『幻想と怪奇』3【平井呈一と西洋怪談の愉しみ】(新紀元社)

「夢と嵐の海 平井呈一訳に導かれて」佐野史郎

「A Map of Nowhere 03:マッケン「眩しい光」のカルディ島」藤原ヨウコウ

平井呈一のマッケン」南條竹則
 

「消えた心臓」M・R・ジェイムズ/平井呈一(Lost Hearts,M. R. James,1904)★★★☆☆
 ――スティーヴァン少年は親と子ほども年齢のへだたった実の従兄アブニー氏に引き取られた。その晩、少年は不思議な夢を見た。寝室のある二階の廊下のはずれに使用していない浴室があり、扉のガラス越しに中を覗くと、浴槽のなかにだれか横たわって、怪しい微笑をたたえていた。

 この話自体、読むのは初めてです。「縉紳雑誌」と訳された言葉の原文が気になって確認してみると、何のことはない「the Gentleman's Magazine」でした。じわじわと盛り上げて盛り上げて、肝心の場面は書かずに、メモの引用と簡単な事実の報告だけで済ますのですが、それだけにタイトルにもなっている「消えた心臓」のイメージが尾を引きます。
 

「謎のクリーオール事件」小泉八雲平井呈一(A Creole Mystery、Lafcadio Hearn,1880)★★★☆☆
 ――その女主人と女中は、ハヴァーナからつれだって来たのだった。女主人は雛には珍しい蛇のような美人で、女中の目つきは睨まれたらなにもかも焼きつくしてしまうようなだった。たまに客が訪ねてくることがあったが、たいがい顔いろの冴えないスペイン語を話す男たちであった。とかくするうち色の浅黒い外国人の訪ねてくる度数が頻繁になってきた。

 新聞記者時代のコラムより。いつの時代も余所者は怪しく思えてしまうもので、1880年ならなおのことだったのでしょう。「スペイン語」や「カタロニア語」とあるところを「どこの言葉とも知れない言葉」とでもすれば、完全に怪奇小説になるでしょう。
 

「眩しい光」アーサー・マッケン/平井呈一(The Dazzling Light,Arthur Machen,1915)★★★☆☆
 ――今次の戦争も今や伝説の多産の母である。一九一四年八月十六日のことだった。スミス少尉がパイプを吹かしていると、朝日が修道院の窓にピカリとあたった。次の瞬間スミスはその場にいながら全然べつの田舎の風景を見ていた。「甲冑《よろいかぶと》をつけた何千何万という人間が行進して行くんです。そのまた甲冑が千差万別でね。……」

 これが平井節というもので、甲冑云々というところだけ読んでいると日本の話なのだと勘違いしてしまいそうになりました。
 

「池の子たち」アーサー・マッケン/平井呈一(The Children of the Pool,Arthur Machen,1936)★★★☆☆
 ――二年前の夏、わたしはウエールズ国境に近い郷里の郡の旧友のところを泊り歩いていた。ある日、由緒ありげな農家に足を運んでみると、そこには久しく会わなかった旧知ジェイムズ・ロバーツがいた。「二た晩前のことだが、森をぬけて小川へ出る道を歩いて行ったんだ。すると『ロバーツ!』と、ぼくの名を呼ぶ声がする。若い女の子のような声なんだよ。ぼくは飛び上がり、一目散に家へ戻ってこの部屋に閉じこもった」「森のなかを歩いているのを見た女の子と友達が、脅かしてやろうとたくらんだんだよ」「もう隠しだてしないが、二十五年前ロンドンへ出た時分、おれは黒い落し穴にはまりこんでしまったのさ」

 過去の不祥事も忘れたころに、物々しい雰囲気の環境が引き金となって、何かやらかしたという記憶だけが爆発的に増幅されて、ありもしない声を聞くという、超自然とも違う、フロイト的解釈とも違う、ある意味では至極あたりまえの結論にむしろ意外性がありました。周囲から隠された不気味な池やウエールズ語などの恐怖を後押しする道具立てに、何とも言えない嫌な気持を掻き立てられます。
 

平井呈一とその時代」紀田順一郎
 紀田氏が平井呈一の名を初めて知ったのは、『魔人ドラキュラ』の訳者としてであるらしいと知り、わたしの場合は何だったろうと思い返してみましたがはっきりしません。初めて平井訳に接したのは恐らく『吸血鬼ドラキュラ』のはずだけれど、訳者名を意識してはいなかったと思うので、『恐怖の愉しみ』『怪奇小説傑作集』あたりの編訳者としてでしょうか。

