『奥の部屋』ロバート・エイクマン/今本渉編訳(ちくま文庫)★★★★★

 国書刊行会〈魔法の本棚〉版に「何と冷たい小さな君の手よ」「スタア来臨」の二篇を加えた文庫版。
 

「学友」(The School Friend,1964)★★★★☆
 ――学生時分の友人サリーは大学に進み、私たちは疎遠になりましたが、四十一の年、私は両親の元へ出戻りと相成り、サリーの父親テスラー博士の死を知ったのです。再会したばかりのサリーは昔のままでしたが、父親の家で暮らすことにしたサリーを訪ねてゆくと、どこかしら様子が変です。私と会っているあいだじゅう、一度も笑いませんでした。

 有識な女性二人と研究者である父親が、何かに心を奪われてしまう様子が語られていますが、その「何か」が何であるのかはまったくわかりません。一瞬にして消えた男の姿にこそ通常の怪奇作品のような雰囲気があるものの、乱雑な家のなかの様子や、一変してしまったサリーの人とナリ、食料品店での様子などを見るに、(比喩的な意味で)何かに取り憑かれているだけのようにも思えます。少なくとも食料品店の人たちは事情を知っていたし、語り手もどうやら最後には知ることになったようです。タイトルが「学友」であり、主要登場人物が三人に共通しているのが学識であるだけに、知に関する何かが関係あったのでしょうか。
 

「髪を束ねて」(Bind Your Hair,1964)★★★★★
 ――クラリンダはダドリー・カーステアズとの婚約直後、実家の両親に紹介された。そこにパガーニという独特の雰囲気の夫人が押しかけてきた。翌日の午後、クラリンダは気分転換に散歩に出かけた。立入禁止の札を無視して奥に進むと、豚の群れがいる。驚いていると、性別も不確かな二人の子どもが現れた。「上には何があるのかしら」「迷路」

 一応のところは変化《へんげ》やサバトらしきものが描かれていると思しいのですが、主人公が意外なほど堂々としているため、読んでいるこちらの方がこれは夢か何かなのかと自信がなくなってきます。そんなさなかにしっかりと刻まれる現実の印にぞっとしました。読み終えるころには、何も気づかず(?)パガーニ夫人と共存している田舎の人々の方が恐ろしいとさえ思えてきました。
 

「待合室」(The Waiting Room,1964)★★★★☆
 ――居眠りして列車を乗り過ごしてしまったペンドルベリは、終点の駅の待合室で一夜を過ごすことにした。「悪いけど、俺は責任持てないよ」とポーターは言って、首をひきつらせた。

 エイクマン作品のなかで格段にわかりやすく、何が起こっているのかも起こったことの因果関係も明らかでした。そうは言ってもそれは最後にそう明らかにされる、というだけのことで、明らかにならなければならないで夢とも現実ともつかない待合室の夜の風景が、読み終えてもなお心に尾を引くことでしょう。個人的には怪異そのものよりも、同僚のポーターの最後の一言が怖かったです。
 

「何と冷たい小さな君の手よ」(Your Tiny Hands Is Frozen,1966)★★★★★
 ――夜中にベルが鳴ってエドマンドが受話器を取ると、相手は計ったように受話器を置いた。「もしもし」と言ってみても無駄だった。電話は何度もかかってくる。婚約者テディの結核療養のあいだは一人暮らしだ。外出中に知り合いとばったり出くわし、二十五年前に町でよく会っていたクウィーニーという女性のことが話題になった。クリスマスに招待してみよう。エドマンドは電話をかけた――。

 新版異色作家短篇集『棄ててきた女』にも収録。『ミステリーゾーン』風の電話の怪……だと何の気なしに読んでいると、唐突に出てくる「二十五年前」という言葉にどきっとします。若者の話ではないんですね――。この時点で、何か歪んでます。感覚的にどこかおかしい、ずれています。だからこそ「エミリーの薔薇」めいた哀しみと恐ろしさをもよおさせる結末は、むしろ当然のような気さえしました。タイトルはプッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』より。
 

「スタア来臨」(The Visiting Star,1966)★★★★★
 ――タバド座の支配人マルニクは赤字覚悟で地元作家の戯曲を上演しようとしていたが、女優のミス・ロウクビーはシェイクスピアでなければ出演しないと断言していた。鉛鉱調査中のコーヴァンが泊まっているホテルの隣室に、ミス・ロウクビーの信奉者らしきスパーバス老人が部屋を取った。

