『書物の王国12 吸血鬼』須永朝彦編(国書刊行会)★★★★☆

「コリントの許嫁」ヨーハン・ヴォルガング・ゲーテ竹山道雄(Die Braut von Korinth,Johan Wolfgang von Göthe)★★★★★
 ――異国《とつくに》なれどもコリントへ/雅典《アテネ》の若人旅ゆきぬ。/かしこにゆかりの家ありて/たがひの父の交りに/女《むすめ》と息《むすこ》は/はやくより/末は妹背と呼ばれたり。/われらが族《やからは》異教の徒、/かれらは基督教徒とて

 物語詩。竹山道雄による文語調の翻訳のリズムが心地よい。修道院入りを神への生け贄と称したり、異教の神に捧げた祈りによって吸血鬼になって教会から逃れることができたりといった、単純な勧善懲悪ではない混沌とした世界観がふしぎ。
 

「断章」ジョージ・ゴードン・バイロン南條竹則(A Fragment of a Novel,George Gordon Byron)★★★★☆
 ――旅の途中で友人のダーヴェルが、日に日に弱ってきて、げっそりと窶れてしまった。「僕はここへ死にに来たのだ。僕が死んだことを誰にも知らせないでくれ」

 名高きフランケンシュタイン誕生の集いでバイロンが生み出したのが、この「断章」と呼ばれる作品です。断片すぎて吸血鬼なのか何なのかさえもわかりませんが、これから何かが起こりそうなまがまがしさは充分に伝わってきます。
 

「吸血鬼――ある物語」ジョン・ポリドリ/今本渉訳(The Vampire,John Polidori)★★☆☆☆
 ――ことの起こりは冬のロンドン、流行を追うに忙しく、放蕩のかぎりを尽くしぬいた紳士淑女のあまたつどう夜会たけなわの折柄、ひとりの貴顕があった。

 上記の集いでバイロンの主治医が書いた作品。今に受け継がれる吸血鬼像を生み出した歴史的価値はあるものの、文章はひどい。
 

「ドラキュラの客」ブラム・ストーカー/桂千穂子訳(Dracula's Guest,Bram Stoker)★★★★★
 ――「夜になるまでには帰ってくるんだぞ。わかっているだろうな、今夜がどんな夜か」と主人が馭者に言った。馬車が出てから私は馭者にたずねた。「今夜はどんな晩なんだい?」「ワルプルギスの夜でさ!」……嵐の中、私は避難所についた。そこは墓地だった。稲妻がひらめき、唇の赤い美女が柩の上に眠るように横たわっているのが見えた。

 オリジナル版『吸血鬼ドラキュラ』から出版前にカットされた部分です。それでいながら単独のスピンオフの前日譚としても耐えうる完成度。落雷に打たれる美女の死体や、そのあたりにはいないはずの狼が、ワルプルギスの夜に跳梁跋扈します。助けに来た兵士の上官が、狼の存在に対していないふりをするところなどは、思わせぶりでわくわくしました。
 

「ベレニス」エドガー・アラン・ポオ/大岡昇平(Berenice,Edgar Allan Poe)★★★★★
 ――ベレニスと私は従兄妹同士で、この先祖代々の家で育った。私が病気勝ちで憂鬱に沈んでいるのに反し、彼女は元気で、美しく、活気に溢れていた。ベレニス! すべては神秘と恐怖にかわる。不治の病が、熱風のように彼女の体に襲った。

 この作品を吸血鬼アンソロジーに収録するところが面白い。ベレニスを襲った「癲癇の一種」は「しばしば昏睡状態に終るのだが、死と非常に似ている」――ことから容易に想像がつくとおり、〈早すぎた埋葬〉も視点を変えれば不死者の吸血鬼譚になりえます。さらには註釈に引用された初出箇所だけ読むと、なるほどベレニスが吸血鬼めいて見えます。しかしこの作品の見どころは、早すぎた埋葬すらかすんでしまうような語り手の偏執狂にありました。「爪」の一言で(〈早すぎた埋葬〉と〈墓暴き〉の)二つの事実が明らかになる場面に凝縮された恐怖と、その後のショックが鮮烈です。大岡昇平の訳文が癖があって読みづらい。
 

