『奇跡なす者たち』ジャック・ヴァンス/浅倉久志編(国書刊行会 未来の文学)★★★★☆

 『The Miracle Workers』Jack Vance。

「フィルスクの陶匠」酒井昭伸(The Potters of Firsk,1950)★★★★☆
 ――星務省惑星局のトームはフィルスクへ転任が決まった。先住民のミ=トゥーンは優美な民族だった。陶器屋を覗いてみたトームは、その色彩の豊かさに陶然となった。ただし――黄色だけがない。迷信だろうか。造り手は何者なんだろう? トームは店番の少女に声をかけた。「みごとな品だね」「だって、これはわたしたちの“祖先”ですもの」

 ボーンチャイナとウラン釉薬の製法を豪快にくっつけたと思しきアイデアが楽しい一篇です。磁器に骨灰を混ぜるのは現在の地球でも実際におこなわれているものの、それは白い色を出すためなのですが、そんな事実はそっちのけで、陶器のためなら人骨ほしさに殺人もいとわない陶匠集団の登場です。そして権力を振りかざす上司が、これまたどんぴしゃで爆弾の投下命令を下す構成は鮮やかでした。嫌な上司という設定が、釉薬とオチの両方の伏線になってる点は、ユーモアのなかにも考え抜かれているところです。
 

「音」浅倉久志(Noise,1952)★★★☆☆
 ――わたしはこの救命艇をなるべく好ましい地点に着陸させた。大気、気温、気圧、生物圏をテストしてから、思い切って外へ出てみた。暗赤色の太陽が沈みかけている。じっと耳をすます。たしかにいまのは音楽だった――。演奏者の姿は見えない。森の木々だろうか、それとも透明な虫たち? 対岸に華やかな町がひろがっている! だがようやくたどりついてみると、なにもない。

 果たしてその惑星からのコンタクトだったのか、遭難者の狂気の見せた幻だったのか――ないはずの音を聞き、ないはずのものを見て、いつしかそれに心奪われてしまう、宇宙怪談です。
 

「保護色」酒井昭伸(The World Between(Ecological Onslaught),1953)★★★★☆
 ――「惑星だ!」ブルー・スターとケイの中間にある、探査の記録もない惑星だった。「領有宣言を出せ。いまこの瞬間より、この星はブルー・スターの開拓星系となる!」「しかし、ケイが黙っているだろうか?」不安は的中した。抗議を退けられたケイは、嫌がらせに植物の病原菌を撒き散らしてきた。

 とてつもなく壮大なスケールの、やたらとレベルの低い争いです。これはなんでしょうか、西部劇などのノリなのかな。牛泥棒VS用心棒的な。銃でチキンレースっぽい脅し合いをするところなどはまさにそんな感じです。
 

「ミトル」浅倉久志(The Mitr,1953)★★★★☆
 ――彼女の名前はミトル。きょうはわびしい灰色の日だ。退屈し、落つかないのは、空腹のせいだと判断した。波打ち際にそって歩きだし、小さい貝をひとつ捕まえて食べた。あまり満足が得られなかった。空腹ではないらしい。木ぎれを拾いあげ、砂の上に線を引いていった。岬まで歩いてカブトムシたちを訪問したほうがいいかもしれない。ティ・スリ・ティが話しかけてくれるかも。

 原題には定冠詞がついているので固有名詞ではないし、「カブトムシたちは彼女をそう呼んでいる」というからには、「ミトル」というのはおそらくその星の言葉でその生物を指す普通名詞なのでしょう。「人間」とは書かれていますが、ミトルに時間の概念がないことや、物心はついているらしき年齢であるにもかかわらず自分たちについての記憶がはっきりしないことを考えると、人間というよりは人型の獣に近いのかもしれません。「カブトムシ」がしゃべるというのも、虫が進化しているというよりは、カブトムシとミトルが動物語でコミュニケーションを取っている、と考えればしっくりきます。だからといって残酷な話であることが和らげられることにはなりませんが。
 