 永遠の美女と、それにまとわりつくようにして邪魔者を消す老人……とくれば、魂の取引および悪魔という図式が思い浮かびます。それが小出しにされてゆくため、徐々に何かがおかしく息苦しくなってゆくのは、他のエイクマン作品と同様です。どちらかといえば「髪を束ねて」ともども、ショッキングなシーンのある作品だったと思います。
 

「恍惚」(Ravissante,1968)★★★★☆
 ――画家をやめて編集者になっていた知り合いが死んだとき、遺された原稿のなかに、個人的な記録も入っていた。「……Aという画家の未亡人が存命中だと知り、僕はブリュッセルまで会いに行くことにした。 A夫人は顔を近づけて画家たちのゴシップを聞かせてくるのでうんざりしていた。A画伯の絵を見せてもらっていると、『あたしの養女、今日はいなくて残念だわ。美人なんだから』」

 怪異よりもむしろ、マダムAのアクの強さが気になって仕方ありませんでした。一種の怪人ですね。「髪を束ねて」のパガーニ夫人といい、エイクマンの描く年配婦人は強烈です。そのうえBGMのように登場する動物たちの存在がおぞましさを盛り立てます。
 

「奥の部屋」(The Inner Room,1968)★★★★★
 ――私が父に買ってもらった古い人形の家には、窓を背にして書き物をしている婦人もいた。後ろ姿を見ただけでこれは狂女だと決めてしまった。そのうち私は家と住人のことを夢に見るようになった。板張りの廊下に足音がパタパタと響いていた。朝になって弟と一緒に家を確かめたけれども変わったところはない。けれど弟が間取りを計ってみると、どうしても一部屋ぶん足りないことがわかった。

 意思を持っているかのような人形。あるはずなのにない部屋。過去に罪を犯したらしき父親と不幸な家族。少女時代の不幸な思い出が、何年も経ってから襲いかかってくる……恐ろしいことが起こりそうなのに、むしろ気分が晴れた(とは言い過ぎにしても目が覚めた)ように立ち去る主人公の姿が印象的です。
 

  

『御子柴くんの甘味と捜査』若竹七海(中公文庫)★★★☆☆

 倒叙作品集『プレゼント』に出てくる探偵役の小林警部補の部下、御子柴刑事が主人公です。長野県警から警視庁に出向し、そこで遭遇する5つの事件を描いた短篇集。タイトルになっている「甘味」とは、県警からは東京みやげを、東京の人間からは長野の名物をせがまれることにちなみます。探偵役は小林警部補。電話で謎解きをおこないます。
 

「哀愁のくるみ餅事件」★★★★☆
 ――東京で盗まれた盗難車が、長野県で発見された。座席には男の死体、死因は一酸化炭素中毒。果たして事故か事件か。遺体の身許は樋口正治、盗難車の持ち主の隣人だった。兄弟そろってひきこもり、母親は死亡、父親の彰文は失踪していた。近所の人々は父親は殺されているのではと噂するが……。

 息子たちのくずっぷりが半端じゃないので、動機の面から事件を推理(推測)して組み立ててゆくのはなかなか難しそうです。関係者からの聞き取りという、ミステリではともすれば「退屈」になりかねない場面に、伏線をまぶしておく著者の手際に老獪さを感じます。
 

「根こそぎの酒饅頭事件」★★★☆☆
 ――東京で土蔵破りが起こった。便利屋のふりをして堂々と盗んでいったらしい。犯罪者にレンタカーの都合をつける常習犯の深沢は、今回も空とぼけている。だが車に残っていた指紋から、中野と田町という男が浮かび上がった。田町の家を訪れると、縛られている田町が見つかった。家に保管していた盗品は盗まれてしまったと言う。

 どっちにしたところで犯罪者、なので、無関係に思えた人間のつながりが明らかになっても、さほど驚きはありません。話の内容自体も、容疑者が嘘をついていたために二転三転するというのでは、転調に意外性もなく単調でした。
 

