シュオッブ全集より「擬曲」『モネルの書』を読む。
「擬曲《ミーム》」大濱甫訳(Mimes,1893)★★★☆☆
――「お前を鞭で打たせてやろう。お上が禁じているのに、どうして八目鰻を売っていたんだ?」「御禁制とは知りませんでした」「このあばずれ、裸にひんむけ……やや、男ではないか。女装して売ったかどで罰せられるべきかどうか」「ああ、私は死ぬほど恋い焦れている娘がいるのです……」
古代ギリシアの劇作家ヘーローンダース『擬曲』に材を採ったもしくは着想を得た掌篇集。
『モネルの書』大濱甫訳(Le Livre de Monelle,1894)★★★★☆
「I モネルの言葉」(Les Paroles de Monelle)
――私は夜の闇から出て来たの。そしてまた夜の闇のなかに戻るの。だってわたしも少女の売笑婦ですもの。モネルという名で呼んで。私はこの娘であり、あの娘であり、名もない娘でもあるの。
シュオッブにとっての何かしらの「少女」の象徴としての巻頭言。以下に描かれている少女たちは誰もがみなモネルです。
「II モネルの姉妹」(Les Sœurs de Monelle)
「利己的な娘」(L'Égoïste)
――水夫は言った。「蟹を捕ってくるよ、下で税関の舟に乗って行こう」「恐いわ、ひとりきりでは」闇が近づいてきた。みんなが眠っていた。水夫は蟹と遊んでいるに違いない。
わがままとも言えないようなちょっとした拗ね方が可愛い少女です。
「官能的な娘」(La Voluptueuse)
――「すごいわ、これ、白い血を出すんだもの」彼女は罌粟の緑色の頭を爪で割いていた。暗い庭の奥はロビンソンの島だった。「ぼくがロビンソンで、きみがフライデーだ」「ねえ、人喰いの鬼の家が、毎晩森野奥に現れるってことを信じる?」
冒頭から引き込まれます。男の子中心のごっこ遊びが、少女もしくは少し大人の階段をのぼったものに変わったのでしょうか。
「倒錯的な娘」(La Perverse)
――「飲み物はありませんか」「乞食はお腹をすかしているものよ。私なんか漆喰が好きよ」マッジュはきっぱり言って、壁を噛んでみせた。「あそこに大きな池があるわ。そこで飲めばいいのよ」
クールに見えた少女の空想の翼が最後に広がり、一気に昏い世界へと誘なわれます。
「裏切られた娘」(La Déçue)
――水門の娘が男たちにたずねた。「あんたたちどこ行くの、その船で?」「石炭を南の国に運ぶのさ」「太陽のあるところ? 私を一緒に連れていって。光る緑の蠅や花の上に住む爪ぐらいの大きさの鳥がいるんでしょう?」
裏切られた、とは穏やかではありませんが、少女は自分の空想に裏切られたのですね。
「野生の娘」(La Sauvage)
――ビュシェットは父が木を切り倒している間、洞穴を遠くから眺めていた。すると穴の前で緑色の物が顫えているのを見かけた。腕と脚があり、顔はビュシェット自身と同じ年頃の少女の顔に見えた。
妖精の子や神隠しを思わせる一篇です。ちょっとこれまでのほかの作品とは毛色が違いました。
「忠実な娘」(La Fidèle)
――恋人が船乗りになってしまったので、ジャニーは全くのひとりぼっちだった。ある日ジャニーは恋人を探しに出掛けた。四人の女が笑いながらジャニーを取り巻いた。「田舎から来た子だね」「何とまあ、結婚してるんだね」肥った女が指環を見つけて言った。
この作品の主役はあるいはジャニーではなく、四人の娼婦たちであるかもしれません。
「運命を負った娘」(La Prédestinée)
――イルセは毎朝鏡の前へ行き、「お早う、私の小さなイルセ」と言う習慣だった。鏡の奥から起き上がるかのように見える別のイルセは、凍ったような冷たい口をした、囚われの女だった。
鏡のなかのもう一人の自分を夢想するという、少女的にも文学的にも普遍的なテーマが扱われています。
「夢想する娘」(La Rêveuse)