 永井荷風偽書事件はこれまでにもそれについて書かれた文章を読んでいますが、いまいち全容がわかりません。少なくとも擁護者の文章を読んでさえ、平井呈一が一方的に悪いように感じてしまいます。そんなかか『四畳半襖の下張』に絡んで、「平井に容疑を覆いかぶせようとするか、少なくとも世の関心を平井へと転嫁させようという意図がなかったとはいえまい」という紀田氏のコメントがしっくりきました。
 

「これで怖くなかったら、木戸銭はお返しする――平井呈一訳『吸血鬼ドラキュラ』考」下楠昌哉
 現在でこそ他社から別人による翻訳も出ているものの、それでも日本人にとっての『ドラキュラ』とは飽くまで平井呈一訳なのだと気づかされます。原文ではジョナサン・ハーカーはヒーローでも何でもない情けない人物なのだそう。創元の平井訳からカットされた冒頭の断り書きに言及し、本書が「パニックに陥った人々が慌てて書いた文書の集合体」だという説明も、平井訳でしか『ドラキュラ』を知らない人間にはありがたい指摘です。
 

「〈東西怪奇実話〉企画編纂夜話 もしくは平亭本の奇縁」東雅夫
 なるほど創元推理文庫から近刊予定の『世界怪奇実話集』『日本怪奇実話集』で成立したんですね。平井呈一編『世界怪奇実話集』をまるごと一冊取り込んだ、二冊で一つのアンソロジーだと言えそうです。
 

平井呈一年譜の作成を終えて」荒俣宏
 今秋刊行予定の平井呈一年譜の成果の一部が披露されています。「伝記」ではなく「年譜」なんですね。
 

タペストリーの間」ウォルター・スコット和邇桃子訳(The Tapestried Chamber,Sir Walter Scott,1828)★★☆☆☆
 ――ブラウン将軍が西部地方を旅行中、見ごたえのありそうな名城を見つけてみると、旧友ウッドヴィル卿の城であった。旧交を温めた翌日、将軍は朝から散歩に出て、早馬での出立を命じられたから失礼すると言い出した。事情をただすウッドヴィル卿に、将軍は昨夜部屋で起こった出来事を話した。絹ドレスのきぬずれとハイヒールの足音で目を覚まし、老女らしいその後ろ姿が振り向くと……。

 剛の者が肝試しをして痛い目を見る話はよくありますが、豪胆なのを勝手に期待されて事実を伝えられないまま一方的に幽霊部屋に泊まらされ、友情も破綻するというのがユニークでした。
 

「五尋の深みに」アリグザンダー・ウールコット/植草昌実訳(Alexander Woollcott,Full Fathom Five,1929)★★☆☆☆
 ――二十世紀も始め頃の話、二人の姉妹が乗った車が故障してしまいました。月明かりの下で目につくのは、明かりも灯さぬ木造のぼろ家ばかり。姉妹は車から毛布を取ってきて、床で寝むことにしました。横になっているうちに、暖炉の前に、ありもしない火で濡れた衣服を乾かそうとしているかのように立つ、男の姿を目にしたのです。海から上がってきたのか、水滴がしたたっています。

 いま読むと怪談そのものの出来云々よりも、伝言ゲームのように都市伝説が作られてゆく過程を記したかのような《後記》に面白さを感じました。次の「コート」と共に、平井呈一が『THE HORROR』第二号で「MY TWELVE NIGHTS」の一篇に選んでいた作品とのこと。
 

「コート」A・E・D・スミス/野村芳夫(The Coat,A. E. D. Smith,1934)★★☆☆☆
 ――わたしは職場の連中から変人だと思われていた。せっかくの休暇に自転車旅行を選んでびしょ濡れになり、ようやく荒れはてた家に足を踏み入れた。古い薪が大量に見つけ、戻ろうとしたところでふと立ち止まった。厚く積もった埃の上を誰かが駆け上がって何かを引きずったような跡がついていた。その跡をたどると、古い虫食いコートがコート掛けに掛かっていた。