「不審なプリン事件」★★★☆☆
 ――スーパーチェーンの社長が白昼堂々三人の男に襲われ、一一〇番しようとした目撃者が殴り殺された。社長は犯人逮捕に懸賞金をかけたが、身許は割れたものの実行犯の須崎は7年ものあいだ逃げおおせていた。そして今、須崎の娘が軽井沢で結婚式を挙げる。須崎は現れるのか……。

 軽井沢の張り込みはドタバタで進行してゆきます(玉森さん意外と無能)が、小林警部補の一言でそのドタバタ自体の意味がくるっと変わります。そういう意図があったからこそ、結果的に(人が集まり)ドタバタになったのですね。
 

「忘れじの信州味噌ピッツァ事件」★★★☆☆
 ――殴られて記憶を失った男は、ペンションの主人・藤田肇だと判明した――はずだった。病院に面会に来た女性は、亀田勝の妻だと名乗った。男性の特徴が夫に似ているのだという。

 冒頭で起きた事件こそ解決されましたが、いくつかの謎は残ったままです。果たして最終話で明らかになるのでしょうか。
 

「謀略のあめせんべい事件」★★★☆☆
 ――御子柴が右膝を壊す原因になった窃盗犯・岡章二が死体で見つかった。岡の母親のやっているスナックに捜査に行くと、そこで教団信者拷問殺人事件の渦中にある暴力団・間島組の組員・近藤がいた。軽トラを盗んだ近藤は山へ逃げ込んでしまった。

 伏線というのとはちょっと違うのでしょうけれど、犯人の手がかりがあまりにもヌケヌケと書かれていて笑いました。カーにも似たような作品がありましたね、「グラン・ギニョール」だったかな。御子柴くん、夢が叶って(?)何よりです。御子柴が怪我をした過去のエピソード、回想スタイルで詳しく書かれているのは、文字通りのレッド・ヘリング(?)だったとわかり、にやりとさせられます。
 

  

『よりぬきウッドハウス1』P・G・ウッドハウス/森村たまき訳(国書刊行会)★★★☆☆

ハニーサックル・コテージ」(Honeysuckle Cottage,1925)★★★☆☆
 ――「幽霊をお信じになりますか」マリナー氏が言った。マリナー氏の遠縁の探偵小説家ジェイムズ・ロドマンは、ロマンス小説家である叔母の屋敷を相続した。ところが書斎でタイプライターに向かうと、いつの間にか出したくもない女の子を登場させていた……。

 記念すべきマリナー氏ものの第一作。ロマンス小説家のロマンス要素がその家の住人に祟り憑くという、怖くはないが厄介な心霊現象が描かれています。「おじさま」がジェイムズの名前を間違えまくるというベタな笑いがたまりません。
 

「レジー・ペッパー・シリーズ」

「不在療法」(Absent Treatment)★★★☆☆
 ――ボビーは半径六キロ以内で最大のうすらぼんやりだった。奴が人並みの知性を見せるためにはダイナマイトが必要だった。つまり結婚である。奥さんに家を出ていくと言われては、奥さんの誕生日を思い出さないわけにはいかない。

 レジー・ペッパーはバーティー・ウースターの原型だそうです。レジーのキャラよりも、女ってものは……トホホ……な感じの強い作品でした。
 

「セリフと演技」(Lines and Businesses)★★★☆☆
 ――哀れなフレディーが婚約者のアンジェラ・ウェストとケンカしたので、僕は一肌脱ぐことにした。砂浜にいた太った女の子がウェスト嬢のイトコであると結論づけ、溺れかけていたところをフレディーが助けたことにしようというのだ。いい考えだった。女の子がイトコでも何でもないという点を除けば。

 ジーヴスもの「フレディー救出作戦」に改作されて『それゆけ、ジーヴス』に収録されているとのよし。
 

「ダギー救出作戦」(Disentangling Old Duggie)★★★★☆
 ――親友のダギーが悩んでいたので、占い師を紹介してやったところ、あろうことかダギーがその占い師と婚約したらしい。ダギーの恐るべき姉のフローレンス・クレイが言うには、僕に責任があるという。

 シリーズもだんだんと波に乗ってきて、「シェークスピアか何か」と自信満々にいいかげんなところがキュートです。フローレンスには悪いけれど、どうやらクレイ家の男たちに問題があるような……。
 

