に登場している――ということを除けば、前作とのつながりはほぼありません。マイスター・ホラはただのナレーターですし、タイムトラベルも今回はまったく関わって来ません。

 けれど超常的な要素が取り入れられているのは同様で、タイトルになっている「来訪者」がキーとなっていました。『盗まれた街』ですね。前作『時空旅行者の砂時計』の場合はタイトルからも本文序盤からもSFなのは明らかでしたが、本書の場合は中盤で消去法推理により特殊設定が導き出されるというのが、ミステリとしてはかなり異端というか冒険であるように思います。あるいは『屍人荘の殺人』の成功からも後押しされているのでしょうか。

 復讐そっちのけで犯人捜しに集中しているのが、著者らしいと感じました。前作でもクローズド・サークルの恐怖はほとんど描かれずスムーズに犯人捜しがおこなわれていたものです。とはいえ本書は来訪者の趣向もあるため、前作よりは恐怖が勝っていました。

 短歌による暗号「こがねむし 仲間はずれの 四枚は その心臓に 真理宿らん」は江戸川乱歩風味で、クローズド・サークルといい、何重ものどんでん返しといい、さすがミステリ研出身だけあって、ツボを押さえています。しかもこの暗号、単なる隠し場所の暗号なだけではなく、解かれた隠し場所を見つけることができるかどうかで来訪者を特定する罠【=ネタバレ*1】にもなっているという二段構えなのには感嘆しました。

 来訪者は実力的に一対一でないと人間を殺せないにも関わらず、一人になりたがる人間がいるというのも、クローズド・サークルもののお約束です。そのお約束に、説得力はさほどないとはいえ【ネタバレ*2】という理由付けが為されているあたりも隙がありません。

 来訪者の性質上、犯人捜しはアリバイ潰しが主となるのですが、離れてトイレなどにも行かねばならない以上なかなか絞りきれません。そこにさらに【ネタバレ*3】という特殊な性質を加えることで、アリバイの前提そのものをひっくり返す手並みは鮮やかでした。クローズド・サークルものの古典的名作でも用いられている、いわばこのジャンルの王道【=ネタバレ*4】みたいなもののバリエーションではあるのですが、殺人ミステリであると同時に侵略ものでもあることに気を取られてしまいました。

 わざわざ図表まで出てくるような複雑な時系列と【ネタバレ*5】が、条件を一つ変えるだけで新たな構図に変わるのはさすがに手慣れています。四十五年前の事件も単なる前日譚ではなく、もう一つのファクター【=ネタバレ*6】にもなっているところも無駄がないと思いました。

 前作も本書もかなり好きではあるのですが、やはり特殊設定が充分に作品世界に溶けきっていないのと、登場人物たちがあまりにも本格ミステリの住人すぎるのとで、マニア以外にはお勧めしづらい内容となっていました。

 謀殺された幼馴染みの復讐を誓い、ターゲットに近づくためテレビ番組制作会社のADとなった竜泉佑樹は、標的の三名とともに無人島でのロケに参加していた。島の名は幽世島《かくりよじま》――秘祭伝承が残る曰くつきの場所だ。撮影の一方で復讐計画を進めようとした佑樹だったが、あろうことか、自ら手を下す前にターゲットの一人が殺されてしまう。一体何者の仕業なのか? しかも、犯行には人ではない何かが絡み、その何かは残る撮影メンバーにに紛れ込んでしまった!? 疑心暗鬼の中、またしても佑樹のターゲットが殺害され……。

 第二十九回鮎川哲也賞受賞作『時空旅行者の砂時計』で話題を攫った著者が贈る〈竜泉家の一族〉シリーズ第二弾、予測不能な孤島本格ミステリ長編。(カバー袖あらすじ)

  




 

 

 

*1 来訪者は赤色色盲

*2 もう一人の復讐者が被害者のところに来訪者を誘導していた

*3 来訪者は死肉は食らえないため襲った人間を仮死状態にできる

*4 死んだと思った者が生きていた

*5 人物誤認(というか死者誤認)

*6 来訪者は現在の来訪者と四十五年前の来訪者の二人いた

『さむけ』ロス・マクドナルド/小笠原豊樹訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)★★★☆☆

『さむけ』ロス・マクドナルド小笠原豊樹訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)

 『The Chill』Ross Macdonald,1964年。

 裁判所に証人として出廷したアーチャーは、傍聴席にいたアレックスという青年から声をかけられる。結婚したばかりの妻ドリーが結婚初日に姿を消してしまった。その直前には髭面の男が訪ねて来たという。髭面の男がドリーと十年以上会っていない訳ありの父親トマス・マギーであり、ドリーが地元の名士ブラッドショー家でアルバイトをしながら大学に通っていることまではあっさり突き止めることが出来た。だが真意を質したアーチャーに対し、ドリーは「あのひとを傷つけたくないの」と答えるのみだった。やがて事件は起こった。ドリーの主任教授ヘレン・ハガディが銃で殺され、現場にいたドリーは錯乱して「みんなわたしのせい」とうわごとをつぶやいた。

 ヘレンがかつて目撃したという父親アール・ホフマンの知人の暴発「事故」、トマス・マギーが妻を殺したという幼い頃のドリーの証言、過去二つの事件が今回のヘレン殺害事件に関わっていると睨んだアーチャーは、関係者たちを訪ねて回ることにした。

 結婚初日の妻が姿を消したのはなぜか――。シンプルながら魅力的な謎からトントン拍子に事件が動いてゆく前半は、かなり読みやすく気負わず読めます。

 アレックスという青年がヒステリックで情緒不安定な困ったちゃんで、アーチャーも持て余しているのが可笑しかったです。大学の補導部長や主任教授が揃っていい女なのも、ハードボイルドの定石という感じで、微笑ましさすら感じました。

