『SFショートストーリー傑作セレクション 時間篇 人の心はタイムマシン/時の渦』日下三蔵編/456絵(汐文社)★★☆☆☆

 東雅夫編〈文豪ノ怪談ジュニア・セレクション〉の汐文社から、日下三蔵編によるSFセレクションが刊行されています。日本SF黎明~黄金期の作品はほぼ読んだことがないし、こういう機会がなければ読む気もなかったので良い機会でした。
 

「御先祖様万歳」小松左京(1963)★☆☆☆☆
 ――おばアちゃんの家の納戸から見つかった明治元年の曾祖父の写真には、まだ走ってもいない最新型の列車が写っていた。うしろの山に原因がありそうだと考えたぼくは、洞窟に入った。反対側に出ると、その風景は入口の風景とまったく同じだった。ふと見ると、侍が四、五人、抜き身を下げてこちらをにらんでいる。

 失業保険をもらっているからには語り手は大人なのでしょうが、ジュヴナイル・アンソロジーで読んだからというだけでなく、語り手があまりに子どもっぽすぎます。ユーモアが下手くそなので、ドタバタではなく子どもっぽいだけになってしまっています。タイムパラドックスを扱ったオチ以外はドタバタしているだけの内容でした。
 

「時越半四郎」筒井康隆(1966)★★★☆☆
 ――片倉半四郎という若侍は、一風変っていた。冴えた知性が、一種の冷たさを感じる機械的なものにまでなっていた。そのため同輩とは折りあいが悪く、先日も喜八郎の不備を大勢の前で指摘したことから、果し状を突きつけられた。猛る喜八郎の刀をかわすと、半四郎の姿は消えていた。自分にはどうやら時間や場所を移動する能力があるらしい。

 遺伝記憶という設定により、赤ん坊のまま江戸時代に放り込まれた無知な状態と、同時代の人々とは思想も人生観も合わないという状態が同居することになっています。だから本人も読者も、半四郎がタイムトラベラーだということはわかっても、どうしてこの時代に来ているのかはわからないままです。思い人の弥生が怪我したひばりを看病しているという描写や、強く思っている時間と場所に移動できるという設定が伏線になって、衝撃的な最期と笑っちゃうラストが待ち受けていました。
 

「人の心はタイムマシン」平井和正(1968?)★☆☆☆☆
 ――そして彼はその少女にめぐり会ったのだ。しゃれたスナックのとびらを開け、海底から現れた熱帯魚を思わせる少女。「ね、どこへ行くの?」少年は歩調をゆるめなかった。「さよなら……」それ以来、少女は彼の心にすみついたのだった。心の中の少女にはいつでも会うことができた。

 「たんぽぽ娘」といい『夏への扉』といい『ハローサマー、グッドバイ』といい、どうしてSFの作家やファンは永遠の少女が好きなのか。現実の少女であるにもかかわらずほとんど実体が感じられないため、どことなくシュペルヴィエル「海に住む少女」のようでもあります。
 

「タイムマシンはつきるとも」広瀬正(1963)★★★★☆
 ――五助はタイムマシンを手に入れた。苗字は石川であり、先祖の名に恥じぬよう日夜家業にはげんでいるが、いまだ平凡なコソ泥である。妙な恰好の自動車だなと思ったが、ドアをあけて乗りこんでしまった。足音が聞こえたので夢中でアクセルを踏みこんでしまった。気づくとひと月が経過していた。

 よくあるタイムパラドックス作品なのですが、主人公を泥棒ということにして、しかも石川五右衛門の子孫ということでユーモアを生み出しています。この種のものにしてはループしていないというのも特色で、こうした構造により、主人公が泥棒のため勧善懲悪になっているのも面白いですね。
 

「美亜へ贈る真珠」梶尾真治(1970)★☆☆☆☆
 ――航時機の前にたたずむ女性に気になるものを感じました。航時機の中の青年を見つめていました。航時機は未来へしか進めません。機内の時間は八万五千分の一で経過しているのです。私はとうとう彼女に話しかけてみました。「彼はお友達なのでしょうか?」「私……アキに捨てられたのです。どうして航時機へ乗ったのでしょう」。機内の青年はほとんど歳を取らないまま、美亜だけは年を取っていきました。機内からは機外は数秒間の駒落しの映画のようにしか見えないはずです。

