『二人で探偵を』アガサ・クリスティ/野口百合子訳(創元推理文庫)
『Partners in Crime』Agatha Christie,1929年。
2024年発行。カバーイラスト:ますこひかり。カバーデザイン:柳川貴代+Fragment。解説:古山裕樹。
トミーとタペンス・シリーズ二作目の新訳です。原題は「partner in crime(共犯者・犯罪行為の仲間)」のもじりで、「犯罪捜査の仲間」と洒落たもの。ハヤカワ版では旧訳新訳ともに『おしどり探偵』の訳題でした。
スパイの手がかりを摑むため探偵に扮した二人が、今までに読んだ探偵小説に倣ってどうにか探偵活動をしようとするパロディ集でもあります。
新訳なので訳語がアップデートされているほか、パロディ元に関して補い訳をしていたり、言葉遣いがフランクになっていたりしますが、言い回しはハヤカワ・ミステリ文庫の旧訳の方がこなれているしわかりやすい箇所もあると感じました。
「1 フラットの妖精」(A Fairy in the Flat,1924)★★★☆☆
――「あーあ、なにか起きないかな」ミセス・ベレズフォードはあくびした。「わくわくするようなこと。もし妖精でも見つけられたら――」「妙な偶然だな」トミーが立ちあがって写真を持ってきた。「このあいだの写真ね」「見せたかったのはここだ」トミーは写真の白い斑点を指さした。「フィルムの傷よ」「違うよタペンス。妖精だ」そんなやり取りをしていると、アルバートがミスター・カーターの来訪を告げた。スパイ活動により所長が勾留されている国際探偵社でブラント所長のふりをしながら、16という数字を口にした者が来たら知らせてほしい。ついては気晴らしに通常の探偵業務もやってはどうかね――。
プロローグ。妖精とはわくわくすることの象徴であるようです。二人はいつもいつでも冒険に飢えています。
「2 お茶を一杯」(A Pot of Tea,1924)★★★☆☆
――数日後、一人目の依頼人が国際探偵社を訪れた。「その――スミスと申します」「それはいけません! ご本名を」。客はすっかり感心してトミーを見た。「セント・ヴィンセントといいます。行方知れずの人を探してほしいんです」そのときブザーが鳴った。タペンスが引き継ぎたがっている合図だ。「失礼」と言って電話を取ると、「首相ご自身が? 申し訳ありません。急用ができたため個人秘書にお話しいただけますか。ミス・ロビンソン」。タペンスが入ってきた。「関心を持たれているご婦人が失踪したというこということですね」「ジャネットは帽子店で働いているのですが、昨日から出勤していないというんです」「二十四時間サービスをご希望ですか」
雑誌には「フラットの妖精」とまとめて発表されました。Wikipediaによると「マルコム・セージのパロディ」と書かれていますが、元諜報員が探偵事務所を設立するという設定が似ているということのようです。これもプロローグ的な内容ではありますが、探偵小説は真相から逆に仕込んでいるんだから――という理屈からタペンスが思いついたアイデアが、一応の伏線のように働いています。言ってみれば探偵小説そのもののパロディと言えなくもないような。
「3 ピンクの真珠の謎」(The Affair of the Pink Pearl,1924)★★★☆☆
――ミス・キングストン・ブルースは、安物だが目を引く服装をしていた。「昨夜、うちに泊まっているご婦人が高価なピンクの真珠をなくしたんです。警察には知らせていません。母に言われてここへ来ました」。依頼人が出ていったあと、タペンスが言った。「さあ、トミー、だれのの流儀でやるつもりなの」「今日はソーンダイク博士でいくよ」「この事件に法医学は必要ないと思うけど」「新しいカメラを使いたくてたまらないんだ」。二人はキングストン・ブルース大佐に話を聞いた。留め金が壊れたので置いておいた、ミセス・ベッツのペンダントがなくなったのだという。レディ・ローラには盗癖の噂があった。ミスター・レニーは悪名高い社会主義者だった。