 そんな雰囲気が変わるのは、やはり事件が起こってからでしょう。依頼を通した第三者ではなくさっきまでアーチャーと軽口を叩き合っていた人物が殺されるというのも衝撃でしたが、事件そのもの以上にドリーの精神錯乱に不穏なものを感じずにはいられません。それはミステリの不穏とは違う、サイコ・ホラーのような不穏さかもしれませんが。

 捜査を通してアーチャーは二人の女帝に出くわします。一人はミセス・ブラッドショー。ドリーの雇い主であり、ドリーの通う大学補導部長ロイ・ブラッドショーの母親です。その資産の力によって息子ロイを支配しており(或いはしようとしており)、それでいながらロイと対立すると駄々っ子のような強引さで我を通そうとするなど、この人にも精神的に不安定な様子が垣間見えます。

 もう一人はミセス・デロニー。ヘレンが目撃したという銃暴発事故の被害者ルーク・デロニーの元妻です。田舎町を支配している、いわば地元の上級国民であり、アーチャーは戦いの土俵に上がることすら出来ずにあしらわれます。だからクライマックス付近、「あなたはこの町へ来るというミスをやった。ここはあなたの町じゃありませんよ」というアーチャーの台詞にはしびれました。

 ほかにもドリーの伯母アリス・ジェンクスは典型的なあるあるおばさんで、こういう理屈の通じない人はリアルにいますね。。。

 噓をつき娘と絶縁したまま復縁叶わず後悔してもしきれないヘレンの父親も印象深い人物でした。娘との信頼関係よりも権力者の命令を選んでしまった元警官が、酒に溺れて自分を傷つけ過去も現在もごっちゃになって何もかもむちゃくちゃになっているのは、見るに忍びありません。

 事件に謎めいたところがあったのは、事件そのものが複雑というよりも、影響力の強い人間が噓をついたり噓を強要したりした結果であるきらいがありました。

 結局のところは【ネタバレ*1】というだけの話です。そこに【ネタバレ*2】などが絡んで来たため、巡り巡って結婚初日にドリーが姿を消すという巻頭の事件が起こったということのようです。ヘレンはともかく、ドリーは完全な被害者ですよね。【ネタバレ*3】とはいえ。糞みたいな姉妹と夫婦のせいで不幸になった人が多すぎました。

 それにしても、唐突に明らかにされたレティシャの正体には違和感を拭えません。まるで本格ミステリのような【ネタバレ*4】は、あまりにも作品世界から逸脱しており、衝撃もへったくれもありません。アーチャーの最後の一言、「あげるものはもうなんにもないのだよ、レティシャ」には、そんな憐れみと滑稽みが凝縮されていると見るべきでしょうか。

 実直そうな青年アレックスは、茫然自失の状態だった。新婚旅行の初日に新妻のドリーが失踪したというのだ。アーチャーは見るに見かねて調査を開始した。ほどなくドリーの居所はつかめたが、彼女は夫の許へ帰るつもりはないという。数日後アレックスを訪ねたアーチャーが見たものは、裂けたブラウスを身にまとい、血まみれの両手を振りかざし狂乱するドリーの姿だった……ハードボイルドの新境地をひらいた巨匠畢生の大作(カバーあらすじ)

  




 

 

 

*1 嫉妬深いあねさん女房(レティシャ・マクレディ)が殺したのを、姉(ミセス・デロニー)や夫(ロイ・ブロードショー)が自分たちの地位や名誉のために庇い続けた

*2 ヘレンがロイ・ブロードショーを脅迫していたことや、妹婿を嫌っていたアリスが姪のドリーに噓の証言を強要させたこと

*3 伯母に脅迫されて偽証した

*4 人物なりすまし(ロイの妻レティシャはロイの母ミセス・ブロードショーとして生活していた)

*5 

*6 

『モリアーティ秘録(上・下)』キム・ニューマン/北原尚彦訳(創元推理文庫)★★★☆☆

『モリアーティ秘録(上・下)』キム・ニューマン/北原尚彦訳(創元推理文庫

 『Professor Moriarty: the Hound of the D'Urbervilles』Kim Newman,2011年。

 タイトルからわかる通り、モリアーティ側を主役に据えたホームズ・パスティーシュです。前半は凝りに凝ったパスティーシュ、後半はフィクションキャラ総登場の活劇の趣が強いです。
 

「序文」(Preface)
 ――CEOが逮捕され、ボックス・ブラザーズ銀行が倒産したことにより、この銀行の実態を活字に出来るようになった。その実態とは、犯罪者向けの銀行だったのである。私はフィラミーラ・ボックスのオフィスに招かれた。「貸金庫に何十年も放置されていた品物をどうするかわかる? 価値のあるものは分配し……セバスチャン・モランって聞いたことある?」「ええ、ヴィクトリア朝の人物ですね」デイム・フィラミーラはデスクから箱を取り出した。中身は原稿だった。「これ、本物かしら?」

 ホームズ贋作ではお馴染みの未発表原稿が発見された経緯が綴られています。ワトソンの原稿なら説明不要ですが、この序文ではモラン大佐の原稿が残されている由来が説明されていました。
 

