このタイミングで吸血鬼をテーマにしたのは別に『鬼滅の刃』にあやかったわけではなく、たまたまのようです。
「A Map of Nowhere 04:ネルダ「吸血鬼」のプリンキポ島」藤原ヨウコウ
河出文庫『東欧怪談集』に邦訳のあるヤン・ネルダ「吸血鬼」より。
「パルプアート・ギャラリー 吸血鬼」
「吸血鬼、汝の名はエロス」倉野憲比古
「ルエラ・ミラー」メアリ・E・ウィルキンズ=フリーマン/遠藤裕子訳(Luella Miller,Mary E. Wilkins-Freeman,1902)★★★☆☆
――村の通りのそばの平屋建ての家にルエラ・ミラーは暮らしていた。亡くなって何年も経つが、村人たちは伝え話を信じていた。学校で教えに村に来たというのに、教育を受けたことがないという噂だった。初めにだんだんと弱っていって死んでしまったのは、教え子のロティだった。それから次に、ルエラと結婚したエラスタス・ミラーが肺病を患い死んでしまった。ルエラがよその人間に取りついて殺してしまうと噂され出したのはその頃だ。
精気を吸い取られるようにそばにいる者が次々と怪死しながら、その魔性ゆえか、そばに近づく者が絶えません。家族はおかしいのに気づいて必死に止めようとするのが洗脳事件の被害者家族のようで生々しくて痛々しかったです。変わり者で嫌われ者の女の話と言えなくもなかったものが、一気にホラーになる最終聯にぞっとしました。
「モートンの怪死」アルジャーノン・ブラックウッド/渦巻栗訳(The Singular Death of Morton,Algernon Blackwood,)★★☆☆☆
――ふたりの男が山腹の深い森をゆっくりと歩いていた。年上の小柄な方は、連れの大男より疲れているようだ。「妙だな。ミルクをもらったあの農場が見当たらない」「どうみても廃屋だった。女の子が黙りこんでいたのも妙だ。ミルクを吐き出して正解だったよ」「わたしは飲んだよ」「なあ、なんであの女の子がつけてるなんて思うんだ?」「あの子がつけてるのはわたしだよ」
謎めいた少女と、それに囚われてしまったような旅の連れ。怪しげな雰囲気の果てに吸血鬼だと明かされるのが唐突でした。
「憑かれた館」E・ネズビット/高澤真弓訳(The Haunted House,E. Nesbit,1913)★★☆☆☆
――デズモンドがその幽霊館に足を向けたのは偶然だった。同級生のプライヤーを訪ねたつもりが同姓同名の伯父が住んでいた。その館に出る幽霊は、誰も見た者はなく、見たり聞いたりできる類のものではないという。デズモンドは床についたが、気持ちの悪さと震えを感じて目が覚めた。毒を盛られたんだ! 逃げ出そうとしたが意識を失った。四日後、デズモンドはもはや病人ではなかった。館の全員がつきっきりで世話をしてくれるのを見て、勘違いを恥じた。プライヤー氏が説明した。「どうやらほんとに幽霊が出たらしい。以前、納骨所の錠を開けたが掛け直すことができなくて。それ以来ふしぎなことが起こるようになったのだ。もう一度錠を掛ければ収まるだろう」
幽霊屋敷に泊まったら本当に幽霊が出たというオーソドックスな話から一転、マッドサイエンティストの話になるという、すっとこどっこいな話でした。
「日ノ本の吸血鬼――我らが同胞たる怪物たち」笹川吉晴
「吸血鬼《ヴルダラク》の一家――ある外交官の回顧録より」A・K・トルストイ/池畑奈央子訳(La Famille du Vourdalak,A. K. Tolstoy,1839)★★★★☆
――フランスの亡命貴族デュルフェ侯爵が若い頃の話を語った。グラモン公爵夫人のつれない態度に業を煮やし、モルダヴィア公国に赴任することにした。公爵夫人は別れ際に十字架を。宿を頼もうと民家に立ち寄ると、沈痛な面持ちのジョルジェという男が事情を聞かせてくれた。父親のゴルカが窃盗団の討伐に行き、十日間で戻らなければ死んだものとして、十日を過ぎてから戻ったら殺してくれと言い残したという。「その時は杭で儂を突き刺すのじゃ。儂は吸血鬼となってしまっておるだろう」。十日目の八時の鐘が鳴り、父親が戻って来た。「過ぎたのか、過ぎなかったのか?」ジョルジェは迷ったが、ほかの家族は父親を受け入れていた。
