『緋の堕胎 ミステリ短篇傑作選』戸川昌子/日下三蔵編(ちくま文庫)★★★☆☆

『緋の堕胎 ミステリ短篇傑作選』戸川昌子日下三蔵編(ちくま文庫

 創元・中公の小泉喜美子やちくまの仁木悦子に続いて刊行された、同じ日下三蔵編による戸川昌子の傑作選です。戸川昌子は『大いなる幻影』『火の接吻』『蜃気楼の帯』を読んだことがありますが短篇には初挑戦です。

 選集『緋の堕胎』全作に『ブラック・ハネムーン』から三篇を追加した構成です。
 

「第一部」

「緋の堕胎」(1964)★★★★☆
 ――井田産婦人科医院は七カ月を過ぎた妊婦の堕胎も引き受けていた。書生の健次郎は看護人の資格を持っていない。麻酔のきかない患者を押えつけたり、手術が終ったあとの胎児の始末が主な仕事であった。二十歳をいくらも出ていない中山という患者が苦しがっているので、妾のところにいる医者に電話をかけたが素気なくされただけだった。この女も汗みどろになって男と交わったに違いない……理性が失われ、欲望だけが健次郎の行動の先を走った。

 非合法なことをおこなっている堕胎医院の許で昏い青年が犯した人知れぬ犯罪が、女の嫉妬によって思いも寄らぬ形を取って白日の下にさらされます。当然ながら青年の犯罪と罪悪感が軸になるため、医者の気持や妻の気持は本文中ではさらっとした触れられていません。そうした青年の犯罪の陰に隠されてまぶされていた二人の感情が、最後の最後ではち切れる場面が強い印象を残します。
 

「嗤う衝立」(1976)★★★★☆
 ――判田安夫はベッドの上でまた性欲の昂進を覚えた。入院してからすでに一カ月、日記はまめにつけているが、文面には気をつけていた。中学生の娘の奈津子に読まれるおそれがあるから、性欲の昂まりを死への昂まりと置き換えてごまかしている。自分は右足を切断し動くこともままならないというのに、妻の香代はゴルフのアシスタント・プロと浮気しているに違いない。隣のベッドの患者のところには夜な夜な奥さんが夜とぎに来ているため、判田は昂まる一方だった。

 この手のタイプの作品のなかではよくできています。帯には「官能ミステリの女王」とありますが、恐らくは著者が自分の作風に自覚的なのでしょう、読む側も著者の世界に引き込まれ、その結果こうした仕掛け【※ネタバレ*1】にもしらけることなく意外性として楽しむことができました。妻が浮気しているという疑惑や、成長した妻の連れ子に女を感じてしまうところなど、主人公と読者をその気にさせてゆく細部の外堀も丁寧に描かれています。衝立の向こうの隣の患者が視覚聴覚を失った四肢切断者なのが、単なるエログロ趣味ではなく、仕掛けのための必然である点も見逃せません。
 

「黄色い吸血鬼」(1970)★★★☆☆
 ――表の雨戸を叩いているのが正治郎の耳に聞こえる。吸血鬼はよほど腹を空かせているにちがいない。一カ月のあいだにどれだけの血を吸われたことだろう。寮生が脱走しないように閉鎖してあった玄関が開き、吸血鬼の使い走りをしている御代田という女が入ってきた。無理心中があったという。吸血鬼は血を流している人間を見ると我慢できなくなる。女の方の血液型が、正治郎と同じRhマイナスのAB型だった。

 赤い毛だらけで嘴のある吸血鬼というイメージが斬新でした。それには理由があって、それが平凡といえば平凡なパターンではありましたが、吸血鬼ものとして細かいところまで気を遣って作り込まれているのは特筆すべきです。白い血という表現をしているところから、正治郎の正体には薄々感づいてしまいますが、それもフェアな伏線だと見なすこともできます。
 

「降霊のとき」(1971)★★★★☆
 ――霊媒相談の客が来た。「死んだ人の霊を呼び出していただけますか……」「霊媒のほうは予約制なんですよ。妙空霊女先生はお忙しいのです」未津はそう喋った。「あなたはできないの?」客にそう言われ、自分の霊感を試してみたい……美津は気持を抑えられなかった。妙空霊女のやるとおりにすればいい……すると燃えさかる炎のなかに裸の男が見え、裸になった未津の下半身に巨大なものが押しこまれる感覚があった。

 やたらと官能的に描かれる憑依はともかく、依頼者が性的に満足すると納得して引き上げてゆくというのはよく考えるとおかしいのですが、それをおかしいと感じさせないのが筆力というものでしょう。霊媒師というのが霊と交流する媒介者としてだけではなく本音を引き出す触媒として機能しているということもあるでしょうか。
 

