『掌の中の小鳥』加納朋子(創元推理文庫)★★★★☆

『掌の中の小鳥』加納朋子創元推理文庫

 『Egg Stand』加納朋子,1995年。

 二十代のクールで利発的な男と勝気でエキセントリックな女が、バー「EGG STAND」を舞台に、謎解きを通して絆を深めてゆく連作短篇集。えぐるところとハートウォーミングなところ、ミステリと心理の機微、そのバランス感覚は加納朋子ならではです。ところどころ表現が痛々しいのはクールぶった二十代の男の語りだと思えばこれも必然なのでしょう。
 

「掌の中の小鳥」(1993)★★★★★
 ――「容子さんは……奥さんはお元気ですか?」久しぶりに会った佐々木先輩にたずねる。「まあね」。沈黙が流れ、僕は容子から吹き込まれた留守電の言葉を胸中で反芻していた。『……私、殺されたの。私、雲雀になれなかったの』。まだ学生だったころ、絵について語る容子はきらきらと輝いていた。彼女の才能は本物だった。容子に一目惚れした佐々木先輩になど頓着しないように、彼女は絵を描き続けた。「タイトルは『雲雀』にしたわ」間違いなく傑作だった。そして、事件は起こった。僕は佐々木先輩を疑った。

 これも青春、若気の至り、と言えばそうなのでしょうか。どんな思いであれ一方的な思いは、たとえ悪意でなくとも人を傷つけうるというのは、崇拝者にとっては残酷な事実に違いありません。また、その相手にしたところで悪意ではないがゆえに何も言えないのでしょう。二人のあいだは止まったままでしたが、四年という月日は自然と人を成長させ、一歩を踏み出せたことに救いがありました。これらが謎解きと不可分になっていて、絵の具についての会話からは絵が本当に好きなんだと伝わって来て、伏線としてまったく不自然さがなく、日常の謎ものとして完璧といっていいほどです。
 

「桜月夜」(1993)★★★★★
 ――彼女に連れられて店に入る。「わあ、すごい」。女バーテンダーのいる店内は桜で覆いつくされていた。「それで、さっきの続きなんだけど。フルネームを当てられたら、ご褒美があるかもしれないわよ」「ずるいよなあ。僕はちゃんと自己紹介したってのにさ」「桜の花、か……」名前の話は打ち切りということらしい。「それじゃあ、桜に捧げる物語をひとつ……」その年の春、私は妻子ある男性と恋愛関係に陥り、そして十九から二十になった。彼の一人息子の武史に会ったのは偶然だった。一か月後、アパートに武史がやって来た。「ねえ、ボクを誘拐してくれない?」「馬鹿なこと言ってないの」「泉さんもお父さんを知ってるんなら、ひどい奴だって知ってるでしょ?」

 前話でカフェバーから抜け出した二人が別の店に移ってからの話です。こういった何が謎なのかすらわからない話は大好きです。いくつかある伏線が武史の企みと語り手の思惑【※人物入れ替わりと語り手の名前】の両方の伏線として機能しているのも鮮やかです。武史が「そこまで考え、行動した」のはそうした才能があったからではあるのでしょうが、父親との関係がやはりそこまでするしかないようなものでもあったのでしょう。救われた人物のその後は出来すぎではありますが、そのおかげで一つの物語としての完成度は格段に上がっていました。
 

自転車泥棒(1994)★★★★☆
 ――紗英は遅刻魔だった。先日も歩道橋から落ちたお年寄りを助けていたという。かくしてその日も喫茶店で待っていると、制服姿の女の子が自分の真っ赤な傘を傘立てに差し、ダークグリーンの僕の傘をつかんで歩き去ってしまった。遅れて来た紗英にその話をすると、「私もこないだ盗まれちゃったのよ、自転車を」「そりゃお気の毒さま。運が良けりゃ見つかるよ」「見つかったわ、運悪く。自転車と……犯人もね」。駅までガールフレンドを送ってきた男の子が『これで全部、うまくいくよ』と言って手を振った。『人の物を盗んどいて、うまくいくもないじゃない?』

 遅刻魔という漫画みたいなエピソードで紗英という人物のギャップを描き出してあると同時に、二重三重の伏線を仕込んでありました。この作品の傘泥棒と自転車泥棒はどちらも泥棒は泥棒ですが、ともに盗むべき事情があるにはあり、しっかり腑に落ちるようになっていました。祖父のワンマンに対して、自転車泥棒による恋人への思いが引き起こした事件でしたが、それをわかっていながらも見ず知らずの自転車泥棒に嫉妬してしまう語り手の若さが微笑ましかったです。そしてそれを諭すのはやはり若い人間よりも年経た人間の方が相応しいのでしょう。常連の老紳士は「桜月夜」に続いてやはり何もかもお見通しのようです。解説に書かれた佳多山大地による【老人は偽物だと気づいていたのだが、弱気な孫がいざとなれば奮闘できることがわかって騙されてやることに決めた】という解釈も、本書には似つかわしい心意気のある解釈でした。
 

