『文豪ノ怪談 ジュニア・セレクション 恋』東雅夫編/谷川千佳絵(汐文社)★★★☆☆

「幼い頃の記憶」泉鏡花(1912)★★★☆☆
 ――五つくらいの時と思う。船に乗って、母の乳房を摘み摘みしていたように覚えている。そばに一人の美しい若い女のいたことを、私はふと見出した。今思ってみると、十七ぐらいであったと思う。いかにも色の白い、瓜実顔であったことを覚えている。

 タイトル通りの幼い頃の思い出が、およそあり得ないほど事細かに語られていることを考えれば、偽の記憶なのでしょうが、初恋とも言えぬ淡い記憶に、郷愁を覚えます。
 

「緑衣の少女」佐藤春夫(1922)★★★☆☆
 ――于生という若者が僧房で読書に耽っていると、窓のそとに若い女性の声が聞こえた。緑の衣を着たたおやかな少女であった。于は一目にその少女が人間でないと感じたが、心から好きになってしまった。その夜、少女は若者の許に泊った。下着は透かして見える絹で、紐をといた腰は掌でまわるほど細かった。それから後、少女の訪れない夜はなかった。

 一種の異類婚姻譚のような内容ですが、「緑衣」からこの正体はなかなか連想しません。また、昔話ではなく小説なので、鶴のようにわざわざ別れの挨拶はせずに、ひっそりと姿を消します。この二点によるものでしょうか、鏡花作品同様、淡い印象の残る作品です。
 

「鯉の巴」小田仁二郎(1953)★★★★☆
 ――内助は沼のほとりに住んでいて、獲れた魚を生簀にはなして、溜まったところで町に売りにいく。一匹だけは売らない。女鯉である。左の鱗に巴の模様があるのを内助は可愛がった。わかれているのがつらくなって、巴をだきかかえ家のなかへ連れて帰った。巴も陸にいるのにだんだんなれてきた。

 笑顔の描写が「にこにこ」ではなく「にやにや」など、そこはかとなく気持ち悪さは漂っていましたが、作者の手癖みたいなものだと読み流して、「蜜のあはれ」のような魚との幻想譚なのだろうと思っていると、突如として凶暴に変態化します。――というより、魚の話ではなく人間の女性相手の話だと思えば有り体な内容なのですが、それを単純に魚に置き換えるだけなので途端に気持ち悪くなります。そしてまた唐突な復讐譚へ。最後の一文が怖いようでいて、でも実は単に実家に帰っただけだと思うとお間抜けですらあります。全体を通して作者の頭のおかしい感じが怖かったです。
 

「片腕」川端康成(1963~1964)
 

「月ぞ悪魔」香山滋(1949)★★☆☆☆
 ――興行の失敗からコンスタンチノープルに逃げて餓死を待つばかりの私の前に、片足の老婆が現れて、女を一人預かってくれと言う。スーザというその美しいペルシア女は巧みな腹話術を用いて名声を得た。ある夜、私はスーザへの情火を抑えられなくなった。

 人工人面瘡。香山滋のB級を、私は楽しめないタイプです。
 

押絵と旅する男江戸川乱歩(1929)
 

「影の狩人」中井英夫(1979)★★★★☆
 ――青年が彼に初めて逢ったのは行きつけのスナックで、カウンターに並んだ客と頻りに悪魔の話に興じているのが関心を唆った。二度めに逢ったときは夭折した天才について話していた。三度め、すぐ隣に坐ることができた。「物事の影の部分がお好きなようですね」この人物は、影のコレクターというべきか、それとも影の狩人といったらいいのか。

 一方的に同性愛傾向を期待する青年はどうやら野暮の極みだったようで、ものごとには――それも同性愛と○○○には様式美が必要なようです。様式美のための様式ともいえるような、無意味にも思えるこだわりが――無意味だからこそ、美しさのためだけに奉仕する真の美しさなのでしょう。
 

「菊花の約」上田秋成(1776)
 ――播磨の国に丈部左門といふ博士あり。同じ里の何某の許に訪ひしに、壁を隔てて人の痛楚む声あり。主に尋ぬるに、「西の国の人に一宿を求められしに、その夜邪熱劇しく出でけり」と答ふ。左門、同胞のごとく病を看るに、その武士赤穴、左門が愛憐の厚きに泪を流して、諸子百家のことなど日夜交わりて、終に兄弟の盟をなす。赤穴、やがて一たび下向りて重陽の佳節に帰り来ると云ふ。

 幻妖チャレンジ!のコーナーは『雨月物語』よりの一篇です。編者による現代語訳付き。病死なり何なりだったと勘違いして記憶していたのですが、実際には自害&言いがかり復讐とかいうド変態な内容でした。『雨月物語』なんて大半が執着の話ですし、美談とか武士道ではない妄執が恐ろしい話です。

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