「弟のアルフレッド」(Brother Alfred)★★★★☆
 ――僕らはヨットでモンテ・カルロに来ていた。昨夜いと高き皇太子殿下が何者かに襲われたと言って、探偵が乗り込んできた。どうやらジョージの仕業らしい。天才的なひらめきが訪れた。生き別れの双子の弟アルフレッドということにすればいい。

 レジーの従者ヴァウルズが登場しますが、ジーヴスとは違い主人に忠実ではなく、腹黒さも隠そうともしません。ドジを機転(?)で切り抜けようとする人物なりきりのコメディがメインストーリーに思わせながら、探偵小説風のどんでん返しがいくつも仕掛けられていました。
 

クラレンスのために全員集合」(Rallying Round Clarence)★★★☆☆
 ――むかし婚約していたエリザベスからゴルフに誘われた。亭主のクラレンスは芸術家であり、舅から結婚祝いに贈られた『ヴィーナス』の絵に我慢がならないらしい。そいつは何ともすごい代物だった。舅を傷つけないように、盗まれたことにしてほしいときたもんだ。

 自分を振った元婚約者からの頼みを、何だかんだ言いながらきいてしまうレジー。のちに『ウースター家の掟』で見られるバーティーの男気がすでにあります。自称芸術家親子とそれにぞっこんで周りが見えなくなっている女性の組み合わせが、いかにもリアルです。
 

「隠された芸術」(Concealed Art)★★★☆☆
 ――アーチーは芸術家だった。ところが絵は一枚も売れたことがなく、雑誌に掲載しているヒット作漫画が収入源だった。それを婚約者のメイベルに打ち明けられずにいた。

 またもや自称芸術家が登場しますが、アーチーには芸術の才能はなくとも笑いの才能があったようで、何よりです。
 

「テスト・ケース」(The Test Case)★★★☆☆
 ――僕はアンにプロポーズしたことがある。アンはリスクは犯したくないという。姉の夫ハロルドが最初の奥さんのことを忘れられない嫌な奴なんだそうだ。

 これまで同様、友だちのために一肌脱ぐレジーですが、どこか抜けているのでたいていは失敗します。うまくいったとしても怪我の功名、結果オーライなところがあるのです。だから運が向いてないと、この作品のような大惨事になってしまいます。
 

「初期作品」

「ゲームキャプテンであることの諸問題」(Some Aspects of Game-Captaincy,1900)★★☆☆☆
 ――ゲームキャプテンにとって、世界とは三種類の人々の住まいするところである。熱心な選手、局所的無気力者、そして完全に絶望的な無気力者である。

 ウッドハウス18歳の作品。作中で触れられている「スウィフトの筆」とはジョナサン・スウィフトでしょうか? 「奴婢訓」や「アイルランドにおける貧民の子女……」ぽいと言えばそうですが。
 

「未完のコレクション」(An Unfinished Collection,1902)★★★★☆
 ――ジョージはうまいことやっていた若いものかきだった。ところが、運の悪いことに、編集子の〈お断わりの手紙〉のコレクションを始めてしまった。

 才能のあるおバカさんの話です。「お断わりの手紙」コレクションという発想からしてすでに可笑しくて仕方ありません。
 

「レジナルドの秘密の愉しみ」(The Secret Pleasures of Reginald,1915)★★☆☆☆
 ――土曜日の午後、僕はレジーにクラブで会った。僕が話しかけると、奴は顔をしかめた。「お前、ボドフィッシュを知ってるか?」「ああ、最悪な奴だ」「俺はボドフィッシュの家で週末を過ごしちゃいないんだ」「見ればわかる――」

 最悪「ではない」ことを想像することで幸せを噛みしめる悲しいお話です。
 

「近視擁護論」(In Defense of Astigmatism,1916)★★★☆☆
 ――現代であっても、主人公にメガネをかけさせる勇気を持った作家は一人とてない。メガネはロマンティックでないという主張をしても無駄である。メガネがロマンティックでないということはない。

 商業的な問題は現在にも通じるものがあります。
 

「ミュージカル・コメディー作家であることの苦悩」(The Agonies of Writing A Musical Comedy,1917)★★☆☆☆
 ――そのマネージャーがほしいのは、有名なコメディアンにぴったりの作品ということだった。一、二か月かけて完成した劇を持って行った。するとそこで、純情可憐な娘役を主役に書き直してほしいと言われるのだ。