「できない相談」(1995)★★★☆☆
 ――できっこないことをやり遂げる。子供のころ、〈できないゲーム〉が流行った。武史はすごかった。電話線には幽霊が巣食っている――。そして同じ時刻に同じ番号にかけた子供たちがいっせいに悲鳴と呪詛の声を聞いたのだ。「武史に確かめたかったの。友達と飲んでいて二年前の話をしたら、意外な答が返ってきたわ」。二年前、久しぶりに会った武史に、知り合いの部屋に連れて行かれた。不倫相手の子を宿していた亜希子さんは、そのときピアノを弾いていた。部屋を出たとき武史が言った。『ゲームをやらないか』。愛人の証拠写真があれば高く売れる。武史が亜希子と出会ったのはそれがきっかけだった。『紗英が賭けに勝ったら写真は処分したっていいぜ。俺はあの部屋ごと亜希子さんを消してしまうことができる』

 トリックという点でなら本書随一です。家屋消失というと「神の灯」のバリエーション以外あり得ないと思いますし、実際【観葉植物の移動】によって方向を誤認させるやり方は従来のトリックの範囲を出ません。この作品がすごいのは、自然現象である【夕陽】すら逆にしてしまうところです。本家「神の灯」でエラリイが真相に気づくきっかけに挑戦して見事に勝利を収めていました。一方で、亜希子や武史の心情はいささか言葉足らずだと思いますし、「希望に次ぐ」という亜希子の子どもの名前もすっきりせず、ややトリックに比重が傾いていました。
 

「エッグ・スタンド」(1995)★★★★☆
 ――きっかけは従兄である冬城晃一の婚約宣言だった。本家筋の長男の相手がエアロビのインストラクターとあって、厳格な親戚は顔をしかめた。その数日後、晃一の妹の礼子から電話がかかってきた。晃一の婚約相手が参加する茶会に付き合ってほしいという。「あの人……さっきから圭ちゃんのこと見てる」ふいに礼子が言った。ちらりと見たがその和服姿の女性に見覚えはない。茶会が終わり、婚約者が茶会のあいだ外していた婚約指輪がなくなっていた。奇妙な考えが浮かび、僕は先ほどの和服姿の女性を探した。

 頭の回転の速い語り手ゆえ「見えない人」というよりは「奇妙な足音」だった謎を解くことは容易かったようですが、女心には絶望的に理解が及ばないようです。紗英が怒った理由も、礼子の態度に込められた意味も、みちるが指輪を盗んだ理由も、解き明かすことはできないどころかまったく見当を付けられませんでした。結果オーライと言えばいいのか、語り手がそんなだからこそ、紗英の方もストレートにぶつけられたのでしょう。

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 掌の中の小鳥 

『バベル島』若竹七海(光文社文庫)★★★☆☆

『バベル島』若竹七海光文社文庫

 単行本未収録作品のなかからホラーテイストのものを選んで集めたもの。古典的な怪談からミステリ味のあるものまで、幅広い作風ではあるのですが、小粒なものが多くあまり印象に残りませんでした。
 

「のぞき梅」(1994)★★★☆☆
 ――長らく連絡をとっていなかった友人のご両親から、久しぶりに遊びに来ませんかという手紙をもらった。もともと身体の弱かった友人は食あたりを起こして脱水症状であっけなくこの世を去っていたが、ご両親はその後もなにかとわたしのことを気にかけてくれた。ちょうど実家からもらった梅酒が残っていたので、梅酒のゼリーを作ってでかけた。「いい香りだ。桜の花のゼリーとは珍しいですな」「桜の花を浮かべていますけど、中身は梅酒の寒天寄せなんです」途端にご両親の手が止まった。「実はアレルギーがありまして……」

 先祖が罪を犯した呪いで一族が梅のせいで死ぬようになったという因縁話はありふれています。この結末は、呪いなんてなかったということなのか、呪いは梅じゃなかったということなのか、どちらなのでしょう。
 

「影」(1993)★★☆☆☆
 ――ある春の日のこと、友人と連れだち、Kさんの自宅へ出かけた。ふと向かいの塀の一部に目が止まった。灰色の大きなしみができていた。立ち上がったエリマキトカゲを真正面から見たシルエットに似ていた。わたしが見ているのに気づいて、Kさんが話を始めた。数年前、不正な手段でYさんからその家を手に入れた悪徳不動産の女社長が住んでいた。仕事から帰ったKさんが母親にたずねた。「女社長って、ひとりで住んでるの?」「そう」「でもさっき、窓に人影を見たと思ったんだけどね」