 ? よくわかりません。結果的にとはいえ寝取った男の視点で書かれても、ロマンチックでも何でもないような……。時間が遅くなっている機内で流した涙が機外からは止まって見えて真珠のように見える=贈り物の真珠が動かずに機外に置かれているのを見て美亜が死んだことを知って涙を流す――ということを描きたいだけなら、もうちょっと書きようもあるでしょうに。
 

「時の渦」星新一(1966)★★★☆☆
 ――ある日時を境に未来のことを予想できなくなってしまい、その日はゼロ日時と呼ばれるようになった。だがその日がきてもいつもとなにも変わらなかった。つぎの朝。目を覚ましたひとは、きのうと同じようだな、と思った。二日目も三日目も朝になったら一日目と同じ状態にもどっていたが、人間の記憶だけは連続していた。

 渦巻の中央に向かって進んだ中心でUターンしながらループするという現象の行き着く先は、人口爆発による滅亡しかないように思えたのですが、思いも寄らない結末が待ち受けていました。ただし突拍子もなさ過ぎて切れ味には欠けます。

  

『愚者のエンドロール』米澤穂信(角川文庫)★★★★☆

 『Why didn't she ask EBA?』2002年。

 古典部シリーズ第二作。

 二年F組が文化祭の演し物で作ることになったミステリー映画は、脚本家の本郷真由が急病になってしまい結末が不明のまま。そこで白羽の矢を立てられたのが、映画プロジェクトの代表者・入須冬美の知り合いである千反田と、推理力を買われた奉太郎たちのいる古典部でした。解決できなかった場合の責任を負いたくないという奉太郎に対し入須が提案したのは、探偵役ではなく、F組クラスメイトの推理をジャッジする役でした。一つ一つの推理を検証してゆくなかで、自分の役割を自覚した奉太郎は、ついに探偵役を引き受けることにしました……。

 未完成のミステリー映画の続きを推理する――という作中作の形式を取ることで、日常の謎のシリーズで実質的に殺人事件が扱われているというのは、ちょっと安易だなあ……と思っていたところ、むしろそれを逆手に取ったような、作中作という形に意味があるというか、作中作の外側に正解があるような真相でした。奉太郎の第一の推理はある意味いいところを突いていたんですね。映画には撮影者がいるように、実際の事件と違って作中作には作者がいるということに、気づけませんでした。

 ミステリ読者であればあるほど、事件の解決に夢中になってそれ以外が盲点になってしまうと思います。

 古典部シリーズは「熱狂とそれに押しつぶされた人」がテーマだそうで、本書のなかでは脚本家と、それに奉太郎自身も間接的に被害をこうむっています。ようやく自分の才能を自覚しながら、その直後に苦さを味わわせられることになるのですが、『氷菓』では他人に起こったことを、身を以て経験している【※他者に利用される】ことからも、本書は『氷菓』の正統的な続篇であり、変奏曲でもあるのでしょう。

 英題はクリスティ、趣向はバークリー、作中にはホームズと、古典部の作品に相応しく(?)古典づくしです。多重解決ものは真相よりも途中の推理の方が面白かったり、どうせ最後の解決以外ははずれなのだろうから退屈だったりする欠点があるのですが、事件自体がシンプルなのと、未完成の作中作(しかもミステリ素人の作)なのでそもそも真相がちゃんとあるのかどうかもわからない危うさのおかげで、解釈に幅が生まれて最後まで楽しむことができました。

 「わたし、気になります」文化祭に出展するクラス製作の自主映画を観て千反田えるが呟いた。その映画のラストでは、廃屋の鍵のかかった密室で少年が腕を切り落とされ死んでいた。誰が彼を殺したのか? その方法は? だが、全てが明かされぬまま映画は尻切れとんぼで終わっていた。続きが気になる千反田は、仲間の折木奉太郎たちと共に結末探しに乗り出した! さわやかで、ちょっぴりほろ苦い青春ミステリの傑作!!(カバーあらすじ)

  

『氷菓』米澤穂信(角川文庫)★★★★☆

氷菓米澤穂信(角川文庫)

 『You can't escape』2001年。

 古典部シリーズをまとめて読もうと思ったものの、設定を忘れていたので第一作を読み直しました。

 現在は英題が『The niece of time』に変更されているそうです。「時の娘」ならぬ「時の姪」、真理は時が歪めてしまうこともあるようです。

 省エネがモットーの高校一年生・折木奉太郎が、外国を飛び回っている姉からの手紙によって廃部寸前の古典部に入部したところ、部員ゼロの古典部に「一身上の都合」で入部していた同じく一年生・千反田えると出会います。

