『幽 Vol.006』特集一・江戸の怪/特集二・決定『幽』怪談文学賞(メディアファクトリー)★★★★☆

 ようやく読みました。もうVol.7が出てしまったよ(^^;。おお、第一特集が「江戸の怪」ということで、小口の印刷が和綴じ本のようになってます。これもやっぱり祖父江慎なんだろうか。偉い。

「耳袋と江戸の怪」宮部みゆき×京極夏彦★★★★☆

 「たとえば『耳袋』は怪談じゃなく、以前は随筆でした。」の一言に大笑い。いや、でも複雑。確かに『耳袋』って言葉の響きがいいから、使いたくなる気持はわかるけれど、『新耳袋』はともかくとして『耳袋』自体は怪談だという誤った先入観で読んだとしても怪談集だとは思わないだろうしなあ。

 実話怪談というジャンルが、当初は(今でも?)文芸ではなくサブカル側から発信されていたがために、とりあえず不思議な話なら何でも怪談だ、みたいな空気ができちゃって、それが文芸怪談にも敷衍されている印象。
 

「旧耳袋」(「設定」「効き目」「プライド」「気のせい」「もうすぐ」「百年の間」「抜ける途中」「別人」「さわるな」「とりかえし」京極夏彦★★★★☆

 「設定」から「百年の間」までは宮部セレクト。今までは京極再話と原話をわざわざ比べてみたりなどしなかったんだけれど、今回は併記されていたので比べて読んでみました。なるほどなあ。「カードの出し方」ですねぇ。原話でははなから“こういう話があった”とばらしちゃってるのを、京極バージョンでは最後まで伏せてるんですね。

 「設定」と「不義に不義の禍ある事」を比べてみても、不思議をひねり出そうと京極さん苦労してるなあという印象です。原話はまるっきり怪談ではありません。

 「気のせい」と「怪刀の事」はどちらも怪異が起きますが、京極バージョンではあえて解説めいた文章を加えていて、そこがいかにも実話怪談っぽい。“不思議な話”ではなく因縁話とか心霊話にしないと、ぽくないのね。

 創作怪談の作者であれば、京極夏彦のテクニックを盗むにはうってつけですね。

 「百年の間」(「菊むしの事」)はたしか図説で「菊むし」を見たことがあって、う〜んよくわからんなぁ、と思った記憶があったのだけれど、何で見たのだろう? 『植物怪異伝説新考』かと思ってぱらぱらめくったけどそれらしいのはなかったし。『奇怪動物百科』でもないだろうし……。
 

高田衛 江戸怪異文学の世界」高田衛・堤邦彦

 高田衛インタビューです。ふうん。江戸が面白いのは、すでに江戸という存在が異世界幻想小説だからなのかもしれないなあ。外国人がニッポンに感じる勘違いジャポネスクを、もしかすると現代人であるわたしは江戸に対して抱いているのかもしれないが。
 

「幽霊、恩を謝する事―耳袋より―」波津彬子

「闇の手がた」井原西鶴★★★★☆
 ――美女は身の敵と、むかしより申伝へし。おもひあたる事ぞかし。只弐人、信濃路にさしかゝりて行に、日の暮ければ、野はづれのひとつ家に一夜を明す。其比きその赤鬼と、あざ名をよび、あばれ者のありしが、「けふのくれかたに、女をつれて旅の者の通りしが、さても\/其姿、言葉にはのべがたし」

 江戸時代の作品なのでわかりやすいとはいえ、原文のまま掲載という英断に拍手。↑高田衛氏がインタビューで触れていたやつです。タイトルがネタバレなのがいかにも江戸風味である。というか、これだと「女の知恵」にスポットを当てている作品みたいだな。「是迄の因果と、夫婦指違えける」の一文はつけたしなのかね。当時の作品のマナーみたいなもので。しかし知恵と言っても、暗がりのなかで復讐だけを考えていたわけですよね。赤鬼のことはもうどうにもならないからと割り切って、その後のことを考え、たぶん復讐→自害というところまでをすでに頭に描いていた。もはや冷静だとか機転だとかを越えて、情念・妄念に近い。そういう風に考えると、このタイトルもあながちピントのずれたものではないなあ。
 

「日本怪談紀行 江戸の東、水辺の霊異」東雅夫

 耳嚢、墨東、浅草寺、姥ヶ池、吉原、浄閑寺、橋場、両国。このページだけを見ると、本当にこれは東京なのかな、と錯覚しそうになる。現代のそこかしこにまだ江戸が残っているんだ。

「下町の地霊」加門七海

 今回MOTOKOさんのグラビアは、ぱっと見なんだかわからないんだけれど、東・加門両氏の文章を読むと腑に落ちる。写真を見ただけでは何の変哲もない時計と広場なのにねえ。。。