 因縁話のようでいて理屈には合いません。影やしみが女社長の死んだ赤ん坊だとしても、取り壊される前のYさんちの中庭にあったお地蔵さんだとしても、その後も壁のしみになる理由がありません。だから火事の日とYさんちが取り壊された日の暗合も、暗合になっていません。
 

樹の海(1995)★★★☆☆
 ――ホラー小説家の杉浦が、巻き込まれたとかいう殺人事件の話をしゃべり出した。「一か月前、友人のリゾートマンションに行ったんすよ。釣りをしたりして楽しかった」小説と同じでムダが多い。「渋滞に巻き込まれていると、友人が知り合いの里中と奥さんがいるのを見つけて声をかけたんすよ。すると友人と同じく里中も急用で帰らなくてはならなくなったとかで、オレが車を運転して奥さんを近くまで送っていくことになりました。『杉浦センセイは悪い人なんで気をつけてください』と友人が冗談を言うわけ。それを信じたのか奥さんがそっけなくて、居心地悪かったすよ。妊娠中みたいなんで、しょーがないけど。気を紛らすために怪談を始めたんです。深夜、白い影が車に追いすがって、後ろからがりがりと……」

 これもオーソドックスな仕掛け【※トランクに乗せた死体(のはずがまだ生きていて)が、怪談の通りにがりがりと……】の作品ではありますが、語り手の小説家がバカなので自分で話していて気づかないという設定を用いることで、目くらましにはなっていました。
 

「白い顔」(1996)★★★☆☆
 ――薩摩平太郎は愛人を持っている。妻は嫉妬深い質で、以前ある女性との関係がばれて大変な騒ぎに発展したことがある。なにかとやりきれなくなると、愛人のもとへと向かってしまう。「半年もいらっしゃらないんだもの。奥様にばれちゃったのかとひやひやしちゃった」愛人は鹿島玲子という。死に別れた夫の夢だったマイホームを建築しようとするも、一度目は建設会社に夜逃げされ、二度目は放火に遭い、ようやく三度目。「うちの土地に能面みたいな無表情で女がうろついていたの。奥様の仕業じゃないわよね」「まさか」。そう言いながらも放火犯が捕まっていないのも気になり、翌日、玲子の土地へ足を運んだ。

 生霊というミスディレクションを用いて正統派の怪談を演出しながら、その実ブラックユーモアあふれる現実的な恐怖をオチに用意してあるのが無性に可笑しい作品です。【※建築を成功させたい玲子が薩摩を誘い出して、土地神への人柱として埋める。
 

「人柱」(1996)★★☆☆☆
 ――刑事の一条風太は、高校時代の先輩である工藤利雄から相談を受けた。工藤の父親は駅のホームから転落し、過労死だという話だった。心労を抱えていたのは確かだし、青酸ソーダを飲んで死んだ部下がいたものの、それと過労死は無関係らしい。ところが最近、父親の部屋から日記が出てきた。『アルバイトのMがおかしなことを言う。部長に気に入られているからとずうずうしくなっている。Mもあいつらのひとりだ。Mのあとを追いかける。あんな女などいなければいい。Mが死んだそうだ。ホームから落ちて』。「工藤さんはお父さんがMという女性を殺したと思ってるんでしょうか」

 父親が呉服会社で振り袖の担当だったことと売り上げ不振という記述から、【丙午生まれで女性が少ない世代が二十歳の年なので、振り袖の需要自体が少ないのに、会社から例年通りの売り上げを要求され、女性を逆恨みするようになる】という日記作者の動機を推測するところはスマートなのですが、そこからひとひねりして【父親が会社のために日記作者である部下を殺したのではないか――】というのは少し強引に感じました。
 

「上下する地獄」(1993)★★★☆☆
 ――残業していた将彦と大野係長は、十一階のオフィスからエレベーターに乗った。「おい、知ってるか。ここは墓場だったんだ。その後に学校が出来て、それからこのビルが建てられた。呑み屋のおやじに聞いたんだが、その学校には七不思議があってな。髪の長い若い女が……」途端にエレベーターが止まり、髪の長い若い女が乗り込んできたのでぎょっとした。一階についてから大野が小声で言った。「あの階には企業が入ってないはずなんだが」……お盆休みが近づくころ、将彦がエレベーターに乗ると、あのときの若い女が乗り込んできた。ゆっくりと降下していく途中で、エレベーターが急停止した。

 エレベーターに閉じ込められた恐怖。幽霊と閉じ込められた恐怖。それをしっかりと描きつつ、【実は将彦の方が幽霊】だったというオチをつける贅沢な一篇なのですが、精神が病んでいる系の作品は苦手です。その描写が、【エレベーターから落ちてしまい、その結果死んでしまったことにも気づかない】ということに繫がっているのはわかるのですが。
 

「ステイ」(1993)

「回来」(1993)

「追いかけっこ」(1995)

「招き猫対密室」(1997)
 

