再読。講談社文庫版も持っているのですが、今回は集英社文庫版で読みました。
「遠くで瑠璃鳥の啼く声が聞こえる」(1992)★★★★☆
――昨夜初めて紹介されたときには何も感じなかったのに、その日の佑美子はまったく違って見えた。遊歩道沿いの杉林のなかで、転寝を佑美子に見つけられてからだった。だがその翌々日、佑美子は頭を拳銃で撃ち抜いた状態で発見された。妊娠の相手である恩師を殺して自殺したと、状況は語っていた。だがわたしは信じなかった。
初出は島田荘司・鮎川哲也監修『ミステリーの愉しみ 5 奇想の復活』ですが、島田氏によるのちの「20世紀本格」を連想させるような仕掛けが扱われているのは恐らく偶然でしょう。この真相は掟破りぎりぎりだとか、そんなことは気にならないほどに、メルの推理でどこまでも説明されてしまいます。美袋に起こったある出来事による犯行の予見だけならそれはそれで普通のよくできたミステリなのですが、麻耶作品の意地の悪いところは、美袋のメルに対する深層心理さえも語り手の目撃証言に影響しているところや、佑美子に対する恋心にすらメスを入れてしまうところです。いちおう犯人も論理的に指摘されているものの、もはや犯人なんて誰でも構いません。
「化粧した男の冒険」(1994)★★★☆☆
――学生時代の友人がオーナーをしているペンションで、大学生グループの宿泊客が殺されていた。奇怪なことに被害者の男は死後に化粧を施されていた。翌日に「外せない用事」があるというメルは、警察が来る前に事件を解決しようと、ゼミの五人を締め上げた。
化粧した男の死体という奇っ怪な表象に惑わされず、化粧されていることの意味から、消去法でまたたくまに犯人を指摘してしまうメルカトルの頭のキレが冴え渡っていますが、続く「小人閒居為不善」に連なるような悪意の冴えも垣間見えています。
「小人閒居為不善」(1994)★★★★☆
――退屈をもてあましていたメルは、遺産目当てに甥が資産家の老人を殺したニュースを引き合いに出し、「身近に危険・不安を感じている方、相談・調査承ります」というダイレクトメールを送りつけたことを明かした。果たして引退した老画家が訪れ、猫がいなくなったのは自分が殺される前兆だと訴えるのだった。
まさに本書タイトルにある通り「メルカトルのため」の殺人事件です。そして古今東西さまざまな名探偵がいましたが、メル以外には扱えない事件でもあります。メルの極悪っぷりが最悪の形で発揮されています。メルに昭子嬢という秘書がいたことなどすっかり忘れていました。
「水難」(1995)★★★☆☆
――美袋が境内で見たセーラー服の少女は幽霊なのか。扉にペンキで「死」と書かれた土蔵から見つかった女性二人の死体も、少女と同じ十年前の土砂崩れの生き残りだという。メルカトルは心霊探偵物部太郎を名乗り、関係者から事情を聞く。
美袋も鬼畜なことが明らかになり、なるほど「美袋のため」の事件でもあるようです。メルが物部太郎を名乗るのにも、ちゃんと鬼畜な理由があることが最後に判明していました。別々の二人が土蔵のなかで見つかったのは、確率の低い偶然が重なった結果ですが、この程度の偶然など、麻耶作品のなかでは驚くには当たりません。
「ノスタルジア」(1997)★★★☆☆
――帰省中に呼び出したメルの用件は、自作の犯人当てを正解してみろ、というふざけたものだった。見事正解できたら失明しそうな従兄弟のため角膜を都合してもらい、不正解ならメルの原稿を代わりに掲載しなくてはならない。「上杉家の兄弟は二人とも医者と刑事になり、父親の跡を継いだりはしなかった。そんななか謙信公の死体が雪密室で発見された……」
タイトルを見ても少しも内容が思い出せませんでしたが、メルによる作中作でしたか。内容はメル作なので屁理屈を理屈と言い張るたぐいです。なぜメルが犯人当てなど書いたかといえば、美袋に嫌がらせをするためでしかありません。
「彷徨える美袋」(1997)★★★☆☆
――目が覚めると見知らぬ場所にいた。後頭部にこぶができている。山の中を歩いてなんとかペンションにたどりついた。そこには大学時代の友人・大黒の弟がいた。そもそもその大黒からシガレット・ケースが送られてきたのが始まりだった。弟によれば大黒は行方不明。現在宿泊している絵画サークルのメンバーを疑っていた。