トミーがソーンダイク博士にチャレンジする――とは言っても科学の知識は皆無で、新しいカメラを使ってみたいだけ――というのが解決に活かされていました。古典的ですがよくできています【※疑わしい人物にカメラのガラス板を触らせてさり気なく指紋を取った】。恋人同士がお互いに疑り合っていたせいで第三者からは怪しく見えるというのも古典的ですね。地味ながら手堅い小品だと思います。
「4 不審な来訪者」(The Adventure of the Sinister Stranger,1924)★★☆☆☆
――アルバートが封印された小包を持ってきた。「封印された小包の謎だな」「実はフランシス・ハヴィランドへの結婚祝いなの」荷物には郵便物もあった。整理していたトミーが口笛を吹いた。「ロシアの切手が貼られて青い封筒だ」興奮して話すトミーとタペンスは、いつの間にかドアの前に男が立っていることに気づいた。ドクター・バウアーと名乗るその男は、自身の研究を盗むために身内が部屋を漁っているらしいと訴えた。依頼人が帰ると二人は話し合った。「手紙をちらちら見ていたもの、悪党の一味よ」「じゃあぼくたちの役はオークウッド兄弟だな」そうこうするうち、アルバートが今度は警部の名刺を運んできた。マリオット警部の友人ディムチャーチ警部とある。
今では忘れ去られたヴァレンタイン・ウィリアムズのオークウッド兄弟(トミーがデズモンド、タペンスがフランシスに)。冒頭の伏線はスマートですし、そこにオークウッド兄弟【の名前】も絡めているのは無駄がありません。とは言えトミーは途中で意見を変え、この事件はスパイもののオークウッド兄弟ではなく冒険小説のブルドック・ドラモンドものだと反省しています。【初めにわざと怪しい人物を登場させたあとで、警官に扮した二人目の悪役が出てきて安心させるという、】トミーたちには通じた二重の囮も、現代の読者には見え見えなので面白味には欠けます。
「5 キングの裏をかく」「6 新聞紙の服を着た紳士」(Finessing the King/The Gentleman Dressed in Newspaper,1924)★☆☆☆☆
――「トミー、またダンスに行かない?」「奇妙な事実がわかったんだがね、このデイリーリーダー紙の題字を見ろよ。白い点が毎日違う場所にあるんだよ」「話を戻しましょう」「何だっけ」「舞踏会よ」「ぼくはもう若くないんだ」「じつはこの広告が気になったの」『ビッドはスリー・ハートで。12トリック。スペードのエース。キングをフィネスする必要あり』。「〈スペードのエース〉店で開かれるスリー・アーツ舞踏会で12時に何が起こるか探りたいと思ったの」翌日の夜、おしのびのマッカーティの仮装をして、二人は舞踏会に向かった。「どれかしら、くだんのカップルは」「あの悪人面と戦艦のご婦人かもな」「ハートの女王、すてきな衣装ね」その相手は『鏡の国のアリス』に出てくる〝紙の服を着た紳士〟に扮していた。二人は隣の小部屋に入ったが、男だけがすぐに出てどこかへ行った。そのまま戻ってこない。「トミー、なにかおかしい」
これまた今では忘れられたイザベル・オストランダーの元警官マッカーティと消防士リオーダンに、タペンスとトミーが扮装します。警官と消防士の扮装をして仮装舞踏会に乗り込む衣装程度の関連に思えますが、クリスティー文庫版の割り注によれば、『おしのびのマッカーティ』自体、マッカーティが変装して活躍するという内容だそうです。アリスづくしでもありました。
新聞の題字にある白点が日によって違っているというやり取りは、クリスティとは思えないくらい伏線としてあからさま過ぎて啞然とします。或いは実際にあるネタが元なのでしょうか。その伏線を元にした真相もまたどう考えても不可能なもので、ミステリとしてはどうしようもありません【※罪を着せたい人物と同じ仮装をした犯人が、被害者にちぎり取られた仮装の一部とまったく同じ形に生贄の衣装をちぎり取った】。仮装していた人物が別人だったというのも、意外でも何でもないでしょう。
本書はどうやらSirとLordをサーと卿のように訳し分けているようです。