「第一章 血色の記録」(A Volume in Vermilion,2009)★★★★★
 ――一八八〇年、俺さまは四十歳で、傷はあったが強壮だった。“撃砕手”セバスチャン・モラン大佐。ロンドンに着いた俺は金がなかった。「銃は持ってるか、大佐?」俺は留置場仲間からモリアーティ教授を紹介された。「モラン大佐、お前にはしばらく前から目をつけていたのだ。最も威信ある部門の指揮官に任命する」「どういう部門だ?」「殺人だよ」。最初の顧客はモルモン教徒のイーノック・J・ドレバー長老だった。ジェイン・ウィザースティーンと養女のリトル・フェイを連れ去り、岩を落としてタル長老たちを押しつぶしたジム・ラシターの殺害、及び金鉱相続のためフェイを生かして連れてくること。

 『緋色の研究』の背景にあったもう一つの事件が描かれており、ジム・ラシターたちに関してはゼイン・グレイの小説『ユタの流れ者(Riders of the Purple Sage)』が下敷きにされているそうです。ホームズの推理に対するアンチテーゼのようなモリアーティの流儀などからはパロディの面白さ、暗殺から一転して銃撃戦になるところからは西部劇の面白さを感じました。原作ではただただ凶暴な虎のようだったモラン大佐でしたが、悪人とはいえ一人称で内面が描写されると、不思議なもので愛着も湧いてきます。ましてや本作のモラン大佐は任務を甘く見てドジってしまうのですから。原典がSで頭韻を踏んでいたのに対し、Vで頭韻を踏んでいます。
 

「第二章 ベルグレーヴィアの騒乱」(A Shambles in Belgravia,2004)★★★☆☆
 ――モリアーティ教授は常に彼女のことを“あのあばずれ”と呼ぶ。アイリーン・アドラーは天使のような顔と娼婦のような肉体と主要な劇場に損害を与える声の持ち主だった。「ストレルソウ大公は知ってる?」「通称“黒のミヒャエル”、ルリタニアの第三位の王位継承者だ」「付き合っているとき、行為の真っ最中の写真を撮られてしまったの。ねえ、わたしは脅迫されてるの!」モリアーティが首を振った。「納得できない? ちぇっ、演技の実習をしなきゃね。もちろん恐喝したいのよ。秘密警察の長官、黒のミヒャエル、皇太子、王女……全員をね。ルリタニアの半分がわたしを黙らせるため金を払ってくれる」

 「ボヘミアの醜聞」『ゼンダ城の虜』が下敷きにされています。『ミステリマガジン』2009年11月号()に邦訳あり。ワトソンによって美化されていない恋多き女アイリーン・アドラーが、ホームズ同様モリアーティにも一杯食わせるのが小気味よい。ただしそのせいでモリアーティ版「ボヘミアの醜聞」という感じで意外性はあまりなく、普通のパロディの範疇に留まっていました。
 

「第三章 赤い惑星連盟」(The Red Planet League,2008)★★★★★
 ――モリアーティ教授は二つの分野でぬきんでている。数学と犯罪だ。数学でも邪悪さでも代表級のサー・ネヴィル・エアリー・ステントとモリアーティは互いに激しく攻撃し合っていた。彼らは最初、教師と教え子だった。ステントは『小惑星の力学』に反論する講演をおこない、こき下ろし笑いのめした。しばらく無言だったモリアーティがついに言った。「モラン。明日、吸血イカを注文してくれ」

 タイトルこそ「赤髪連盟」のもじりですが、内容は「卵形の水晶球」と『宇宙戦争』がモチーフにされています。作中では、騒動を見学していたウェルズがこの事件をヒントに作品を書いた、ということになっていました。学説を批判されて恥を掻かされたモリアーティが、同じく学者として恥を掻かせて復讐するというのは理に適っています。ただしそのために火星人をでっちあげるところからは、むしろホームズのようなお茶目さを感じました。こういうB級バカ話を隙なく書き込んでいるのがニューマンらしいところです。ステントの日記のフォントに読みづらい不思議なフォントが使われていました。
 

「第四章 ダーバヴィル家の犬」(The Hound of the D'Urbervilles)★★★★☆
 ――ウェセックス州の領主ジャスパー・ストークの依頼は幽霊犬の殺害だった。甥のストークが継いだダーバヴィル家にはレッド・シャックという魔犬の呪いにまつわる言い伝えがあった。11世紀、サー・ペイガン・ダーバヴィルは自分を告発した修道士に復讐せんと、仲間の犬を喰らって大きくなった雌狼の子をけしかけた。その時、修道士の眼が大きくなり、歯が伸び、赤い毛に被われた。サー・ペイガンは噛み殺され、以後ベッド上で死を迎えたダーバヴィル一族はほとんどいない。そして現在、ストークの下男が喉を裂かれて死んでいるのが見つかった。

 トマス・ハーディ『テス』(原題『ダーバヴィル家のテス』)の事件が起こったあとダーバヴィル家を継いだ人物からの依頼という形が取られています。トマス・ハーディは動物愛護家だったそうで、その辺りも作中に採り入れられていました。魔犬の恐ろしさは本家『バスカヴィル家の犬』を凌ぐほどです。モラン大佐が現地に赴きモリアーティはロンドンで情報を受け取るというやり方も原典を踏襲していました。ヴァイオリンの利用法や、依頼料に関する頓知など、随所でモリアーティの個性が顔を出します。
 

「第五章 六つの呪い」(The Adventure of the Six Maledictions,2011)★★☆☆☆
 ――マッド・カルーが部屋に入ってきた。最後に彼に会ったのはネパールだった。カルーが拳を開いた。エメラルドが載っていた。片目の黄色い偶像から眼に当たる宝石を盗ったカルーは、命を狙われているという。「褐色の肌の神官たち。イエティだ。奴らはおれを殺して、緑の瞳の宝石を取り戻すつもりだ。あんたは……コンサルタントなんだろう? こいつを乗り切る助けをしてほしいんだ」。モリアーティは欧州大陸最強の泥棒たちを集め、六つの宝石リストを見せた。