「バベル島」(2000)★★★★☆
 ――昨年ウェールズのバベル島で起こった惨劇から、からくも生還した日本人がいる。従弟である高畑一樹だ。怪我はさしたるものではないが、ショックでしゃべることができなくなっていた。荷物を整理するうち二冊の日記を発見した。一樹のものと、わたしたちの曾祖父である葉村寅吉のものだ。サー・ジェイムスは幼いころにブリューゲルの描いたバベルの塔の絵を見て、神様の怒りに触れて壊されたのだというナニーの説明に魅入られてしまった。あとを継いだときには財産を注ぎ込んで塔を建て始めた。イギリスの建築物に興味のあった寅吉が見学に訪れた際、いろいろと打ち明けてくれたビルという男が死体で見つかった。一樹は曾祖父の日記を見つけて、完成間近の塔を見に行くことにしたのだ。

 名前からすると語り手は葉村晶の可能性があります。それに相応しくトリッキーな内容でした。偏執狂が作りあげた奇妙な建築というのはなぜか人を魅了するもので、バベルの塔の建築というだけで惹きつけられてしまう魅力がありました。偏執狂によるさらなる狂気は、バベルの塔に相応しく壮大なものでした。ミステリの世界には「文字通り解釈する」ことによって事件が引き起こされる名作がいくつかあり、この作品もそれらに連なる名作でした。【※サー・ジェイムスの計画はバベルの塔を作ることではなく、バベルの塔を人間とともに崩壊させることだった。

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 バベル島 

『ひとんち 澤村伊智短篇集』澤村伊智(光文社)★★★★☆

『ひとんち 澤村伊智短篇集』澤村伊智(光文社)

 白黒のアパート上でカラーに浮かび上がる窓。横向きや逆さまや裏返しになっている扉や目次の文字。細くうねうねとした気持ちの悪い本文の活字。これでもかというほどアンバランスで不安にさせる造りの本でした。ただ、この活字はさすがに読みづらすぎます。
 

「ひとんち」(2016)★★★★☆
 ――香織と恵ちゃんと知り合ったのはもう十五年も前だ。アルバイト先のスーパーで出会って意気投合した。香織はお嬢様大学に通っていて、恵は美容系の専門学生だった。就職して疎遠になっていたけれど、つい先月、恵ちゃんとばったり再会した。二十四歳で結婚して、怜ちゃんを授かり、その翌年に離婚したという。話の流れで香織に電話し、渋る香織を押し切るように家を訪れた。実業家と結婚して、五歳の息子がいるという。恵ちゃんが麦茶に砂糖を入れて飲むのを見ていると、「家の習慣って結構違うよね」と口にしていた。

 怖さのピークという点ならば、香織の家がズレているのがわかった瞬間でしょう。世界に断層が出来てそこに落ち込んでしまったような、拠って立つ足許を失ってしまったような恐ろしさがありました。怖さという点に限れば、その後は蛇足に過ぎません。ヒルコの例を持ち出すまでもなく、障害児は子にあらずというのは、ある時代のある地域であればそれなりに共有できる感覚であったかもしれません。それが現代で家庭の習慣で【飼う】となると別問題ですが。
 

「夢の行き先」(2017)★★★★★
 ――始まりは小学五年の二学期、十一月十四日のことだった。夢を見た。老婆に追いかけられている。いや、「ババア」と呼んだ方がいい。廊下の赤い光にシルエットが浮かび上がる。ババアが薙刀を持っていた。僕は階段を駆け下りた。三日続けて同じ夢を見た。本に載っていた除霊を試してみると、偶然かもしれないが、夢は見なくなった。十一月二十日。前の席の後藤匡が言った。「なんか変なババアに追いかけられた夢見てん。それで寝れんかった。それも三日連続」

 初出は『ナイトランド・クォータリー』vol.9(→2018年2月19日の記事)。伝染してゆく悪夢というアイデアが秀逸で、いかにも小学生のあいだで流行る都市伝説ふうの味わいが出ています。しかも前と後ろから同時にというのが盛り上がります。日を追うごとに近づいて来るというのも怪談の定番ですが、今は自分の番は通り過ぎて夢の標的はいじめっ子になっているというのが、怖いの半分、面白がるの半分といったところで、単純な恐怖譚とはまた違った面白さがありました。
 

「闇の花園」(2016)★★★★☆
 ――漆黒の淵から引きずり出され、我が真の意識と肉体は霧消す。陽光。愚昧なる神どもの業。仮初めの身体を動かす。表に出なければ。呼ぶのだ。隣の部屋で惰眠を貪る下僕を――。/飯降沙汰菜がクラスメートと喋っているのを、臨時教員の吉富は見たことがない。彼女は常に真っ黒な服を着ていた。同級生に訊いたところ、母親がちょっと変わっているという。個人面談でその「魔女」に会った。飯降瑠綺亜は喪服を着ていた。「あんまり壁を作るのも、社会に出てからどうかなと思いまして――」「出ません。我々崇高な一族には社会などという人間どもの戯れは必要ないのですよ」