ミステリ文庫版の訳者あとがきによれば、本書収録作の幾つかはなぜか単行本化の際に前後編に分けられていて、「ピンクの真珠の謎」「不審な来訪者」等はタイトルも同一ですが、「キングの裏をかく」「新聞紙の服を着た紳士」は前後編でタイトルも違っているそうです。前後編に分けられた話がほかの話と比べて特に長いわけでもなく、犯人当てなどの趣向があるわけでもなく、分けられた理由が謎です。ハヤカワ版は、内容も二つに分かれている「フラットの妖精」「お茶を一杯」を除いて前後編を一話にまとめていますが、本書創元版ではタイトルの違うものは別立てとなっています(※章立ては本書オリジナルではなく、どうやら底本によって本書と同じ章立ての版があるようです)。
「7 失踪した婦人の謎」(The Case of the Missing Lady,1924)★★★☆☆
――ブザーが鳴り、トミーとタペンスはのぞき穴へ飛んでいった。「ミスター・ブラントは多忙でして」「待ちますよ。ゲイブリエル・スタンヴァンソンと申します」。トミーは心を決めてドアを開けた。「数分ならお話をうかがいましょう。ご用件は? 緊急であること、タクシーでいらしたこと、北極圏か南極圏におられたこと以外、ぼくは知りませんので」「鮮やかなものだな。探偵がそういうことをするのは本の中だけかと思っていました。三日前に北極探検から英国に戻りました。友人のヨットに乗せてもらわなければ、あと二週間は戻れなかったでしょう。二年前にこの探検に出発する前に、ミセス・モーリス・リー・ゴードンと婚約しました。さっそくハーマイオニーが滞在しているレディ・スーザンの屋敷に行きましたが留守でした。ところがハーミーは友人のところに行く予定を変更していて、どこにいるのか見当もつきません」
これもクリスティにしては伏線が見え見えですが、全体としてホームズ譚らしい雰囲気は出ていると思います。
「8 目隠し遊び」(Blindman's Buff,1924)★★☆☆☆
――「訓練を積むべきだ。偉大な巨匠たちの模倣だよ。たとえば――」トミーは引き出しから深緑の眼帯をとりだし、両目をおおった。「ソーンリー・コールトンのつもりね」「そのとおり。ドアのそばに杖があるだろう」トミーは立ちあがり、勢いよく椅子にぶつかった。「くそ! そろそろ昼飯どきだ。〈プリッツ〉へ行こう」「ねえトミー、面倒なことになるんじゃないの」。抗議は退けられ、十五分後にはトミーとタペンスは〈プリッツ〉でくつろいでいた。近くのテーブルに座っていた二人の男が声をかけてきた。「ミスター・ブラントとお聞きしたのですが?」「そうです」「昼食のあと、お訪ねしようと思っていたんです――目をどうかされたようですね」「じつは目が見えないんです」「なんですと?」「それで、ご用件は?」「いますぐ一緒に来ていただきたい」トミーとタペンスは別々の車に乗せられた。
クリントン・スタッグの盲目探偵ソーンリー・コールトン。トミーとタペンスの茶目っ気がピンチを救ったとも言えますが、それにしても唐突に出て来た感電トラップのやっつけ感がひどい。
「9 霧の中の男」(The Man in the Mist,1924)★★★★☆
――ブラントの優秀な探偵たちは敗北を喫していた。「ブラウン神父的な事件じゃなかったわ」タペンスが慰めたところで、だれかの手がトミーの肩をたたいた。「トミーじゃないか。聖職者になったとは、さぞかしひどい神父だろうな」タペンスが爆笑した。「やあ、バルジャーか」そのときトミーたちは四人目の人物に気づいた。女優のギルダ・グレンだ。英国一の美女で、英国一の知性のなさ。「神父さんなの?」ギルダ・グレンは立ち去ったが、ボーイがトミーに言伝を持ってきた。『助けていただけますか。ホワイトハウスで六時十分に』「まだ神父だと思ってるのかしら」「いや――あれはなんだ?」あれとは赤髪の若者だ。「ギルダ・グレンめ、俺を愛していたくせに。だがあのクソ貴族に身を売るなら――絞め殺してやる」と吐き捨てて出ていった。トミーたちは指定された家に向かったが、外は濃い霧が覆っていた。霧の中から不意に警官が現れた。「××はどちらですか?」「ここですよ」そのとき悲鳴が聞こえ、若い男が家から飛び出してきた。
