『錯置體』藍霄,2004年。
しばらく前から動きのあったアジアの本格ミステリ紹介が「島田荘司選」の名のもとに、とうとう形になって刊行されました。講談社というのがびっくり。もっとマイナーな出版社の気がしていました。
第一弾は台湾ミステリ。
何というか、不思議な作品です。
語り手であるミステリ作家のもとに送られて来たメールには、トイレから戻ってくると誰も自分のことを覚えていなかった……という不可解な事件が記されていました。島田御大はここに惚れ込んだな、というのがまるわかりな魅力的な冒頭です。さあどうなるのか、と思ったら、メールの内容自体が怪しげな方向に転がって行きます。存在の消失なんかそっちのけで、犯罪の告白が――。そこで語られる過去の密室殺人。
残念ながら、謎の魅力に対して、真相が尻すぼみなのは否めません。
たとえば冒頭の手記の意味にしても、途中の首切り殺人にしても、犯人が持っている特徴にしても、どれも必然性に乏しいのです。というか、ほとんど「そうしたいから」「気が狂っていたから」に近くて、脱力しました。「置き換えられた」でリンクされたあれこれもゆるすぎて、無理矢理くくった感じです。
それでも、手記ではなくメールであったりする理由や、そのメールに存在の消失について書かれてある理由など、細かいところでおっと思わせるところがあるのは事実でした。
密室の謎にしても、藍霄と事件の関わりにしても、日本のミステリ読者であればある程度の段階ですぐに見当はついてしまうでしょうが、謎の見せ方や伏線のまぶし方には巧みなところもありました。
さて犯人側の行動原理については脱力ものだったとしても、探偵の方はどうかというと――犯人の手記に引用された探偵の推理は、ほとんど意味不明の域に達しています。これは、あれです、ファイロ・ヴァンスや法水麟太郎の超絶推理に似ている。もしかすると駄作なのではなく、こういうもの――なのかもしれません。
冒頭は島田荘司、推理はファイロ・ヴァンス、犯人によるミステリ愛たらたらな自己解説は鮎川哲也や戦前の探偵小説を思わせましたが、はっきりいってミスマッチでした。問題は、です。これが本書だけの特徴なのか、この作者だけの特徴なのか、それとも台湾のミステリ市場全体に、新本格と戦前探偵小説とクラシック・ミステリが同一レベル上で存在しているのか。
前者だとしたら、本書はやっぱりただの失敗作なのでしょうが、後者だとしたら、これから、あるいはすでにこれまでに、へんてこなミステリがいっぱい書かれ(て)るんじゃないかと期待はふくらみます。
島田荘司とか横溝正史とか『キャンディ・キャンディ』とか、日本の話がいくつか出てきて不思議な感じでした。
精神科医でミステリー作家の藍霄が受け取ったメールは、周囲の人間が突然自分のことを知らないと言いだす、奇怪な体験を訴えていた。王明億と名乗る謎の差出人はさらに、自分は七年前の未解決密室殺人事件の犯人であり、それには藍霄も関わっていた、と言う。数日後、発見された浮浪者の首切り死体が王明億のものと判明、苦境に立たされた藍霄を救うべく、友人の秦博士と李君が事件解決に乗り出す。幻想的な謎と強烈な不可能興味。台湾ミステリーの最前線をリードする、鬼才の異形の本格ミステリー。(カバー袖あらすじより)
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