「六山の夜」綾辻行人

「鬼談草紙」06小野不由美★★☆☆☆

 「一緒に見ていた」こそ何だかわからない怖さの漂う作品だけど、「トンネル」は語りすぎでした。幽霊を跳ねてしまったところで終わっていれば“何だか不思議な話”ですんだのに、そこから先で“いかにも怖い話”になってしまった。今回は全体的にそんなのが多い。「グリコ」も最後の段落さえなければ怪談小説なのに、最後の段落のせいで(おかげで?)実話怪談になってます。「お気に入り」はねぇ。。。怪奇・心霊もので「ブランコ」とくれば予想がついてしまうよ。他に「影男」「名代」「不評」。
 

「黄金工場」山白朝子★★★★☆
 ――千絵ねえちゃんは毎朝、自転車で工場への道を曲がっていった。危険物質が工場内で無害なものに処理され、どこかにうめたてられるのだという。工場の煙突と外壁が、ぼくをみおろしていた。たちさる直前、足下でなにかがかがやいた。ひろってみると、金属製のうつくしいコガネムシだった。金細工かなにかだろうか。なぜこんなものが、森のおくにおちているのだろう。

 幻想的なものと泥臭いものを組み合わせるのが作者はうまい。前号掲載の「鬼物語」も本篇も、うま〜く泥臭い部分を残したまま何とも言えない耽美系幻想になっています。ちょっと不幸な家庭。少年ものらしい冒険ものっぽいどきどき感。同じく少年ものらしいちょっと背徳の甘酸っぱい香り。初恋。これだけなら、少年が初めて見てしまった子どもの世界と大人の世界の両面――よくできた少年小説――なのだけれど、母親も同じ世界を見ることができるがために幻想小説に昇華されているのです。
 

「黒い車掌」有栖川有栖(読切り鉄道怪談4)★★★☆☆
 ――五両目に、車掌がいた。――また一段と黒くなっている。梢子は背筋に悪寒を覚えた。恐ろしくなり、足を早めた。逃げるように六両目にたどり着くと、車内に人の姿がある。「梢子! 梢子だね? 信じられないよ」男が腰を上げた。――乗り越しなんて、しなければよかった。追加料金を払った時、車掌はまだ青い制服に身を包んでいた。

 人生を旅にたとえる(旅を人生にたとえる?)こともよくあるように、鉄道ものでよくあるパターンではあります。が、だんだんと黒くなってゆく車掌という発想が秀逸。
 

「あたしたちは互いの影を踏む」恩田陸

「幽談 手首を拾う」京極夏彦★★★★★
 ――何もかも、記憶のままだ。あのソファに妻は座っていて、私が宿帳を書いたのだ。七年前此処に来た時から、私と妻の関係は壊れかけていた。何とかなると思ったのだ。六年続いた。でも、後ろの四年は惰性だ。この宿を訪れた後、私は妻と暮らすことに興味を失ってしまったのである。私は一時間程放心していた。この、庭を観て。

 京極夏彦の新連載。川端康成の「片腕」と夏目漱石の「夢十夜」第一夜を思わせるような幻想譚。短文と改行を多用する京極氏の文章は、作品によってはくどくて拒否反応を引き起こしてしまうのだけれど、こういう「夢十夜」っぽい作品だとぴったり嵌って病みつきになる。短篇として完結してはいるのだけれど、連載というのは短篇連載なのかな、それともこれは長篇の一部なのかな。
 

加門七海×ザ・グレート・サスケ

「怪談ハンター木原浩勝 怪異渉猟行」

「やじきた怪談旅日記」中山市朗・北野誠

「続・怪を訊く日々」06福澤徹三

「顳顬草紙」06平山夢明

「日本の幽霊事件」06「玉菊燈籠」小池壮彦

 今回は実話といっても江戸時代の話なので、ちょっと趣が違う。というか、江戸時代の伝説に対して現代の心霊事件みたいなアプローチをしているのが、意外とありそうでなかった試みで面白い。
 

「記憶/異変」06高原英理★★★★☆

 今回は人魂と怪火について。あいかわらず心霊もの的な話から江戸文芸までを同じレベルで並べて紹介しているのが独創的です。「人魂のこと その一」に紹介されている西丸震哉氏の言葉が面白い。「不思議はある、それを飽くまでも科学的に研究したい」。人魂らしきものを捕らえようとして、(経験)科学的に人魂が透過しない入れ物を用意するのだ。『山とお化けと自然界』読むべし。
 

「山の霊異記」05安曇潤平

「短歌百物語」26〜29佐藤弓生「「十二階かんむり売り場でございます」月のあかりの屋上に出る」穂村弘、「秋ひらく詩集の空白夜ふかみ蟻のあしおとふとききにけり」吉岡実ほか

「日々続々怪談」02「悪魔の木」工藤美代子

 なんか著者の書きぶりだとあんまりひどいディレクターに見えずに、著者の方がわがままな人に見えてしまうのだが、それは措いといて、南米にはこういう怪しげな植物がいかにもありそうで(・∀・)イイ! カリブの悪魔とか魔女ってどういうビジュアルなんだろうなあ? 気になる。
 

「祟り」花輪和一

「猫ドア」諸星大二郎

 『幽』第一号の「ことろの森」にはかなわないけれど、久々に怖い話だった。「明らかに猫とは違う何か」という表現がいいんですよね。お化けとか幽霊とかいう言葉を使わない。

