「1見渡せば花ももみぢもなかりけり浦のとまやのあきの夕ぐれ」〜「18雲かかりかさなる山をこえもせずへだて増るは明くる日の影」塚本邦雄(『定家百首/雪月花(抄)』(講談社文芸文庫)より)★★★★★

 期待していなかったがなんと正字正仮名遣いのままである。やればできるんじゃん。石川淳なんかもそうしてほしかったな。

 塚本邦雄とか澁澤龍彦の評論というのは、ほとんど観念的で感覚的で、通常の意味での評論からすると隙間だらけなのだけれど、何百という言葉を費やすよりも的確なことをたった一言で鋭く言い当ててしまったりするから困るのである。鋭い指摘にもかかわらず、感性を共有していないと言っていることが理解できなかったりする。

1「見渡せば花ももみぢもなかりけり浦のとまやのあきの夕ぐれ」

 実はこの歌と評論だけ読んでもあまり説得力はない。これ以降の歌と評論を読んでいくと、「侘びを稱揚する程度の生温いものであつたかどうか」という問いかけの意味がよくわかってくる。この歌を後鳥羽院が採らなかった、というエピソードもまたいい。

2「あぢきなくつらき嵐のこゑも憂しなど夕ぐれに待ち習ひけむ」

 中島みゆきみたいではないですか。悲しい風だけが聞こえるわっ。男を待つのがいつから癖になったのかしらねッ。「未練がましさ」「怨言《かごと》」という評が言い得て妙。

3「契りおけ玉まく葛に風吹かばうらみも果てじかへるかりがね」

 「契りおけ」を最初に置くことで「圓環的な文體の構成を考へたものである」という指摘が鋭い。また来年がやってくれば同じことの繰り返し。「「果てじ」も「玉まく」もさう解して生きてくる措辭であらう」。ううむ、なるほど。

4「かすみ立つ峯のさくらのあさぼらけくれなゐくくる天の川波」

 解説無用の名歌。現実の土地かどうかなどという可能性は考慮するだに値しないのである。

5「さくら花ちらぬ梢に風ふれててる日もかをる志賀のやまごえ」

 わたしは「かをる」にも「にほふ」みたいに「輝く」という意味があるのかと勘違いしていたのだが、「霞む」という意味であるらしい。「「ちらぬ梢」なる逆手で滿開から花吹雪にうつる櫻を讀者の眼底にクローズ・アップさせ」という評がすべてを表わしている。触れる程度の微風だからいいんだよね。触れただけではらはらと舞い落ちる。

6「あくがれし雪と月との色とめてこずゑに薫るはるのやまかぜ」

 「この歌は「雪月花」の雪と月を表に出し、ことさらに花を隱したところに定家のたくらみがある」という言葉どおりの作品です。

7「花の香はかをるばかりを行方とて風よりつらき夕やみのそら」

 「かをるばかりを行方」とするのだから、この「夕やみ」は漆黒の闇でなくてはならない。現代の夕方のイメージではなく、「誰そ彼」「彼は誰」の闇なのだ。色もなく、風もない。それでこそ「虚無の春の影絵であり、その讃歌、呪詩で」あり得る。

8「梢よりほかなる花のおもかげもありしつらさのわたる風かな」

9「さむしろやまつよの秋の風ふけて月をかたしくうぢのはし姫」

 単純なことだが「秋の夜」ではなく「夜の秋」だということに指摘されて初めて気づいた。塚本は「さ筵」と「寒し」という掛詞も難なく見破る。この歌の魅力は何と言っても「月を片敷く」と「宇治の橋姫」という言葉の喚起力でしょう。月夜に遊女が寝ころんでいる何気ない場面が、月光に寝そべる女神に化ける。

10「わすれじよ月もあはれと思い出でよわが身の後の行末のあき」

 日本語だとわかりづらいけれど、「忘れじ」とは「(will)don't forget」であり、「思い出づ」とは「remember」。つまりイコールなのだ。忘れない。月もあわれだと忘れない。この身が死んだ後の秋を(忘れない)。「初句切はもう一廻轉して終句體言止に絡み、しかも三句切の「思い出でよ」と重なりあふ」のである。

11「宿ごとにこころぞみゆるまとゐする花の都のやよいきさらぎ」

 なぜ「如月弥生」ではなく「弥生如月」なのか。塚本は実にあっさりと「如月彌生、花の都の、まとゐする宿ごとに、心みゆの五句の要素が、さり氣なく逆におかれることによつて、たちまち歌としての新しい小世界を成立させる不思議が、一見は平凡な一首によつて思ひ知らされる」と言ってのけます。「弥生如月」だけではなく、すべてが反対だったのですね。

12「わきかぬる夢のちぎりに似たるかな夕の空にまがふかげろふ」

13「末とほき若葉のしばふうちなびき雲雀鳴く野のはるの夕ぐれ」

 「雲雀の題詠であるにもかかはらず、鮮やかに浮かび上つてくるのははるばるとひろがる芝草原の緑であり、揚雲雀の聲は光景の外からひびいてくるだけである」。

14「くり返し春のいとゆふいくよへて同じみどりの空に見ゆらむ」

15「氷ゐるみるめなぎさのたぐひかはうへおく袖のしたのささ浪」

 塚本も書いているように、「みるめなぎさ」はさすがに「強引」だろう。それを言うなら「たぐひかは」も強引だと思う。モロ直喩だもんなあ。。。塚本曰く「彼に與するか彼を去るかは、この種の強引な語法を許すか許さぬかで決る」。残念だがこの歌に関してはわたしは去ります。

 ちなみに評論中に引用されていた歌「なびかじな蜑の藻しほ火たきそめて煙は空にくゆりわぶとも」を「忍戀」だとたやすく看破するのがさすがです。

16「年も経ぬいのるちぎりははつせ山尾上のかねのよその夕ぐれ」

 この歌の場合も、塚本の慧眼につけ加えることなどない。「憎しみと諦めにくらむ心と、その心をあたかも第三者として見すゑるかの冷やかな眼の、兩者交叉の「よそ」とでも、あへて解釋した方がより適切ではなからうか」。

17「面影もわかれにかはる鐘のおとにならひ悲しきしののめの空」

18「雲かかりかさなる山をこえもせずへだて増るは明くる日の影」

 「明くる日」ではなくて「明くる日の影」だからいいんだよねと思う。太陽そのものは見えないのに、日光だけはどんどん明るくなっているから癪に障るのである。それはさておき塚本の評論には翼がある。わたしの考えも及ばないところまで飛翔する。逢引きの刻を告げるのは「中世は寺の時鐘であり、またたとへばこの歌など、西方淨土の方の空を雲や山が穩すので、往生の障りになるとでも歎いてゐるやうな趣さへ感じられる」とまで書くのだ。
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