 第一章もそうでしたが、本章でも日本では有名ではないJ・ミルトン・ヘイズ「黄色い神の緑の眼」が元ネタの話です。『恐怖の谷』のボールドウィンやジョン・ダグラス、「赤髪連盟」のジョン・クレイなど、モリアーティが関わった事件がモラン大佐の視点で語られていましたが、内容は「六つのナポレオン像」とは無関係でした。モリアーティが盗むべき六つの宝物を数え上げるところは、『カリオストロ伯爵夫人』の四つの謎を思わせてわくわくしたものですが、謎やロマンは皆無でした。モラン大佐が宝物を盗むため奮闘し、最後には怪物じみた大男まで登場する、白黒時代のドタバタホラー映画みたいなノリの作品でした。
 

「第六章 ギリシャ蛟竜」(The Greek Invertebrate)★☆☆☆☆
 ――「やあジェイムズ」と教授が言った。「やあジェイムズ」と彼の兄弟の大佐が言った。コンジット街へ戻ると電報が待っていた。末弟のジェイムズ・モリアーティ駅長からだった。『巨大なワームに襲われた! すぐ来い』。特別列車には他にも招待された連中が乗っていた。心霊研究家ルーカス、幽霊狩人カーナッキの偽物、教区牧師ドゥーン、懐疑主義者サバン、動物学者マダム・ヴァラドンだ。駅に到着すると、やがてトンネルからワームが突進してきた……。

 前章「六つの呪い」にはまだ六つの宝石リストという魅力がありましたが、本篇にはそれもなく、モリアーティ三兄弟やカーナッキらフィクションの探偵や悪党がガヤガヤやっているだけの話でした。マイクロフトが出てきた「ギリシア語通訳」に倣ってモリアーティの弟が登場しますし、スパイものなのは同じくマイクロフトが登場する「ブルース・パーティントン設計書」からでしょうか。くどいまでのジェイムズネタは完全に笑いを取りに来ていますね。「ギリシア語通訳」で印象深い復讐者ソフィーがこの作品と次の「最後の冒険の事件」でも活躍します。作中では戦闘列車をその形状から「ワーム」と称していますが、「ギリシア語通訳(The Greek Interpreter)」と頭韻を踏ませたかっただけで、さしてワームでも竜でもありません。
 

「第七章 最後の冒険の事件」(The Problem of the Final Adventure)★★★☆☆
 ――結末は知っているだろう。滝からの転落だ。いかにしてモリアーティが死んだか、知っているのはふたりだけだ。ひとりは激流に飛び込んだ。もうひとりが、俺だ。コーンウォールから帰還して三週間後、ソフィーが犯罪商会に加わった。モリアーティは犯罪者たちを集めて演説した。「我々はヒーローどもを叩き潰さねばならん」。演説の噂は世界中の悪党どもに広がった。俺は手渡された空気銃を確かめた。「最初に狙うのはどの探偵だ?」「あれは法螺話だ。真の目的から注意を逸らすためのものだ。マブゼだけを招待したのでは罠だとわかりやすすぎるから、ほかにも招集したのだ」

 モリアーティ教授&モラン大佐の側から見た「最後の事件」という趣向もあるにはありますが、ホームズはほとんどおまけのようなもので、実際には「ギリシャ蛟竜」にも登場したライバル犯罪者ドクトル・マブゼの野望を打ち砕く――という内容になっていました。そうは言ってもやはり最後は「最後の事件」で締めてくれました。アイリーン・アドラーが再び登場し、帯にも引用されている「セバスチャン。あなたのご主人が、口笛で呼んでるわ」という決定的なセリフを口にします。飼い犬のままで終わっていいの?という挑発ですね。「最後の事件」の真相がこれだとすると、「空家の冒険」は復讐というよりも、邪魔な名探偵を排除しようとしたということなのでしょう。

 犯罪者に計画や助言を与える悪の巨魁・モリアーティ教授の右腕として活躍したモラン大佐は、二人が経験した奇妙な冒険を文書に書き残していた――男たちや国家を翻弄する歌姫アイリーン・アドラーの策謀、地方領主の依頼を受けてモランが単身向かった魔犬が出没する地の連続怪死事件……博覧強記の鬼才がシャーロック・ホームズ譚を元に描いた、極上のエンターテインメント!(上巻カバーあらすじ)

 呪われた宝玉にまつわる謀略のため、ロンドンが秘密結社の大抗争で狂乱に陥る六つの呪い事件を始め、犯罪商会《ザ・ファーム》の暗躍はとどまるところを知らない。モリアーティ三兄弟が勢揃いして陰謀をめぐらす巨大ワーム出現事件を経て、ライヘンバッハの滝であの“名探偵”との死闘に至り、モリアーティ教授とモラン大佐の冒険は衝撃の結末を迎える。世紀の悪役《ヴィラン》たちの活躍を描いた破格の傑作。(下巻カバーあらすじ)

   

『20世紀ラテンアメリカ傑作選』野谷文昭編訳(岩波文庫)★★★☆☆

『20世紀ラテンアメリカ傑作選』野谷文昭編訳(岩波文庫

 一番新しい作品で1991年、古いものだと今から百年以上前の1912年の作品が収録されています。テーマごとに四つの部に分けられていますが、各テーマの範囲が広すぎてテーマ別に分ける必要性が感じられません。
 

