『文豪怪談傑作選・昭和篇 女霊は誘う』東雅夫編(ちくま文庫)

 文豪怪談傑作選も、これにて完結のようです。

「来訪者」永井荷風 ★★★☆☆
 ――その頃頻々としてわたくしを訪問する二人の青年文士があった。木場は蜀山人狂歌でその集には収載せられていないものを編輯したいと言い、白井は三代目種彦にならった高畠轉々堂主人の伝をつくりたいと言って、わたくしを驚喜させた。それから半年あまり過ぎた頃である。わたくしの自筆本で怪夢録と題された写本を手に入れたという人が訪問しに来た。

 平井呈一をモデルにした登場人物が登場する、実際の事件を元にした作品、という意味では怪談にもゆかりの深い中篇ですが、この作品自体を「怪談」に分類するのはさすがに無理無体な。語り手が大家でなければここに描かれるような犯罪行為自体がおこなわれるわけもないからでしょうか、荷風自身を思わせる語り手がいかにも大家然とやたらスノッブなうえに、事態に無関心のようでいてひどく興味津々に描かれているのが可笑しい。しかも面白いのは、語り手よりむしろ白井の方こそ荷風っぽく見えてしまうところです。

 

「都会の幽気」豊島与志雄 ★★★★☆
 ――都会には、都会特有の一種の幽気がある。或る夜、変なものに……いや変な気持に出逢ったのである。ふと、後から誰かついて来るような気配を私は感じた……といって足音も声もなく、ただその気配だけが風のようについてくる。

 敢えて心霊風に言えば、大気中に漂っている死者や生者の思念を読み取る能力を目覚めさせてしまった人の話、ということになるのでしょう。もちろんそんな味気ない書き方ではなく、怪しい気配、ドッペルゲンガー、あるいは猫町、あるいは再度の怪のように手を変え品を変え、徐々に忍び寄り、やがて「幽気」に浸食されてしまう行程は、圧巻の一言でした。

 

「沼のほとり」豊島与志雄 ★★★★☆
 ――佐伯八重子は、戦争中、息子が動員されましてから、その兵営に面会に行きました。帰りは夕方になりました。東京方面への切符は売りきれてしまった。そういう時代だったのであります。八重子は腰掛の上で眼をつぶりました。「あの……失礼ではございますが……面会からのお帰りでは……。宿にお困りのようでしたら、どうかおいで下さいませんか。」

 結末にいたって一見ジェントル・ゴースト・ストーリーのようにも見えますが、そうだとするとそもそも寅香には八重子を助ける道理がないので辻褄が合いません。偶然の奇縁、そして八重子が道に迷ったか寅香が引っ越したのだ、とすると近所に寅香を知る人がいないのが不合理です。無理に因果を求めようとするなら、深見高次が戦死したというのが気になります。深見の霊が寅香に――まあでもそんな証拠もないですし、どうにも理屈のつかない不思議な話、と捉えるべきなのでしょう。

 

「復讐」豊島与志雄 ★★★★☆
 ――私は照代をまだ愛していた。深刻な未練はなかったが、さっぱりと別れてしまうほどの決心はしていなかった。そして、彼女の方でも私を愛し続けてることと、内心では自惚れていた。「あなたのことは、一生、忘れないわ。」ところが、夢によって判断すれば、忘れないとは別れることの予告だったようだ。

 芸妓との熟して腐って爛れ落ちそうな愛も、夢と朦朧を通すとこんなにも幻想的になるのだから不思議です。寝顔を見たがるシーンなど、川端「眠れる美女」を連想させるような変態でしかないのに、どきりとします。ひるがえせば夢が覚めればただの男女という現実が待ち受けていました。

 

「生霊」「黄泉から」久生十蘭 ★★★★★

 全集で読んだばかりなので今回はパスしましたが、まぎれもない傑作です。

 

「幽鬼の街」伊藤整 ★★★★☆
 ――何をうろうろ見ているのさ、早くいらっしゃいよ。久枝の目は三角の形にひそめられ、口が蛙のようにぱくぱく動いた。この口はあまり使っているうちに、こんなに大きくなったのだ。これからもっと大きくなるだろう、と私は考えた。

 悪夢の国のアリス、とでも言うべき、目まぐるしい悪夢の蟻地獄。落ち着いた風情の作品が多い本書のなかで、本篇だけは狂気が滲み出ているような気持ち悪さで全篇が覆われていて、ひたすら不快(誉め言葉)。

 

「行列」原民喜 ★★★★☆
 ――文彦は路上から自分の家の二階を見上げた。ふと、玄関の格子戸に貼られた、忌中という文字に眼が留まった。八畳の間には床がのべられていた。文彦は人々の後から死人の様子を覗いてみた。文彦の母の指が、白い布をめくると、その下に文彦の死顔があった。「やめてくれ、僕の葬式の真似なんかまっ平だ」

 自分の葬式を目の当たりにする死者の一人称で、初めのうちこそ生者には存在を気づいてもらえず、ごく当たり前の幽霊話だったのですが、途中から生者と普通にコンタクトし始めて、さながら幽霊の見た夢とでもいうような、曰く言い難い印象を残します。

 

「夢の器」原民喜 ★★★☆☆
 ――露子は廊下の曲角で青木先生と出逢った。すると廊下に添った左右の教室のドアが遠くまで開いて、そこからひとつずつ女学生の顔が覗いた。みんな露子を珍しそうに眺めているらしかった。急に露子は嚇として、青木先生の両肩をぐらんぐらん揺さぶった。先生はぺらぺらの紙人形のように揺さぶられていた。

 そして幽霊の見た夢が覚めれば、霊は消滅してしまうのです。

 

「夢と人生」原民喜 ★★★★☆
 ――夢のことを書く。お前と死別れて間もなく、僕はこんな約束をお前にした。僕はあの無数の死を目撃しながら、絶えず心に叫びつづけていたのだ。これらは「死」ではない、このように慌しい無造作な死が「死」と云えるだろうか、と。

 前記二篇に見られた「幽霊の見る夢」とでもいうべきスタイルは、あれはスタイルを借りたのでも何でもなく、言葉通りの意味で「死んだも同然」の自分そのものであり、同時に夢を通せば生者も死者との交感が可能になり、そして「死」と――折り合いをつけることは無理でも、どうにか向き合おうとしていた――のでしょう。

 

「鎮魂歌」原民喜 ★★★★☆
 ――あの時わたしの夫は死んだ。わたしの家は光線で歪んだ。足が、足が、足が、倒れそうになるわたしを追越してゆく。泣いている暇はなかった。走りつづけなければ、走りつづけなければ……。

 鎮魂歌を歌うのは残された者ではありません。ここに描かれているのは、声をあげられなかった幾多の死者たちの叫び声、歌声。

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