『千霊一霊物語』アレクサンドル・デュマ/前山悠訳(光文社古典新訳文庫)★★★☆☆

『千霊一霊物語』アレクサンドル・デュマ/前山悠訳(光文社古典新訳文庫

 『Les Mille et un fantômes』Alexandre Dumas,1849年。

 角川文庫の怪奇小説アンソロジーに「蒼白の貴婦人」が単独で訳載されていたので、てっきり本書も怪奇小説短篇集だと思い込んでいたのですが、枠物語の形式で語られる話の一つでした。

 そしてその枠部分がすでに面白いのがさすがデュマというべきでしょう。語り手のデュマが夜間に散歩していると一人の男が市長の家を訪れ、妻を殺したと錯乱しながら訴えます。現場に行こうと促す市長や警視に対し、男はなぜか怯えて同行を拒みます。その理由というのが、妻の生首が口を利いたからだというのです。

 そしてそれが現実にあり得るのかどうかを、市長の会食に招待された人々が体験談を通して語ってゆきます。

 ここでデュマが上手いなあと思うのは、ちゃんと外枠の内容を活かしているところです。

 まずはシャルロッテ・コルデーの生首が切断後に反応したという言い伝えをマクラに、ルドリュ市長が若かりし頃に体験した怪異が披露されます。革命期、ルドリュ氏は逮捕されそうになっていた貴族の娘を助け、二人は恋に落ちるのですが、やがて……という内容で、ロマンスになるとやはりデュマは筆が乗るなあと感じました。ロマンスが活き活きと描かれているだけにその後の怪異も効果的で、怪奇小説としてもこの6~7章のエピソードが一番優れていたと思います。

 このルドリュ市長の話に対し、生首がしゃべることなど有り得ないという立場から反論するのがロベール医師です。ロベール医師は生首がしゃべったのは幻覚だと主張し、医師仲間から聞いたとある判事のエピソードを披露します。判事が刑を宣告した悪党が処刑の際に呪いの言葉を吐き、それからというもの判事の目に黒猫の幻が見えるようになり、さらに……。

 それに対して別の人物が再反論したのを始めとして、ここからは生首がしゃべるのが科学的にあり得るかどうかという当初の話題から逸れて、怪異というものが現実に存在するのだというエピソードが披露されてゆくことになります。ここで外枠はただの枠になってしまい、あとはそれぞれ独立した怪異譚が続くだけとなってしまいました。

 そんななかで面白かったのは、悪魔が首吊り人に取り憑く第10章のムール神父の話です。神父の話らしく善悪だったり神や悪魔だったりといった対比がわかりやすく、悪魔が処刑人に取り憑く場面のおぞましさも本書中で一、二を争う恐ろしさでした。

 不老不死を匂わせる人物がただの匂わせぶりで終わっていて、披露するエピソードも不老不死とは無関係なのは残念でした。

 第12~15章が「蒼白の貴婦人」に当たります。吸血鬼描写もさしてなく、吸血鬼譚としては弱いのですが、腹違いの兄弟の決闘などにデュマ好みを感じます。今となっては何よりもキム・ニューマン『ドラキュラ戦記』に輸入された吸血鬼コスタキが登場するのが嬉しい。

 「女房を殺して、捕まえてもらいに来た」と市長宅に押しかけた男。その場に居合わせた作家デュマや市長たちは、男の自宅の血塗られた地下室を見に行くことに。男の自供の妥当性をめぐる議論は、いつしか各人が見聞きした奇怪な出来事を披露しあう夜へと発展する。本邦初訳!(カバーあらすじ)

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