 好奇心の塊である千反田に押し切られるようにして、省エネの奉太郎は出会った謎に取り組まざるを得ません。

 千反田しかいない部室に鍵が掛けられていた謎、毎週金曜日に図書室から学校史が借りられその日のうちに帰される謎、元部室にあるはずの古典部文集のバックナンバーを壁新聞部が渡そうとしない謎。

 柄になく省エネ奉太郎に興味を持って古典部に入部した友人の里志と、里志に片想いで「完璧主義者」の摩耶花も古典部に加わって、千反田の「一身上の都合」の謎を解き明かすために力を合わせることになります。

 現在は行方不明になっている千反田の伯父・関谷純が高校生だった三十三年前に起こったこと。どうやらそれがきっかけで関谷は退学し、幼いころに当時の話を聞いた千反田にもそのときの記憶を消してしまうほどの衝撃を与えたようなのですが……。

 過去の事件を解き明かすため、それまで奉太郎の推理能力披露のためのエピソードに過ぎないと思われた、学校史や壁新聞にふたたび焦点が当てられるところなど、作品全体の構成としてよく考えられています。

 最初に奉太郎が組み立てた推理は、表向きの事実の流れとしては間違ってはいませんでした。それこそ史書や新聞に書かれるのであればそうした上っ面だけでも充分でしょう。

 けれど歴史書的記述からは抜け落ちてしまう声がありました。

 その声を封じたのが、集団の悪意――というよりは、後ろめたさをごまかすための「犠牲」を欲する集団心理でした。

 そしてタイトルの意味が明らかになり、解決編は幕を閉じます。

 無念の声なき声をあげるしかなかった悔しさが滲み出ていました。

 太刀洗シリーズの方を先に読んでいた身としては、明らかにされた真相の性質や、姉の手紙の一通がユーゴスラヴィアから出されているところに、通ずるところを勘繰ってしまいました。

 いつのまにか密室になった教室。毎週必ず借り出される本。あるはずの文集をないと言い張る少年。そして『氷菓』という題名の文集に秘められた三十三年前の真実――。何事にも積極的には関わろうとしない“省エネ”少年・折木奉太郎は、なりゆきで入部した古典部の仲間に依頼され、日常に潜む不思議な謎を次々と解き明かしていくことに。さわやかで、ちょっぴりほろ苦い青春ミステリ登場! 期待の新星、清冽なデビュー作!!(カバーあらすじ)

  

『月が昇るとき』グラディス・ミッチェル/好野理恵訳(晶文社ミステリ)★★☆☆☆

『月が昇るとき』グラディス・ミッチェル/好野理恵訳(晶文社ミステリ)

 『The Rising of the Moon』Gladys Mitchell,1945年。

 サイモンとキースの兄弟が町に来たサーカスを楽しみにしていたとき、サーカスの女芸人がメッタ刺しにして殺されるという事件が起こります。それを皮切りに、若い女性ばかりが殺される事件が続きます。二人は長兄ジャックの怪しげな行動に不審を持つが……。

 たとえば骨董店のお婆さんから「自分が死んだら遺言でプレゼントを残すよ」と言われて、「早く死んでくれないかな」と不謹慎なことを願うあたりは、少年ものとしてよく出来てるなあ、と思います。

 けれどそうした少年ならではの視点の魅力が続くわけでもなく、謎解きのサスペンスがあるわけでもなく、だらだら続いていつの間にか終わっていました。

 解説者によると「『盛り上がるべきところで盛り上がらず、本来なら盛り上がるはずのないところで、突如、盛り上がったりする面白さ』のオフビートな魅力」だそうで、確かに盛り上がりに関してはその通りでした。

 同じく解説者によると、「日常生活や家庭内のさまざまな軋轢」などが「サイモン少年の目を通して、殺人事件と変わらぬ比重をもって語られていきます」と書かれていて、これだけ読むと少年の日々を描いた良作のようですが、実際にはどちらも比重が“軽い”んですよね。最初から最後まで盛り上がりませんでした。

 そういうわけで盛り上がりなどないので、探偵役のミセス・ブラッドリーもさして存在感がなく、犯人が確定する場面も唐突でそのくせ具体的描写は何もなく、動機の書き方もテキトーなら実際の動機だとしても無茶苦茶でした。

