鏡花主催の『怪談会』と雑誌特集『怪談百物語』に、水野葉舟の雑誌に掲載された座談「不思議譚」をプラスしたセット。生に近い実話怪談の雑多な寄せ集めといった『怪談会』に対し、『怪談百物語』は文芸雑誌掲載らしく作品として比較的まとまっているものが多く、完成度からいえばこちら。
『怪談会』はほとんどが一人称語りでこれこれこういうことがありました……みたいな話なので、どれも似たり寄ったりな印象になってしまうのが難点。それだけに市川團子や鰭崎英朋や岩永花仙の話が際立っている。いずれも聞き語りというよりも純然たる創作作品に近いテイストの出来栄え。
團子「巳之頭」に描かれた台詞のテンポのよさや火事場の臨場感など、さすが歌舞伎役者といった感があります(成立事情がわからないので、本当に本人が語ったままの速記or本人筆なのかは不明なんだけどさ)。
鰭崎「九畳敷」に描かれたクライマックスの怖さはちょっと異質。話自体はただの祟りものなのに、何ていうか、伝統的な怪談では避けてきたことを敢えて描写している感じ。
岩永花仙は鏡花の門人。その名も「海異記」は鏡花の「海異記」のもとになった話を、鏡花に話した本人が語り直し。聞き語りではなく完全に小説になっちゃってるのはご愛敬。こちらの方がすっきりしてるし話の構成もわかりやすいけど、怖さでは鏡花の方が上です。
あとは高崎春月という経歴未詳の人の「天凹老爺」がよかった。気になるでしょ? 「天凹老爺《てんくぼおやじ》」。何者なんだ?って。
『怪談百物語』は創作としてそれなりに完成されたものが多くなる。というか磯萍水「流灌頂」なんて完全に一人称の小説だったりします。巻頭には柳田のエッセイ。怪談の類話をさらりと紹介。本田親二「□本居士」は小泉八雲の話にでもありそうないかにもな怪談で嬉しい。宮崎一雨「火の玉と割符」には妙に剽軽な言い回しが多いなあと思ったら、児童文学者なのだと知り得心。
関天園「怨念」も小説味が強い。旅人が一夜の宿を借りて……という型のよくできた話なのだけれど、最後の一文は笑っちゃっていいのだろうか(^_^;? 鏡花ファンの芸妓だという柴田つる「浅黄鹿の子」の語り口も味があっていい。きよしという人は何者なのかまったくわからないのだけれど、日欧の幽霊について考察しているところを見ると、研究筋の方なんでしょうねえ……?
土井ぎん「死んだ女房に生写し」は、逆になんだか怖いような気がする。幽霊であるとかはっきり言ってくれれば安心するんだけど、そこで終わられちゃうと、ちょっと、怖い。児玉花外「菜の花物語」にも不思議な怖さがある。
泉鏡花「鰻」は、ちょっと魔が通ったような、何かを境に次元をかけちがっちゃったような怖さがある。夫が鰻に変じた話というよりは、妻が正気を失った話と取りたい。最後の数ページがかき立てるミシミシした不安に背中がぞくっとした。鏡花が蛇嫌いだったことを考えると、最後のシーンは私が感じる以上にグロテスクな意図があるのかもと思ったりもした。
最後の「不思議譚」は怪談というより枯尾花談。泉君のエピソードは必読!
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