――両親が死んだ後も、マルジョレーヌは小さな家に年老いた乳母とともに留まっていた。緑色の壺はソロモン王の印のある印璽で蓋をされていた。そういうことを知らない人たちは、暖炉の上に色褪せた古壺しか認めなかった。
タイトルどおり、不幸な境遇のなか夢見る少女が登場します。壺で始まり、壺で終わる残酷で美しいラストシーンが印象的でした。
「願いを叶えられた娘」(L'Exaucée)
――シスはベッドのなかで泣き出した。私はみんなに憎まれている。シンデレラのような女、それが私なの。いつか王子さまと乗って戻ってくる。
訪れたのは「死」でしょうか。不幸(を気取りたい?)少女を待ち受ける運命が哀れです。
「非情な娘」(L'Insensible)
――モルガーヌ王女は誰をも愛していなかった。自分自身を愛したいと思っていたけれど、鏡に映る像は冷淡だった。占いによって本当の鏡のある場所まで旅に出た。宿に着いたとき、宿の主人はこの家が昔ある残忍な女王の住まいであったことを告げた。
完璧な鏡。その正体はいかにも耽美なロマンチシズムに満ちていて、理屈ではありません。美と呪いに絡め取られた悲劇でした。
「自分を犠牲にした娘」(La Sacrifiée)
――リリーとナンは農場の手伝い女だった。眠りながらリリーは夢を見た。「私はマンドジアーヌ女王です。私を探しに来ておくれ」。目を覚ますと、ナンが悲鳴を上げていた。両脚が利かなくなっていたのだ。リリーは女王を探しに出かけた。
いかにもお伽噺めいた作品で「姉妹」は幕を閉じます。女王と足の治癒に因果関係があるとするならば、リリーが女王を見つけた時点で若さと時間が失われた、と取るべきなのでしょう。
「III モネル」(Monelle)
「彼女の出現について」(De son apparition)
――とても雨の多い季節に、ぼくはランプ売りの少女を見つけた。「以前は人形のランプだったの。でも子どもたちはもう大きくなりたがらないの。だからこんな小さなランプを子どもたちに売っているの」
「彼女の生活について」(De sa vie)
――モネルはぼくの手を取って言った。「遊びにいらっしゃい。子どもたちは私をモネルって呼ぶの。私たちは仕事を捨ててしまったの。大人たちに見つかれば家に連れ戻されてしまうでしょう」
「彼女の逃亡について」(De sa fuite)
――モネルと遊ぶくせのついてしまった子が一人いた。まだモネルが出ていく前のことだ。もうモネルはいない。「ぼく今日はお利口だったわね!」奇蹟は二度と起きないものなのだろうか。
「彼女の辛抱強さについて」(De sa patience)
――暗い場所でひとりで眠っているモネルを見つけた。「まるで辛抱強い跳鼠みたいに、こんなところに眠りに来ていたんだね」「私は待っているの」「誰を?」「わからないわ」
「彼女の王国について」(De son royaume)
――ぼくはその夜書物を開いていた。ところが一つの声が響いた。「白い王国! 私は白い王国を識っている!」。ぼくは驚くことなく言った。「嘘つき。もう王も王国もない。ぼくは赤い王国を望んでいるけれど、今いる王国は黒い」
「彼女の復活について」(De sa résurrection)
――ルーヴェットはぼくを野原まで連れて行った。小さな人影がいくつも見えた。「あれは誰なんだい?」「わからないわ。白衣を着た子どもたちよ」。ぼくはそのなかに前に出会ったランプ売りの少女を認めた。「もうランプを売ってはいないの。モネルは死んでしまったけれど、私は同じモネルなの」
モネルという少女について書かれた連作のはずなのに、読めば読むほどモネルという存在が余計に謎めいてきてしまいます。モネルの姉妹たちと比べると、モネルとは子どもたちを映す鏡のような存在なのか、モネル自体の存在感はとてもかすんで見えます。
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