82・83いずれも遊び心のある歌(いにしえの歌人を読み込んだ歌と、各歌の頭をつなげて言葉にする歌)です。「ありつつも君をば待たむうち靡くわが黒髪に霜の置くまで」を本歌にした82の歌については、「おきまよふ」の一語にのみ反応しています。「83 昨日ま…
「日記」★★★★☆ ――今日、N子が七月二十五日に死んだということを知った。日記と一緒に送られてきたN子の弟の手紙によれば、「あなたと思われる人物に関する言及が繰りかえされている」ということだ。(十一月五日)。次の年の一月二十三日に、N子はKとい…
「鷹」★★★★★ ――専売公社を馘首になった国助は、Kという男に言われるがままに運河べりの倉庫を訪れた。紙袋を煙草屋に届ける仕事を言いつかった国助は、好奇心から紙袋のなかの煙草に火をつけた。何の変哲もないピースのはずが、得も言われぬ味を感じ……。 国…
大陸もの作品集『哈爾濱詩集・大陸の琴』に続いて、「結婚・夫婦」「友・芥川」「生と死」というテーマで編まれた作品集が文芸文庫で刊行されました。目次が作品ごとに立てられずにテーマごとに章立てされているのが読みづらい。 「第一章 結婚について 夫婦…
66「はやせ河みなわさかまき行く浪のとまらぬ秋をなに惜しむらむ」 人麻呂「長々し夜」の長ったらしさとは異なり、急流の勢いあふれる上の句が好きな作品です。が、なるほど塚本の指摘のとおり、この序詞には「秋」にかかる必然性はないのですね。 67「この…
42「立ちのぼるみなみの果に雲はあれどてる日くまなき頃の虚《おほぞら》」 ほとんど勇み足といってもいいくらいの読みをおこなっているという意味では、本書中でも印象深い文章の一つ。「この歌の南のはては焦熱地獄を聯想させ、雲は救済の豫兆とでもこじつ…
犀星の「大陸もの」を一冊にまとめたものだそうです。 『大陸の琴』と「駱駝行・あやめ文章」は昭和12年、13年、刊行年こそ晩年に近い『哈爾濱詩集』もそれ以前に書かれていた模様です。 というわけで、期待していた「晩年の」詩についてはちょっとがっかり…
「紅い花」★★★★★ ――僕等は驚いた。女独りで山小屋に住みたいと云うのである。黒い服の胸に、オスカア・ワイルドのように真紅のダリヤを一輪飾った女が立去ってから、僕等は大いに憶測を恣にした。 ……という魅力的な一文から始まる作品です。それが「嘗て花だ…
33「鳴く千鳥袖のみなとをとひ來かしもろこし船も夜のねざめに」 泣いていることを表す「袖の湊」という譬喩表現に、実際に(?)千鳥と船を呼んでしまった作品です。『伊勢物語』の「思ほえず袖にみなとのさわぐかなもろこし船のよりしばかりに」なども踏ま…
「淋しいおさかな」別役実 ★★★☆☆ ――女の子はいつもひとりぼっちでした。星の光る夜は、遠い海のことを考えていました。夢の中におさかなが現われて、シクシクと泣くのです。「何故泣くの?」「淋しいからさ」 「淋しい」ってどういうことなの?ということを…
三国志にはぜんぜん興味がないんだけれど、花田清輝が好きなんである。 もう何というか、天馬空をゆく、とはこういうのを言うんであろうな、という文章なのです。 博覧強記な著者は、枕や転句に漢籍や時事を惜しげもなくちょろりと引用し、しかもひょいひょ…
Фёдор Михайлович Достоевский。「九通の手紙からなる小説」小沼文彦訳(Роман в девяти письмах,1847)★★★☆☆ ――親愛なるイワン・ペドローヴィッチ! きわめて緊要な件につき貴兄と御相談申しあげたいのですが、どこを探してもお目にかかることができません…
「ノンちゃん雲に乗る(抄)」石井桃子 ★★★★☆ ――「おかあさんは?」ノンちゃんの目がパッとあきました。「あの……おかあさんはね、ちょっと東京へいらっしゃったの……」「にい……ちゃん……は?」「タケちゃんもいったの……」ノンちゃんは泣き出しました。「あた、…
田村隆一による、黎明期の日本現代詩思い出話。けっこう真面目な回想というか、エッセイに見られるような気のいいアンちゃん的な親しみやすい雰囲気は少ない。当時はまだ一介の同人だった大詩人たちの若書きが収録されているのが楽しい。もちろん田村自身の…
28「浪の音に宇治の里人よるさへや寝てもあやふき夢のうきはし」 意外なことに文法的な説明もしてくれるのがありがたい。「『よるさへや』は寄るさへ、夜さへと二つの意味を持ち、寄るは里人に、かつは初句の浪にもかすかに關る」。なるほどなあ。浪に「かす…
25「ぬぎかへてかたみとまらぬ夏衣さてしも花のおもかげぞたつ」26「いくかへりなれても悲し荻原や末こすかぜのあきのゆふぐれ」 区切れと意味の切れが一致していない「秋はぎの散り行くを野の朝露はこぼるる袖もいろぞうつろふ」の歌は、当時は「めづらしい…
19「おほかたの露はひるまで別れけるわがそでひとつのこる雫に」 「別れける」は連体形だから、「わが袖」にかかると考えるのが普通。だけど塚本は「露は」に通底する「露ぞ」という係助詞を見る(幻視する?)。「露は昼まで・別れけるわが袖」と「露は干る…
期待していなかったがなんと正字正仮名遣いのままである。やればできるんじゃん。石川淳なんかもそうしてほしかったな。 塚本邦雄とか澁澤龍彦の評論というのは、ほとんど観念的で感覚的で、通常の意味での評論からすると隙間だらけなのだけれど、何百という…