「月のさやけき夜」マンリー・ウェイド・ウェルマン紀田順一郎(When It Was Moonlight,Manly Wade Wellman)★★★☆☆
 ――ポオの暗い想像力は、今日聞かされたうわさ話に尾ひれをつけていった。生きながら埋葬された女が、その夜、意識をとりもどしたというわけである。この事件をもう少し調査してみるべきではなかろうか? ポオは外套をはおり、外に出た。

 ポオ作品のあとにこの作品を持ってくる構成がお茶目です。吸血鬼と戦ったうえに小説のアイデアまで頂戴してしまったポオでした。
 

「仮面舞踏会」オーガスト・ダーレス/森広雅子訳("Who Shall I Say Is Calling?",August Derleth)★★★☆☆
 ――「仮面舞踏会だわ」姉がささやいた。「押しかけましょうよ」「誰になる?」呼び鈴を鳴らすと、ジーヴスそっくりの男が取り次いだ。「どちらさまでしょうか?」「ドラキュラ伯爵夫妻です」姉はアポロンに狙いをつけた。わたしはシンデレラに目をとめた。悪くない。

 結局、何なんだろう? 「ドラキュラ」ではないけど別の××だったという弁明だったのでしょうか? 舞踏会の参加者たちがそわそわしていたのは結局は遅れている客を待っていたからというだけ?
 

「吸血鬼は夜恋をする」ウィリアム・テン/伊藤典夫(She Only Goes Out at Night,William Tenn)★★★☆☆
 ――ジャッド先生の黒い診療かばんには、魔法がはいっている。この地方ではそう噂している。それくらいの名医なのだ。それにしても、先生の息子が吸血鬼と恋仲になったとき、いったいどんな手を打ったか村人たちが知ったらどういう顔をするだろう。

 名医たるもの、恋の病は治せなくても、吸血病なら治せるのだ。夜中の十二時に十字路で心臓に杭を打つというのも、吸血鬼退治の方法の一つなんですね、初めて知りました。
 

「血の末裔」リチャード・マチスン/仁賀克雄訳(Blood's Son,Richard Matheson)★★★☆☆
 ――ジュールズの作文が話題にのぼったとき、やはり頭がおかしいのだと近所の人々は納得した。ジュールズが白眼を剥いてにらむと、たいていの人はふるえあがった。皮膚の蒼白さは子供たちを気味悪がらせた。ジュールズは吸血鬼になりたいと思っていたのである。

 どうもわたしはこの作品とは相性が悪くて、初め読んだときもギャグとしか思えなかったのですが、気を取り直して再読。知恵遅れで周りに合わせられず、また周りからも気味悪がられる男の子が、吸血鬼にあこがれて、血を失って死にかけながら見た、マッチ売りの少女の夢。これは日陰者のうんたらとかいうきれいごとではないと思うのですが、きれいごとではないことを美しい作品に仕上げる手腕には脱帽。
 

「吸血鬼」シャルル・ボードレール安藤元雄(Le vampire,Charles Baudelaire)★★★★☆
 ――おまえは、短刀の一突きのように、/泣き声立てるおれの心臓に食いこんだ。/おまえは、魔物の一団のような/力強さで、やって来た、狂おしく身構えて、

 この詩でいう「吸血鬼」とはもちろんモンスターなどではなく譬喩にほかならないわけですが、「血の末裔」と「クラリモンド」のあいだにこの詩が挟まれていると、接着剤のような役割を果たしているようにも感じました。
 

「クラリモンド」テオフィル・ゴーティエ芥川龍之介(La mort amoureuse,Theophile Gautier)★★★☆☆
 ――兄弟、君はわしが恋をした事があるかと云うのだね、それはある。或女をうっかり一目見たばかりに、霊魂を地獄に堕す所だったが、幸にも神の恵によって、悪魔の手から免れる事が出来た。

 この作品はあまりにも多くのアンソロジーに収録されているので、これで出会うのももう何度目やら。洋の東西を問わずお坊さんにとって女性《にょしょう》なんて誘惑者にほかならず、女耐性のないチェリー青年僧が舞い上がっちゃってるわけです。相手が魔物ということであれば、自分の弱さのせいにもせずに済み、耽美な思い出話となるのでした。
 