 比嘉姉妹シリーズのような、魔物とのコテコテの戦いが楽しい一篇です。おそらく沙汰菜とはサタン、瑠綺亜とはルキフェルに由来するのでしょう。魔物によるゴシック体のモノローグがあるため、魔物が実在する世界らしいのはわかるものの、それはそれとして大人しい少女と毒親の話としても充分に読めます。だからこそ、魔物がいよいよ復活したときのおふざけ感が際立っていました。
 

「ありふれた映像」(2017)★★★★★
 ――仕事を終えてスーパーに買い物に行くと、息子の亮太を預けていた菱川さんと慎二くんも買い物に来ていた。菱川さんと買い物をしているうち、気づくと亮太たちがいない。鮮魚コーナーの陳列棚の端に立ち、液晶TVから流れる販促映像を眺めている。何が面白いのかと目を凝らすと、画面の中におそらくは男性の死体が寝そべっていた。スーパーの制作課に勤めている夫に伝えなければならない。チェックの時には映っていなかったという。これまで気づかれなかったのは、誰も販促ビデオなどまともに見ないからだ。調べてみると今は制作会社を辞めた河島というディレクターが作った販促ビデオには、どれもおかしな映像が映り込んでいた。

 当たり前の日常のひとコマが何かをきっかけに恐怖の対象になってしまうというタイプの作品のなかでも、かなり怖い部類に入る作品でした。というのも、主人公も言っているように、販促映像なんて普段は見ようともしない、存在を意識しないということがひとつ挙げられます。ところがひとたび意識してしまうと、現代社会では町中に溢れていて逃れようがないという現実に直面するのです。
 

「宮本くんの手」(2018)★★☆☆☆
 ――午前一時。夕食を済ませて会社に戻ると、編集部に残っているのは宮本くんだけだった。宮本くんはぼんやり手元を見つめている。掌はひどく荒れ、そこかしこに血が滲んでいた。「どうしたの?」「ちょいちょいなるんですよ。水虫でも黴菌でもないし、遺伝でもないっぽいんですよ。ちっちゃいバグみたいなもんは、澤田さんにもありません?」それからバグのことなんか忘れていた。宮本くんの机のまわりに、掻き毟った皮が散乱していた。

 ただの気持ち悪い話なのかな、と思わせておいて、雨降りを予感する古傷の疼きを3・11と繋げる発想には感心しました。ところがそこからさらに反転して「健康的じゃない」考え方まで行くと、宮本視点ではなく澤田視点であるせいでさほど切実みが感じられず、そのまま生々しさのないまま終わってしまいました。
 

「シュマシラ」(2018)★★★★☆
 ――私はマニアでもコレクターでもないが、小学生の頃にロボットの食玩シリーズを集めていた、という話が一人歩きして、食玩コレクターの柳が我が家を訪れた。UMAをモチーフにしたロボットシリーズに、シュマシラというヒバゴンのようなロボットがあるのだが、モチーフがわからないという。由来は山海経に描かれた朱厭という猿らしいのだが、それが日本のロボットシリーズに採用された経緯がわからない。判明したきっかけは総務部長の川勝さんだった。人知れずUMAを愛好していた川勝さんの調査によると、播磨国に伝わる妖怪らしい。

 民俗学的な世界に分け入ってゆくきっかけが食玩というのが何とも現代っぽい。民俗学の基本はフィールドワークということで、姫路(播磨国)まで行って調査するのも、捜査する探偵みたいでわくわくします。「ししりば」もゲスト出演。恐ろしいことが起こったあとで、なかったことにしようと必死で言い訳を作りあげているのが痛ましい。
 

「死神」(2018)★★☆☆☆
 ――知人の知人、植松恭平から聞いた話だ。同じゼミの日岡からの頼まれ事を、失業中で時間のあった植松は二つ返事で引き受けた。事情で一ヶ月帰省しなければならない。その間だけ植物とペットの面倒を見てほしい――。植物とハムスターとカブトムシと金魚を預かってから一時間後、履歴書に手を伸ばしたところで視線に気づいた。誰かに見られている。そう思った瞬間、植松は自分がベランダに立っていることに気付いた。意識が飛んでいた。ハムスターが死んだのは二週間後のことだった。

 語り手自身が書いている通り、不幸の手紙であり『リング』でもある作品です。そういう意味では面白味はありませんが、「死神」の造形がグロテスクで、これに「死神」と名づけるセンスにはやはり凄いものを感じます。
 