「I 多民族・多人種的状況/被征服・植民地の記憶」

青い花束」オクタビオ・パス(El ramo azul,Octavio Paz,1949)★★★★☆
 ――僕は服を着て、靴をはいた。宿の入口で片目の主人に出くわした。「どこへ行くのかね」「散歩だよ。ひどく暑いね」「だが店は閉まっとるよ。それにここは道に明かりがない。部屋にいる方がましだと思うが」、僕は肩をすくめ、闇の世界に足を踏み入れた。ゆっくりと長いこと歩いた。身構える間もなく、背中にナイフのきっ先が当たり、やさしい声がした。「あんたの目をもらうだけだよ」「何でもやる。殺さないでくれ」「殺すつもりはないよ。恋人の気まぐれでね。青い目の花束が欲しいと言うんだ」

 メキシコ出身。集英社文庫ラテンアメリカ五人集』で既読のはずですが忘れていました。タイトルがタイトルなだけに、「赤レンガの床」「灰色がかった蛾」「黄色い光」「緑色に塗られた階段」「白い塀」といった色の描写に目が行きます。「宇宙とは巨大な信号のシステムであり(中略)星のまたたきは、この会話の中にちりばめられた休止と音符にほかならなかった」「夜は瞳の園」という星を目になぞらえた表現も、内容からすると象徴的です。結局のところ語り手の身に起こったことはよくわかりません。語り手の目は実際に青くなかったのか。それともまつげが燃えるほど火を近づけられて焼けて青くなくなってしまった。すでに目がなかった……? 宿の主人が片目だったことを鑑みると、宿から出てきた語り手を宿の主人と間違えて襲ったと考えるのが妥当でしょうか。「青い目をした者なんてほとんどいないもんだから」、もう片方の目も奪うつもりで。

 解説によると、「先住民文化を背負った若者とヨーロッパ的教養の持ち主で外見も異なる語り手の出会いがもたらす小さなドラマ」と書かれてあり、青い目にはそういう意味があるのかと目から鱗が落ちました。日本人から見るとどちらも外国人だものなあ。
 

「チャック・モール」カルロス・フエンテス(Chac Mool,Carlos Fuentes,1954)★★★☆☆
 ――ついこのあいだ、アカプルコでフィリベルトが溺死した。書類カバンを開けてみると、ちゃちなノートが入っていた。〈おれが前から捜していたチャック・モールの複製があると、ペペが教えてくれた。〉〈買値より送料の方が高くついてしまった。〉〈朝、目を覚ますと配水管がおかしくなり、地下室が水浸しになっていた。〉〈ぞっとするような悲鳴で一時に目が覚めた。〉〈地下室は乾いたが、チャック・モールは苔むしてしまった。なんだか像もやわらかくなっている。石像ではなく石膏製だったのだ。〉〈チャック・モールの腕に毛が生えている。〉

 パナマ出身。ごくオーソドックスな人形の怪――というのはフィリベルトの妄想の産物で――と思われたものが実は――というところまで、怪談として読めば極めてオーソドックスな作品です。
 

「ワリマイ」イサベル・アジェンデ(Walimai,Isabel Allende,1989)★★★★☆
 ――わしの名はワリマイで、わしらの言葉では風を意味する。その話をしてやってもいい。あんたはもう実の娘同然だからな。あるときピューマの足跡を追ったわしは、えらく遠出してしまい、兵隊たちに捕まってしまった。お天道様が昇ってから沈むまで、ゴム採集で働かされた。ゴムの仕事を二週間続けると、監督は紙きれをくれ、囲われている女のところへ行けと言った。娘はイラ族の出だった。娘の魂はすっかり弱っていた。

 ペルー出身。短篇集『エバ・ルーナのお話』からの一篇。軍部に使役される先住民という社会問題が、いつしか死者の魂と共生する話に移り変わっている、まさに南米マジックリアリズムといった作品です。その一方でマジックではないただのリアリズムだと思って読むならば、妄想によって人を殺すサイコパスの話でしかないわけで、地域は変われどアフリカの一部には今もウィッチドクターがいることを考えると、文化の違いがそれだけでファンタジーになることもありそうだとさえ思ってしまいました。
 

「大帽子男の伝説」ミゲル・アンヘル・アストゥリアス(Leyenda del Sombrerón,Miguel Ángel Asturias,1930)★★☆☆☆
 ――修道士は穏やかな日々を過ごしていた。そんなある日、修道院の塀に沿った道を、男の子が一人、ゴムまりをつきながら通りかかった。するとそのまりが僧房の窓から中に飛び込んでしまった。やがてこの信心深い男の胸に、まりみたいにぴょんぴょん跳ねてみたいという狂気にも似た思いが生まれてきた。寺院の入口で信者たちを待ちながらも、修道士は想像の中でまりと戯れていた。あの軽さ、すばしこさ、白さときたら……だが、もしもあれが悪魔だとしたら……。

 グアテマラ出身。わけがわかりませんでしたが、大帽子男(ソンブレロン)とはグアテマラに伝わる妖怪の伝承なのだそうです。だからといって白い鞠が黒い大帽子になる道理もないわけですが、シュルレアリスムに影響を受けたと解説に書かれてあってさもありなん。マジックリアリズムという用語の生みの親だそうですが、わたしの知っているマジックリアリズムとは違いました。悪魔に憑かれて妖怪になってしまったとはいえ、鞠が悪魔とは禁欲にもほどがあります。
 

「トラスカラ人の罪」エレーナ・ガーロ(La culpa de los tlaxcaltecos,Elena Garro,1964)★★★★☆
 ――台所の戸を叩く音が聞こえて、ナチャは戸をそっと開けた。ラウラ夫人は焼け焦げと泥と血がこびりついた白いドレスを着たままだった。「若奥さま!……てっきり、もう亡くなったものと思い込んでいました」「亡くなったですって?」夫人は悲しげだった。「悪いのは、トラスカラ人だと思わない?」「はい、若奥さま」「わたしはあの連中と同じ裏切り者なの。ねえ、ナチャ、あの旅行でガソリンが切れたとき、お義母さまは旅行者の車で修理工を探しに行っちゃって、あたしは置いてきぼりにされたの。湖の前で目眩に襲われると、そのとたん、あの人の足音が聞こえたのよ」

