『赤毛のアン』モンゴメリ/松本侑子訳(文春文庫)★★★★☆

赤毛のアンモンゴメリ松本侑子訳(文春文庫)

 『Anne of Green Gables』Lucy Maud Montgomery,1908年。

 1993年に集英社から刊行された訳註&完訳シリーズが、改稿のうえ第4作以降も発売されることになりました。本書のその第1作です。

 アンのクレバーな感じが好きなのですが、一般的には明るくて前向きな女の子というのがイメージでしょうか。読み返してみると本当に休みなくしゃべっていて、これまで経験したことのなかった素晴らしい世界にテンションが上がっているところを読むと、本当に微笑ましくなります。

 リンド夫人に「上手に謝る」場面を嫌味なく演じてみせられるのが才能ですね。

 饒舌なアンに対するマリラのツッコミも冴えていて、いいコンビです。そのマリラですが、ブローチといいラズベリー水といい実は結構おっちょこちょいなところもある人でした。

 読み返してみて意外だったのは、ダイアナとの友情よりもむしろマリラとの愛情を感じさせる場面の方が多かったことです。どうも記憶のなかで「腹心の友」という言葉のイメージだけが一人歩きしていたようです。

 卒業を機にぐんと大人になってゆくアンですが、ダイアナとの明かりの合図という子どもっぽいエピソードを挟むことで、相対的に大人っぽさを引き立たせていました。

 この新訳シリーズの目玉は何といっても文学作品をはじめとする訳註で、赤毛のイメージや登場人物のルーツや、第14章の「目に見えない風」に関する濡れ衣と解放など、作品理解の助けとなるようになっています。

 マシューの口癖や「腹心の友」などの訳語はもっとも馴染みのある村岡花子訳を踏襲していました。

 帯に「児童書でも、少女小説でもない 大人の文学」という言葉を入れているわりには、カバーが乙女チックなのだけはどうにかならなかったのでしょうか。

 孤児アンはプリンス・エドワード島のグリーン・ゲイブルズでマシューとマリラに愛され、すこやかに育つ。笑いと涙の名作は英文学が引用される芸術的な文学だった。お茶会のラズベリー水とカシス酒、スコットランド系アンの民族衣裳も原書通りに翻訳。みずみずしく夢のある日本初の全文訳・訳註付『赤毛のアン』シリーズ第1巻。(カバーあらすじ)

  

『白い僧院の殺人』カーター・ディクスン/高沢治訳(創元推理文庫)★★☆☆☆

『白い僧院の殺人』カーター・ディクスン/高沢治訳(創元推理文庫

 『The White Priory Murders』Carter Dickson,1934年。

 新訳を機に再読しました。

 カー/ディクスンの作品には、トリックだけは覚えているものも多いのですが、本書もそのひとつでした。

 そしてどちらかというと、トリックだけ、の作品でもありました。

 とあるお屋敷の別館での雪密室という設定ゆえ、あまり物語に動きがないんですよね。殺人を自白した遺書や、被害者との関係の告白など、章ごとに盛り上げようという意気込みは感じるのですが、いかんせん登場人物に魅力がなく、何が起こっても平板なのは否めません。せめて被害者の女優の肖像が浮かび上がってくるような描写があればまだ違っていたのかな、と思います。

 原題が複数形であるように、第二の殺人も起こるのですが、直後に解決編になることもありあまり印象に残りません。

 やはり年を取ってくると、『黒死荘』や『白い僧院』のようなトリックオンリーの作品よりも、『曲がった蝶番』や『貴婦人として死す』のようなドラマ性のある作品の方に好みが移ってしまいますね。

 雪密室の古典に相応しく、極めて古典的なトリックが用いられているのですが、トリックをわかっていても感心してしまいました。あまりにも単純なことが真相とともにくるっと変わって見えるという、こういう書き方がやはりカーは抜群に上手いと思います。雪密室自体は結果的なものではありますが、その結果をもたらしてしまうある行動【※ネタバレ*1】に必然性があるため、説得力も充分です。

