『むずかしい年ごろ』アンナ・スタロビネツ/沼野恭子・北川和美訳(河出書房新社)★★★★★

 『Переходный возраст』Анна Старобинец,2005/2011年。

「むずかしい年ごろ」沼野恭子(Переходный возраст)★★★★★
 ――いったいいつからだっただろう? 二年? 三年前? 最初のうちは息子がぼんやりするようになっただけだった。それから外に出るのを嫌がり、友だちもいなくなり……マクシムが一〇歳のとき、マリーナは担任から呼び出された。マクシムが級友のお菓子を奪って殺してやると脅したというのだ。それから妹のヴィーカが双子の兄と同じ部屋でいるのを嫌がった。虫が這っているという。

 嫌悪と狂気に満ちた生理的恐怖が、一転して、蟻に寄生された人間の手記に変わると、狂気にしか見えなかったものがある意味で理路整然となるのが恐ろしいです。個体ではなく蟻という個体群による寄生というのも面白いところです。また、この作品のいいところは、パニックホラーやSFじみたものにならずに、飽くまで狂気の線――とはつまり現実のラインでもありますが――を保っているところでしょう。暴れん坊の猫の失踪や、子を持つ親の苦悩や、ヴィーカのダンスパーティでの思春期の悩みなど、それだけでも充分に成り立つだけの確かな描写でした。
 

「生者たち」北川和美(Живые)★★★★★
 ――水槽に近づき裸人形を投げ込む。あと三日待てばいい。頭に髪が生えてきた。すぐに大きくなるだろう。私は彼を、〈革命〉の時に失った。ロボットではなく生命なき人々。バカげた言い換え。誰に対する革命だったのか、今でも謎だ。どうやら奴らはロボットを懲罰したかったらしい。自らは生者と名乗り〈生命なき人々〉を退治しに行った。

 終末と喪失という孤独感あふれる世界で、ほとんど本人そっくりのロボットを生きるよすがにする語り手が、恐らくこの手の問題の永遠のテーマともいえる〈ニュアンス〉の違いという壁にぶつかったときの、対処法が妙にリアルでした。ただの偏見ですがロシアと革命というとSFではなく現実味を帯びて感じられてしまうから不思議です。
 

「家族」沼野恭子(Семья)★★★★☆
 ――翌朝ジーマが列車で目を覚ますと、「降りてこいよ、ジーマ、嫁さんが退屈してるみたいだぞ」と言われた。「おれには嫁などいない」と反論するものの、身分証明書には結婚を証明するスタンプが押されていた。おれは結婚していない。恋人の名前もリーザではなくカーチャだ。ロストフ・ナ・ドヌーに住んでいるおれがモスクワで結婚できるわけがない。

 直線距離で約1,000キロ離れたロストフ・ナ・ドヌーとモスクワはいえ、現実と異世界というにはあまりにも近すぎる二つの世界の、もとに戻る過程や二者間の関係が、現実とも狂気ともつかずに気持の悪い感覚を残します。
 

「エージェント」北川和美(Агентство)★★★★☆
 ――犯罪行為も肉体的干渉も禁止。自然な成り行きに少し手を加えるだけ。私は何の特徴もない人間だった。必要な人材。理想的なエージェントだ。任務はコーディネーターから電話で与えられる。クライアントは自分でシナリオを書くこともあれば出来合いの物語を持ってくることもある。一番人気はスティーヴン・キングだ。それから『タイタニック』。嫌いな人間を船に乗せて海に沈める……。

 犬を踏みつぶし少女におぞましい言葉を囁くというショッキングな場面から幕を開けるこの物語は、(殺し屋ではないと本人は言っていますが)偶然を装ってクライアントの希望を叶える秘密組織エージェントの話です。「なぜそんなにまで憎むんですか?」。これがまさに禁断の質問でした。この言葉が口に出されてからは、またたく間に現実が崩壊してゆきます。
 

「隙間」沼野恭子(Щель)★★★★☆
 ――「絶対そんなふうにしちゃダメ、パパ」「何をしちゃダメだって?」「二度続けてドアを開けると、隙間ができちゃうの」……仕事に行く。ラッシュアワーだ。疲れて、やっとのことで階段をのぼり、駅から外に出る。そこは「ベラルースカヤ」駅ではない。とても似てはいるけれど。

 比較的オーソドックスな幻想譚であるこの作品においても、際立っているのが導入の巧さです。娘と父親の何でもない会話から、ありとあらゆる物語の可能性を妄想してしまいます。
 

「ルール」沼野恭子(Правила)★★★★☆
 ――アスファルトの黒い亀裂が自ら規則を定めていた。サーシャはぴょんぴょん跳ねながら進んだ。こういうふうに歩かなければいけないのだ。ゲームを支配している「音なき声」が告げた。休憩にしよう。正しい位置についていないモノを、そのままにしておくと、きっと恐ろしいことが起こる。

 障害者の多動や子どものごっこ遊びに、世界を司るという意味を見出したかのような作品です。母親はみっともない行動をやめさせようとしただけ……ではないのでしょう、きっと。
 

「ヤーシャの永遠」北川和美(Яшина вечность)★★★★☆
 ――ヤーシャ・ヘインは前夜から気分が悪かった。風の引き始めの、あの感じだ。あるいは、心臓か……子供の頃から頻脈なのだ。脈を測った。「何だか、心臓が止まったみたいなんだ」ヤーシャは妻に言った。会社は辞め、役所には相続の手続きをしなくてはならなかった。

 永遠の命――ならぬ、永遠の死……と書くと、当たり前の表現ですが、死んでも心臓以外は生前と変わらない男の話です。周囲が何事もなく飄々と進んでゆく様子は、ゴーゴリを連想させます。何人もの妻と死に別れるという出来事が、死亡を見立てた医者と同じなのには、何か意味があるのでしょうか。
 

「私は待っている」北川和美(Я жду)★★★★☆
 ――彼女がどこから来たのか、正確には知らない。たぶん、冷蔵庫の中からだ。スープを放置していたら、悪臭がしてきたので鍋ごとくるんでゴミ捨て場へ運んだ。翌日、包みがない。家に帰るとひどい臭いがした。そのとき初めて彼女を見た。やがて住人たちが悪臭に文句を言いに来た。

 果たして著者の意図が奈辺にあるのかはわかりませんが、小さな彼女の正体には、オガツカヅオ「妖精の人」を連想してしまいました。
 

 [amazon で見る]
 むずかしい年ごろ 


防犯カメラ