『随筆三国志』花田清輝(講談社文芸文庫)★★★★☆

 三国志にはぜんぜん興味がないんだけれど、花田清輝が好きなんである。

 もう何というか、天馬空をゆく、とはこういうのを言うんであろうな、という文章なのです。

 博覧強記な著者は、枕や転句に漢籍や時事を惜しげもなくちょろりと引用し、しかもひょいひょい飛び回る。もちろんこけおどしのペダントリーなんかではなく、ちょろっと触れられた点と点とを結んだらちゃんと一つの絵になるのである。これがかっこいい。

 点と点のあいだを線で結ぶ優れた評論なら、いくらでもある。でも著者は、点と点のあいだを歩いて線を引かずに、点から点へと飛び回ってしまうのだ。

 何しろ一言一言の切れ味がよい。「たしかに曹操は、詩人であるにもかかわらず、バカではない。」「ひとくちに関張の徒というけれども、関羽についてはともかく、張飛については、ほとんどわたしには語るべきなにものもないように思われた。」「とすると、その一点だけをとってみても、『漢書』の著者である班固が、大行は細謹をかえりみず、といったような太い神経の持ち主であり、かれを漢代の小説家の一人に――たとえば『漢武内伝』の作者に擬するような見解が、いかにマトはずれであるかが、そくざにわかろうというものだ。」「たとえば中国の筑などは、竹をもって絃をうつ琴に似た楽器らしいが、一度もみたことがないにもかかわらず、『史記』の『刺客列伝』のなかに登場する高漸離という筑の名手の挿話などから想像すると、なんとなく東洋的なロカビリーにおいて、一役を演じてもさしつかえなさそうな感じがわたしにはする。」

 これが、点。点ですら、これ。

 曹操孔明張飛、『三国志』がテクストになっている分、他の著作よりはわかりやすいんじゃあないかと思う。いやでもわたしは『三国志』には興味ないんだけどね。。。

 流行りの梁父吟《ロカビリー》が大好きな諸葛孔明は当時のアプレ・ゲール! 強靱なレトリックと博覧強記で縦横に古典を論じ、同じく乱世の修羅にある現代の貌を浮き彫りにする花田流三国志論。戦争中に書かれた比類なき抵抗の書『復興期の精神』から最後の著作『日本のルネッサンス人』まで首尾一貫、転形期の人間像を描き続けた花田清輝が、三国志に託して今の世界を、さらに歴史の未来を透視する知的興奮に満ちた一冊。(カバー裏あらすじより)
 -------------

  『随筆三国志
  オンライン書店bk1で詳細を見る。
 amazon.co.jp amazon.co.jp で詳細を見る。


防犯カメラ