 これもいつの時代も変わらない悩みですね。こういうのを怒りではなくユーモアに乗せて書ける人に憧れます。
 

「マリナー氏ハリウッドシリーズ」

「漂流者たち」(The Castaways)★★★★☆
 ――甥のバルストロード・マリナーに起こったのは、まさに無人島に取り残された二人の男女のような出来事だった。メイベルと婚約したバルストロードは、ロサンゼルスに出稼ぎに行き、映画の脚本書きの契約を結ばされ、会社に缶詰めにされてしまった。個室のなかで書き続けなければならない孤独のなか、隣の個室の女性は魅力的に映った。

 ウッドハウスのハリウッド体験が活かされているらしいです。ハリウッドの理不尽な職場環境を舞台に、ウッドハウスお得意の男女のドタバタが巻き起こります。ロサンゼルスの行方不明者の大半はシナリオ書きのためさらわれているだけだそうです(^^;。
 

「うなずき係」(The Nodder)★★★☆☆
 ――遠縁のウィルモット・マリナーはうなずき係だった。社会的にはイエスマンのそのまた下層に位置することから、メイベルにもふられてしまった。失意のウィルモットは、子役のジョニー・ビングレイ(40代の小人)と遭遇した。人気子役が実は大人であることがばれるのを恐れた重役たちは、ウィルモットの反応をさぐるが……。

 冒頭でマリナー氏が言及していた子役のことがどう話にからんでくるのかと思っていたところ、このように〈ハリウッドの秘密〉という形で登場しました。それにしても「うなずき係」とは、ひどい職業もあったものです(^^;。
 

「モンキー・ビジネス」(Monkey Business)★★★☆☆
 ――そのゴリラは超大作映画の出演者だったのです。遠縁の従兄弟モントローズ・マリナーは、そのせいでロザリーを失うところでした。ロザリーはゴリラを怖がるモントローズに愛想を尽かし、探検家のキャプテン・フォスダイクと夕食に出かけてしまいました。

 ハチを恐れない聞き手に、「じゃあそれがゴリラだったら?」とたずねるマリナー氏が、のっけから笑わせてくれます。
 

「運命」Fate)★★★☆☆
 ――フレディーの奴が、女の子のスーツケースを持ってやったために、愛する女の子を失ったんだ。騎士道精神から出た行動だった。女の子がかわいかったら誤解されるのを恐れてためらったかもしれない。でもその子はかわいくなかった。そこでスーツケースを家まで運んでやったんだ。運び終わってひと息ついていると、ドアがばたんと音を立て、男たちが入ってきた。

 エッグ氏たち、ビーン氏たち、クランペット氏たちもの。この作品中でもとりわけドタバタ色が強く、同じような場面を変奏することで面白味が生まれるところと併せて、型のある笑いが楽しい一篇です。
 

「ブラッドリー・コートの不快事」(Unpleasantness at Bludleigh Court)★★★☆☆
 ――姪のシャルロット・マリナーは、文芸サークル内で出会ったオーブリーが、芸術家の家系ではなく狩猟一家の出身だと知って驚愕しました。繊細なオーブリーには猛獣ハンターのフランシス叔父のことは我慢がなりませんでしたが、叔父の家には呪いがあり、射ちたくなってしまうのだそうです。

 マリナー氏もの。文系の男女二人が嬉々として行動的な態度に出るのが可笑しくて仕方ありません。特に、オーブリーはともかく、シャルロットの行動は度を越しすぎていて、たがが外れた感じの笑いがたまりませんでした。広い意味でハンターと言えば言えなくもないのでしょうが。
 

  

「ポーターズ」桐山古舟、『一日三食絶対食べたい』3

good!アフタヌーン』2020年02月号(講談社

亜人」75「未知への飛翔」桜井画門
 オグラ博士の想像する亜人誕生の瞬間。いずれ佐藤の倒し方に関わってくるのだと思うのですが……。

「デーリィズ」8「にゆごこうざ」めごちも
 「そうめん」「王家」

「父娘の島」ショウ
 ――天才少女ライラはワープマシンの実験で父親とともに無人島に取り残されてしまった。だがライラの才能を狙う組織の魔の手は無人島にまで伸ばされて来た……。

