『アラバスターの壺/女王の瞳 ルゴーネス幻想短編集』ルゴーネス/大西亮訳(光文社古典新訳文庫)
『El vaso de alabastro/Los ojos de la reina』Leopoldo Lugones。
日本オリジナルの傑作選。河出文庫『ラテンアメリカ怪談集』にルゴネスの表記で「火の雨」が収録されていました。さすがに古くさくてベタなくせにピントが微妙にずれている作品ばかりだったので、途中で読むのをやめました。
「ヒキガエル」(El escuerzo,1897)★★★☆☆
――ある日、別荘の敷地で遊んでいたぼくは、ヒキガエルに出くわした。そいつは人を見ても逃げずに全身を膨らませて怒った。何度も石をぶつけているうちにぐったりしたヒキガエルを、ぼくは女中に見せに行った。「いますぐ焼いてしまいましょう。焼き殺さないと生き返るってこと知らないのね? アントニアの息子に何が起こったか話してあげるわ」
さほど意味があるとは思えない額縁形式。拍子抜けするようなあっさりしたラスト。本書収録作のいくつかに共通する特徴です。確かにショッキングなのですが、唐突すぎて、怖いというより呆気に取られてしまいました。背景となる伝承か何かあるのでしょうか。
「カバラの実践」(Kábala práctica,1897)★★☆☆☆
――墓地の管理人が知り合いだったおかげですべては容易でした。わが友エドゥアルドは選り抜きの骸骨を加えることで、博物学の標本室を完璧なものにしたいと望んでいました。「若い女の骸骨を加えることにしよう」……わたしはこうして、ふさいでいるカルメンの気を紛らそうと、エドゥアルドが体験した出来事を語りはじめた。エドゥアルドが眠りから覚めると椅子には若い女が座っていました。無意識のうちにガラスケースに目をやると、骸骨がどこにも見当たりません。
この作品は額縁形式に意味があり、それは確かにぞっとします。しかしながらあまりにも唐突で、そもそも辻褄が合っているのかどうかよくわからない中途半端さがつきまといます。骨女と骨なし女で平仄が合っているといえばそうなのですが。
「イパリア」(Hipalia,1907)★★☆☆☆
――ある雨の晩、彼がイパリアを拾ったとき、彼女はまだ三歳の女の子だった。十六歳になるころには、驚くほど美しい娘に成長していた。みずからの美貌に溺れるあまり、自尊心に我を忘れてしまった。一日じゅう地下室に閉じこもり、白い壁にむかって座りつづけるのである。彼女によると、壁には、水銀を施したガラスの鏡よりも鮮明な像が映し出されるのだという。
当人が望んでいたとおり壁に映し出された話なのですが――最後に怪異を確かめるために温度計を持ち出すあたり、ピントがずれていると思うのですが、あるいはこれがリアリティのある細部なのかもしれず、どうもすっきりしません。
「不可解な現象」(Un fenómeno inexplicable,1898)★★☆☆☆
――わたしは紹介状を手にその男に宿を借りた。食事の最中、インド駐留中の話になった。「ヨガ行者に感銘を受けたわたしは修行にとりかかりました。二年が経過するころには意識の転移が可能になりました。しかし目覚めた能力は次第に御しがたいものになっていきました。放心状態がつづくと自我の分裂が引き起こされるようになったのです。ある日のことです。意識を取り戻すと、部屋の片隅に何かの影を認めました。それはなんと猿でした」
絵の心得がないから人間ではなく猿の形になってしまった――ではギャグになってしまうので、絵の心得がないのに猿の形が描けてしまったのが怖いということでいいのでしょう。どうも「イパリア」の温度計同様、余計な一言に思えてしまいます。
「チョウが?」(¿Una mariposa?,1897)★★☆☆☆
――フランスの学校へ入るために旅立たねばならなくなったとき、リラはいとこのアルベルトと語り合いました。ふたりが別れを告げたとき、ふたりは泣きはらしていました。アルベルトがチョウを捕るようになったのはそのころです。日がたつにつれ泣くことは少なくなり、やがてリラは単なる思い出となりました。ある昼下がり、それまで見たことのないチョウを捕まえました。細心の注意を払ってピンで留めましたが、翌朝になってもチョウは生きていました。
死者の魂を運ぶと言われる蝶となって恋人のもとを訪れる悲恋ですが、アルベルトの方から見ると悲恋ではないところに厭らしさがあります。額縁の外で語り手の話を聞いていたアリシアが、最後に「チョウが、ですって?」とたずねるのは、リラじゃなくてチョウ?ということでしょうか、相変わらずわかりづらい。
「デフィニティーボ」(El "Definitivo",1907)★☆☆☆☆
――精神病院の庭で、狂人は語りはじめた。「ぼくはあるとき突然、病気になってしまったんです。あのデフィニティーボがやってきたときに」「デフィニティーボ?」「あなたがたには見えませんか?――ぼくはその日、夜ふけに帰宅しました。開け放していた扉から、デフィニティーボが入ってきたんです」
「決定的なもの」を意味する「デフィニティーボ」を擬人化した掌篇。
「アラバスターの壺」(El vaso de alabastro,1923)★☆☆☆☆
――ニール氏はエジプトの古代魔術に関する対話集会を開き、自分の体験をわたしに話してくれた。ハトシェプスト女王の墳墓に関わったカーナーヴォン卿が死んだ。感染症だと思われたが、現地の助手によれば、壺を開けて死の香水を吸い込んでしまったからだという。ニール氏が助かったのはほとんど嗅がなかったからだ。そのとき通り過ぎた女からえもいわれぬ香りが……。
エジプトの死者の呪いという陳腐な内容と、またもや取って付けたような最後のひとこまでした。
「女王の瞳」(Los ojos de la reina,1923)★☆☆☆☆
――ニール氏が「突然の病のため死去した」という記事を読んで、ニール氏はあの女のためにみずから命を絶ったのだと思い当たった。女王は鏡をのぞき込んだ者を罰するため、その不吉なまなざしを、美と死のまなざしを、鏡のなかに永遠に封じ込めたのです。自殺した作業員はすっかり鏡の虜になってしまいました。
作中でも言及されている通り、「アラバスターの壺」の続き。という蛇足。
「死んだ男」(El hombre muerto,1907)
「黒い鏡」(El espejo negro,1898)
「供儀の宝石」(Gemas dolorosas,1898)
「円の発見」(El descubrimiento de la circunferencia,1907)
「小さな魂《アルミータ》」(Las almitas,1936)
「ウィロラ・アケロンティア」(Viola acherontia,1899)
「ルイサ・フラスカティ」(Luisa Frascati,1907)
「オメガ波」(La fuerza Omega,1906)
「死の概念」(La idea de la muerte,1907)
「ヌラルカマル」(Nuralkámar,1936)
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