 怨念が物に宿るという話はよくありますが、倒したと思った相手がふたたび甦ってくるのは、さり気ない描写とはいえさすがに恐ろしかったです。
 

「幻のニーナ」F・マリオン・クローフォード/遠藤裕子訳(The Doll's Ghost,F. Marion Crawford,1896)★★☆☆☆
 ――グウェンドリン嬢が階段から落ちて壊れてしまった人形のニーナが修理に出された。ドールドクターのパックラー氏はひと目でニーナに恋をした。ニーナは見事に修繕されたが、パックラー氏は別れを惜しむあまり自分の手で引き渡すのに忍びなく、遅い時間だというのに娘のエルスに届けに行かせた。エルスはなかなか戻ってこない。心配するパックラー氏の耳に、「パ・パ」という声が聞こえ、ニーナの姿が現れた。

 大事にされた人形による報恩譚ですが、パックラー氏の愛情がさほど詳細に描かれているわけでもなく、恩返しに説得力を感じません。
 

「屋根裏部屋の声」A・M・バレイジ/植草昌実訳(The Attic,A. M. Burrage,1926)★★★☆☆
 ――フォーブスは旧友テルフォードに招かれて屋敷を訪れた。「どうも陰気くさいな」というのが第一印象だった。客間に向かう途中、屋根のほうから子供が怯えて泣く声がする。「故障した煙突の通風帽さ」とテルフォードは笑った。だが夜になって眠ろうとするフォーブスの耳には、通風帽の音には思えなかった。学校の休み中に滞在しに来たテルフォードの義弟デレクも、何かを感じたのか無断で立ち去ってしまった。

 住人たちが何も感じてもいないし不都合もないのに、やたらと幽霊屋敷だと大ごとにしたがフォーブスがうざったくて参りました。実際のところ幽霊は確かに存在していたわけですが、何の実害もないんですよね。過去におこなわれていた事実が恐ろしいものだった【※当時学校だった屋敷の教師による生徒虐待】ということと、霊感のある人間がそれを目撃してしまうというだけで。しかも日本的な感覚ならば、真実を訴えようとしていた被害者生徒が成仏しておしまいとなるのですが、これは事実が暴露されておしまいという即物的な内容でした。そうした感覚の違いが興味深かったです。
 

「ベールの女」E・F・ベンスン/圷香織訳(The Woman in the Veil,E. F. Benson,1928)★★★☆☆
 ――ホテルの窓からほんの二ヤードほどのところに女が立っていることに気づいた。目は飛び出し、口をだらりと開け、顔は黒ずんでいる。ラウンジに出るとドアマンが鍵をかけ終えたところだった。「まだ外にご婦人がいたが」「いいえ、到着した方はいません」ドアマンは困惑したように窓の外に目をやった。

 かなりオーソドックスな幽霊譚で、恨みによって化けて出るという心霊譚ふうの理由づけは、むしろ(悪い意味で)現代的といってもいいでしょう。
 

「白い蛾」シンシア・アスキス/大友香奈子訳(The White Moth,Cynthia Asquith,1947)★★★★★
 ――出張から帰ってくると出版社は新人の少女詩人の話で盛り上がっていた。今度ばかりは詩が官能小説なみに売れているのだ。翌日、出版社のパーティが開かれたが、みんなはイヴリン・ドーンに失望していた。がっしりしたからだつきの、鈍重そうな娘が、表情にパニックを募らせている。厳しい質問にさらされていた少女に向かって、わたしは部屋が暑いという話題を選んだ。それが息抜きとなったようで、少女はわたしに打ち解けてくれた。いつまで経っても二作目の原稿が送られてこないことに社長が業を煮やし、わたしはイヴリン・ドーン――というより本名のジョイス・レッグ――の家を訪れた。「あれがまた起こらなかったの」見せる作品は何もないと少女は答えた。

 さまざまな思いが絡み合った名作です。怪異の核となっているのは、叶わなかった詩人という望みを果たそうとする少女の思いなのですが、取り憑いたのは詩人になりたくない少女だったというのが哀し過ぎます。にもかかわらず、望まぬ親の希望を押しつけられるという要素はどちらの少女にも共通しているというのが何とも言えない気持にさせられます。そしてまた、優れた詩作が世に出ないというのは芸術の面から言えば悲劇というほかないことを考えると、ジョイスにも完全に同情しきれないところもあります。
 