 渡英した女優マーシャ・テイトをめぐり、契約が残っていると連れ戻しに来たハリウッドの関係者、ロンドンでマーシャ主演の芝居を企画するブーン兄弟、芝居ばかりか私生活の後援もしかねない新聞社主らが不穏な空気を醸し出す。その不穏さを実証するように、スチュアート朝の雰囲気に浸るべく訪れたブーン家所有の屋敷〈白い僧院〉の別館で、マーシャは無惨な骸と化していた……。(カバーあらすじ)

  


 

 

 

 

*1 犯人以外の人物が罪を逃れるために死体を移動させる

 

『虚構推理短編集 岩永琴子の出現』城平京(講談社タイガ)★★★★☆

『虚構推理短編集 岩永琴子の出現』城平京講談社タイガ

 小説家としては超寡作家の著者が『虚構推理 鋼人七瀬』を刊行したのが2011年。それが2018年になって突然続編が刊行されました。文庫版にはあとがきの類がいっさいないのですが、そのあたりの事情は漫画版7巻のあとがきに書かれていました。2015年に『虚構推理』が漫画化され、「鋼人七瀬」篇は6巻分で完結したため、漫画の続きのために原作が必要となったとき、もとが『スパイラル』『テンペスト』のように当初から漫画を前提にしたのではなく小説を漫画化したという経緯があったことから、『鋼人七瀬』と続編の一貫性を保つために、シナリオの形ではなくまずは小説の形で続編を執筆したとのこと。

 著者の小説のファンとしては嬉しいかぎりです。するともしかしたら『名探偵に薔薇を』も漫画化されたら続編が書かれるのでは……などと思ってしまいますが、あれは作品の性質上おそらく続編はありえないのでしょう。名探偵への愛の告白であると同時に名探偵の死へのとむらいを意味するタイトルなのでしょうから。

 漫画版には、小説版にはない「よく行く店」等が収録されていますが、城平原作ではなく漫画家のオリジナルでしょうか。
 

「第一話 ヌシの大蛇は聞いていた」(2017)★★★★☆
 ――岩永は築奈山のヌシに会いに行った。「なぜあの女はこの沼にわざわざ死体を捨てに来たのか」それがヌシの相談だった。「うまく見つけてくれるといいのだけれど」ヌシが聞いた呟きからは、死体が発見されて欲しがっているように思える。犯人は逮捕されている。谷尾葵。元恋人に罪をかぶせて殺した犯人に復讐したのだ。警察には「死体を捨てれば大蛇が食べてくれると思った」と話しているという。

 虚構推理というシリーズの概念に則って、それらしい真相が提示されます。飽くまでもっともらしいだけなので、証拠はありませんが、証拠が残されていない合理的な理由があれば、証拠がないことで説得力が減じるということもありません。そこまで考えられているうえでのもっともらしい真相だというのが、よくある多重解決ものとはひと味違うところでしょう。解決の一つに大蛇である必然性を組み込んであるのも抜かりがありません。死体を捨てた理由にアクロバティックな逆説が用いられたからこそ、そこで一気に価値観の転換が図られて、もっともらしさに納得してしまいます。
 

「第二話 うなぎ屋の幸運日」(2018)★★★★☆
 ――一級建築士の梶尾は同じく時間に自由の利く十条寺を誘ってうなぎ専門店を訪れた。およそ店には不釣り合いなお嬢様がひとりでうなぎを食べている。謎をそのままにしておけない性分の梶尾は、お嬢様がうなぎ屋に来た理由を考え始める。梶尾に付き合って十条寺はお嬢様は虚空蔵菩薩の天啓だとし、梶尾を妻殺しで告発する。

 虚構の推理をするのは岩永ではなくうなぎ屋の客となっています。「九マイルは遠すぎる」というかシャーロック・ホームズというか、場違いな岩永の存在から推論を引き出そうとするところにはニヤニヤとワクワクが止まりませんが、それは妻殺しの枕でしかありませんでした。そしてもちろんあやかしと話ができる岩永は、推理なんかしません。無実の証拠だと思われたものが、心理状態によって反対の意味になったり、そもそもその心理自体が勘違いの産物だったりと、解釈の仕方によって幾通りもの理由づけが出来てしまえるのが、虚構推理の虚構推理たる所以でしょう。本書中のベストです。
 