「誘惑者」(1979)★★☆☆☆
 ――河崎先生の別荘まで原稿をいただきにうかがった時のことでございます。奥様のマリアンヌさまのご容態が急に悪くなり、わたしも献血することになりました。原稿が出来上がるまで、二晩ほどのご看病の予定で奥様の病室に泊まりました。三日目の晩です。夜中に目が覚めると、黒いマントの男が奥様を抱きかかえるようにして、首筋に吸いつくようにしたのです。

 また吸血鬼ものです。吸血鬼が存在するに至る経緯が強引なのは否めません。著者はどうしても疑う余地のない吸血鬼を登場させたかったのでしょうが、語り手にまで手を出すのはやり過ぎで、説得力がありません。精神的におかしくなってると言えば何でもありなのは、やはり昔の作品なのでしょう。
 

「塩の羊」(1973)★★☆☆☆
 ――フランスに渡ったまま行方不明になった日本のある政治家の私生児をさがしに、佐伯は料理研究家だと身分を偽ってその娘の働いていたレストランに潜入した。秘伝のソースのために初代の料理長は死んだという伝説が残されていた。女中に乳蜜を搾り取られた佐伯は、次の日には女料理長から修道院に案内され、娘の行方のことや日本人修道僧の過去について聞かされた。

 さすがにこれは、幻想よりも性愛が勝りすぎていて、戦争と迫害とトラウマという題材がエロ描写に負けていました。そこまでのことをしてでも仇を見つけて確定させたかったのでしょうけれど、絵を思い浮かべるとさすがに羊には見えないので、何をやってるんだか……と呆れてしまいました。
 

「第二部」

「人魚姦図」(1978)★★★★☆
 ――俳優研究所の同期生Sが持ってきた求人広告には、美しいマスクと健康的な肉体をした美潜水《ダイビング》の専門家という条件があった。俺は水族館のパトロンからこう言われた。「ここでほんものの人魚を飼育していることは絶対に口外してはならない。人魚との見合いを成功させるのだ」。ジュゴンとファックしろということですか、という俺に、パトロンは「ジュゴンとはなにごとだ。きみはそれでも役者か……」と怒りを露わにした。

 人魚とセックスするというバイトに雇われた俳優の卵の顛末を描くエロティック幻想譚です。あまりに荒唐無稽な内容にもかかわらず、ここまで振り切れてぶっ飛んでいると現実感など忘れてすっかり没入してしまいました。パノラマ島などの江戸川乱歩の諸作を思わせます。体験者の一人称であることや水中の暗闇であることなど、アホらしさが目立ってしまっていた「塩の羊」よりも説得力を持たせる工夫も為されていました。主人公の生い立ちやSとのエピソードなど、構成も細かいところまで考えられています。
 

「蜘蛛の巣の中で」(?)★★★☆☆
 ――検事さま。ほんとうのことを申し上げます。私は高校生の時に義父に犯されました。これを契機に家を出て、アメリカ軍将校の家にベビー・シッターとして住みついたのでございます。奥さまが入院中のことでした、一度だけご主人の自慰をお手伝いをいたしました。その後アメリカ人の主人と離婚し、日本に帰ってまたベビー・シッターをしておりましたが、奥さまが事故で大怪我をして入院中に、ご主人から押し倒されたのです。

 子どもを作れない女の、子ども憎しと性遍歴と犯罪遍歴です。嘘で固めた人生の最後に訴えたのが、果たして「ほんとうのこと」なのかどうか、恐らくは検事の考える通りなのでしょう。告白のどこまでが真実なのかわかりませんが、仮に直近の罪から逃れて立証できない過去の殺人の犯人になるために遠大なストーリーを作りあげたのだとしたら、それはそれで面白い発想だとは思いますが、さすがに非現実的すぎる読み方でしょうか。
 

「ブラック・ハネムーン」(1976)★★★☆☆
 ――三十年間、夢にまで見たハネムーン。母は器量も悪いあたしを心配して結婚相談所に登録していたのでした。そして一カ月前、思いがけず主人から見合いの申し込みがありました。G島の小さな教会で式を挙げ、ホテルに戻って床入りしたのは十時過ぎでした。主人が右手をあたしの腿の内側を滑らせて奥に近づいてくる、その時です。テラスから男たち五人が闖入してきました。

 性的描写が作品にとって必然であるという点では本書中でも完成度の高い作品です。短い作品のなかにヒントも散りばめられていて真相はわかりやすいのですが、真相が単純なだけに実際にそういうこともあってもおかしくはないのかも、と思わされるところもあります。

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*1すべて芝居だった

 


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