「非聖遺物」M・P・デア/伊東晶子訳(Unholy Relics,M. P. Dare,1947)★☆☆☆☆
 ――ぼくと幼馴染みのグランヴィルは独身者ふたりで平和に暮らしている。数年前のこと、アルビジョア十字軍について研究をしていたぼくたちは、これまでにない資料に行きあたった。トゥルーズのマンスン神父は旅行案内書には載っていない情報を授けてくれた。サン・セルナン大聖堂には素晴らしい聖遺物のコレクションがあり、イングランドの聖人の遺物もあるという。大聖堂に見学におとずれたぼくは、ふと出来心を起こして聖人の骨をイングランドに持ち帰ろうという気になったが、地下に閉じ込められてしまい、妖術師が豚の血で邪悪な霊を呼び出そうとしたという言い伝えを思い出して怖くなった。

 怪異としては見るべきところはなく、ただひたすら腐った死体が起き上がってくるだけです。そうして死体と一緒にダンスを踊り続けるというスラップスティックが繰り広げられる珍品でした。
 

「ミスター・ケッチャム」マイクル・チスレット/植草昌実訳(Meeting Mr. Ketcham,Michael Chislett,1997)★★★☆☆
 ――道に迷ったと認めざるをえない。標識の先には円形古墳が盛り上がっていた。「ねえ、ケヴィン、見にいってみない?」フューシャが言った。「望むところさ」ケヴィンも車から降りて塚まで歩いた。「ここは国じゅうの古墳とレイラインでつながっている。ドルイドたちはよく知っていた」フューシャが言った。車に戻ると虫の群れが運転の邪魔になった。やがて蠅の群をかき分けるようにして人影が現れた。「そこで何が起きたか、誰も夢にも思いますまい」「昔――何千年も前に」「いえいえ、そんなに昔のことではなく、二、三百年前のことです」

 M・R・ジェイムズ研究誌にこつこつと作品を発表している非職業作家で、本作もジェイムズへのオマージュだそうですが、湧き出る蠅や絞首刑の生々しさからはジェイムズ流の正統派怪奇小説よりもスプラッタなモダンホラーを感じます。いつの間にか異なる世界に迷い込んでしまったという点は、グロテスクになった『ミステリーゾーン』といった趣もありました。
 

「ジャスパーはそこにいる」ラムジー・キャンベル/夏来健次(Just Behind You,Ramsey Campbell,2005)★★★★☆
 ――教師の仕事を守るためとはいえ、校長の息子ジャックの誕生パーティーに息子のトムと共に参加したのを後悔していた。ジャックは無作法な子どもで、プレゼントの包装紙を投げ捨て、ケーキにツバを吐き、取り巻きたちと示し合わせてトムに恥を掻かせようとしていた。かくれんぼでトムが鬼になったとき、ぼくはジャスパーのことを思い出していた。嫌われ者のジャスパーを一人残して〈だるまさんがころんだ〉をしている最中、体育館の屋根に隠れていたジャスパーが屋根から落ちて死んだのだった。誕生パーティーの料理は何ものかに残らず齧り取られていた……。

 欧米の作品にときどき登場する、異常なほどの悪意を持った子どもというのは何なんでしょうね。日本のいじめっ子とはまた異質に感じます。馬鹿親と悪童に対して何も出来ない雇われ人の苦悩が、自分の子ども時代に身近にいた悪童の記憶と重なることで、精神的に追い詰められて爆発してしまうまでの過程が巧みに描かれています。そう仕向けたのはかつての悪童ジャスパーの霊であり、直接的な行為ではなく自分からするよう仕向けるところに尋常ではない悪意を感じます。無論、語り手の妄想という可能性は最後まで残されています。
 

「闇に叫べば」ジェマ・ファイルズ/安原和見訳(Halloo,Gemma Files,2018)★★☆☆☆
 ――闇のなかの声、それはそんなふうに始まる。ねえ、聞いてる? わたし――。冬は一日じゅう眠っていたい。母から電話がかかってきて、挨拶もなしで切り出した。「学生が家賃を踏み倒して逃げちゃって、だからあんた、あんたの彼女といっしょに見てきてよ。車持ってるんでしょ」。祖母はその家で死んだ。以前キッチンのドアを蹴って穴をあけたことを思い出した。

 少女時代に犯した罪の自意識に苛まれる話ですが、母親も毒親だというのが事態を複雑にしています。
 

「シンシア・アスキス編 怪奇小説アンソロジー総目次」『幻想と怪奇』編集部編
 『淑やかな悪夢』の著者表記が「シンシア・アスキス他」となっているのと、平井呈一による翻訳があるのとで、名前はけっこう知られていると思うのですが、意外と邦訳は少なく、アンソロジーも抄訳一冊を除けば翻訳されていないというのは意外でした。
 

  


防犯カメラ