『雨の日も神様と相撲を』城平京(講談社タイガ)★★★★☆

 相撲好きの両親に育てられながらも、体格に恵まれなかった逢沢文季は、両親の死後、母方の叔父に引き取られ、中三の春から米どころの田舎で暮らすことになる。相撲とは縁が切れたつもりだった……。ところがその村は、相撲好きのカエルを神様と祀る、相撲の盛んな土地だった。その年の村祭りの相撲大会で優勝した者の作る米には、豊作と美味が約束されるのだという。小柄ゆえに観察眼と技能と理論を磨いていた文季は、一躍クラスの注目の的となる。かんなぎの家系・遠泉家の長女であり、六十歳になった際には「カエル様の花嫁」になる定めの真夏は、そんな文季に目を留め、相談をもちかけた。それはカエル様のなかに紛れこんだ外来種のカエルに、在来のカエルが相撲で勝てるように助言して欲しいという、奇天烈なものだった。だが目の前でカエルが相撲を取っているのは疑いようがなかった。一方そのころ村境の林でトランク詰めの女性の遺体が見つかり、刑事の叔父は捜査に忙しかった。

 城平京による、三冊目の小説作品です。

 これまでに刊行された『名探偵に薔薇を』『虚構推理』『雨の日も神様と相撲を』の三冊を読むと、著者の小説には一つの特徴があることに気づきます。

 いずれの作品も、事件の外から探偵していたはずの探偵が、実は事件そのものに組み込まれていた存在だったという構図が見られるのです。探偵という存在や探偵するという行為が、なにも安全を約束された特権的なものではなく、作中で起こる出来事と無関係なものではありえないという、現実の世界では至極当たり前のことが、城平作品でも当たり前に(というよりは固執的に)繰り返されています。

 こうしてみると、有名な型のバリエーションだと思われるデビュー作『名探偵に薔薇を』も、実のところは型が最初にあったのではなく、探偵が事件に組み込まれるという構図が先にあって、それに最適な肉付けとしてあの型が選ばれたということだったのではないかと思えてきます。

 探偵と現実との関わりに著者がこだわる理由はわかりません。都市伝説という増殖する言葉を扱った『虚構推理』は、すでにこのタイプの極北にして至高、これ以上のものは著者にもなかなか書けないでしょう。

 本書『雨の日も神様と相撲を』には、殺人事件も出てくるものの添えもの的な扱いで、メインはカエルの相撲勝負。ところがこの相撲描写が的確でめっぽう面白く、格闘技小説としても出色の出来栄えとなっていました。相撲に興味がなくても読み入ってしまうどころか、格闘技小説やアクション描写に興味がなくても引き込まれてしまうほど、アクションと解説のバランスがほどよく、こんなところで著者の新たな才能が発揮されるとは思いませんでした。

 おかしな因襲のはびこる(閉鎖的ではない)村という舞台設定は、ミステリ読者には惹かれるものがありました。

 「頼みがある。相撲を教えてくれないか?」神様がそう言った。子供の頃から相撲漬けの生活を送ってきた僕が転校したド田舎。そこは何と、相撲好きのカエルの神様が崇められている村だった! 村を治める一族の娘・真夏と、喋るカエルに出会った僕は、知恵と知識を見込まれ、外来種のカエルとの相撲勝負を手助けすることに。同時に、隣村で死体が発見され、もつれ合った事件は思わぬ方向へ!?(カバーあらすじ)
 

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