親本1985年刊行。kindle版からはルビがほぼ省かれてしまっています。
「ダイヤル7」(1979)★★★★☆
――戸根警察署暴力係を退職したばかりの久能は、同僚だった塚谷から頼まれて犯人当ての趣向で講演をおこなっていた。当時の戸根には北浦組と大門組という暴力団が対立していた。十年前、北浦組の中幹部だった狭間清が、大門組の幹部殺害の刑期を終えて出所した。大門組には狭間に復讐しようとする者もいる。不吉の前兆のように地震の起こったその夜、北浦組の組長が刺殺された。指紋を拭い取った跡を調べた結果、犯人はどうやら現場からどこかに電話をかけていたらしい。だが該当しそうな相手には電話はかかっていなかった。翌晩、指を詰められたせいで気がおかしくなった安というチンピラがおかしなことを口走った。
指紋を拭った物から証拠を見つけるという逆説的な捜査方法も魅力的だし、ダイヤル式の電話機だからこそ成立する手がかりもユニークで面白いものです。安の口走った二つのヒント【※「119番」と、止まっている大時計の時刻の矛盾】から、【地震とアリバイ】の問題が明らかになり、消去法で一気に犯人があぶり出される手際はまさにマジックでした。そして、犯人当ての正答者が多かったというエピソードに隠された仕掛けもおしゃれです。
「芍薬に孔雀」(1980)★★★☆☆
――武田刑事さん、それでは何事も包み隠さず申し上げます。名前ですか。重円太郎と申します。年齢は七十七です。アメリカの賭場でカードの扱いを覚えました。連れの女性ですか? ガールフレンドの駒さんです。金刀比羅参りのツアーで知り合ったのが、刑事さん、あなた方御夫婦でした。中学校の校長である関口夫妻とも知り合いになり、フェリーの上で関口八重子さんがトランプを持って来ました。芍薬と孔雀をデザインしたそのカードの裏模様を見てびっくりしました。〈ピーコック〉と呼ばれる伝説のカードでした。関口さんの先妻のものだったといいます。私にさもしい心が起こりましたが、関口さんは先妻の形見を手放そうとはしませんでした。その日の夕方、カードで彩られた関口さんの死体が見つかったのを、刑事さんはカード欲しさに私がやったとお思いなのでしょう。
ダイイングメッセージの弱点のうち、気づいた犯人に消されてしまう点と如何様にも解釈できる点に、チャレンジした作品です。【被害者が飲み込んで取り出せないカード】を誤魔化すために死体をカードで彩るという、いかにもミステリ的な発想は、現実的とは言えないものの異様な効果を挙げることには成功しています。語り手を指し示すのならカードではなく【十円の方が簡単】だという布石を、名乗りの時点で置いているのもスマートです。カードの裏模様に注目させておいて、表に意味を持たせるのもマジックでお馴染みの軽やかなテクニックでした。盲点というか発想の転換というか、図案であるというのを活かしたダイイングメッセージも意外性がありました【※ダイヤの4=武田菱】。ただ、犯人の動機について手がかりも伏線もなく、飽くまで想像にしか過ぎないのがもったいない作品でした。
「飛んでくる声」(1981)★★★☆☆
――奇妙な現象だった。公園を挟んで石浜の住んでいる団地の部屋の向かい側に立っている団地の部屋から、声が聞こえて来たのだ。建物の作りの関係で、向かいの部屋の声だけが聞こえるらしい。石浜はいつしか向かいの夫婦の会話に耳を澄ませるようになっていた。石浜の住む部屋は、もともと真島が借りているものだったが、バンドで留守の多い真島が大学院生の石浜に一室を又貸ししていた。真島には声のことは話していない。夫の浮気をなじるような声が聞こえて来た数日後、向かいの部屋を眺めていた石垣は、ベランダの窓から伸びた手が妻を突き落とすのを目撃し、慌てて真島に声をかけて墜落現場に向かった。
思い込みによる密室を扱ったものとしては、わりと説得力があってスマートです。ただし人間関係に偶然が大きすぎるうえに、虫歯のレトリックは強引でした。
「可愛い動機」(1985)★★★★☆
――千衣子に殺意がなかったことは判っています。中学、高校と千衣子は高嶺の花でした。体操部でしたが、母親が若い男と蒸発してしまい、肥り始めたこともあって、大学は体育系ではなく普通の短大へ進学しました。大倉誠志は結婚式で初めて見ました。大学教授の息子で、千衣子にはどうかと思いましたが、千衣子はうまく亭主を操縦しているようでした。それが三年前、誠志の車が海に転落し、直前に女が車から飛び出したという目撃証言もあったことから、千衣子が逮捕されました。アリバイも曖昧で、自分が殺したと自白したといいます。弁護士と協力して事件を調べましたが、千衣子は誰かをかばっているわけでもありませんでした。