「じぶんち」(2019)★★★☆☆
 ――三泊四日のスキー合宿から戻ると、「我が家が一番」と感じた。合宿は楽しかったが、友人とはいえ他人との生活はストレスだった。ドアを開けると同時に言う。「ただいま」。返事はなかった。リビングでテレビの音がする。ドアを引き開けたが誰もいなかった。喉が渇いて冷蔵庫から牛乳を取り出し、閉めたところでメモに気付いた。(卓也へ ごめんね 先に行きます)。早合点するな。先に外食に行っただけだ。そう思おうとした。

 単行本書き下ろし。「ひとんち」で始まり「じぶんち」で終わるところに遊び心があります。思わせぶりな置手紙と、いるはずの家族がいないという、ホラーというよりはサスペンス風の恐怖が漂っていました。それだけに、【SF(?)】的な理屈をつけた真相は「え?」となってしまいました。

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 ひとんち 澤村伊智短篇集 

『あなたの自伝、お書きします』ミュリエル・スパーク/木村政則訳(河出書房新社)★★★★☆

『あなたの自伝、お書きします』ミュリエル・スパーク/木村政則訳(河出書房新社

 『Loitering with Intent』Muriel Spark,1981年。

 名誉毀損を恐れずに自らの人生を記録したいという俗物たちが、小説家志望の語り手フラー・トールボットを雇って自伝のサポートをさせたところ、フラーは事実を脚色し始めて……というところから既に著者らしい意地の悪さが爆発していて嬉しくなってしまいます。

 しかも本当に乗り気なのは雇い人のサー・クェンティンだけで、ほかのメンバーはそうでもないことから、サー・クェンティンには何か企みがあるのでは――と語り手は考えるようになります。果たしてそれは語り手の妄想なのか、本当に企みがあるのか……。自伝はおろか語り手が書いている小説『ウォレンダー・チェイス』も、現実の出来事や語り手の精神状態に左右されているらしき様子もあります。

 信仰をなくして聖職から退いたディレイニー神父や、ロシア皇帝の宮廷で育ったと自称するウィルクス夫人、惚けたふりをするサー・クェンティンの母親など、クセのある人物ばかりなのも相変わらずです。語り手からしてからが、浮気相手の妻を自伝協会に紹介してしょっちゅう会って話をしているというのだから、一筋縄ではいきません。

 後半になればさらにエスカレートして、『ウォレンダー・チェイス』の原稿が盗まれたかと思えば、語り手の方もやり返し、お互いがお互いを異常者扱いしながら創作のネタにしあうという悪夢のような展開に。そしてなぜかサー・クェンティンは自伝協会をカルトのように先鋭化してゆきます。

 ここまでのことはすべて事実として書かれているし、作家として成功した語り手が現在の時点から過去を回想しているのだから、現実に起こったことであるのは間違いないはずなのですが、語り手の妄想なのではないかという思いを拭えないくらいハチャメチャなやり取りが続いて、笑いが止まりませんでした。

 最後は語り手の完全勝利で終わりますが、潔いくらいに信用できません。

 作家の卵フラーは、自伝協会なる組織に雇われ、名士ぞろいの会員の自伝執筆を手伝うことになった。やがて奇妙なことに、会員たちはフラーが書いた小説の登場人物と同じ台詞を口にしだし、小説そっくりの事件が! 一方、フラーは念願の小説出版の話を反故にされ、唯一の原稿も盗まれてしまう。自伝協会と出版撤回には何か関連が? フラーは原稿を無事取り返し、出版することができるのか? スパークの幻の傑作、ついに登場!(カバー袖あらすじ)

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 あなたの自伝、お書きします 

『島田荘司選 日華ミステリーアンソロジー』陳浩基・知念実希人・他(講談社)★★★☆☆

島田荘司選 日華ミステリーアンソロジー』陳浩基・知念実希人・他(講談社

 2021年刊。

 まるで経済成長に合わせるかのように、乗りに乗っていた中国ミステリ&SF。アジア圏ミステリの紹介では先鞭をつけていた島田荘司氏による日華競演アンソロジーが満を持しての登場です。書き下ろし・新作・未発表作・習作が収録されています。翻訳作品の原題が記載されていないのがもやっとします。
 

島田荘司選・日華ミステリーアンソロジー、前書き」島田荘司

 これまでは奇想にこだわってきた著者でしたが、昨今では「新本格を縛し続けたヴァン・ダイン呪縛も、いささかやんだように見える」ことから、「最近は、ミステリーの文学性についても思うようになった」そうです。実作者からしてみれば毎度毎度よけいなお世話なのでしょうが、恐らく著者は現状に甘んじることをよしとせず常に進化し続けようとしているのでしょう。そしてそれは、確かに大事な姿勢だと思います。
 