「無因果世界」浅倉久志(The Men Return,1957)★★★★☆
 ――〈残存種〉がひとり、岩山を下ってきた。食べ物がほしい。さして遠くないところでふたりの〈有機体〉が遊んでいる。片方を殺そう。きっとうまいはずだ。彼は待ちうけた。長い時間? 短い時間? どちらともいえない。時間の持続が実在性を失っている。地球が因果律不在の空間にはいりこんだため、生き残れたのは気の狂った人間だけだった。彼らはいまや〈有機体〉――この時代の王者だ。

 理屈の通じない世界、という世界自体が初めのうちはよくわからなかったのですが、元通りの世界が戻ってきてようやくどういうことなのかわかってきました。〈有機体〉たちの最後は完全にコントですよね。魔法が使えなくなった魔女がホウキから落ちるような。
 

「奇跡なす者たち」酒井昭伸(The Miracle Workers,1958)★★★★☆
 ――フェイド卿はバラント城に進軍していた。先人《さきびと》どもが通り道に森を設けたのがわずらわしい。フェイド卿は罠を避けて先導するように、咒師の頭ハイン・フスと見習いのサム・サラザールに命じた。あすには咒師コマンドアが、バラント卿の咒師グライムズと鬼合わせを行うことになる。コマンドアが鬼神ケイリルを呼び出した。やがて鬼に憑かれた兵士たちが、ねじくれて歪んだ顔つきでゆっくりと現れた。

 超能力のような「咒」という能力(技術)が発達した未来。飽くまで魔法ではないというのがポイントです。人の精神の仕組みに沿って咒を働かせているため、精神構造が違う(昆虫の群体のような)原生人にはこれまで培ってきた技術がまったく通用しません。前半は咒を用いているとはいえ人間同士の戦いなので、『竜を駆る種族』のようなアクションSFなのかな、と危惧しましたが、後半になって反旗を翻した原生人との戦いになると俄然おもしろくなります。
 

「月の蛾」浅倉久志(The Moon Moth,1961)★★★★☆
 ――「わたしはなんのおこがましい意図もないことを示すために、この〈湖の鳥〉の仮面をつけている。きみはこの〈月の蛾〉の仮面をつけなさい。それから、無伴奏で歌うのは奴隷だけだ。早く楽器をマスターしたほうがいい」……それから三か月。シッセルは母星連合から指令を受け取った。冷酷な犯罪者であるハゾー・アングマークが、このシレーヌにやってくるから、逮捕せよというのだ。

 再読。これは「犯人探し」というアイデアが先にあって、それを難しくするために、「仮面」「音楽言語」「個人主義」という設定を作りあげていったものなのかどうか、創作過程が知りたくなる作品でした。ヴァンスは異世界ばかり書いているので、あるいは設定が先だったりするのかもしれません。
 

「最後の城」浅倉久志(The Last Castle,1966)★★★★★
 ――メックたちは、城を去って反乱に参加していた。残っているのは、フェーンと農奴と巨鳥だけ。真似事でも討伐軍を組織するなら、これらの種族を使うしかない。当面そうした必要はなさそうだ。城壁は高さ二フィート、太陽電池が城内のすべての需要をまかなっている。もし機械のどれかが壊れると、それを修理するメックたちがいないため、不便の生じるおそれはある。それにしても、事態はそれほど深刻ではなかった。

 「奇跡なす者たち」もそうでしたが、地球人が異文化に放り込まれるだけではなく、人類の方も現在とは異なる文化を持ってしまっている遠い未来が舞台になっているため、二者間のギャップに幅やヴァリエーションが生まれてるようです。本篇で描かれる危機は、本来であればたいした危機でもない事態なのですが、自分の手を汚すのは貴族の沽券に関わると考える人類が登場するために、人類最後の戦いという一大イベントが誕生していました。

  


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