誠志の死亡事件の謎はもとより、語り手がどういう状況なのかがなかなかわからず、どう収まるのかが読みどころです。面白いのは、誠志の事件については遂に真相はわからないままなんですよね。裁判の結果と、語り手の考えがあるだけで。語り手の事件に関しても殺意の有無は藪の中なのですが、そこに語り手の主観とはいえ伏線を拾った根拠をもとに「可愛い動機」で落とすところがお洒落でスマートです。
「金津の切符」(1983)★★★★☆
――小さいときから物を集める性向があった。箱夫は蒐集という言葉を知り、券物の蒐集に絞ることにした。切手を整理したアルバムを同級生の角山時彦に見せたが馬鹿にされた。苦労して自力で集めた切手が値打ちがなく、専門店から買った物に値打ちがあることに腹が立った。急死した父親の時計コレクションを譲ったときにも同じことを思い、金銭で勝負のつく物に手を出すべきではない。国鉄駅で発行されている乗車券を一枚残らず集めれば、完全な蒐集と言えるだろう。二十五年が過ぎ、最後の一枚を手にした頃、小学校以来となる角山が訪ねて来て難癖を付け出した。角山は駅員として容易に切符を入手していた。無念と怒りは殺意に変わった。
箱夫を訪れる刑事こそ最後にちょろっと登場するだけで主人公ではありませんが、犯人が知り得なかった情報によって箱夫の犯行の決め手となるのがコロンボ的でした。殺人ではなく傷害致死になりそうなのが儲けものといえば儲けものですが、オタクの論理で犯行に及んだ箱夫に対して、飽くまで常識の範疇で動機を推測している警察が対照的で面白かったです。
「広重好み」(1984)★★★★☆
――その子は杉山広重《ひろえ》という名だった。手の付けられない暴れん坊という評価だったが、わたしだけは別だった。カブト虫や花をくれたのが嬉しかった。次のシーンは夜だ。アパートから火が出たとき、広重くんが大人と対等にしゃべっていた。憧れは憧れのまま、広重くんは転校してしまった。……旅行は海外がいいと駄々をこねたのは靖子だったが、松並木がすっかり気に入ったようだ。「東海道五十三次」を描いた、安藤広重の足跡を辿ろうと言い出したのは珠美だった。この旅行だけは多希や靖子ではなく珠美一人で旅程を組み立てた。「珠美は広重が好きだったの?」「広重さま、というくらい好き」「年寄り好みなのかな……そう言えば、げるさんのファンでもあったな」。靖子が割り込んで来た。「げるさんの新曲、泣けるよ」
広重という名前の男ばかりを好きになる女の謎を描いた作品です。三人組の女性の取り留めもない旅行先での会話ばかりが続いて、どこに向かってゆくのかわからない浮遊感から、一転して立ち現れて来る広重好みという謎が強烈です。明らかになされた、これぞ泡坂妻夫と言うべき逆転のロジック【※同僚の広重《みちしげ》を好きになった珠美が、広重の方から告白させたくて、広重好みを演出した】が印象的でした。
「青泉さん」(1985)★★☆☆☆
――青泉さんが初めて「ピカール」に姿を見せた日は、ゴルフを始めるという糸尾さんを皆で囲んでいたので、青泉さんが珈琲を飲んで出て行ったことに気付かなかった。「あの人は味の判る人だね」とマスターが言った。「あの人、本物だとは思わない?」と玲が言った。「どうかな」とシーソーは懐疑的だった。売れない絵描きのせいか僻みっぽく、玲に振られたせいでライバル心を感じたのだろう。近くのアトリエに越してきたという青泉さんは、喫茶店に入る前に隣の画材店でスケッチブックを買っていた。聞かない名だし、画家の名鑑にも載っていなかったが、海外で有名な人なのだろう。事件の第一発見者はぼくだった。前日、夕刊を配達に行って青泉さんと会っている。左官屋がアトリエの沓脱ぎの下をコンクリートを塗り直しているところだった。翌朝、刺し殺された青泉さんが発見され、コンクリートには足跡が残されていた。
青泉さんを巡る【形から入るか中身から入るか】というロジックはまさしく泡坂印ですが、青泉さんが【優秀な画家である】という登場人物の思い込みを読者が一緒になって思い込むことが出来ないため、謎がないのに答えだけ出されたような置いてけぼり感があります。足跡に関する推測によって、犯人を特定するのではなく容疑者を容疑圏外に置くだけなのも変わっていました。
[amazon で見る]