ヨルムンガンド Jörmungandr」陳浩基/稲村文吾訳(陳浩基,2021)★★★★☆
 ――World616:大学の食堂でカルヴィンと物理学の問題を議論するのはお決まりになっていた。バン! 大音響が鳴り、拳銃を持った男が食堂に飛び込んできた。銃声が響くと同時に胸元を激痛が襲う。「オズ! オズ!」カルヴィンの声がする。あれ? 死んでない? 懐にあった父の形見のライターが弾頭を食い止めていた。Wordl617:「オズ!」咄嗟にオズの前に身を投げ出した。男は撃ってこなかった。警備員が男を押さえつけた。「オズ!」振り向くとオズの胸元は緋色に染まっていた。もし本当に並行世界が存在するのなら、どこかの世界でオズは難を逃れられるのに……。

 コメントしづらい作品です。というのも、世界が分岐する多世界解釈の話だというのは初めから明らかにされているのですが、【時間SF】だということは当初は匂わせ程度に留まっているからです。しかも【終末や悲劇を回避するために過去に干渉したところ、当時の○○は実は未来から来た自分だった】という【時間SF】としてもかなり陳腐な内容なのです。そんな陳腐な内容ですが、多世界解釈ものとしてスタートし、また悲劇の起こるタイミングをずらし、二つの世界の出来事を組み合わせるといった工夫により、普通に書けば陳腐にしかならないような話が先の読めない話に生まれ変わっていました。
 

「七色のネコ」知念実希人(2021)☆☆☆☆☆
 ――天久鷹央が拾ってきた野良猫は、全身を青く塗られていた。念のため動物病院で体調確認をしてもらったところ、その病院だけで似たような猫が九匹保護されていることを知る。獣医師に教わったNPO動物愛護団体に向かうと、そこで保護された猫は六十匹を超えていた。帰り際、鷹央は獣医師の腕の傷を見て、日本では罹ることのない致死率百パーセントの奇病に症状が似ていると告げる。

 天久鷹央シリーズ。ライトノベルなのでキャラクターの個性が濃いのは仕方がないにしても、見え見えのはったりに犯人が都合よく乗っかってくれるのではさすがに興醒めです。犯人が猫に色を塗った理由【※色を塗って普通の猫に見せかけて密輸していた禁輸猫が逃げ出してしまったため、色を付けた普通猫を現場近辺に放てば、虐待を疑われて愛護団体である犯人のもとに続々と保護されると考えた】も、奇想というには及ばず、無理にこじつけた屁理屈でしかありません。島田荘司氏が前書きで言及していた文学性は……この作品には皆無ですが、それは日本の小説家の問題ではなくライトノベルというジャンルの性質によるものでしょう。それはともかく、文学性以前にミステリとして中国に完敗していました。
 

「杣径」林千早/稲村文吾訳(林中路,林千早,?)★★★★☆
 ――オットー先生、私は今回またあの森へ足を運びました。幼いころ住んでいた小屋はすぐに見つかりました。記憶の始まりは一頭の熊を殺したことです。その熊が母を殺すところを見たばかりで、驚きのためにそれまでの記憶を失ったのは慚愧に堪えません。意識がはっきりすると、「アーシャ」と呼ぶ声が聞こえました。「姉さん……」。姉さんの足は血まみれで、あいつに骨を折られたようです。以降姉さんはうまく歩けなくなり、ほとんど室内で過ごすことになりました。ハンカチで死顔を覆われた母の遺体と、一丁の猟銃、鉈、そして床に倒れているのはあの獣でした。運良く猟銃を使った経験がなかったなら、十年ほど後、あなたが小屋を訪れて目にしたのは三つの白骨だったことでしょう。姉さんはそれからよく聖書の話をしてくれました。あの年の夏、山の下の廃村で、私は天使様に出会ったのでした。

 書き下ろしではなく電子書籍として出版されているそうです。解題によれば、賞への応募のため「深緑野分、梓崎優などを意識」したとありますが、この奇想はむしろ選者である島田荘司の直系であると感じました。とりわけ『ネジ式ザゼツキー』あたりの。何なら政治的なところも島田荘司を彷彿とさせます。奇想というより奇想天外で、リアリティや細かいことなど無視した豪快さは島田荘司以上です。個人的にはさすがに度が過ぎていると感じてしまいましたが。認識を扱ったミステリとしては極北で、これを異世界ミステリではなく現実でやろうと思うところに非凡さを感じます(という書き方自体がネタバレですね)【※山小屋で双子の姉と二人きり暮らす妹が、人間とはみんな同じ顔をしているものだと思い込み、違う顔の人間を獣だと錯誤する】。タイトルもエピグラフハイデガーで、舞台もドイツという、ドイツづくしの設定が、リアルとファンタジーいずれの効果も上げていました。
 

