『バーチウッド』ジョン・バンヴィル/佐藤亜紀・岡崎淳子訳(早川書房epiブック・プラネット)★★★★★

 『Birchwood』John Banville,1973年。

 最初のうちは、凝りすぎてるのか錯乱してるのかわからないような文章に戸惑ったものだけど、回想シーンに入ってからは徐々に引き込まれます。とんでもなくくだらないことを、馬鹿みたいなほどもってまわってもったいぶった文章で語るので、その語り口の癖に慣れてきさえすれば、一家の気違いっぷりと語り手のひねくれぶりが病みつきになること請け合い。

 第一部には狂気の家系だとか屋敷をめぐる二つの一族の確執だとかいろいろあるのだけれど、基本的には奇矯なエピソードの宝庫。それを語り手が、未来の時点から超然とした風に物語るので、苦みと悟りと嘲りが渾然となった不思議な笑いが楽しめます。

「おばあちゃんは、実際に会うまで、ベアトリスを青い目のしたたかな女狐だと想像していた。華々しい戦いが繰り広げられる筈だった。(中略)現実の、愛におののく心優しいベアトリスはいたく彼女を失望させたが、髪振り乱し血を見る大乱闘の夢は捨てがたく、おばあちゃんは見境なく攻撃を開始した。母さんは、何を期待されているのかを取り違えたまま、万事を善意に取ってひたすら愛すべき嫁たらんと努め、言われた言葉ではなく聞きたかった言葉に答えて微笑み、ひたすらに微笑み、夢のなかだけで怒り狂った。」

 第二部になると語り手がサーカスに加わることで、多少物語性が増えるものの、周囲の人間のでたらめっぷりは相変わらず。でたらめに生きることで、でたらめな世界を蹴り飛ばそうとでもいうような凄みすらあります。世の中みんな気違いばかりという感じで、家族のイカレっぷりに鍛えられた語り手(と読者)にとっても新しい興奮の種は尽きません。

「どんな珍しいことも、一度経験してしまえば、当り前に変る――この世界の重大な欠点だ。黄金も触れれば鉄屑に変わる。プロスペローの一座は違っていた。彼らと旅をした一年の間、私は常に目新しい、物珍しいことが現われるただ中を運ばれていったが、そうした目新しさは新しい眺めや場所や夜毎に変わる顔の海を目にする興奮からだけではなく、移ろう事物の精髄が何か他の、奇妙な無限の可能性と結び付いて湧き出すものだった。行く手には何か――辿り着けはしないが手の届く距離に置かれた、名前のない約束があった。」

 アイルランド史を知らなくたって感動できるし、「べたな感動を期待なさる方にこの本は不向き」と言われて構えずとも楽しめます。でもアイルランド史を知らないと、細部は楽しめても仕掛けがよくわからんちんかな。要するに、昔のことを思い出そうと何度も思いめぐらしているうちに、いろんな記憶がごっちゃになって現実とは違う歴史を思い出しているという仕掛けなのだと思う。ところがその偽記憶が、そのままアイルランドの歴史の凝縮にもなっているところが凄いのだ。信用できない語りがテーマ性と直結してる。

 優雅な屋敷だったバーチウッドは、諍いを愛すゴドキン一族のせいで、狂気の館に様変わりした。一族の生き残りガブリエルは、今や荒廃した屋敷で一人、記憶の断片のなかを彷徨う。冷酷な父、正気でない母、爆死した祖母との生活。そして、サーカス団と共に各地を巡り、生き別れた双子の妹を捜した自らの旅路のことを。やがて彼の追想は、一族の秘密に辿りつくが……。幻惑的な語りの技と、絶妙なブラック・ユーモアで綴る、アイルランドへの哀歌。(裏表紙あらすじより)
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