『My Real Children』Jo Walton,2014年。
二つの過去を思い出す認知症の女性、という発端からは、ただの多重人格もの?という一抹の不安がよぎりました。けれど選択による分岐以前――パッツィの子ども時代を読んだだけで印象はがらりと変わります。
オックスフォードの入学面接からカーライルの高校へ戻る途中のひとコマに、心が温まりました。列車の中の労働者との会話や、宿を貸してくれた親切な夫妻との交流や、久しぶりに見た海や鳥のこと。ノスタルジックな世界が、多感な少女の目を通して語られることで、無二の輝きを放っていました。
そして大学に入ったパッツィがパティと呼ばれることで、早くも二つの人生の萌芽が現れていました。こうしてパトリシアは、このあとも別の環境・別の交友関係になるたびに、呼び名が変わってゆきます。そういう意味では、パトリシアの人生は二つではなくそれ以上だったとも捉えられそうです。
出世の道も断たれた無職の恋人から今すぐの結婚か別れを迫られたら? 驚くほどに下世話ながら、それだけに身近で共感できるジレンマとも言えます。とはいえ控えめに見ても大学生の時点でマークは駄目人間なので、読者から見れば結婚を選ぶという決断は愚かにしか思えません。愛している、以外の価値が見いだせません。案の定、マークと結婚したトリシアには絵に描いたような不幸が待ち受けていました。
旧弊な妻としての役割を強いられるトリシアと、進歩的な女性として順風満帆なパティ。対照的な人生を歩む二人ですが、やがてどちらの世界もわたしたちの知っている現実とは違っていることが明らかになってきます。そしてそのことが最後に、バタフライ・エフェクトの問題に基づいて、パトリシアに新たな決断を迫ることになります。「ふたつの世界を、近づけることができないだろうか?」。そんなのはファンタジーに決まってます。けれどだからこそ、胸を打ちます。
もしあのとき、別の選択をしていたら? パトリシアの人生は、若き日の決断を境にふたつに分岐した。並行して語られるふたつの世界で、彼女はまったく異なる道を歩んでゆく。歴史の歩みも違うそれぞれの世界で出逢う、まったく別の喜び、悲しみ、そして彼女の子どもたち。老境に至り人生をふり返る彼女は、ふたとおりの記憶の狭間で、自分に問いかける……はたして、どちらのが“真実”なのだろうか? 『図書室の魔法』と《ファージング》三部作の著者が贈る、感動の幻想小説。全米図書館協会RUSA賞、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞受賞作。(扉あらすじ)
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