チェスタトンの逆説的探偵法だけでなく、作品全体がブラウン神父ものへのオマージュになっていました。「失踪した婦人の謎」もホームズ・オマージュ度が高かったし、わたしが知らないだけでほかの短篇にも元ネタ要素がふんだんに盛り込まれているのかもしれません。冒頭あたりの「バルジャー(本名はマーヴィン・エストコート)/Bulger (whose real name, by the way, was Marvyn Estcourt),」というカッコの使い方もチェスタトンの書き癖を意識しているのだろうと思われます。二人の実質的なデビュー戦である「ピンクの真珠の謎」からしてそうでしたが、形から入るトミーの悪ノリを、毎度毎度ただのコスプレではなくちゃんと事件に絡めてあるのには感心します。
野口氏の訳はここまででも表現の硬い箇所がいくつか見受けられて気になっていたのですが、ちょっと雑なところが目についてきました。
pp.146-147「反戦詩集を出している」「反戦詩?」「いけないか」ミスター・ライリーはけんか腰で突っかかってきた。
ここはやたらと物騒な言動の男が平和主義の詩集を出しているということに、タペンスが思わず突っ込んでしまう場面ですが、これではタペンスがなぜ聞き返したのかがわかりづらくなってしまっています。一応、次の台詞に「おれはずっと平和を求めてきた」とはあるものの。旧訳二書ではいずれも原文の意図を捉えた訳になっていました。
"I wrote a little volume of Pacifist poems"/"Pacifist poems?" said Tuppence. /"Yes --why not?" demanded Mr. Reilly belligerently.
ミステリ文庫の橋本福夫訳では「平和主義の詩の小さな詩集を一冊出した」「平和主義の詩をね?」「なぜいけないのだ?」とリーリーは開き直って詰問した。
クリスティー文庫の坂口玲子訳では「反戦詩集を一冊だしている」「反戦詩集ですって?」「悪いか?」ライリー氏の口調は好戦的だった。
p.150警官の台詞「ああ! では、わたしは先へ行ったほうがよさそうだ」
確かに「had better do」で「~する方がいい」ですが、この場面では別に何かと比べて「その方がいい」と言っているわけではなく、「I'd better be getting along.」で「もう失礼しなくては」のような意味合いの慣用表現です。
"Ah!" said the policeman. "Well, I'd better be getting along."
ミステリ文庫「さて、わたしはさきへ行くとしましょう」
クリスティー文庫「さて、わたしはそろそろ失礼します」
p.154「あまりにもとっぴで信じられなかった。それから、ギルダ・グレンの天使のような美しさは長年にわたって変わっていないのだと思い至った。子どものころから彼女の演技を見てきた。そう、ありえないことではない。だが、なんと痛烈なまでに対照的な姉妹だろう。」
見るからに中年の姉と、美しく若く見える妹。似ていない姉妹を見たトミーの感想です。ここは解釈が難しいのか、訳文は三者三様でした。個人的にはミステリ文庫版が正しいと思います。クリスティー文庫版はむりやり辻褄を合わせた感じですが、本書の訳では日本語の意味すら取れません。
The thing seemed fantastically impossible. Then he remembered that the angelic beauty of Gilda Glen had been in evidence for many years. He had been taken to see her act as quite a small boy. Yes, it was possible after all. But what a piquant contrast.