「ラテン系ユダヤ人」ギヨーム・アポリネール/鈴木豊訳(Le Juif Latin,Guillaume Apollinaire)★★★★☆
 ――ある朝たずねて来た男は言った。「わたしはユダヤ人なんです。それもラテン系の。つまるところ、ユダヤ人とキリスト教徒の違いは何でしょう? ユダヤ人は救世主を待ち望んでおるのに、キリスト教徒は救世主を偲んでおる。わたしはカトリック教徒です、洗礼だけは別ですがね」

 これは殺人鬼の代名詞としての吸血鬼。であると同時に、死の直前にカトリックの洗礼を受けることで罪を清算しようと目論むラテン系ユダヤ人ガブリエル・フェルニゾアンが、『教理問答』と共に愛読する書物『ハンガリーの吸血鬼』のタイトルでもあります。これにはどういう意味があるのでしょうか。「復活」という点は、吸血鬼も神もある意味で共通するわけですが。
 

「刺絡」カール・ハンス・シュトローブル森鴎外(Das Aderlaßmännchen,Karl Hans Strobl)★★★★☆
 ――医学博士のオイゼビウス先生が、新仏の墓を掘り返していた。解剖学のためである。と、男が先生のじき側に立っている。「この死体はあなたに譲ってあげましょう。ところで先生、手伝ってあげた報酬に、尼寺の刺絡を先生の代わりにわたしにさせてくださらんか」男は先生そっくりに変身した。

 がらりと趣が変わって、コテコテの怪物譚です。ホラー映画を思わせるグロテスクな吸血シーン(伸びた首、しなびた身体)をはじめ、壁画を眷属として操ったり、キリストの十字架像を背けたり、オカルトテイスト満載です。それでいながら〈吸血鬼〉の飄々とした振る舞いにはユーモアさえ漂っていて、ちょいワル(極ワル)な魅力すら醸し出されています。
 

「夜ごとの調べ」スタニスラウス・エリック・ステンボック伯爵/加藤幹也・佐藤弓生(The True Story of A Vampire,Count Stanislaus Eric Stenbock)★★★★☆
 ――当時のわたくしはほんの十三歳の少女でした。父はそれはそれは優しい人で、弟のゲイブリエルに心を注いでいました。さて、吸血鬼の話をいたしましょう。ある日、ヴァルダレク伯爵というお客様が、弟の脈を押さえたのです。

 人並み優れた才能というものを、人ならざる者と交感できる感覚、と捉えたところが面白い一篇です。不幸にも交感する相手が美神とはかぎらず、魔物かもしれないんですね。
 

「死者の訪ひ」スロヴァキア古謡/須永朝彦★★★★☆
 ――誰も訪はざる山中の/魔の小沼より零り降る/霧が麓を覆ふ黄昏《とき》/目覚めて墓を出づる者あり

 かっこええ国だなあ、こんな民謡が残ってるなんて。
 

「吸血鬼の茶店」紀繇《きいん》/前野直彬訳(『閲微草堂筆記』より)★★★☆☆
 ――芝居を見物していたので夜中になってしまい、酔いざめの水がほしくなった。見れば木蔭に茶店がある。「冷えたお茶だけですが」と言って主人が、真紅のなまぐさい茶を捧げて来た。

 ここから東洋吸血鬼ものが続く。邦題こそ「吸血鬼」となってはいるし、確かに「血を吸う(飲む)」という意味では言葉どおりの吸血ではあるのだけれど、いわゆる吸血鬼の話ではありません。内容からいうと、本邦の狸にばかされた話に近いと思うのですが、編者(著者)の紀インは「幽霊が茶を売っていた」とかおかしな註釈をつけています。
 

「紫女」井原西鶴須永朝彦(『西鶴諸国ばなし』より)★★★☆☆
 ――三十歳となる今日まで妻を持たず出家心を抱く男があった。ある冬の初め、外より「伊織さま」と呼ぶ者がある。見れば、総身紫の衣装を纏った美しい女が立っていた。女は誘う体で、男は若さに任せて契りを交した。

 吸血、エロス、美女、と三拍子そろった、日本には珍しい吸血鬼話。
 

「春の歌」円地文子 ★★★★★
 ――「健ちゃん一、二年見ないうちにえらい背が高うあんられましたなあ。死んだ清行さんがいられるようで……」「そうお思いになる?」「でも東京に居着くようになっても、うちには来ない方がいいと思いますわよ」「そんなことおっしゃらない方がいいわよ。お化けのために生命を亡くしてしまったひとだってあるんですから……」「まだ忘れられずにおいでなのね」「そう言えば、あちらは相変わらずお綺麗ですね」