「森とユートピア」陸秋槎/稲村文吾訳(?,陆秋槎,2021)★★★★☆
 ――クラリッサは骨董店のミス・コリンズに手紙を書いた。「昨夜、星を見ようと窓を開けたところ、パメラがナイフを持って林に入っていったのです」/「親愛なるクラリッサ、あなたのお話には引きつけられました。お返しに船乗りから買った手記を送ります」/クラリッサとパメラは並んで手記を読んだ。これでピアノの授業に遅刻するのは確実だった。/仕事を失ったわたしはオーストラリアで家庭教師の口を見つけた。その家でジョーンズさんと出会い、愛するようになった。やがてジョーンズさんと友人のウィリアムやアイザックが南太平洋に小島を買い、私欲と搾取のない理想社会を築くことになると、わたしもそこで暮らすことにした。ところが矯正のためという言い分で監視塔が建てられ、第一陣の住民たちが楽な仕事ばかりしているにつけ、恨み言が増えていった。そこで仕事の割り当てを変えた三日後、ウィリアムが死んだ。猿の仕業だとアイザックは言った。

 相変わらず著者のノンシリーズ短篇は読みやすくて面白い。被害者が出て初めて、そういえばこれはミステリ・アンソロジー収録作だったと思い出すほどでした。謎としては作中作のなかで起きた猿による殺人事件と以後の顛末があります。真相は「どんどん橋、落ちた」系の無理筋だとは思いますが、理想郷を夢見ておかしな方向に行き出す人々がという点では筋が通ってもいました。枠物語の外では、お嬢様を取り巻く家庭教師という特殊な立場の者と養女という特殊な立場の二人――主人公にはなれない二人が主人公になり、見えない人【※原住民】という真相を解くのも理に適っていました。選者によるこの作品の扉コメントを読むかぎりでは、前書きにあった文学性云々の話は、そういう方向性もあるということではなくそうすべきという強い宣言のようです。
 

「人魚」石黒順子(2021)★☆☆☆☆
 ――仕事も終り、魚屋の前を通りかかると、横に人の気配を感じた。「お魚がお好き? 魚って、官能的ね……」そこには二十代と思われる女性の姿があった。夕日に輝くその姿は人魚のようだった。……ここはどこだろう。目の前の大きな湖に月光が反射している。湖の中に女の頭が見えた。満月が爆発してぼくの身を包むと、ぼくは透明になっていた。だから彼女のそばまで来ることができた。魚の一匹が大きくなり喋った。「むかし地球という星にいたことがある。そこには君みたいな生き物がいて人間と呼ばれていた……」

 選者自作の扉コメントに「ジャンルの明日を考え、あえて本格を前提としないと公言して良作を求めた」と書かれているので、本格どころかミステリですらないのはわかるのですが、いかんせんこの作品の著者は幻想小説を書くには筆力も文体も無さ過ぎます。一人称なのに他人の感情も描かれているのは、他人の意識と融合しているという表現なのかもしれませんが、著者が下手くそなだけという線も捨てきれません。選者が前書きで憂えているのも納得してしまうほど、日本人作家の出来は総じて壊滅的でした。日本の作家に発破を掛けるために、わざと選んでいるのでは?と思ってしまうほどです。
 

「聞こえなかった銃声」小野家由佳(2021)★☆☆☆☆
 ――成城の先生の家からアパートに帰る途中、銃声が聞こえた。実家は狩猟シーズンになると猟銃の音が絶えない土地柄だから、聞き間違いとは思えない。音のした方へ自転車を漕ぐと、公園の砂場の中、街灯に照らされるようにして男が倒れていた。「一回しか聞こえなかったよな?」胸の弾痕、二つないか?

 選者のリクエストなど何処吹く風の犯人当て作品。成城の先生と語り手と警部の三人に個性がないうえに、語り手の捨て推理もぐだぐだなので、真相が明かされたところで何の驚きもありません。
 

「相馬樓、雪の幻」島田荘司(2021)★★★☆☆
 ――山形県酒田市の秋。駒子は船箪笥職人の石井卓三と二人で庭園を歩いていた。「駒子、和服よく似合うの。まるきり日本人のようだの」。駒子は台湾で生まれ育った生粋の台湾人で、名前はミンミンといった。門を出ると珈琲屋でひと休みした。「あ、竹久夢二。おとうさん、うちがどうしてこの街に来たか、この前訊いてはったやろ? うちの店に夢二の絵があったんです。それで日本舞踊の教室とか通って、いつか日本に来ようって決めてた」「いつか相馬樓に入ろう思って?」「まさか入れるとは思っていなかったけど」「一人で踊れるようになった時は、力作の箪笥でもプレゼントすっがの」

 血にまみれてもいた台湾の近代史を伝えたいという思いから、台湾の暗部が描かれていました。現代の日本の方では人間ドラマが描かれますが、さすがにベタでクサすぎました。とはいえ日本勢のなかで曲がりなりにも文学性のあるのは本作品だけです。単に実力不足の石黒氏はともかくとして、「本格ミステリー宣言」のころと同様、実作者には島田氏の想いは届いてないなあと感じてしまいました。

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