「第三話 電撃のピノッキオ、あるいは星に願いを」(2017)★★★☆☆
 ――渡々水町では魚が大量死するという事態が続いていた。町長は善太の祟りではないかと怯えていた。観光客に孫を轢き殺された善太は失意のうちに命を落とし、木彫りの人形が家から消えていた。果たして人形は夜な夜な海辺を歩いて近づくものに電撃を浴びせていた。老婆・多恵のところに居着いた化け猫はおひいさまに解決を依頼した。

 虚構推理なのに虚構の推理がありませんでした。責任を取りたくない者による復讐というのがひねってあります。岩永も指摘しているとおり、電撃のピノッキオという派手でB級臭ただよう現象が、呪いの人形というものの本質をうまく覆い隠していました。
 

「第四話 ギロチン三四郎(2018)★★★★☆
 ――宮井川甲次郎が殺人容疑で逮捕されたと知った時、森野小夜子は(きちんと死体を処理したのに)と考えた。だが警察が来たりはしなかった。甲次郎は死体の首をギロチンで落とし、「一度試してみたかった」と答えたという。小夜子はイラストの取材旅行中、人形のように眠る少女と二人連れの青年から声をかけられた。付喪神となっていたギロチンは、甲次郎の「これで大丈夫なはずだ」という呟きの真意を知りたがっていた。

 虚構なのは推理ではなく、現実の方を虚構にしてしまう妖サイドの事情と、また嘘であるべきという犯人の思いの方でした。これまた古典的な動機とトリック【※ネタバレ*1】ですが、「電撃のピノッキオ」と同様にギロチンという派手な道具立てと、虚構推理という作風がうまく目くらましになっていました。
 

「第五話 幻の自販機」(2018)★★★☆☆
 ――深夜、山間部でうどんの自動販売機を見つけ、美味しさから再訪しようとするが、どうしても見つけられない……そんな都市伝説がネットで広まっていた。実のところは化け狸のうどん屋で、異界に迷い込んだ人間の実体験だった。異界はしばし時間や場所を飛び越える。殺人犯がその自動販売機を利用したことから、アリバイが成立してしまい、自白しているにもかかわらずアリバイがあるというおかしな状況が出来てしまった。

 久しぶりの虚構推理です。警察が捜査しても異界など見つかるわけもなく、自白しているのに嘘のアリバイを主張しているように見えてしまうことに納得できない刑事が独自に捜査を続けることで、異界の入口が見つかってしまう――そのことを恐れた妖たちのため、刑事を納得させる虚構を作りあげます。発想はさすがこのシリーズに相応しい奇想に満ちていますが、肝心の虚構推理がちょっと複雑で切れ味に乏しいところがありました。

  


 

 

 

 

*1 過去の事件の真犯人をかばうために新たに犯行の痕跡を残した

 

『陰仕え 石川紋四郎』冬月剣太郎(ハヤカワ時代ミステリ文庫)★★☆☆☆

『陰仕え 石川紋四郎』冬月剣太郎(ハヤカワ時代ミステリ文庫)

 ミステリマガジンの紹介文で「トミーとタペンス」が引き合いに出されていて、掲載されていた冒頭(友人の同心と共に連続辻斬りを追う紋四郎と、独自の捜査で無茶をする妻のさくら)もまさにそんな感じだったので、購入しました。

 ただ、トミーとタペンスふうなのはそこまででした。

 若禿という設定も、陰仕えという公儀の刺客である設定も、さして必要であるとも思えませんでしたし、後半になってからは歌川国芳というにぎやかしキャラが出てきたせいで作品の雰囲気ががらりと変わり、紋四郎もただのやきもち焼きになってしまいました。

 紋四郎はさくらが首を突っ込むのを嫌がっているので仕方ありませんが、もう少し二人で一緒に行動する場面があってもいいのではないでしょうか。なんだかまるで他人同士みたいでした。

