『ハテラス船長の航海と冒険 ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクションⅠ』ジュール・ヴェルヌ/荒原邦博訳(インスクリプト)★★☆☆☆

『ハテラス船長の航海と冒険 ジュール・ヴェルヌ〈驚異の旅〉コレクションⅠ』ジュール・ヴェルヌ/荒原邦博訳(インスクリプト

 『Voyages et aventures du capitaine Hatteras』Jules Verne,1866年。

 すでに『気球に乗って五週間』『地底旅行』『地球から月へ』は刊行されていましたが、〈驚異の旅〉というシリーズ名が用いられたのはこの作品が初めてということだそうです。1864年連載開始、1866年に十八折判2巻本、1866年11月に八折大判挿絵入り分冊版が出ており、この翻訳は挿絵入り版を底本にしているそうなのですが、解説を読んでも出版の時系列がよくわかりません。単行本刊行時にタイトルが『Les Aventures du capitaine Hatteras』に? 執筆自体は『気球に乗って』の後だったりもするのでさらに複雑に。

 船乗りリチャード・シャンドンの許に船長のK・Zと名乗る人物から謎めいた手紙が届きます。シャンドンを副船長にして危険な調査行を計画している。ついては大金と引き替えに、小帆船フォワード号を作らせ、船長と船医を除く十六人の乗組員を用意してほしい。なお、同行させる犬もお届けする――という内容でした。船は完成し、犬と船医も到着し、目的地もわからず船長も不在のまま船は航海を開始します。姿を見せない船長に代わり、犬はいつしか船長と呼ばれるようになりました。

 そもそも船長のイニシャルがK・Zなので、はじめのうちは果たしてハテラスとK・Zは同一人物なのかすらわかりません。ようやく船長の正体が明らかになるのは100ページほど進んでから。卑怯者(笑)。だから匿名だったんですね。引き返せないところまで来てから打ち明けるとか。【※北極点を目指して探検隊を全滅させた悪名高き船長だったため、本名で乗組員を募集しても誰も応募してくれないと考えて匿名で募集していた。

 訳註によればハテラス(Hatteras)という名は「mad as a hatter」から採られており、K・Zもcrazyに通ずるのだとか。『不思議の国のアリス』でお馴染みのこの成句、英訳者はサッカレー『ペンデニス』に由来すると書いています。ヴェルヌがサッカレーを参照していたということなのでしょうか。

 ハテラスの登場によりそれまでリーダーシップを取っていたシャンドンは追いやられる形となり、対立構造というドラマが生まれます。

 ところが主役を乗っ取ったはずのハテラスが、なかなか主人公らしい活躍をしてくれません。ハテラスときたら北極点に到達したいがあまり残燃料を無視して船を駆り立て、案の定薪がなくなって生命維持のために暖を取ろうとする船員を斧で殺そうとするような、およそ共感しがたい人物なのです。名前が「mad as a hatter」から採られたという説も納得の狂人ぶりです。

 そうはありつつ陽気なドクター・クロボニーがハテラスの味方をするので、文字通りムードメイカーの言動によって、ハテラスが正しいムードが徐々に形成されてゆきます。

 それにしてもハテラス船長はネモ船長のようなカリスマ性もなく、このあとヒーローたりうるのかと危ぶんでいたところ、なんとヴェルヌは奇策を打って出ました。シャンドン副船長をハテラス船長以上の卑怯者にすることにより、シャンドン=悪、ハテラス=正義という図式を作りあげたのです。何という力業。【※燃料調達に出かけたハテラスたちを見捨てて船に火をつけ、陸路で逃亡。

 物語自体も、船から下りて燃料を探しに行くところあたりから起伏に富んだ冒険が続いてゆきます。それまでは氷山の恐怖などはあっても、ずっと船上なので単調になっていたのは否めませんでしたから。

 なのに――。なのに、ハテラス――。せっかく盛り上がってきたのに、遭難していたのを助けたアメリカ人アルタモントとお国自慢で張り合っている場合ではないでしょうに。なんてちっぽけな男。およそ船長の器ではありません。

 船長の器どころか、船員としてほぼ何もしていません。アザラシの皮をかぶってクマに立ち向かっただけ。ドクターは知識をふんだんに活用し、大工のベルはその腕を活かし、乗組員長のジョンスンはベテランらしい忠誠心で動いているというのに。

 フィリアス・フォッグもちょっとどうかと思う人でした。バービケーンやニコル大尉のいがみ合いも大概でした。それでも彼らなりにかっこいい人たちでしたし、リーデンブロック教授に至っては愛すべき頑固者キャラでした。ところがハテラスには彼らのような魅力はありません。

 ハテラスとアルタモントの対立をさっさと終わらせるよう指示したエッツェルは優秀な編集者だったのだなと感じました。訳註や解説を読むにつけてもますますその思いを強くしました。

 ただしハテラスの最後だけはエッツェルの判断ミスだと思います。どのみちハッピーエンドにならないのなら、潔く死なせてあげればよかったものを。自我を失ったまま北極の方向に歩き続けるだなんて、ギャグにしか思えませんでした。

 北極点だけ小さな島になって陸地になっている都合の良さ、どうしても領土という形でナショナリズムとハテラスの情熱を表現したかったのでしょうが、微笑ましいものがありました。

 『インド王妃の遺産』が他人の原作をヴェルヌが書き直したものだとは知りませんでした。けっこう面白い作品でしたが、ヴェルヌらしくないと言えばそうかもしれません。

 解説者が冒頭でいきなり船内の生活とコロナ禍での巣ごもりを結びつけて同時性を説いていましたが、さすがに強引すぎます。

 これだけ大部の作品なので翻訳は大変だったであろうとは思いつつ、気になった箇所がいくつか。第一部第三二章(p.288)「ドクターは彼の衣服のポケットの中を探った。空だった。だから証拠になるようなものはなかった」。「証拠」というのは「身元を証明するもの」くらいの意味かなあと思って確認してみると、原文は「document」でした。

 第二部第一章(p.298)「運のない男だ!」というジョンスンの台詞が、上から目線というか他人事のように聞こえます。「彼の運命を羨むべきなのかも」という文章を活かすために、不自然な表現になろうとも敢えて「運」という単語を入れたのかと思いきや、原文は「L'infortuné !」と「son sort !」なので関係ありませんでした。

 第二部第一一章(p.400)「『えっ!』ドクターが答えた。『クマは遠目が利くし、きわめて鋭敏な嗅覚に恵まれているからね(略)』」。驚いている場面ではありません。「Eh bien !」あたりを訳したのかと思ったら、原文は「Oh !」でした。

 第二部第一二章(p.413)「見たまえ、ポーカーが貫通しない! だんだん笑止千万になってきた!」。「ridicule」の訳としてどうこう以前に、笑止千万という言葉はこういう使い方はしないでしょう。

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