いかにも古い言い伝えという感じの外連味たっぷりなゴシック作品です。十日目の鐘と同時に戻って来るという演出がドラマチックで、まるで悲劇を予言しているようです。敵も然る者でした。さらには十字架や祈り、夜ごとに現れる吸血鬼と魅入られた息子、夜に走りゆく吸血鬼と地面に落ちた杭……一つ一つが絵になります。語り手が村を離れるのが吸血鬼とは関係のない恋愛事情だというのがまた、避けられた悲劇だったのではないかという後悔を引き寄せます。離れる前はまだ予兆のような段階だったのに、再訪したら全滅していたなんて落差が大きすぎました。ジョルジェの妹スデンカがグラモン公爵夫人に似ているというのは、超自然的な何かがあったわけではなく、ただの偶然だったようです。
「われらは伝説」井上雅彦
「血の末裔」リチャード・マシスン/植草昌実訳(Blood Son,Richard Matheson,1951)★★★☆☆
――ジュールズの書いた作文のことを聞いて、やはり頭がおかしいのだと町の人たちは納得した。ジュールズは吸血鬼になりたかった。彼は五歳になるまで言葉を発しなかった。十二歳のとき映画『魔人ドラキュラ』を見た。それから毎日、ジュールズは図書館から盗んだ『吸血鬼ドラキュラ』だけを読んで過ごした。学校へは行かなかった。学校に行ったのは作文を書いてみたくなったからだ。「『将来の夢』。ぼくの将来の夢は吸血鬼だ」。また学校へ行かなくなって一年が過ぎた。ある日、動物園で吸血蝙蝠を見て体が震えた。盗んだ蝙蝠を抱えて納屋に踏み込んだ。
新訳。読むのは三度目くらいです。どうしても最後がギャグに思えてしまうんですよね。ただその直前の死を現実のものと感じる場面はやるせなくなりました。吸血鬼に憧れて蝙蝠に血を吸われようとして、実際に血を流してようやく死の恐怖を感じたものの時すでに遅し……そんな死にゆくときに見た、せめてもの幸せな妄想なのだと思います。
「常川博行インタビュー 声で伝える幻想と怪奇の世界」
「ストラゲラ」ヒュー・B・ケイヴ/野村芳夫訳(Strage,llaHugh B. Cave,1932)★☆☆☆☆
――救命ボートは七日七晩にわたって漂流していた。霧の中から鐘の音が聞こえる。ミッグスとヤンシーの目の前に現れた船からは鐘の音しかしなかった。躊躇うミッグスを尻目にヤンシーは船に乗り込んだ。食糧を見つけてゆっくりと食べたが、ミッグスは意識を失った。ヤンシーが甲板に出ると巨大なコウモリが飛び立ち、振り返ると野性的で美しい女が立っていた。
とことんB級です。
「死、またの名を吸血鬼」ロバート・ブロック/夏来健次訳(Death is a Vampire,Robert Bloch,1944)★★★☆☆
――特集記事のためペトロフ老人に蒐集芸術品について取材させてもらわなくては。ドアに手をかけると鍵はかかっていない。大蒜の匂いだ。居間に入ると、床にペトロフ老人が倒れていた。喉には小さな穴が二つあいている。人間の歯形のような穴だ! 電話線が切られていたので、ぼくは保安官を呼びに行った。だが保安官と戻ってみると、老人は消えていた! 近くをうろついていたトミーという頭のおかしい男を捕まえてみると、「爺さんは吸血鬼除けに大蒜をかけておいたんだ。本棚を見ろよ、魔法の本ばかりだ」
職人ブロックのこと、恐らくわざとパルプっぽく書いているのでしょう。ノリの軽い新聞記者が探偵まがいのことをした挙句、美女を守るために“吸血鬼”と肉弾戦を繰り広げるというサービス精神には、嬉しくなってしまいます。勝手に吸血鬼だと盛り上がって勝手に解決している感がなくもないですが、
「What was It?」
『幻想と怪奇1』に掲載されたリサ・タトル「贖罪物《デオダンド》の奇妙な事件」の探偵コンビが活躍する長篇『夢遊病者と霊能力泥棒の奇妙な冒険』が「早春刊行予定」とあります。単著としては初めての邦訳となるのでしょうか。実力のある作家なので、これをきっかけにたくさん邦訳が出てほしいところです。
「破滅を誘う唇」コーネル・ウールリッチ/植草昌実訳(The Lips Destroy,Cornell Woolrich,1939)★★★☆☆