 陰仕えという務めゆえ剣の腕は一流なのですが、そういう設定のわりにチャンバラシーンがあっさりしすぎていて、がっかりしました。だったらはじめからチャンバラシーンなんか入れなければいいのに。

 紋四郎の友人の同心・針之介が極度の駄洒落好きで、登場人物も眩暈を起こすほど駄洒落を連発し、あまつさえ地の文でその駄洒落を解説するという拷問のような場面が仕掛けられていて、さすがにここまで駄洒落にこだわるからにはそれなりの理由があるのだろうと思って(願って)いましたが、ちゃんと必然性があったのでほっとしました。ただその必然性というのも、本人を特定するという、駄洒落でなくともいいようなものでしたが……。

 カバー袖によればシリーズ化が決定していて、本文中では事件の黒幕や謎の人物を匂わせたりもしていますが、読むことはないでしょう。

 “陰仕え”として公儀の敵を闇から闇へやむなく斬ってきたという秘事を抱える薄毛の剣士・紋四郎は、好物の海苔弁を食しながら煩悶していた。愛妻さくらにもこのことは明かせぬ、苦悶の日々。そんな折、友の同心から助けを請われる。次々と起こる読売殺し――江戸を騒がす下手人の捕縛を手伝ってくれというのだ。紋四郎は勇んで引き受けるが、なんと好奇心に富みすぎる妻が自分も手伝うと言い出すから気苦労が増えて……(カバーあらすじ)

  

『恋牡丹』戸田義長(創元推理文庫)★★★★☆

『恋牡丹』戸田義長(創元推理文庫

 『The Casebook of Detective Toda Sozaemon』2018年。

 第27回鮎川哲也賞最終候補作。英題はさしずめ『同心戸田惣左衛門捕物帳』でしょうか。現代においてはベタ過ぎる恋愛観を、江戸時代を舞台にした大河ドラマに移植するというアナクロニズムによって、ベタであることに新鮮な魅力が生まれていました。
 

「花狂い」★★★★☆
 ――長屋でお貞が絞め殺されていた。母一人息子一人で亡父の残した借金を返していた苦労人だ。発見者は息子の平吉。呆然として話も聞けない。お貞の爪に血がついていたことから、腕に傷のある下手人はすぐに捕まるものと思われた。だが予想に反して下手人は見つからない。惣左衛門が後添えの話をしたときの長男の清之介の反応はおかしかった。詳しい話も聞きたいし、惣左衛門は気分転換に久々に清之介と碁を打つことにした。

 時代ミステリや歴史ミステリにおいて、当時ならではの事情によるトリックやロジックはよくありますが、武士だから解けないというのは新鮮でした。父親の目から見ると次男よりも出来の悪い長男が、だからこそ武士であることに疑問を感じることのない父親には思いつけない真相に至るきっかけを作るというのは、なるほど面白い発想です。本作のテーマはズバリ「愛」。時代小説に現代的な価値観を導入することの是非はあるでしょうが、お貞と平吉、お静と清之介、二つの母子の愛が、惣左衛門の心を動かすことはあってもいいと思うのです。
 

「願い笹」★★★★☆
 ――吉原・丸屋の妻お千は決意した。亭主の富蔵が白犬様とかいう奇妙な神を信心して丸屋は火の車だ。富蔵を殺して、同心の戸田惣左衛門に罪を着せよう。詐欺師を追って丸屋に来て以来、花魁の牡丹のところに通っているあの男なら丁度いい。惣左衛門は屏風に囲まれた場所で神に祈る富蔵の用心棒を依頼された。だが惣左衛門の目の前で、富蔵は刺し殺されてしまう。

 『ミステリーズ!』vol.90に先行掲載された作品です。武士といえども刃物は持ち込めない遊廓という場所が舞台であるがゆえに、不可能性が高まっているうえ、舶来もの狂いと特定の時期という要素によって不可能が可能になっているように、組み合わせ方が鮮やかです。探偵役は惣左衛門ではなく牡丹が務めていますが、生真面目なところのある惣左衛門には、清之介や牡丹のような異なる視点からの助言が必要なのでしょう。惣左衛門も認めている通り、牡丹の思いはあまりにも美化が強いのですが、やはりだからこそ、というべきでしょうか、またもや惣左衛門の心が動かされます。
 