 肝心の少年たちの魅力がまったく伝わってこなかったので青春ものとして楽しむこともできませんでした。

 復活祭の祝日、サイモンとキースの兄弟は町にやって来たサーカスを楽しみにしていた。しかし、開幕前夜、家を抜け出して会場の偵察に出かけた二人は、運河の橋で怪しい人影を目撃、翌朝、ナイフで切り裂かれた女綱渡り師の死体が発見される。その後も若い女性ばかりを狙った同様の手口の犯行が続発、平和な町に恐怖が広がった。事件の真相を探ろうと決心したサイモン少年は、骨董屋で出会った不思議な老婦人に協力を求められるが、その女性こそ、数々の難事件を解決してきた心理学者ミセス・ブラッドリーだった。オフビートな探偵小説の作者として本邦でも俄然注目を集め始めたグラディス・ミッチェルの最高傑作とも評される本書は、切り裂き魔による連続殺人事件を13歳の少年の目を通して描き、不思議な詩情をたたえた傑作である。(カバー袖あらすじ)

  

『夏、19歳の肖像 新装版』島田荘司(文春文庫)★★☆☆☆

夏、19歳の肖像 新装版』島田荘司(文春文庫)

 昭和!

 青春の甘酸っぱさよりも、昭和のおっさん臭さを感じてしまいました。実際、三十代の男が十五年前を回想しているという設定なので、おっさん臭いのも仕方ありません。

 入院中に窓の外の家を覗き見るという「裏窓」趣向で幕を開けます。暴力をふるう男と、庖丁を持ちだしてきた美女――。美女は夜中に何かを埋め、やがてその家に弔問客が訪れた……。

 定番の裏窓パターンとはいえ、やはり定番は強い。冒頭はよかったんです。。。

 若い男が美女に目を奪われるのはわかります。けれど病院を出たあとで、喫茶店に聞き込みに行ったり、勤め先を突き止めてバイトに潜り込んだりするのは、ちょっとやりすぎで、若者ならではの無謀さや行動力というのを割り引いても、ドン引きでした。マスターへの探りの入れ方がストレート過ぎて下手くそなのは、若者っぽくて笑っちゃいましたが。

 せめて偶然再会できたとかにすればよかったのに。

 極めつけは、つきまとっていたことを打ち明けられた本人が怯えるのを、なぜ怯えるんだろう?と疑問に感じるところで、これは若さ云々とは無関係にどう考えてもサイコパスでした。

 ところがなぜか相手の美女・理津子も青年を受け入れてくれました。ご都合主義です。

 理津子の母親が男を寄せつけようとせず、理津子も母親の束縛から逃れようとするものの、理津子を取り返しにヤクザまで現れます。

 理津子は本当に父親を殺したのか? 母親が理津子から執拗に男を遠ざける理由は? ヤクザと理津子の関係は?

 真相はとても陳腐です。【※暴力をふるっていたのは父親ではなくパトロンだった。生まれた子どもが死んだので発作的に暴力をふるっていただけだった。埋めたのは赤ん坊。葬式も赤ん坊のもの。ナイフはたまたま果物の皮むき中だった。】夢見る19歳にとっては衝撃なのでしょうが、ミステリ読者は驚けません。それより何より、衝撃的だったのは母親がこだわっていた理由でした。一軒家の持ち家が幸せの象徴って……! 平成も終わり令和にもなっては成立し得ない、昭和かぎりの動機でした。

 せっかくの回想形式なのだから、もっと冷めた視点で描いてくれたらよかったのに、なまじ回想形式にしたせいで青年期を過ぎて中年になってもナルシスティックな変人みたいでした。

 でもいいところもありました。ヤクザの別荘にバイクで乗り込んでの大立ち回りは格好良く、いくら広いとはいえ屋内でのバイクという無理のある設定すら、むしろ所狭しと疾駆するためには必須とすら思えるほどです。やはり島田荘司にとってバイク=馬であり、ライダー=騎士なんでしょうね。すぐに捕まっちゃったのがもったいない。島田荘司には、一作くらいバイク小説を書いてほしいなあ――と思える格好良さでした。

 バイク事故で入院中の青年が、病室の窓から目撃した「谷間の家」の恐るべき光景! ひそかに想いをよせる憧れの女性は、父親を刺殺し工事現場に埋めたのか? 退院後、青年はある行動を開始する――。青春の苦い彷徨、その果てに待ち受ける衝撃の結末! 青春ミステリー不朽の名作が、著者全面改稿のもと新装版として甦る。(カバーあらすじ)

  


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