――ぼくは昨夜、初めてネラに会った。明日、結婚する。これを書いている今、彼女はクローゼットで眠っている。はじまりはこうだ。ぼくは婚約発表パーティを開き、婚約者とは違う女性に魅了され、パーティをあとにした。エレベーターのドアは鏡のように磨き上げられていた。うろたえるサニーの姿が映っている。ぼく自身の姿も。ネラが映っていないのは立ち位置のせいだろう。ぼくはネラをホテルに誘った。四日目、エレベーターで倒れたぼくが医者に診て貰うと、ヘモグロビン濃度が減少していると言われた。
妻が吸血鬼だと気づいても殺すこともできずに自ら死を選ぶ頽廃的な男性と、行動的に抗おうとする元婚約者の女性のキャラクターが、いかにもウールリッチです。元婚約者のサニーを主役にしていればいつもどおりのサスペンスになっていたことでしょう。ウールリッチらしい都会的な吸血鬼譚です。
「陳腐なジョークを洒落にならない恐怖に」永嶋俊一郎
キング『呪われた町』について。
「妖しい婦人」D・H・ロレンス/岩田佳代子訳(The Lovely Lady,D. H. Lawrence,1927)★★★★☆
――七十二歳ながら薄明かりの中ではいまだに三十歳にも見える女性、それがポーリン・アッテンボローだった。姪のセシリアだけは、ポーリンの目が落ち窪み、弱々しくなる様を見つめていた。ところが息子のロバートが帰ってくるや、ポーリンは意思の力で妖しい魅力をまとった。ポーリンはセシリアの前でだけは努力を放棄していた。目ざといとは思えず、不器量で、ロバートに心を寄せている、三十歳で寄食している娘に気を使う必要などない。ある日セシリアはふと、自分もポーリンのように日光浴してみようと考え、屋根に登って寝そべっていた。「ヘンリー、お前がクローディアと結婚しないであの世へ行ったのは、あたしのせいなんかじゃないよ」どこからともなく声が聞こえてきた。ヘンリーとは早世したロバートの兄だった。
シンシア・アスキスのアンソロジーが初出ということはロレンスはこれを怪奇小説のつもりで書いているのでしょうけれど、ポーリンは実際に精気を吸っているわけではなく、精神的な余裕と優越感によって若さを保っているようです。『カリオストロ伯爵夫人』のジョゼフィーヌ・バルサモと一緒ですね。いわば自己暗示で精神を保っていたポーリンにとって、どこからともなく聞こえてきた告発の声はまさに天の声、破滅の宣告だったことでしょう。ポーリンだけでなく、女性を愛する勇気のない息子のロバートも、ロバートとポーリンに依存しているセシリアも、誰もが腐って滅び行くのを待つだけの暗い一家の物語でした。
「ふさぎの虫のジョニー」安土萌
「「いとしのクレメンタイン」」レアード・バロン/田村美佐子訳(In a Cavern, in a Canyon,Laird Barron,2015)★★★★★
――あたしの父が失踪したのは一九七七年の夜のこと。父とネッド叔父さんとあたしは、逃げてしまったペットのトニー・オーランドの捜索に車で向かっていた。犬は見つからず車に戻る途中、鬱蒼とした茂みの中に白いものが見えた。男の人が横向きに倒れていて、蒼白い顔のまわりに黒い毛が生えていた。開拓時代の写真に写っている無法者の死体に似ている。「タスケテクレ」かすれ声で男が言った。目を凝らせば凝らすほど、相手が人間なのかどうかすら自信がなくなってきた。切り株を人と見間違えたのだろうか。叔父さんもそう言っていた。父は戻ってこなかったが、仕方なく出発することにした。
何十年越しに訪れるあの日の恐怖。吸血鬼かどうかもわかりはしない得体の知れない何かは、目的も正体もわからないままのただただ不気味な存在でした。いにしえより伝わる特別な何かではなく、ブラックライトによってその姿を明かす趣向は気が利いています。全体にわたって西部劇や『荒野の決闘』への言及がありますが、「ヘルプ!」を歌いながら前に進もうとする姿は『明日に向って撃て!』のラストシーンのようでもありました。
「境界線上の異形、その壁が鳴っている」斜線堂有紀
映画『ぼくのエリ 200歳の少女』について。
「海外吸血鬼小説リスト」『幻想と怪奇』編集部編
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