ミステリ文庫「どう空想を逞しゅうしてみても、考えられもしないことのように思えた。ついで彼は、ギルダ・グレンの天使的な美貌が衆目をあつめだしてからでも、もう何年もたっているという事実を思い出した。彼はまだほんの小さな子供だった頃から彼女の舞台を観に連れて行ってもらっているのだった。そうだ、よく考えてみると、ありえないことではないわけだ。それにしても、なんというきわだった対照だろう。」
クリスティー文庫「どう考えてもありえない。しかしギルダ・グレンのあの天使のような美しさは、長年の修業の結果であることを、彼は思い出した。まだ幼い少年のころから、彼はずっと彼女が演じる数々の役を見てきたのである。そう、やはり美女をつくるのは不可能ではないのだ。それにしても、なんという好対照だろう。」
「10 ぱりぱり屋」(The Crackler,1924)★★★☆☆
――「エドガー・ウォーレスを揃えるには大きな本棚が必要だ」「まだウォーレス風の事件には遭遇してないわね」「彼の著作は本職ばかりで素人探偵は出てこないだろう」そこにマリオット警部の来訪が伝えられた。「じつは提案があるんですよ。偽金ギャング団を一掃するんです。競馬関係者のレイドロー夫妻は金回りがよいのだが誰も金の出所を知らない。お二人には、潜入して証拠をつかんでほしいのです」マリオットは立ち去った。「では、ぱりぱり屋《クラックラー》を捕まえにいこう」「なにそれ?」「ぼくが発明した造語さ。紙幣はぱりぱりと音がするだろう」クラブに潜入し、トミーはマルグリット・レイドローに気に入られ、タペンスはマルグリットの取り巻きと親しくなった。確かに紙幣はクラブで出回っているようだが、肝心の出所がわからない。
エドガー・ウォーレス作品の模倣。恐らくは元ネタもこうしたお気楽な冒険小説だと想像するので、ある意味トミーとタペンスにはしっくり来ているのだと思います。何だかんだで二人がいちゃついているのも楽しい。
この話も翻訳のまずさが気になります。
p.166「素人の犯罪、静かな家庭生活で起きる犯罪――そういものがぼくの得手だとうぬぼれているんですよ。家庭内の利害関係の強烈なドラマですね。そうなんです――タペンスがちょっとした女らしいこまやかな目線を提供してくれて、それがじつはとても重要なことなのに、この頭の鈍い男は見過ごしてしまうんだ」
どうも野口氏はジョークや軽口の類が苦手なようで、ここもよくわからない日本語になっています。
"The amateur crime, the crime of quiet family life --that is where I flatter myself that I shine. Drama of strong domestic interest. That's the thing --with Tuppence at hand to supply all those little feminine details which are so important, and so apt to be ignored by the denser male."
ハヤカワ文庫「素人犯罪、もの静かな家庭内での犯罪――そういう事件でなら、僕の才能が光を放ちそうなうぬぼれはある。家庭内の根強い利害関係を含んだドラマ――そういったものならもってこいだ――タペンスがそばに控えていて、神経の鈍い男性の見のがしがちな、きわめて大切な、女性的でもある、こまかな事実を供給してくれるときているしね」
クリスティー文庫「素人の犯罪、静かな家庭内の犯罪――それだったらぼくも異彩を放っているという自負があるよ。身内の利害関係が激しく衝突するドラマ。そういうやつさ――鈍感な男は些細なことを見落としがちだが、それがじつはとても重要なことだったりする。でも、いつもタペンスが女性の視点でそこをチェックしてくれるしね」
p.169「少佐の奥さんのほうを忘れないで。それに彼女の父親のムッシュー・エルラード。偽札は英国海峡の両側で使われているんです」/「マリオット警部」トミーは非難するように叫んだ。「〝ブラントのブリリアントな探偵たち〟の辞書には怠慢という言葉はありませんよ」
相変わらず、これではトミーがなぜ憤慨したのかがわかりません。
"But don't neglect the lady, and her father, M. Heroulade. Remember the notes are being passed on both sides of the Channel."/"My dear Marriot," exclaimed Tommy reproachfully, "Blunt's Brilliant Detectives do not know the meaning of the word neglect."
ハヤカワ文庫「だが、あの男の細君やその父親のエルラードのほうもおろそかにはできないよ。にせ札が英仏海峡の両側でつかわれていることを忘れないように」/「これは心外だね、マリオット君」とトミーは不服そうに言った。「ブラントの優秀な探偵たちはおろそかなんて言葉の意味を知らないのだからね」
クリスティー文庫「しかし、奥方のほうを見逃しちゃいけない。それと彼女の父親のM・エルラード。贋札はイギリス海峡の両側で使われているんですからね」/「親愛なるマリオット君」トミーは非難がましく声を上げた。「〝ブラントの腕利き探偵たち〟の辞書には〝見逃す〟という言葉はないよ」
p.170「わたし自身はかさかさ屋がいいかな」
話し言葉やくだけた表現のなかに唐突に「わたし自身」という硬い表現が出てくるのはこの訳者の特徴です。
I like the Rustler myself.