 メキシコ出身。これは解説を先に読んで歴史背景を理解してから読まないとわかりづらい作品でした。トラスカラとはスペインの侵略に屈して協力してアステカを滅ぼした中南米の国家の名前で、家族を殺されたアステカ人の妻ラウラが「時の裂け目のひとつから逃げ出して」現代で別の人生を送っていたところに、恐らくは戦死した元夫が現れて二人で元の世界に帰ってゆくという話です。妻が信頼できる料理人ナチャに語っているという形式もわかりづらさの理由の一つになっていました。山本周五郎「その木戸を通って」あたりを連想しますし、似た着想のSFも多分あるのでしょうが、アステカを材に採るのはやはりラテンアメリカならではだと思います。
 

日蝕」アウグスト・モンテローソ(El eclipse,Augusto Monterroso,1959)★★★★☆
 ――道に迷ったバルトロメ・アラソラ師は覚悟を決めた。目を覚ますと先住民の一群に囲まれ、祭壇の前で生贄にされようとしていた。彼はその日皆既日蝕が起きることを思い出し、その知識を利用することにした。「私を殺したりすれば、空にある太陽を隠してしまうぞ」

 グアテマラ出身。世界一短い小説「恐竜」の作者として有名です。先住民に対する先入観・偏見が、マヤという誰もが知っている常識によって軽やかに覆されるショート・ショートです。
 

「II 暴力的風土・自然/マチスモ・フェミニズム/犯罪・殺人」

「流れのままに」オラシオ・キロガ(A la deriva,Horacio Quiroga,1912)★★★☆☆
 ――男は毒蛇に嚙まれた。男はかがんで嚙まれた箇所の血を拭うと、自分の小屋めざして歩き続けた。脚の痛みはさらに増し、腫れて刺すような痛みが走った。それは傷に始まり、ふくらはぎの半ばまで達した。小屋にたどり着いた頃には暗紫色に変わり、早くも壊疽を思わす光沢を帯び始めた。死にたくはない。川岸に下りて行き、カヌーに乗った。流れに乗ってしまえば町まで五時間で着くはずだ。川の流れは速い。

 ウルグアイ出身。本書収録作家のなかでも最古参、ラテンアメリカ文学ブーム以前の作家でした。蛇に咬まれてなすすべもなく町を目指すなか、最後は記憶が混乱して唐突に力尽きるという容赦のない現実が描かれていました。
 

「決闘」マリオ・バルガス=リョサ(El desafío,Mario Vargas Llosa,1958)★★★★☆
 ――俺たちがビールを飲んでいると、レオニダスが姿を見せた。「フストが今夜、やるんだとよ」。昼過ぎにフストとちんばがばったり出くわし、〈筏〉でやることになったそうだ。「あいつ、ちんばに殺られちまうぜ」「黙ってろ」。フストと合流し、〈筏〉に行くと、ちんばたちの姿が見えた。「なんでレオニダスを連れてきたんだ?」ちんばがかすれ声で言った。「連れてきてもらう必要なんかねえ。わしは自分の足できたんだ。それは口実で、本当はやりたくないんならそう言いな」「わかったよ、じいさん」。フストとちんばはナイフを確かめ合い、向かい合った。

 ペルー出身。初めから終わりまで、いがみ合っている男二人が決闘するというだけの話です。周りの男たちも決闘者二人を尊重して見守り、協力し、たとえ実の息子が死んでも決闘を尊重し決闘をやり切った息子を誇るという、バトル漫画のような中二病的男らしさが横溢していました。この作品自体はフィクションとはいえ、当時のペルーの田舎には恐らく現実にこういう世界があるのでしょう。
 

「フォルベス先生の幸福な夏」ガブリエル・ガルシア=マルケス(El verano feliz de la señora Forbes,Gabriel García Márquez,1982)★★★☆☆
 ――家に戻ると首を扉のかまちに釘づけにされたウミヘビを見つけた。弟が悲鳴をあげて逃げ出したので、フォルベス先生に自制心の無さをとがめられた。彼女はぼくと弟の行いを重箱の隅をほじくるように点検する。父がドイツ人の女性家庭教師を雇ったことで、夏休みの宴は終わった。ところがまもなく、先生が自分に対しては他人に対するほど厳格でないことに気づいた。

 コロンビア出身。ホームグラウンドであるコロンビアを離れて、イタリアを舞台にした作品です。厳しい指導を恨んで家庭教師を殺そうとする弟の、近視眼的な思い込みが、子どもらしいというよりも唐突すぎてついていけませんでした。唐突といえば結末も、鮮やかというよりも強引だと感じました。イタリアが舞台なのは愛や情熱による殺人というイメージによるものだと思うと、世界的文豪でもそうしたステレオタイプを書くのかと微笑ましくなりました。
 

「物語の情熱」アナ・リディア・ベガ(Pasión de Historia,Ana Lydia Vega,1987)★★☆☆☆
 ――そのころ私は、ちょっと前に起きた情熱的犯罪を題材に作品を書いているところだった。けれど日が経つにつれて、集中力はとぎれてしまう。そんなときにビルマから手紙を受け取り、フランス・ピレネーの小さな村で一緒に三週間過ごさないかと言われた。用意されていたのは快適な部屋で、洒落た書き物机まであった。「ここで何か生めなけりゃ、あんたはただの石女ってことよ」。やがてビルマが暴力をふるう夫のポールとうまくいっていないこと、義母はポールの味方をしていることなどがわかってきた。