「心霊写真」高橋葉介

 高橋葉介の作品は怪談とかホラーというよりも、耽美な幻想譚という趣なのですが、これはけっこうホラーに近い。

「暗い玄関」押切蓮介

 なんで五十嵐大介の連載がなくなっちゃったんだろうな。この人の作品は面白くも怖くもない。フリも山場もピントがずれてる。

「伊藤三巳華の憑々草」

「決定 第一回『幽』怪談文学賞

 一般公募の新人文学賞なので、そんなに期待はしていませんでした。日本ファンタジーノベル大賞とか特殊なものを除けばやっぱりプロ一歩手前の出来だし。特にジャンルものの場合、小説としての出来が悪くても、ジャンルものとして光るところがあれば受賞させちゃうこともあるから。

 『ダ・ヴィンチ』のメディアファクトリー主催だから不安の方が大きかった。

 しかしどうしてどうして。けっこう面白そうなのでした。特に水沫流人『七面坂心中』が。鏡花と江戸戯作と寺山修司と言われちゃあ……。黒史郎『夜は一緒に散歩しよ』の方は、紹介文を読むかぎりではどちらかというと普通のホラーっぽい。短篇「るんびにの子供」は本誌掲載。
 

「るんびにの子供」宇佐美まこと★★★★☆
 ――人は子供から大人に成長する。だが、はたしてそうだろうか。大きくなるにつれて生来の能力を手放していき、大人はあまりにも退化してしまった。もし、そうだとしたら? 私が通った幼稚園は「るんびに幼稚園」という。「るんびに」とはお釈迦様が生まれたインドの地名らしい。

 怪異を語るのではなく、外から訪れた怪異によって変質する日常を語っているとでも言えばいいのでしょうか。歪んだ姑とマザコン息子の関係と、嫁の歪んだ楽しみが、昏い引力で引きつけます。二重の意味で、人の心の怖さ、なんですよね。怖いと思うから怖くて恐れてしまう人がいて。それを見てあざ笑う人がいて。
 

「怪談徒然日記」06加門七海

「英国幽霊案内」06ピーター・アンダーウッド/南條竹則

 「ホルトホイッスル、ノーサンバーランド」で紹介されている「疾駆けして通り過ぎる狩猟隊の幽霊」というのが、怖くもあり楽しげでもあり。日本で言えば家鳴りとか小人の合戦とか? お茶目な感じがいかにもイギリスの幽霊めいていていいなぁ。
 

「あなたが怪」大田垣晴子

 天井下のエピソード、何て遊び心のある友人なんだろう(^^;。

「漫画についての怪談」06唐沢俊一

「怪談文学史逍遙」06「明治の怪談マイスター・鈴木鼓村」東雅夫

「怪談映画を読む」06『支那怪談死棺破り・沖縄怪談逆吊り幽霊』山田誠二

「怪談考古学」05「イヌ」久礼旦雄・田中優子・島田尚幸★★★★☆

 古代編では「化けない犬と化ける狼」、中世編では「人を喰らう犬」、そして動物学編ではなぜか「狸と狢」の話。つまり古典文献の「犬」が現在の動物学上の「イヌ」のことを指しているかどうかはわからないということらしい。実際、古代編では、彗星のような天文現象に「天狗」と「天狐」という二通りの表記があることを紹介していました。「狗(イヌ)」=「狐」なのだ。狐を神霊視した日本の文献は『日本霊異記』が初めてであり、(中国〜)仏教の影響というのは面白いね。動物学編で紹介されている「タヌキ」と「ネコ」と「小型動物」と「狸」の例もあるし、古代の日本を空想だけでビジュアル化するとおもしろいものができそうだなぁ。
 

「四代目旭堂南陵インタビュー」

「怪談ブックレビュー」

 今月号の書評で気になったのは、何と言っても久世光彦『百間先生月を踏む』。久世光彦パスティーシュのうまさには定評がある。その氏が内田百間だものなあ。未完であるらしいのが惜しい。

 『文豪怪談傑作選 吉屋信子集 生霊』とエドワード・ゴーリー編『憑かれた鏡』はすでに読みました。吉屋信子作品は、いかにも一昔前の中間小説くささのなかにすうっと魔が入り込む。ゴーリーのアンソロジーは、収録作に定番が多いし、挿絵も一篇につき一画なのでもの足りないが、入門編にはぴったりだし、柴田元幸による新訳もあるので読み返してみるのもいい。

 あとは本誌でも高田衛氏にインタビューしていた堤邦彦『女人蛇体』。東雅夫氏がブログでも紹介していた軽部武宏『こっそりどこかに』など。
 

「日本の古き神々を訪ねて」岩崎真美子

 大神神社賀茂神社

てのひら怪談」「こそばゆい」夢乃鳥子「芙蓉蟹」田辺青蛙

 bk1怪談大賞傑作選『てのひら怪談』収録作家の書き下ろし二篇。お二人とも怪談というより百間系の幻想掌編なんですね。井上雅彦系の異色短篇とも違う。ほかの人たちはどんな作風なのか俄然気になりだしました。みんなこんなだったらすごいな。
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