ハヤカワ文庫「わたしならさらさら屋のほうがいいと思うけど」
クリスティー文庫「でもわたしはカサコソ屋のほうがいいなあ」
p.172「すべてぴんとした新札だな」
ここだけ読んだら、「ぱりぱりした新札」じゃないの?と思ってしまったのですが、意外なことにこの箇所は本書が原文に忠実でした。
"All new and crisp,"
ハヤカワ文庫「全部真新しくてパシパシしている」
クリスティー文庫「ぜんぶ新札でパリパリだ」
p.173「陽気なフランスにはかなわないね?」
Can't beat la gaie France, can you?
ここはどの訳でも「陽気なフランス」としか書かれておらず、「gaie france」で検索しても同性愛雑誌ばかりヒットしてしまうのですが、どうやら「merry England(素晴らしき英国)」という決まり文句のフランスバージョンであるようです。
p.181「きみを監禁しておくだけだ」「ぼくは〝監禁される〟気なんかない」というやり取りは、ちょんちょんカッコでくくられているくらいなので、恐らく「監禁」に当たる俗語なんだろうなというのは原文を確かめずとも想像はつきます。ミステリ文庫では「監禁状態」、クリスティー文庫では「拘束」。直訳すれば「人を制限下に置く」ですが、日本語には適した訳語がなかったようで、ただ意味もなく繰り返した人みたいになってしまっているのは致し方のないことだと思います。
"Just keep you under restraint, " "I've no intention of being 'kept under restraint,' as you call it."
「11 サニングデールの謎」(The Sunningdale Mystery,1924)★★★★☆
――「今日の昼食はここだよ」トミーはABCショップにタペンスを連れこんだ。「隅の老人ね? ひもはどこにあるの?」トミーはポケットからとりだしたひもに結び目を作った。「いまもっとも大衆の関心を集めている謎に挑戦しようじゃないか」「サニングデールの謎ね」。トミーはポケットから新聞記事を出した。「三週間前、ゴルフ場で戦慄すべき発見があった。七晩ティーで倒れているセッスル大尉の死体が見つかった。いつもと同じ鮮やかな青のゴルフ用上着を着ていた。検死の結果、婦人帽の留めピンで心臓を刺されていたという事実が判明した。当日の昼間、セッスルは共同経営者のホラビーとプレーしていた。ホラビーが六番ホールのピンを直している間、七番ティーの辺りで背の高い女がセッスルに話しかけた。それからのセッスルのプレーはひどいものだったという。ドリスという小柄なタイピストが逮捕されたが、では背の高い女は何者なのか?」
隅の老人シリーズは、喫茶店で紐をいじりながら新聞などで話題の事件について聞き手に語ればいいので、スタイルを真似やすいというのもあるでしょうが、この作品も全体にわたって隅の老人らしさが出ていました。トミーとタペンスものとしても、女性ファッションについてのタペンスの知識と、ゴルフコースについてのトミーの知識がともに活かされている、バランスのよい作品でした。途中まではトミーが口先だけ隅の老人を真似ているだけで、事件の真相については見当もついていないのも可笑しいですし、タペンスもそんなトミーに乗っかってあげている仲の良さが微笑ましい。
p.184「彼はさっさと妻を〈ABCショップ〉に連れこみ」。「さっさと」が気になりましたが、意味的には間違いではないのか。「He drew her deftly inside an establishment of the kind indicated,」。ミステリ文庫「彼は器用に彼女を引っぱって、いま口にした種類の店に連れこみ」。クリスティー文庫「彼は今いった系列の店舗の中へ要領よくタペンスを引っ張りこみ」。
p.186「トミーはポケットから新聞記事を出してテーブルの上に置いた。」
「新聞記事」ということは新聞の切り抜きでしょうか。原文を見てみると、記事の載った新聞の一ページということのようです。日本語で表現するなら「新聞紙」が近いと思いますが、ここはどれが間違いとも言えないと思います。