 第13回四季賞新人戦。2018冬の四季大賞「フィーンド」の著者。相変わらず可愛いタッチの可愛くない絵が内容とミスマッチです。父親の無責任な発言も気持ち悪いし、この殺し屋(?)たちはアホなんでしょうか。
 

「ポーターズ」桐山古舟
 ――タイラは先輩のミヤマと二人で配達困難地域スラムを担当することになった。このスラムで病院を営んでいる叔父のため、ミヤマは危険を顧みず薬を届けていた。だがお人好しのタイラはまんまと荷物を騙し取られてしまう。

 四季賞2018秋のコンテスト準入選作。ミヤマ、タイラ、少年、それぞれの信念がちゃんと描き分けられていてなおかつとっちらからずにまとまって読みやすいです。気持ちのいい人たちが登場する前向きな話です。
 

『一日三食絶対食べたい』(3)久野田ショウ(講談社アフタヌーンKC)
 完結巻。変わらない日常のように思えても、みんな成長していきます。スギタさんは前の巻で妹との関係を修正したし、ユキにはこの巻で後輩ができました。リッカの背が伸びたことがわかるお別れのシーンは屈指の名場面です。
 

   

『ナボコフの文学講義』(上)ウラジーミル・ナボコフ/野島秀勝訳(河出文庫)★★★★☆

 『Lectures on Literature』Vladimir Nabokov,1980年。

 以前は入手困難だった『ヨーロッパ文学講義』の改題文庫化。
 

「良き読者と良き作家」

 あの有名な「ひとは書物を読むことはできない、ただ再読することができるだけだ」を含む評論。
 

ジェイン・オースティン

 トップバッターがオースティンなのはともかく、なぜか作品は『マンスフィールド荘園』。オースティンがどのように筋書きをコントロールするために死を扱っているか、登場人物の性格をいかに描写しているか、といったことが語られてゆきますが、鋭く面白くなってくるのはやはりディケンズの章からです。訳者による「クリスティアン・ネーム」という表記や「癪にさわらない」「画竜点睛をほどこす」という表現が気になります。
 

「チャールズ・ディケンズ

 まずは冒頭について、「この比喩は現実の泥と霧と、大法官庁の泥と霧とを結合している」(p.191)ことや、「shirking and sharking」「slipping and sliding」の頭韻(p.192)などを、さらりと指摘してみせます。

 もちろん鳥籠(p.196)も比喩には恰好の題材ですが、ナボコフはミス・フライトの飼っている鳥を「ひばり=若さ、べにひわ=希望、ごしきひわ=美しさ」とまで断定します。

 終盤では『荒涼館』の「構造」と「文体」が項目ごとに具体的に論じられています。長大な物語がすべてエスター一人の一人称で書かれていることを「最大の誤謬」(p.2657)とはちと手厳しい。その語りに関して、別の項目(p.265)では、その場にいないエスターが詳しく報告しているという事実から、ある結果を結論づけることができると指摘されており、語りの重要性が窺える箇所です。

 オースティンの章でも筆を費やされていたように、ナボコフは「文体」をかなり重視しているらしく、「形容語句」の項目では、猫の緑色の目と蝋燭の光に関する鋭い指摘も見られます。
 

「ギュスターヴ・フロベール

 これまでの二人とは違い、フロベールはフランス人なので、英訳の訳語の問題にも触れられています。「耳さき」ではなく「耳たぶ」、蠅は「這う」のではなく「歩く」(p.324)、「甲虫」ではなく「円花蜂」(p.338)、半過去の習慣の用法(p.397)など、適切な訳語を選択できるのも精読したからこそでしょう。

 p.344では、「『ボヴァリー夫人』を写実主義ないし自然主義的作品と呼ぶことができるか? 疑わしいことだと、わたしは思う」と、文学史に真っ向から反論。妥当なことをすぱっと断言してくれるのは小気味よい。

 その点では、レオンの芸術論と無知なオメーの知ったかぶりを、「偽りの芸術と偽りの科学が会する」のであり、レオンのエンマの会話は皮肉(p.351)だと指摘する文章も同様。

 ボヴァリー夫人論の後半は、ナボコフが「対位法的手法」と呼ぶものに多く費やされています。

 陳腐な役人の会話と、陳腐な恋物語調は対立するものではなく、「色の上に色を重ねて描いている」(p.367、p.358)ことが確認されています。
 

  


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