 編集の妙ですね。「紫女」登場。こういう一昔前の時代の家族や人間関係の嫌〜なところを見事に描くのって、女流作家には上手い人多いですよねえ。さりげなくねちねちしたただの噂話世間話みたいな会話の応酬から、ちくりちくりと真実がほの見えます。男を骨抜きにする毒婦の、童女のような声というのが、妖怪めいて感じられます。
 

「吸血鬼」日影丈吉 ★★★☆☆
 ――マイルズ水兵は島を視察した。日本兵はもう一人もいないようだ。と、一人の女が眼の前に立ち現れたのである。ニッポン、ニッポンと繰り返し叫んでいるのが耳についた。日本兵がどこかに潜伏しているのを、教えようとしているのだと思った。ついていくと、洞窟に出た。

 実は吸血鬼譚としては本書のなかではかなりオーソドックスな部類に入ります。が、終戦直後の東洋(台湾)を舞台に西洋吸血鬼をうまく取り入れたところに独自性がありました。
 

支那の吸血鬼」山尾悠子 ★★★★★
 ――フイ氏には長らく思いわずらうことがあった。フイ氏は吸血鬼である。そして、恋をしていた。想う女人は吸血鬼ではない。それが、悩みのすべてだった。

 吸血鬼ものの型の一つである〈耽美〉を、しかも東洋を舞台に極めた作品です。花柳小説のような(実際娼婦の話なのですが)粋で婀娜っぽいところが満ちています。吸血鬼の殺し方に一つの新しい方法がつけ加えられた作品でもありました。
 

「樅の木の下で Unter der Tanne」須永朝彦 ★★★★☆
 ――十七歳の頃、私は維納に棲んでいました。その間に見知った人がヘルベルト・フォン・クロロック公爵といい、旧を辿ればハプスブルク家に連なる大貴族でした。ヘルベルトと二人だけでいる時、私はしばしば軽い眩暈を伴う妖しい気分に支配されました。

 同じく耽美な作品。吸血鬼とは明記されてはいません。(「同性愛を扱った小説」ではなく)「同性愛小説」の匂いがぷんぷんと立ち込めていました。
 

室内楽寺山修司 ★★★★☆
 ――ある男、溢血にかかりて性器ふくらむことかぎりなし。/この病、人見るたびに血をあたへたきこころやむことなく、風に吹かれて丘に立ち、砂丘に立ち、血のすくなきものに呼びかくるものなり。

「吸血鬼幻想」種村季弘 ★★★☆☆
 ――吸血鬼がことのほか跳梁したのは、十八世紀のバルカン諸国であった。とりわけ社会的変動のはげしい時代に吸血鬼はいつも喚び戻され、ボヘミアには第一次大戦直後にも吸血鬼ブームが起ったという。

 ここからエッセイ・評論。種村氏による吸血鬼伝説概観。
 

「狼の血と伯爵のコウモリ」長山靖生 ★★★★☆
 ――これらも魔物たちは、その姿に注目するなら、狼型と鳥型の二つのタイプに大別される。狼伝説は、スラブ族が自らを狼の後裔と考えた古代の信仰に由来する。また怪鳥伝説は、オリエント起源の神話が古代ギリシアを経て、南スラブに入ったのが始まりらしい。

 「合理的とも、また野暮の極みとも言えるこの《人狼狂犬病説》」と蝙蝠を結びつけたところが面白かったです。
 

アイリッシュ・ヴァンパイア」下楠昌哉 ★★★☆☆
 ――英語圏でさえイギリスの作家と呼ばれることのがよくあるストーカーは、実はアイルランド出身の作家である。ここで彼のこの出自に注目して、まるでドラキュラという見えない怪物の姿を浮き彫りにするかのような、二つの「偶然」を紹介することにしよう。

 「夜の末裔たち――吸血鬼映画ぎゃらりい」菊地秀行 ★★★☆☆
 ――「幻想文学」の東編集長は、ときとして無理難題を言う。「やあ。吸血鬼映画のソーロンをやって下さい」
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