「Tommy drew a crumpled piece of newspaper from his pocket and laid it on the table.」
ミステリ文庫「トミーは皺くちゃの新聞をポケットからとりだし、テーブルの上にひろげた。」
クリスティー文庫「トミーは皺くちゃの新聞をポケットから出してテーブルに広げた。」
「12 死の潜む家」(The House of Lurking Death,1924)★★★☆☆
――依頼人は完璧なまでの美人だった。メースンが描く女のように。「ロイス・ハーグリーヴスと申します。一週間前、家に送られてきたチョコレートを食べた家の者の具合が悪くなったんです。砒素が検出されました。ドクター・バートンによれば、近くで似たような事件が起こっているそうです」。家にあった包装紙が使われていたことから、一連の犯人は身内ではないかと疑っていた。ロイス・ハーグリーヴスは伯母のレディ・ラドクリフに引き取られていた。甥のデニスが伯母と大げんかしてしまい、全財産はロイス・ハーグリーヴスに遺されることになったが、申し訳ない思いから、彼女は二十一歳になったときすべてデニスに遺すという遺言書を作成した。屋敷には彼女の友人メアリー・チルコット、伯母のコンパニオンであるミス・ローガン、料理人のミセス・ホロウェイとキッチンメイドのローズ、伯母のメイドのハナ、小間使いのエスター・クアントがいた。依頼を引き受けた翌日、トミーたちは新聞で毒殺事件が起こったことを知る。
E・W・メースンのアノー探偵ものですが、当の二人にも「あまりアノー探偵らしい事件じゃなかったわね」「お芝居するには重大すぎる事件だった」とコメントされています。チョコレート事件の犯人が身内だと判明するきっかけ【※依頼人が癖で落書きした包装紙が再利用されていた】も強引ですが、犯人にとって何のメリットもないどころか結果的にはそれで中毒ではなく毒殺を疑われているのだからお粗末です。タペンスの看護婦としての知識が役に立ちましたが、二人が出張らなくても解決できた事件ではあるでしょう。セイヤーズ『毒を食らわば』は1930年の作品です。
最後の引用は、原文には「a familiar quotation」としか書かれていないため、本書では「『薔薇荘にて』のアノーの言葉を引用すれば、」と補って訳されてありました(『薔薇荘にて』第三章冒頭で、アノーが死体の第一発見者ペリシェ巡査に言う台詞)。ハヤカワ版には新旧とも補い訳も註釈もないので、これは助かります。
「13 アリバイ崩し」(The Unbreakable Alibi,1928)★★★☆☆
――ミスター・ジョーンズは言った。「彼女はとても賭けごと好きな女性で、ぼくと同じく探偵小説のファンなんです。そこで、アリバイをでっちあげる話になりました。ウーナはアリバイをでっちあげるのは簡単だと。『だれにも破れないアリバイをわたしが作りだせたら、なにを賭ける?』『なんでもきみの好きなものを』。チャンスなんです。偽のアリバイを見破ってほしい」。同じ日の同じ時刻、ウーナはソーホーで友人と食事をし、トーキーのホテルに泊まっていた。トミーとタペンスは聞き込みを開始したが、誰も噓をついているようには見えなかった。
フレンチ警部のパロディです。物真似の悲しさゆえ本職と違って聞き込みに苦労するというくすぐりがあり、真相もこのシリーズらしくゆるいもので、パロディ要素の強い作品でした。
この作品のみ連載終了数年後に単発で発表されました。連作を補完するような内容でもないので、恐らくは単行本刊行前の宣伝も兼ねたボーナストラックのようなものだったのでしょう。
「14 牧師の娘」「15 レッドハウス」(The Clergyman's Daughter/The Red House,1923)★★★☆☆