 プエルトリコ出身。書けないことの言い訳にあれこれ理屈をこねてゴシップに耽っているだけの語り手が痛々しい。編集部註にある「本書の原稿」というのが、作中作である「情熱的犯罪を題材にした作品」のことなのか、それを書こうとしている語り手の記録全体のことなのか、よくわかりません。
 

「III 都市・疎外感/性・恐怖の結末」

「醜い二人の夜」マリオ・ベネデッティ(La noche de los feos,Mario Benedetti,1968)★★★☆☆
 ――僕たちはとても醜い。彼女は頬骨が陥没していた。僕の口許にはぞっとするような火傷の痕がある。二人の眼差しは恨みに満ちている。知り合ったのは映画館の入口だった。僕たちは互いの醜悪さをまじまじと見つめ合った。映画が終わると出口で彼女を待ち、話しかけた。「あなたは世の中から追い出されたと感じているでしょう。バランスの取れた顔になりたいと思っている。僕だってそう思う。でも僕たちが何かを得る可能性だってあります」「たとえば?」「可能性は闇にあります」

 ウルグアイ出身。解説によればタブーを破ろうとする時代の作品のようです。現実を覆い隠して理想で誤魔化そうとしてみたあとで現実を受け入れるという内容には普遍性がありました。
 

「快楽人形」サルバドル・ガルメンディア(Muñecas de placer,Salvador Garmendia,1966)★★☆☆☆
 ――僕が頻繁に勃起することと香のにおいの間には個人的な関係が存在する。『快楽人形』、それが今日、僕が選んだ一冊のタイトルだ。僕は広場のあたりをしばらくぶらつく。男たちが人ごみの中へ消え、続いて女性群が現れる。豊かな胸をした金髪娘の後を追うことにしたが、二ブロック先で台無しになる。喫茶店の入口で男が待っていた。

 ベネズエラ出身。オナニーのネタを街で探して見つからなかった挙句にマリア像でオナニーした話だけの話にしか見えないのですが……。
 

「時間」アンドレス・オメロ・アタナシウ(Tiempo,Andrés Homero Atanasiú,1981)★★★★☆
 ――ハンスは窓のカーテン越しに外を見た。若い娘たちが海岸に向かって進んで行く。庭師を待っているのでなければ、その行列に仲間入りしたいところだった。すっかり伸びた植え込みを見ていると古い悲しみが甦った。クラーラとハンスは、幸福を期待できるかどうかも分からぬまま、酷しい孤独の中へ逃げこむことにしたのだった。彼らがなかなか来ない庭師を待っていたのは九月のことだ。

 アルゼンチン出身。時間、それも人生の時間をテーマにしたオムニバス作品です。一話目の「庭師」は姿を見せない庭師を待ち続ける孤独な夫婦の話かと思いきや、なるほどそういう作風でしたか。庭師の正体からの連想か、ブラッドベリの初期の短篇を思い出しました。
 

「IV 夢・妄想・語り/SF・幻想」

「目をつぶって」レイナルド・アレナス(Con los ojos cerrados,Reinaldo Arenas,1972)★★☆☆☆
 ――あなたには全部話すよ。ぼくはまだ八歳だから学校に通っている。それが悲劇のもとなんだ。学校がすごく遠いので、いつもなら学校まで走って行く。でも昨日はちがった。ゆっくり歩いていると、猫につまづいた。かわいそうに、車にひかれたんだ。橋の上で立ち止まって下を見ると、子供たちがドブネズミをいじめていた。

 キューバ出身。たぶんこれは訳が悪い。子どもの一人称は難しい。
 

「リナーレス夫妻に会うまで」アルフレードブライス=エチェニケ(Antes de la cita con los Linares,Alfredo Bryce Echenique,1974)★★★☆☆
 ――「ちがうんです、精神科医の先生、ぼくは変な夢ばかり見ると言ってるんです」「悪夢だな」「悪夢じゃないんです、精神科医の先生、むしろ滑稽なんですよ」「セバスティアン、わたしを精神科医の先生と呼ばないでくれ、セニョール・ミスターと呼ぶようなものだ。先生でいい」「分かりました、精神科医の先生、叔母さんがジョギングパンツをはいていたり、お祖母ちゃんがローラースケートを履いていたり、あんたがうんちをして……」

 ペルー出身。夢というか妄想というか変なことを語り尽くす困った患者さんでした。
 

「水の底で」アドルフォ・ビオイ=カサーレス(Bajo el agua,Adolfo Bioy Casares,1991)★★☆☆☆
 ――肝炎が治った僕は、きれいな空気を吸うよう医者から勧められた。散歩していると、医者の家の桟橋に下りる階段に、えらく美人の女性が腰を下ろしていた。医者の姪のフローラだった。フローラには二十歳以上の上の恋人がいるということだったが、出会った僕たちは恋に落ち愛し合った。「湖に近づきすぎちゃだめよ」とフローラは言った。

 アルゼンチン出身。療養先で遭遇した恋と三角関係の話かと思っていると、何をどう間違ったのか、科学者の若返り実験で鮭の内分泌腺を移植された六十歳の男が半魚人になってしまうというB級怪獣小説になってしまいました。

  

『探偵は友人ではない』川澄浩平(東京創元社)★★☆☆☆

『探偵は友人ではない』川澄浩平(東京創元社

 不登校の少年と幼なじみの中学生を中心とした日常の謎と瑞々しい感性が印象深かったデビュー作『探偵は教室にいない』の続編です。ですが、どうしちゃったの……というくらいに出来が悪くなっていました。正確に言えば出来が悪いというより、ミステリ部分よりも青春部分の比重が重くなっているということなのでしょうか。
 