「恋牡丹」★★★★☆
 ――隠居した惣左衛門に代わり家督を継いだ清之介だが、気持が焦るばかりで空回りしてばかりいた。生駒屋の隠居・徳右衛門が殺された。現場は荒らされており、近ごろあちこちで起きている押し込みの仕業と思われた。だが現場で目撃された人物は、清之介も幼いころからよく知る、生駒屋の孫娘・おみきに酷似していた。おみきはその時刻には芝居小屋で清之介に目撃されていたが……。

 なんと前話から時間が飛び、惣左衛門が隠居し、牡丹が引き取られているということに驚きました。アリバイの真相については見え見えなのですが、そういう事態が生まれてしまうきっかけに、「八丁堀の鷹」惣左衛門が関係していたというところが、ちゃんと前話から繋がっていました。探偵役は引き続き牡丹(お糸)が務めます。優秀な弟に対するコンプレックスを持つ清之介を、母親のように導くお糸の姿を見ていると、惣左衛門から受けた恩をその息子に返すという人の心の繋がりを感じます。まさかの惣左衛門退場でしたが、それによって他の登場人物の魅力も浮かび上がり、もっとこのシリーズを読みたいという気持になります。
 

「雨上り」★★★★☆
 ――鶴屋には他の店のように若い茶汲み娘は置いてません。音松さんたちはお吉に茶を注文した後、梅屋で評判のおりょうの話をしていました。そのうち音松さんが「すっかり大汗をかいちまった。水でも浴びてくるか」と言い出して、褌一つになって川辺に歩き始めました。するとお吉が背後からすーっと近づいて、手にした盆で音松さんの頭を叩き始めたんです。ひっくり返った音松さんは打ち所が悪かったのか、動かなくなってしまいました。へええ、二人は面識がない、襲う理由がないのですか。

 第二話から第三話への時間経過も驚きましたが、第四話ではご一新が為されていました。惣左衛門もすっかり老いてしまっています。現代人にはさほど難しくはない謎も、結局父親のような石部金吉になってしまった清之介には、人の心の綾を解き明かすことは出来ません。第一話では惣左衛門に人間の心は理屈ではないことを気づかせるきっかけとなった清之介が、第三話ではお糸から逆に人の心の機微を説かれ、最終話ではまた新たな心の繋がりに気づかされるというように、個々の作品間の繋がりはゆるやかながら巡り巡って伝わっているところにほっとします。

 連作短篇というと単なるシリーズものか、または最後に大仕掛けをしてあるものという印象だったのですが、本書の場合は個々の短篇は独立していながら短篇集全体を通して読み終えてみれば一大サーガになっているという、読みごたえのある作品でした。これはこれで完結してしまっていますが、時間の隙間を埋めるエピソードが書かれて欲しいところです――という希望が多かったのかどうか、続編『雪旅籠』も刊行されています。
 

神隠し」(2018)★★★☆☆
 ――越前屋の主人・新右衛門が神隠しにあった。芝居道楽の先代が舞台を作り、年中行事に合わせて素人歌舞伎を催すようになっていた。越前屋では何事も主人が率先垂範するのが家訓となっていたため、新右衛門が一人で舞台の片付けをしていたが、ふと見るとその新右衛門の姿がどこにも見えない。内儀のお佐代が慌てて店の者と探したが、どこにも新右衛門の姿はなかった。婿養子の生活に嫌気がさした新右衛門が自ら出奔したのではないかと惣左衛門は考えたが……。

 本書刊行記念にWebミステリーズ!に掲載された書き下ろし短篇で、「願い笹」の前日譚になっています。といっても、「百日紅の下にて」が『獄門島』の前日譚というのと同じ意味合いでの前日譚ですが。神隠しとしか思えないような失踪事件が頻発していたという前提があってこそ成立する事件でしたが、(結果的に)身を隠すことになってしまった事情が切なく、それだけに魔が差す瞬間が身に染みます。

  


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