――「モニカ・ディーンと申します。父は牧師をしていましたが、三年前に亡くなって、病気の母とわたしは困窮しました。ところがある日弁護士から手紙が届き、父の伯母が財産をすべてわたしたちに遺してくれたと知りました。お金はほとんどありませんでしたが、わたしたちには家がありました。買いたいという申し出もありましたが、母の健康のためにも快適な部屋で過ごすのがいいと考えて断ってしまいました。そうして貸間を始めましたが、掛けてある絵が落ちたり、陶器が飛んで割れたりして、滞在客は怖がって出ていってしまいました。三日前に心霊研究家が家を買いとって実験したいというのですが、そのドクター・オニールという男は、前に家を買いたいと言ってきたのと同じ男でした。見た目は違っていましたが、金歯が同じだったんです」
シリーズ連載前の第一作。ロジャー・シェリンガムものですが、シェリンガム要素はさほどなく、二人は暗号解読に勤しみます。屋敷を相続すると怪しい買手が現れるというのはホームズ譚の趣がありました。
トミーが最後に引用する「クリスマスは年に一回しかない」は古くからある英語の言い回し。だから楽しみましょう、とか、だから慈愛の心を持ちましょう、くらいの意味。
暗号に添えられた聖書の一節「探しなさい。そうすれば、見つかる」は、意味合いから言って「求めよ、さらば与えられん」に該当するのだろうと見当を付けましたが、現行の聖書ではこういう訳になっているんですね。しかも原文は「Seek and ye shall find.」なので、「求めよ、さらば与へられん。尋ねよ、さらば見出さん。」の二番目の方が本来の引用でした。だから正しさで言えば本書の訳が正しい。ただ、一番目も二番目も意味的には変わらないので、ハヤカワ版は新旧とも日本人には膾炙している「求めよ、さらば与えられん」が採用されていました。
「16 大使の靴」(The Ambassador's Boots,1924)★★★☆☆
――約束の時間ぴったりに、駐英アメリカ大使ランドルフ・ウィルモットがミスター・ブラントのオフィスに招き入れられた。一週間前にノマディック号で到着した際、同じイニシャルのラルフ・ウェスタラムのかばんととり違えられた。すぐに間違いに気づき、お供の者がかばんを返しにきた。この件はそれで終わったはずだった。ところが後日、ウェスタラム上院議員と会っときにその話をすると、先方には覚えのないことだった。大使のかばんの中身は靴だった。もちろん秘密文書などが隠されているはずもない。大使の従者に話を聞いたところ、船のなかでアイリーン・オハラという女性が大使の船室のそばで具合が悪くなったことがあったことを思い出した。
H・C・ベイリーのフォーチュン氏に、タペンスがなりきっています。かばん取り違え事件の裏に隠された犯人の真の目的を探る当初こそ探偵小説的ですが、アルバートの活躍や追手を撒いたりなど、スパイ・冒険小説要素も強い作品でした。
「17 十六号だった男」(The Man who was Number Sixteen,1924)★★☆☆☆
――トミーとタペンスは長官の私室で密談中だった。「モスクワの本部がスパイたちから連絡がないことを騒ぎだしたらしい。国際探偵社でおかしな事態が起きていると疑われはじめたようだ」。戦術を話し合ったあと、若夫婦はオフィスへ戻った。ウラディロフキー公爵と名乗る依頼人が現れた。「友人の娘さんにかかわることなのだ――十六歳の」「閣下、弊社は十六年間、秘密を厳守してきました」「そうか、これ以上芝居を続ける必要もあるまい。同志よ、なにが起きている?」「裏切りです」「やはりな。わたしは〈ブリッツ〉に滞在している。マリーズを連れていく」。ロシア人はタペンスを連れてオフィスを出た。ミスター・カーターと部下たちが尾行していた。ところがブリッツに着くと、二人は張り込んでいた二階ではなく三階に向かった。慌てて三階の部屋に踏み込んだが、二人の姿は消えていた。
最後はクリスティ自身によるエルキュール・ポワロもの。といってもやはり冒険小説要素が強く、犯人が逃げる時間的余裕があったかどうかに気づくのは、ポワロに限らず名探偵なら誰でも出来そうな推理です。何より、十六号の正体の取って付け感が台無しでした。『秘密機関』のラストシーンはお洒落でしたが、本書のラストシーンはさすがにタペンスが逞しすぎて少しびびります。せめて事件の翌日とかの会話ならよかったのに。
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