「第一話 ロール・プレイ」★★☆☆☆
 ――エナとバッシュを買いに行ったとき、バスケ部のOB鹿取先輩と会い、先輩が小学生のとき塾の友だちだった鳥飼歩の話になった。塾講師の大学生バイト水野先生の演劇を観に行ったとき、失敗した水野先生を歩が非難して以来、絶交してしまったという。今はわたしたちの中学の英語教師になっていた水野先生と話してみたが、「演劇に向いてない方がまだよかった」という謎めいた言葉を残すのみだった。わたしは当事者の歩に当時の事情を聞いてみることにした。

 水野先生が客席の携帯オフに厳しかったというのが伏線として不自然すぎるうえに厳しい理由も定かではないので、作られた謎と真相という印象が強すぎました。水野先生の演技の実力もよくわかりません。意欲的だが下手なのか、実力はあるが歩たちが観たときミスっただけなのか、ヘタウマな実験的な作風なのか。芝居好きの間で有名という描写もまた、評価されているという意味なのか、変人として有名という意味なのか、美人だから有名という意味なのか。

 小学生の他意のない不行跡を許せない大学生の若さという苦さ痛々しさに満ちた事件そのものについては、前作同様の切れがあるだけに、もうちょっと整理してほしかったところです。
 

「第二話 正解にはほど遠い」★★☆☆☆
 ――「真史先輩!」後輩の彩香ちゃんがやけに懐いてくるようになった。鹿野先輩の妹である彩香ちゃんは、歩と鹿野先輩が仲直りしたきっかけを作ったわたしのことを尊敬しているのだという。実家の洋菓子店で出すクリスマスのクイズにわたしのバッシュを使いたいから貸してくれと言われたときにはさすがに困惑した。だがクイズに正解すればケーキをくれるという言葉に負けてしまった。クリスマスツリー、サンタ、枕それぞれにバッシュが写った写真と、松ぼっくりの写真。2枚の雪だるまの写真のどちらかが正解だという。

 第一話では不登校の探偵の旧友との仲直りが描かれており、この第二話では探偵が幼なじみへの思いと向き合わざるを得ない状況に立たされていることから、本書はミステリよりも登場人物の成長に重きを置いているようです。

 クイズにしては必要な知識に偏りがありますが、クイズに隠された個人的なメッセージだと明かされればなるほどまあわからないでもありません。
 

「第三話 作者不詳」★☆☆☆☆
 ――美術準備室にあった右手の絵がわたしの右手に似ているのが気になった。エナと聡士くんと京介くんと行った初詣で柳先生を見つけ、悪戯心から尾けてみると、先生は沖縄ショップで買い物をしてから、振り返った。どうやら尾行はばれていたらしい。年が明けて五日目、バスケ部の自主練習から帰ろうとすると、生徒会の用事で登校していた彩香ちゃんに会った。美術部でもある彩香ちゃんに似顔絵を描いてもらおうと美術室に行くと、なぜか鍵は開いていて、沖縄の本が置いてあった。柳先生の沖縄旅行のお土産だという。

 前二話も無理矢理感の強い作品でしたが、この作品はもはやロジックのためのロジックのようで読むのにも苦労しました。お土産に関する噓が第四話へのガイドラインとなっていたり、不登校に対する教師の対応からは歩の将来を予感させたりと、作品全体として意味のある話ではあるのだとは思います。
 

「第四話 for you」★★☆☆☆
 ――聡士くんのお姉さんがアルバイトしている喫茶店で、不思議な話を聞いた。喫茶店の休憩室には二時を指したまま止まった時計があるのだが、今は十二時を指しているという。店長が生まれる我が子のスタートを意味して零時に動かしたのだとして、では二時にはどういう意味があるのだろうか。「鳥飼くんに解いてもらいなよ」という言葉にはうなずけなかった。これまで歩に会ったのはどうしても解いて欲しい謎があるときだけだ。仙台への家族旅行。歩にお土産を買うべきか迷っていると、歩から電話が来た。今はサンフランシスコだという。

 最終話でタイトルが回収されます。時計の謎は「謎がなければ歩に会いに行けないのか?」というマクガフィンのようなもので、歩によるあまり説得力のない推論はありますが真相は不明のままで、実際真相は重要ではありません。謎がなければ会いに行けないというのはつまり謎があれば会いに行けるということなのですが、探偵の方からは来てくれないかぎり会いに行けないということでもあります。その状態をどうクリアするか、二人ともがそれぞれ歩み寄る【※ネタバレ*1】のがテーマに相応しかったです。

 わたし、海砂真史の幼馴染み・鳥飼歩はなぜか中学校に通っておらず、頭は切れるが自由気儘な性格で、素直じゃない。でも、奇妙な謎に遭遇して困ったわたしがお菓子を持って訪ねていくと、話を聞くだけで解決してくれた。彼は変人だけど、頼りになる名探偵なのだ。

 歩の元に次々と新たな謎――洋菓子店の暗号クイズや美術室での奇妙な出来事――を持ち込む日々のなかで、ふと思う。依頼人と探偵として繋がっているわたしたちは、友人とは言えない。でも、謎がなくたって会いたいと思った場合、どうすればいいのだろう?

 ささやかな謎を通して少年少女の心の機微を描いた、第28回鮎川哲也賞『探偵は教室にいない』、待望のシリーズ第2弾!(カバー袖あらすじ)

  




 

 

 

*1 歩は嘘をついてお土産を渡す。ウミの方で逆に謎解きをする。

*2 

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