どんどんメルの悪意がエスカレートしてゆき、とうとう、美袋目当て+「小人閒居……」というところにまで行き着いてしまいました。美袋の無罪と犯人の特定がさらっと描かれていますが、実際それはおまけみたいなもので、メルの狙いこそが肝のようです。
「シベリア急行西へ」(1988,1997)★★★★☆
――私とメルはタダでもらった旅行券でシベリア急行十二日間の旅に参加していた。ほかの乗客には人気作家の桐原や、メルに言わせると財産目当ての仰木麻衣と仰木氏、正体のよくわからない剣らがいた。事故のため列車が急停車したあと、桐原が背後から銃で撃たれて殺害されているのが発見された。
デビュー前の短篇が元になっていることもあり、メルによる悪意のエスカレートの流れはストップしています。内容に関していえば、例えば雪密室における「雪が降り止んだ前か後か」という問題が、「急停車の前か後か」という形にアレンジして用いられていたり、一つの事実からいくつかの解釈がなされて二転されたり、と、古典的なミステリとしての工夫や構成がしっかりしています。けれどそれよりも最後の一文の恐ろしさが何より印象に残ります。メルが絡んでいなくともやはり美袋は命の危険にさらされてしまうようです。
「名探偵の自筆調書」(1997)★★★☆☆
――「美袋くん。なぜ屋敷で殺人が起こるか教えてあげようか」メルカトルが暇そうに呟いた。「最も安全な殺害方法はわかるかい?」「暗い夜道で通り魔的にぽかりと殴ったらいいんじゃないのか」「動機がなければね。動機があればいずれ警察が辿り着く」
短編集を読んだついでに単発ものも再読。講談社ノベルスで活躍する「名探偵」たちによる「自筆調書」という連載企画で、麻耶氏のものは講談社文庫の宣伝雑誌『IN★POCKET』1997年8月号に掲載されました。作品の最後に「自筆」のサインが記されています。ただしこの作品の場合は「名探偵」といってもメルではなく美袋です。上記二つの理由により、麻耶雄嵩名義ではなく美袋三条名義の作品となっています。
美袋の鬱屈した思いと、すべてお見通しのメルの姿は、短篇集『メルと美袋のための――』でも描かれていました。「安全な殺害方法」を巡る思考実験の果てのメルの結論は、まるで何かの作品の前日譚のようです。
「愛護精神」(1997)★★★☆☆
――近所に住む昭紀青年が庭に穴を掘っているのは、多美未亡人の飼い犬が死んでしまったのを埋めるためだ。そのとき勝手口から多美が顔を見せた。「まあ、美袋さん」。財産目当てで老人と結婚したの、夫の死後は夜な夜な別の男を連れ込んでいるだの、よくない噂を聞く。そんな多美にメルカトルへの相談を頼まれた。曰く、死んだ犬は殺されたのだ、多美を殺すのに犬が邪魔だから――。
小説現代1997年9月増刊『メフィスト』掲載作。麻耶氏の作品にしては比較的おとなしい印象を受けますが、ほかの短篇集と同様に、もし連作が書かれていれば、徐々に著者の意図が明らかになる趣向だったのでしょうか。実際「殺されたのは○○だと判った」、「メルがこの事件でどんな役得をしたのか」等、謎は残ります。まあ後者は、美袋を危険な目に遭わせることだけが目的だったか、実際に夜な夜な通っていたうちの一人がメルだったか、のどちらかだと思いますが。犬が死んだ理由から犯人の目的をたどってゆく推理とその過程は、シンプルですが大胆です。死体の隠蔽だけに留まらず、「名探偵の自筆調書」に書かれていた「安全な殺害方法」のバリエーションをも企んでいたところに犯人の性格の悪さが滲み出ています。
「名探偵の自筆調書」George Shinano(1997)★★★☆☆
――「名前は?」「形式的な質問はやめましょうって。信濃譲二。一九五九年十二月二十四日生まれ。定職なし。ほかには?」「てめえ、立場をわかってるのか!」と怒声をあげた望月を追いやって、増山がたずねた。「寒くないのか?」三月下旬なみの冷え込みのなか雨も降っているというのに、この信濃という男ときたらタンクトップにビーチサンダルだった。
麻耶作品を読んだついでに『IN★POCKET』の1997年7月号に掲載されている歌野晶午氏の「名探偵の自筆調書」も読みました。作者は歌野晶午ではなくGeorge Shinano(信濃譲二)名義です。信濃譲二が取り調べを受けているという衝撃的な内容ですが、最後まで読めば納得。そういう設定でしたね。信濃譲二がビーチサンダルを履いている理由が判明します。